旧街道サイクリングの旅 vol.4 旧東海道をゆく

目次

猛暑ならぬ激暑ともいうべきだった初日。翌日、あれは一体何だったんだと思うぐらい爽やかな朝を迎えた。
曇天で風も吹いている。この時期のサイクリングのコンディションとしては良い。
旧街道サイクリング2日目の始まりだ。

vol.3はこちら

爽やかな2日目

旧街道サイクリングの旅 vol.4 旧東海道をゆく

征夷大将軍を祀った土山祝の田村神社。参道が旧東海道になっている

シシャチョーさこやんは昨日の疲れが残っているのか、それとも先行きを案じてか、やはりおとなしい。
 
経験から言うと長距離サイクリングでは2日目の朝が一番身体がきつい。
一番気をつけなくてはいけないのも2日目だ。思わぬことが起こったりする。
9時に宿を出ることにした。
幸い快適な宿だったためか私の体はいつもの2日目よりラクだ。

旧街道サイクリングの旅 vol.4 旧東海道をゆく

昨日の地点まで輪行で移動

まずはJR三雲駅まで輪行だ。
駅前で輪行の準備をしていると、昨日の「ワープしたと思われたくない」というシシャチョーさこやんの言葉が思い出されて笑いがこみ上げてくる。
 
「迫田さん、皆からそう言われるということは普段から信用されてないんと違います?」
 
「ままっ、普段からノリと勢いだけで生きてるんでね……」
 
とガハハハと二人で笑い合う。よかった、意外と元気だ。
それにしてもシシャチョーさこやん、旅2日目にしてすでに輪行慣れしている。あっという間のパッキングだ。
 
JR三雲駅をスタートし、この辺りでは一番大きい野洲川を渡る。

旧街道の色が濃く残る道沿いの風景

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野洲川の河畔に残る横田の常夜灯。かつて舟をつないで橋としていた

今日一つ目の見どころに到着。
「横田の渡し」である。野洲川はかつては横田川と呼ばれていた。流域を肥沃な土地にしてくれる代わりに大雨が降ると大きく水かさが増し水害を起こすこともあったという。それゆえに川幅は想像以上に広い。

江戸時代、徳川幕府は諸大名の叛乱を警戒し、容易に江戸に攻め込めないように架橋を許さなかった。全く橋がなかったわけではないが、ほとんどの川で架橋はされていなかったという。それゆえに旅人は恐ろしく不便を強いられた。
「徒士渡り(かちわたり)」といって浅い川なら自身の足で渡った。深くなると人夫の肩車で渡ったり、高値になるが蓮台に乗って渡った。川渡りの料金は人夫の膝までならいくら、胸下までならいくらと定められていた。しかし実際には流れが強かったりすると人夫によっては値段を吊り上げたりした者もいたらしい。現代なら自転車で数十秒で渡ってしまう川も、当時は相当に難儀して渡っていたのだろう。

ところで、横田の渡しでは舟をつないでその上を渡る「舟橋」をかけていたらしい。徒士渡りよりはよほどマシだったろうが、流れの中で不安定なところを渡らねばならず、それはそれでかなり渡りにくかったろうと思われる。

渡しの横には立派な常夜灯が残されている。当時旅の安全と悪天候でも目的地がわかるように街道にはたくさんの常夜灯が設置された。今でも各地で見ることができる。
この横田の常夜灯は現存する中では最も大規模なもので、その礎石には寄進した人々の名前が見て取れる。

さっそく旧街道気分に浸れた。2人気をよくして緑の田園風景の中を元気よく走り出した。

昨日の疲れは何処へやら

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水口宿は三筋の道に分かれている

「井上さんはよく、街道の匂いがする、て言うてますけど、この道が旧街道って少し分かるようになってきましたわ!」
シシャチョーさこやんが後ろから話しかける。
 
あたりを見回すと次第に「連子格子」という格子窓を備えた日本建築の家が増えたことに気づく。これが見えると確かに旧街道らしさが増す。もちろん大正、昭和になって建てられた家も多いだろう。しかし街道沿いに家を持つということは、かつて誇りに思われていたこともあり、現在でも雰囲気を壊さないように外観に気を遣っている家も多く見られる。ごく最近に建てられた家であってもアルミサッシであっても連子格子を思わせる意匠になっていたりする家も多い。
 
水口宿は城下町だ。城下町に入ると街道は決まってカクカクと直角に曲がり出す。これは城下町特有の防衛装置で「七曲り」とか「枡形」と言った。敵が攻め込んできた時に一気に城中心部に入らせないようにするギミックだ。現代では普通に碁盤の目の通りに街が作られているので分かりづらくなっている。よって旧街道サイクリングをしていて城下町に入ると結構ミスコースしてしまう。まあそれが面白いのだが……。
 
ところで今日は街道歩きの人にたくさん出会う。暑い季節なので自転車以上にきついと思うのだが。そんななか、1人早足で道ゆく人が見える。
「シシャチョーあの人も街道歩きですよ、あの人も道を間違えてうろうろとしている」
「井上さん、あれは違うやろ。部活帰り。ええ加減なこと言わんといて」
追い抜きざまに見てみると、どうやら高校生ぐらいの少年。
確かに。いや推測で話してはいけない。

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水口市民センターの休憩所で記念撮影

「井上さん、ちょっと休憩しましょや!今日の記念撮影も撮らないと」
「承知です」
ということで街道の雰囲気を感じさせるモニュメント的な場所を探して自転車を止めた。「水口地域市民センター」の銘がある。
ちょうど「水口宿」「東海道」の垂れ幕もかけてあるのでここに決定だ。
セルフタイマーを使って写真を撮るべくセッティングをする。
しかし重量の関係で三脚を持ってきていないので、リュックを三脚がわりにしてカメラを置いたのだが、なかなかうまく構図が出せない。Wi-Fiを使ってスマートフォンで構図を確認したり、露出を変えたりとアレコレ試してようやく撮影可能になった。

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写真の準備をしている間にナンパするシシャチョーさこやん

「さあ撮りますよ!!」とシシャチョーさこやんを呼んだ。
しかし周りに居ない。どこへ行ったとぼやきながら探してみると、隣の建物で女性と話し込んでいるではないか。
しかも年は幾つだの、仕事は何しているのだの、俺ら旧東海道を旅しているだの話しているのが聞こえる。
つまらない親父ギャグがポンポン飛び出している。それに比べ女性の方は多少のけ反り気味ではないか。
 
全く呆れる。昨日まで暑い暑いと言っていたひとが……。
 
「ひとが苦労してセッティングしている横でナンパですかぁ」
「い、いや一応ジャーナリストなんで、つい癖でいろいろと聞いてしまうんですわ〜すんません(笑)何より美人にはお声がけしないと失礼でっしゃろ?へへへ。そ、そやけど井上さん、地元の人との触れ合いも旅の醍醐味って言うてたじゃないですか!ワシは師匠の教えに従っただけですわ!」
確かにその通りなのだが。
彼女はこの水口地域市民センターのセンター長として仕事をしているとともに、横にある建物で街道の資料を管理したり祭りの山車の説明などを行っているという。はにかみながらもインタビューと記念撮影に応じてくれた。
 
「ほなまた写真送りますわ!!じゃ先を急ぎますんで!」とシシャチョー。
 
さすがシシャチョーさこやん、只者ではない。昨日の疲れは何処へやら……。シモネタと行動力はピカイチだ。
そしてきっと「写真を送る」ことはしないだろう。

西の難所、鈴鹿峠へ

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土山宿近くの一里塚横にあるカフェ。その名も一里塚

思わぬハプニングや他人との出会いを経て雰囲気も和らいだところで水口宿を後にする。
国道1号線を斜めに横切っていく。旧街道サイクリングをしていると気づくことになると思うが、道中この斜めの交差点にやたら出くわす。昔の街道は地理的要因や水利、土地の権利の関係、そして土木技術のレベルなどもあり、城下町周辺を除いては一様に曲がりくねっている。まっすぐな道に見えても遠くに目をやれば微妙な曲がりがあったり道幅もコロコロと変わっていたりする。そうしたものを目にすることが「旧街道の雰囲気」を感じるきっかけになるのだが、この斜めの交差点も同じだ。昔の曲がりくねった道を近代の土木技術で開発した幅広く規格の通った道で、遠慮なく最短距離で貫いた結果なのだ。くねくねと曲がりくねった旧街道がなんども新道に分断され、ややもすると幅広い道の少し離れた側に、まるで北海道の石狩川の三日月湖のように取り残された集落がひっそりと残っていたりする。これも道路開発によってたまたま残された「旧街道の雰囲気」なのだ。(後日、シシャチョーさこやんが大阪の自宅近くで旧街道を見つけ、斜めの交差点を発見したとき、嬉しい気分になったという。)
 
さて、そんな三日月湖のような集落が、水口宿と土山宿の間にもある。国道1号線の喧騒のすぐ側に、静かな集落がひっそりとあるのが不思議に思える。近くに一里塚のモニュメントがあり、休憩を取ることにした。昨日より涼しいとはいえ、やはり日中にサイクリングをするには時期が悪い。
 
「ちょっと休んで行きましょうか。一里塚は昔の旅人が休んだところでもありますので」
シシャチョーさこやんの体調も気になっていた。
 
見るとすぐ横に「古民家カフェ 一里塚」という看板が立っている。ネーミングにも興味をそそられるし、お腹も空いた頃合いということで中に入ることにした。

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昨日と比べ食欲旺盛なシシャチョーさこやん

店内はこざっぱりとした清潔感あふれるカフェで、ところどころに古民家の面影をとどめている。オーナーは長さんという方で、非常に真面目で紳士的な面持ち。それでいて暖かいホスピタリティーで迎えてくださった。シシャチョーさこやんはナポリタンを、私はカレーを頼む。美味しい。
料理を作りながらオーナーはいろいろと話をしてくれた。
なんでも定年退職後に自分の母親の自宅を改造してカフェを始めたとのこと。もともと旧街道歩きの人の往来が多く、それでいて水口宿から土山祝までの間に何も旅人を癒す場所がないということから一念発起して開業したのだという。旧街道サイクリングでは水や食べ物の補給が大いに問題になる。古い道ゆえにコンビニエンスストアなどがあまり近くになく、人口減少なども相まって地方では食事をする場所もないところが多い。
そんななかでこのようなカフェを経営していただいているのはありがたいことだ。

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土山宿に入ると美しい茶畑が広がった

国道1号線をなんども跨ぎながら、道はいよいよ土山宿に入る。ここ土山はお茶の産地だ。製茶業が盛んでそこここよりお茶の良い香りが漂っている。一面に広がる茶畑を前に一服することにした。
 
シシャチョーさこやんも今日は全く問題なく走っている。少しずつ慣れているのかもしれない。しばらく茶畑を見て佇んでいる。
よく見てみると何か遠い目をしながら空を見ている。確かに昨日も身の上話をしたりしていた。その胸に去来するものは何だろうか。男51歳。いろいろ思うこともあるのだろう。
 
「さっきの彼女、ああいう出会いはよろしいですなあ。毎日あったらいいのに。」
 
「そんなものあるかい!さあ行きますよ!」
心中を察して損した。

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土山宿に残る本陣跡。往時の様子を偲ばせる場所だ

土山宿も街道の雰囲気がある程度残っている。造り酒屋、和菓子屋などはそうだ。家々の前には、「旅籠●●屋」のように当時の屋号などが刻まれた石碑を建てている。街道の真ん中で立派な本陣が我々を待っていた。周りの家々とは違う厳かな造り。黒で塗られた壁など本陣と思わせる様式だ。
撮影をしていると雨がパラついてきた。急いでレインウェアを着込こむ。

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田村神社にかかる橋。広重の浮世絵が描かれた場所だ

旧東海道は土山宿を出て国道1号線を横切る。そのまま田村神社の中を貫く参道が旧東海道なのだ。ここは坂上田村麻呂という征夷大将軍を祀った神社。それゆえ道中に参詣を兼ねて立ち寄った人も多かったに違いない。浮世絵「東海道五十三次」を描いた歌川広重もそんな1人だったのかもしれない。彼が描いた雨足の中で川を渡る絵はつとに有名だ。そのシーンを描いた橋が今もかけられている。もちろんコンクリート製にはなっているが、当時広重がここで矢立を出して絵を描いていたと思うと感慨深い。

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夏休みを利用し歩いて江戸を目指している少年と出会った

橋の上で写真を撮ったりしている間に、なんと!先ほどの少年が追いついてきた!
やっぱり旧東海道を歩いていたのだ。聞くと大阪の大学生で夏休みを利用して旧東海道を江戸まで歩くのだという。名前をハットリ君という。忍者の末裔か?それにしてもハットリ君、速い。いくら一里塚カフェで食事をしたとはいえ、こちらは自転車だ。少なくとも10km近くは走ってきたのに、もう同じところにいる。なんでも高校生までは陸上部の長距離選手だったそうで、速いわけだ。この後は庄野宿まで行ってネットカフェで泊まるという。
シシャチョーさこやんのジャーナリスト然とした質問に滔々と答えるハットリ君。
シシャチョーさこやんが差し出したお茶のペットボトルをがぶ飲みした後、厳かにペットボトルをシシャチョーさこやんに返した。
「返していらんわ!!!」

伊勢の国へ

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鈴鹿峠に鎮座する大常夜灯。旧東海道中で最も大きなもの

旧東海道には、東に天下の険(けん)と言われる箱根峠、そして西に鈴鹿峠がある。どちらも難所として有名だ。実際には箱根に比べて鈴鹿峠は随分と短く楽なのだが、当時は山賊なども出たらしく、用心して進んでいたらしい。ここにも大きな常夜灯がある。国道1号線の鈴鹿峠を開くために場所を移されてしまったようだが、見事なものだ。当時は峠のふものとの坂下宿あたりから峠に灯る常夜灯の明かりが見えたらしい。

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旧東海道は鈴鹿峠で近江から伊勢に入る

旧鈴鹿峠は昔のままの地道が残っている。当時峠に建てられていた立場茶屋の基礎や田村神社の分祀社の礎石や瓦片を今も見ることができる。確かに山賊が出そうな鬱蒼とした場所で、今でこそ国道1号線でひとっ飛びだが当時は相当な難所だったことがうかがえる。

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旧鈴鹿峠。昔の立場や馬の水桶などがそのまま残る

「シシャチョー、昔の道を行きましょうか?」と聞く。いつもの私のサイクリングスタイルだと、自転車を担いで石畳を歩いて全ての道を行くのが主義だからである。しかしこの日は雨交じりの峠道。しかも石畳は苔むしていて非常に滑りやすい。シシャチョーさこやんには申し訳ないが、国道1号線のトンネルを通って行くことにした。しかし街道の雰囲気を味わってもらうためにほんの少しの間、車が入っていける道をグラベルロードよろしく走ってもらった。

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旧鈴鹿峠の伊勢側に降りる。石畳を歩いてみたが苔むしていてツルツルだった

国道1号線を通り旧街道に再合流する。片山神社という神社がある。おそらく昔の旅人はこの神社まで辿り着ければ安堵したことだろう。ここの石畳の道は細く急峻だ。ためしにシシャチョーさこやんに歩いて上がってもらった。
「いや、雰囲気ありますね!ここ。素晴らしい」と言いながら石畳で滑ってこけそうになる。
時期が良ければまた次回連れてきたいところではある。

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坂下宿に入る。旧街道を偲ばせるものはほとんど残っていない。本陣跡の石碑

「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」の鈴鹿の馬子唄で有名なこの辺りは、実際に通ってみると天候の移り変わりが激しい。鈴鹿峠でそぼ降っていた雨も、坂下宿に入った途端やんだ。
坂下宿も近江側の土山宿同様に、峠を前にして用意を整える宿場町であった。当時は悪天候になると途端に峠は歩けなくなったらしく、川留め同様に峠前でも長逗留を余儀無くされる場合が多かった。坂下宿も大いに賑わっただろう。しかし今は当時を偲ばせるものは何も残っていない。連子格子の家が数件あるがそれ以外は皆目見当たらない。
「梅屋本陣跡」の石碑と茶畑が唯一の見どころだ。
しかしここで写真撮影をしていると、街道の趨勢を見るような気がしてきた。それはそれで趣のあることではないだろうか。

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関宿にたどり着いた。伝統的建築物群が残されている

そしていよいよ関宿にたどり着いた。
伝統的建築物が保存された素晴らしい地区だ。
戦後、焦土から急激な発展を遂げた日本は、代わりに日本らしい風景を急速に失っていく。無作為に様々な色や意匠の建築物が建てられ、そこかしこに看板が乱立している。アジアっぽいといえばそれまでだが、この関宿や木曽路や美濃路の宿場町を見ると、なぜ保存できなかったのかと思う。またうまく保存しつつある町でも、カラフルなノボリをつけていたり、伝統的な景観の中に突然ゆるキャラが現れたりと、誠に残念な景色がそこここに見られる。
もちろん全て統一して作るとなると、それはテーマパークとなってしまうし、本来の意味とは違ったものになるだろう。
ここ関宿は伝統的なものを再現しつつ、人々の生活習慣も同時に感じさせる「生きた景観保存地区」という印象だ。
 
いずれにしても宿場町の気分が味わえる数少ない場所だ。

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関宿。昔の面影を残す数少ない場所

シシャチョーさこやんも感動している。たどり着いた先が黄昏時の宿場町なわけである。今回の旅の1つのハイライトが早くも訪れたのだ。

今日はゲストハウス「石垣屋」に投宿する。この石垣屋さんはバックパッカーにも有名なゲストハウスで、築120年の立派な古民家を改築したゲストハウスだ。建物の中には江戸時代からの貴重な調度類があったり、周辺の住宅から寄贈された江戸から昭和中期までの珍しいものが鎮座していて、日中は街道筋側に向いた格子戸を外し解放している。
面白いのがメンバーズカードだ。実際にはカードではなく寛永通宝という古銭。近くの民家から出てきた大量の古銭をもらってメンバーズカードとしている。リピーターは500円引きだ。
当時も寝床と自炊施設を貸す「木賃宿(きちんやど)」というものが存在した。まさにゲストハウスっぽいものだったろうと思う。

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とにかくビールがうまい!

夕餉(ゆうげ)の時間だ。夕餉などというと古臭く感じるが、旧街道サイクリングだとなぜかディナーじゃなく夕食じゃなく「夕餉」という言葉を使いたくなる。ホテルも「宿」であり、チェックインも「投宿」という感じか。とは言っても向かうのはやはり居酒屋なわけだが……。
 
シシャチョーさこやんのこの顔をご覧いただきたい。
うまく走れて今日は満足そうだ。
いい気分で宿に帰ると、石垣屋の近隣の若者がたくさん宿に泊まりにきていた。
地元の若者との話、昼間のハットリ君のことなどをなどを話題にしていて、ふと、自分の若かった頃のキャンプサイクリングの思い出などを懐かしく思った。

【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。

取材協力:RIDAS(ライダス)

旧街道サイクリングの旅 vol.4 旧東海道をゆく

水口地域市民センター長の山中知恵さん。シシャチョーさこやんの突撃ナンパにも笑顔でご対応(あしらい?)いただいた

水口地域市民センター
滋賀県甲賀市水口町八坂7-4
TEL:0748-65-1734

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古民家カフェ 一里塚オーナーの長さん

古民家カフェ 一里塚
滋賀県甲賀市水口町今郷592
TEL:0748-62-2871

旧街道サイクリングの旅 vol.4 旧東海道をゆく

宿泊したゲストハウスの美しい庭園で旅の疲れを癒す。古民家の雰囲気が味わえる

石垣屋
三重県亀山市関町中町445
TEL:0595-96-3680

vol.5に続く