【群馬県】第2回ライドハンターズin上野村にyotaccoの軽トラカフェが出店!
西上州の上野村にyotaccoという古民家カフェがある。現在は幼い子どもたちの育児もあって自宅を兼ねたカフェは休業中とのことだが、軽トラカフェに姿を変えて随所に出没するようだ。
無農薬で育てた豆類や野菜などもyotaccoのシールを貼って道の駅に出荷する。この村で生まれ育った黒澤恒明さんと、奥様であるみほさんが運営する、かわいいブランドだ。
yotaccoはこの地域の言葉で「イタズラ好きな子ども」という意味。本来的にはあまりいい言葉ではないというが、愛着が持てるからこのネーミングにしたという。
1982年生まれの黒澤さんは高校を卒業すると、4年ほど都内で働いて海外サイクリングの資金を貯め、テスタッチのマウンテンバイクをツーリング仕様に組んだものにサイドバッグを搭載して旅立ったのは22歳、2004年のことだった。
「家族には3年ほどで帰国する約束をしていましたが、行っちゃったらこっちのものだと世界一周するつもりでした」
出発地は北米大陸。たいていのサイクリストはアラスカを発つが、なぜか米国中央部のカンサス州からペダルをこぎ出した。中米メキシコに渡り、南米大陸はブラジルを南下して最南端へ。折り返してアンデス山脈を北上し、ペルーに進んだ。アルゼンチンのブエノスアイレスに戻ってアフリカ大陸南端のケープタウンに飛んだ。
そこからはジグザグに北上。アフリカのルワンダ、ケニア北部からエチオピアにかけての砂漠地帯が最も困難だったという。さらにはガーナ、西サハラ、モロッコなどを走り、欧州に突入してスペイン、フランス、ベルギー、オランダを経て、ドイツで今回のチャレンジを中断したという。
「いちおうボクの中では中断なんですよ。一番楽しみにしていたユーラシア、東南アジアを目前にして帰国する決断をしたのです。旅の資金の一部を家族に援助されていたこともあり、これでは自立できていないという気持ちがありました。旅先で働いて続けることもできましたが、今はそれをやるべきではないと決めて日本に帰りました」
上野村に生まれた子どもたちはそれほど自転車に愛着を持たないという。黒澤さん自身も最初は自転車が乗れないのがコンプレックスだったほど。
乗れるようになると自転車は旅をするための交通手段として相棒になった。村にいつくもある坂を上るという発想は誰もなく、旧道を走る程度だ。
「村で生まれた子の方が貧弱ですよ。龍神の滝から滝つぼに飛び込んだりするのは都会から来た子ですよ。家遊びが多くて、自転車では隣町に行く程度でした」
そんな黒澤さんがサイクリングに魅力を感じたのは、高校時代に沖縄本島をサイクリングしに行ったことだった。ツーリングなんて未経験。計画を立てる際に、高崎市の図書館で「のぐちやすお」さんのサイクリング書籍を見つけて参考にした。そして実行した沖縄サイクリングが心に響いた。
「それまで上野村で家業の食料品店を継ぐことを考えていましたが、高校を出てそのまま従事するのも経験値が足りないんじゃないか。仕事をする前になにかチャレンジしようと考えました。音楽などの海外カルチャーにも興味を持っていたので、目指したのは海外」
それが海外ツーリングを実現するきっかけだ。のぐちさんの書籍に、「ほかの人を参考にしたり、アドバイスを求めないほうがいい」と書いてあったので、事前情報はあまり収集しなかったが、現地でそれにより困ったこともなかったという。
基本はテントで自炊。地域によっては野営に不向きなところもあったり、「子どもが集まってきちゃってめんどくせーな」と感じたときは安宿なども利用した。4年間の走行距離は、サイクルコンピュータの盗難に複数回遭ったりして厳密ではないが、おおよそ5万kmに及ぶという。
「サハラは1週間向かい風で、1日48kmしか進めなかった。そんなときに反対側から追い風に乗って走ってきたサイクリストに聞くと200kmだったり…」
各地で知り合ったサイクリストとは今でも親交があり、黒澤さんを訪ねて上野村まで走りに来てくれる人もいる。
現在は40〜50ほどの農作物を1年を通して育て上げる。各地の生産者や異業種とコラボ展開するのもyotaccoの特徴だが、旅行の経験からただ単に農業に従事するということでなく、やりたいことや考え方が変わったのだという。
「かといってなにかアイデアがあったりしたわけではないので、そういったものを提案してくれるのがみほちゃん」と奥さんの存在に一目を置く。
じつは、センスあふれるyotaccoのホームページやそれを彩るデザインからイラストまで、みほさんが手がける。古民家カフェもいつかは再開したいと、みほさん。黒澤さんもかつて一時期企画していたアウトドアやサイクリングツアーをやりたいという。
最新情報はyotaccoのホームページで。
「すりばちの底」と呼ばれ、脱出するにはどこかの峠を上らなければならない上野村は山岳サイクリストの聖地と言われ、かつてはパスハンティングという峠道へのアタックを楽しむサイクリストがよく訪問した場所。浜平(はまだいら)という集落には奥多野館という民宿もかつてあって、山岳サイクリストがモノクロ写真を飾り、「浜平ノート」と呼ばれたツーリングの記録を記した大学ノートが何冊もあった。
そんな山岳サイクリストの心のふるさと。2018年からは上野村の大自然を自転車で探索する「ライドハンターズin上野村」が開催されるようになった。
黒澤さんも「自分たちが上野村に訪問してくれた人たちとこんな感じで関係を持てるとしたら理想的なイベント。参加者が上野村のいいところを探してくれる。いいところを見せますよ、なんて案内するツアーとはちょっと違いますからね」と期待を寄せる。
第1回は100人程度のアットホームなものだったが、「村の素敵なところを見つけられてとても楽しかった」という参加者の声も。2019年の第2回は10月20日(日)に開催され、10月3日(木)までその募集を行っている。
1〜5人でチームを組んで地図に指定されたポイントを回り、あらかじめ設定された得点の合計で競う。得点に関係なく「インスタ映え」する写真を撮ったら特別賞がもらえるなんて演出もある。yotaccoの軽トラカフェも探索ポイントだが、どこに出没するかは不明。参加50チーム。1人3000円。