旧街道サイクリングの旅 vol.5 旧東海道をゆく
目次
昨夜は旅好きな若者たちに混ざって深夜まで痛飲した我々だったが、朝になると誰よりも真っ先に目覚めてしまった。隣の部屋では若者たちが川の字になって布団も無しでイビキをかいて眠っている。いつしか我らオジサンだけ別室で布団で眠ってしまっていたようだ。飲んでいるときはまるで自分たちも若いつもりですっかり同化していると思っていたのに、目覚めの早さで己の歳を知ることになってしまった。ちょっとさみしい。
伊勢路を行く
そんなことを考えていると、ふと、当時旅の先輩から教わった「宿での出来事は後に引かずに潔く出発すべき」という言葉を思い出した。そんなわけで我々もそそくさと出発仕度をして宿を出た。
さてここまで旅してきた宿場町の名前を列挙してみる。
京都三条━大津━草津━石部━水口━土山━坂下━関
東海道五拾三次の中でまだたったの七次だ。
庄野宿で再会!
出発して間もなく「野村一里塚」に到着する。この一里塚は、江戸幕府が制度化した街道の目印ともいうべき施設。おおよそ1里(約4キロメートル)ごとに道の両側に家1軒ぐらいの大きな塚を敷設し、大きな樹木を植え、旅人の距離の目安にした。また木が植えられているということで、木陰で旅人は休憩をしたりした。さらには駕籠かきや馬による輸送においても距離計としての機能を果たしていたという。まるでタクシーメーターだ。いまでは開発によってその数は数えられるぐらいしか残っていない。一里塚跡の石碑や看板があればまだいい方だ。その中でこの野村の一里塚は、片側1基になり、塚の周りは削られて石垣になっているが、上に当時の樹木をかろうじて残しており雰囲気は十分感じられる。
「これがホンマもんですか!?」
シシャチョーさこやんも感慨深げだ。
写真を撮ったあとはすぐにバイクにまたがる。天気予報では今日も酷暑のようだからだ。途中で国道や住宅地のなかを通る単調な区間も多いため、暑くなって疲れてしまう前に早いうちに海のある桑名宿まで行きたいのだ。亀山宿で城跡を見ているときに太陽が顔をのぞかせ始めたので早々に再出発した。
亀山を過ぎてからは旧東海道は国道に沿ったり脇に逸れたりを繰り返す。交差点も信号も多くなり、つい出足が鈍くなりがち。排ガスも気になり始めた。
早くやり過ごしたいからか2人ともペダルを回し気味。なかなかの速度で走っている。お互い会話しようとしても国道と重なっている区間では騒音にかき消されて何も伝わらない。トラックの風圧もあってピリピリしてしまう。2人で走っているのに孤独な区間が続いた。
ところどころ例の斜めに走る交差点に入る。三日月湖のように残された集落に入るとほっとする。よくよく見ると途中にも寺や神社もあって立ち寄っていくべきなのだが、すぐにまた交通量の多いところに戻らねばならない。そこはサイクリングだ。走りを重視する区間は走行を最優先したいところだ。ここが徒歩の旅と違うところ。最新の炭素繊維やアルミでできた馬を駆っているのだ。単調でつまらないところや交通量の多いところを我慢して走る必要はない。ここはちょっとだけ飛ばしていこう!
庄野宿の入り口手前で旧東海道は田んぼの中を行くべく国道を大きく外れた。小さな踏切を渡ったり農道と一緒になったりして道を見失うこともたびたび。でもそんな風に道に迷うことがかえって旅気分を煽る。というのは言い訳だ。私はサイクリングガイドであり、何度も旧東海道を旅しているだけにちょっと焦ってしまった。だが仕方ない。開発されて道が切れてしまったり、季節の違いで見え方が変わったり、同じ場所でも変わってしまっているのだ。だからそれを見つけるのも旅の一部だ。そうだ、そもそも旅なんてわざわざ不便をしに行くようなものだ。これも旅の一部と言って楽しんで行こう。自分への言い訳を正当化する。
「いやいやすみません。何度も来ているんですがつい間違っちゃうんですよ」
「全然大丈夫ですわ!迷うのも結構おもしろいですな!お!ここに小さく東海道と書いてある。道は合ってまっせ!」
シシャチョーさこやんも迷い道を楽しんでいるようだ。少しほっとする。
しばらく行くと一面青々とした稲にあふれた田圃に出た。一面美しい風景で風も吹いていて稲穂が揺れている。これは写真を撮らずにはおれない。シシャチョーさこやんに待ってもらって良いポイントを探す。
それにしても緑が濃い。どこを取るか迷うほどに田圃が綺麗だ。
「迫田さん、こっち来てくれますか!良い場所がありました。」
シシャチョーさこやんの方を向いて叫ぶが、彼は誰かと話し込んでいるようだ。
見ると片手に鎌を持った農作業風のおじさん。
「ほぉか!(そうか)自転車で回っとるんか。そら大変やろ!」
おじさんの声が聞こえる。この辺りは地理的には名古屋に近いこの辺りなのだが言葉は関西弁に限りなく近い。特に四日市から桑名まではそういう気がする。
「そんなら教えたろ!東海道の道はな、この次は庄野で、その次は石薬師、そしてその次は追分いう場所や」
どうやら宿場の名前を教えてくれているらしい。
「追分は何の道の追分ですか?」(追分は街道の分かれ道をいう。全国各所にある)私が聞くと、
「追分いうたら追分のことやがな!他に追分なんてあらへんがな!何言うてるんや!」とちょっと怒気を含んだおじさん。追分は彼のなかでは近所の固有の地名なのだった。
「追分の次は……知らんわ」
ずっこける2人。
昨日は美人の女性とのひととき、そして今日は鎌を握った妙なおじさん……。まあこれも旅の出会いには違いない。
ひとしきり自分のことを語ったおじさんは、軽トラックの荷台に草刈機を放り込んで颯爽と走っていった。軽トラックの背中にはなぜか初心者マークが貼られていた。
石薬師宿に入る。ここももう旧街道の宿場町を感じさせるものはほとんど残っていない。残念ながら名前は有名な旧東海道だが、これが現実だ。先を急ごう。また国道を行く。すこしスピードアップした。
シシャチョーさこやんは新たに準備したロードバイクにもすっかり慣れ、快調に走っている。軽量アルミにワイドリムにワイドタイヤ、そしてディクスブレーキを装備したこのバイクは、まさに現代の駿馬だ。私のカーボン製グラベルロードにおいては、そこに乗り心地の良さを加えた絶品のバイクだ。その性能についての描写は、スポーツバイク小売店の立場ながら長年営業をしてきた経験上のものを書くことは出来るが、これは紀行文。あえて細かな描写は避ける。つまりは最新のロードバイクは旅にも最適なバイクだということを明言しておきたい。
ふたりして快調に飛ばしていると、旧街道は例の斜めの交差点を経て左に逸れていく。
「ちょっと待って迫田さん!あれ!あの向こうの人!ハットリ君と違いますか?」
酷暑に歪む陽炎の向こうに細身で撫で肩の人物が揺れていた。
急いで追いついて声をかける。やっぱりハットリ君だ。再会を喜んだ。
相変わらずはにかみ屋のハットリ君。照れながら挨拶を交わす。
シシャチョーさこやんはハットリ君の仕草がおもしろいらしく、ニヤニヤしながらからかうように質問ぜめにする。まったく若い子を相手にして……。
どこのクラスにもこんな人物は1人はいたな……。
とは言えハットリ君もまんざらではなさそう。いやどちらかというと嬉しそうだ。
独り歩きは孤独な旅だろう。
こちらはオッサン2人だがシシャチョーさこやんの毒舌もあってか、笑いに事欠くことなく旅をしている。しかし彼はずっと独りで歩き詰めだ。たまに誰かと話をしたくもなるだろう。
ネットカフェに投宿しながら江戸を目指すハットリ君。どうか安全に。最高の夏休みの思い出になるだろうな。
「そうかネットカフェで寝泊まりしてるんか。節約せなあかんもんな。お金あるか?寛永通宝やろうか?」
別れ際に石垣屋さんで貰った古銭を冗談で差し出すシシャチョーさこやん。
困った顔をするハットリ君。
そんなもん要らんちゅうに……。
どこまでもネタにするシシャチョーさこやん。やっぱりクラスにこんなのいたよな。
石薬師宿に入ると本格的に気温が上がり始めた。
途端に全身から汗が噴き出す。たまりかねて木陰に飛び込む。途中で買った凍ったペットボトルのお茶も、もはや体温ぐらいになってしまっている。
さてこの木陰だが浮世絵の石薬師宿に出てくる場所そのものだ。背景に鉄道や電線があってその風情はもはや失われているが、構図としてはまさにそのままのものである。そしてこの場所は、写真を趣味にしている私にとっても興味深い場所だ。私の好きな写真家の林忠勝氏が写真集「東海道」で撮影した場所なのだ。同じような構図で写真を撮っているが、林氏のは霧に幻想的に浮かぶ常夜灯の写真だった。そんな天候になるまで何日も待って撮ったのだという。
写真家とは執念の仕事なのだろうと思う。
長居をしすぎると疲れが出そうだったのでここも早々に出発した。シシャチョーさこやんもバイクに慣れてきたようで身のこなしが軽くなっている。
四日市宿が遠くにみえる辻に出た。
さて旧街道サイクリングの面白さの例をあげてみたい。
まずは地元で作られた道案内。近代の道がつけられた箇所では旧街道は分断されてしまっていることが多い。この写真のように斜めに交差点になっていることは前述の通りだ。このような交差点の中には直接道路の反対側まで行けないものも多い。
地下道を通るとか歩道橋を通るとか。完全に自動車優先で歩行者、自転車をないがしろにしているのではないかと思うのだが、これがかえっておもしろさに繋がっているところも多い。このような看板がある場合は親切に活用させていただく。無い場合は迷いながらも行先を見つけるルートハンティング的な楽しさがある。
四日市宿に到着する。ここは面白いことに宿場の中心地が商店街アーケードになっている。昔から人が集まるところだったわけで、それが商店街になるのは自明の理なのかもしれない。事実旧街道をまわっているとたくさんの商店街にでくわす。最近はシャッター商店街になっているところも多く、さみしい気にもなるがここ四日市宿は比較的栄えている感じ。
商店街でバイクを押しながら町の盛衰に思いをやった。
参考文献:
今井金吾「今昔東海道独案内」(JTB出版事業局)
歌川広重「東海道五十三次五種競演」(阿部出版)
あんらくよしまさ「大津百町我儘百景」(サンライズ出版)
八隅蘆菴著/桜井正信監訳 「現代訳 旅行用心集」(八坂書房)
【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。
取材協力:RIDAS(ライダス)