1型糖尿病を持つ自転車選手のトークイベント「レースに挑戦し、糖尿病を克服する」

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  • text 編集部
  • photo ノボノルディスクファーマ

1型糖尿病を持つポーランドと日本の自転車選手によるオンライントークイベントが、世界糖尿病デーの3日前の2021年11月11日 (木) に行われた。共にトラック競技のスプリントとケイリンの選手である、チーム ノボノルディスクのマテウス・ルディク選手、鹿屋体育大学自転車競技部の田仲駿太選手が、1型糖尿病発症から克服までの体験談などを語った。2人が共通して繰り返したのは、血糖のコントロールなどをすれば、スポーツをするうえで糖尿病は何の障害にもならないということだ。

 

マテウス・ルディク選手

ノボノルディスクイベント

チーム ノボノルディスク所属のポーランドのプロサイクリング選手。12歳のときに1型糖尿病を発症。最初はサッカーしていたが、その後自転車競技を始める。2019-2020UCIトラックワールドカップ第4戦個人スプリントでは、日本の深谷知広、新田祐大を下して金メダルを獲得。ポーランド代表として東京五輪にも出場した。

【戦績】
2016年 欧州選手権チームスプリント金メダル
2019年 世界選手権個人スプリント銅メダル、欧州選手権個人スプリント銅メダル
2021年 東京五輪出場

 

田仲駿太選手

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鹿屋体育大学の自転車競技部に所属。8歳のときに1型糖尿病と診断された。自転車競技を始めたのは高校から。

【戦績】
2017年 国民体育大会(愛媛)チームスプリント4位、ケイリン優勝
2018年 ニュージーランドサウスランドトラックチャンプス男子ケイリン優勝、男子スプリント3位

 

糖尿病を発症したときの気持ち

田中:(発症したのは)小学校2年生のときですね。発症したんですけれどもやっぱり8歳ということで病気のことをちょっと理解できなかった時期ではありました。注射を打たなければならないというところにあまり抵抗というものはそこまでなかったんですけれども、病気というのに一生付き合っていかなければならいというところが僕の中では心に刺さる言葉で、注射を打っていかなきゃいけない、それも一生というので僕自身ショックを受けて結構メンタル的にもやられていたなっていうふうに当時を振り返ると感じます。僕もマテウス選手と同じでサッカーをずっとやっていたんですけれども、病気である以上もうスポーツはできないだろうっていうふうに自分の中で思い込んでしまいました。

ルディク:まさに駿太選手と同じで、私も12歳のときに発症が分かったんですけれども、そのときはとにかく何が何だかわからない。知識もないし当時のポーランドの糖尿病に関する知見も非常に乏しいものでしたので、何が何だかわからない状況でした。この先一体人生がどうなってしまうのか続けていけるのか非常に不安だったことを覚えています。最初は私自身もそうですし、また私の両親もこの病気について全く分からずに不安でしたが、幸いなことに程なくとても良いお医者さんにかかることができました。スポーツというのは実は糖尿病と非常に相性がいいと言いますか、この病気にとってスポーツというのは両立が可能なんだよということを教えてくれたんです。そこに希望が湧いたと同時にこれからスポーツも諦めずにやっていけるということが分かってうれしく思ったのを覚えています。また、まだ当時私は小さい子供でもありましたので、この病気が一生続くとスポーツがどうなるかということよりも、チョコレートとか甘いお菓子が大好きだったので、それが食べられなくなるんじゃないかということの方がむしろショックだったということを覚えています。

私をまさに救ってくれたのは両親だと言うことができます。私の父も実はかつて自転車の選手だったんですけれども、彼が私に自転車競技を勧めてくれました。諦めるな、決して諦めるな、続けていけ、スポーツにおいて自分を見せていけということを指導してくれたんですね。また母も非常に献身的に私に寄り添ってくれました。子供、若い年齢で病院に長いこと入らなければならなかったりと同級生に比べて苦しい面もありましたけれども、そうやって両親に支えてもらえたおかげでまさに今の自分があるというふうに思っています。

 

前向きに治療に取り組みだしたきっかけとそうして良かったと思えたこと

田中:僕自身ずっとスポーツをやりたいっていうずっとアクティブな少年だったので、やっぱり何としてもスポーツをやりたいというふうな思いがありまして、そうしたときに病院の先生から、マテウス選手と同じなんですけれども、スポーツも1型糖尿病でもできるし何も気にすることないよっていうふうなことをおっしゃっていただいて、スポーツをやっていてもちゃんと注射を打ったり血糖測定とかを怠らなければ運動していても何も気にすることなくできるなというふうに感じています。

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僕自身仲間という存在をとても大事にしていて、この写真(上画像参照)というのは1型糖尿病のサマーキャンプの写真なんですけれども、そこで同じ病気の仲間と共に過ごすことで、同じ悩みであったり自分の相談できる唯一の身近な相手であるということを確認することができました。小学校2年生に発症して小学校3年生からこのキャンプに行っているんですけれども、やっぱり病気になってへこんでしまっていた僕を仲間が前向きな声掛けであったり相談に乗ってくれたりしたことで、病気であるのは1人じゃないんだっていうふうな感情を抱くことができました。やっぱりスポーツをするうえでも仲間という存在は大きくて、サッカーをやっていたときも自転車をやっていたときもやっぱり仲間という存在に助けてもらっていました。もちろん糖尿病のこともそうですけれども、競技のことに関しても助けてもらっていました。そこで僕は1人じゃないんだっていうことを感じることができて、どのスポーツでもまた1型糖尿病でも前を向くことができました。

そう思うようになってからは、スポーツでも病気でも成績であったり治療のコントロールであったりというのがうまくいくようになって、自転車で言えば皆に勇気を与えたいって思うようにもなれましたし、スポーツでも活躍して1型糖尿病を持っていても頑張れるんだよっていうふうに思えるようになったので、僕自身こういう存在が前向きに治療ができるきっかけであったと思いますし、前向きに取り組んできた結果 いろんなところで仲間に勇気を与えることができたのかなっていうふうに思っています。

ルディク:私自身最初は非常に困難な時期を過ごしたと言わざるを得ません。ですがそれを救ってくれたのが、先ほど申し上げたとおり優れた医者とそれから両親でした。彼らが、例えばインスリンをいつ打つべきかとか糖を測るとかっていうことを気を遣ってくれたんですけれども、一方で私は自分が糖尿病に罹ってしまったということに非常に恥ずかしい思いがあったんですね。当時14年前のポーランドというのは、糖尿病に対するそもそも知識がありませんでしたので、これを例えば同級生の皆に言ってしまうと何か恥ずかしい怖い目に会うんじゃないかということを思ったために、最初の頃は自分が糖尿病であるということを隠して過ごしていました。そんななかで、この医者が私に言うには、「マテウス聞くんだ。君がスポーツをして血糖が下がるとチョコバーを食べていいんだぞ」と。そのチョコバーを食べていいっていうことを励みに、じゃあ沢山食べるために沢山トレーニングしようっていうモチベーションが湧いたんですね。

私は最初から非常にアクティブな子供でありましたし、ずっとスポーツをやってきたわけですけれども、それがプロのスポーツ選手になろうという思いにだんだん変わってきました。というのは、プロのスポーツ選手になって活躍をすればするほど、自分が1型糖尿病というものを患っていながらも全く健康な他の選手たちと対等に競い合っていける、あるいは、そこでタイトルを勝ち取っていくことができるということを証明できるんではないかというふうに思ったからなんですね。そうやって自分が糖尿病を持ちながらもそういった活躍をすることで、当時の私は、少なくともポーランドの国の中で糖尿病を持ちながらもこういう活躍ができるんだよということを世の中に見せたいというふうに思いました。そして糖尿病はスポーツをやるうえで何の障害にもならないし、もちろんさまざまなコントロールですとか、何をどれだけ食べなければいけないかといった気遣いはもちろん必要なんですけれども、それさえ怠らなければ全てのことができる。スポーツもできるし、人生においても何も不自由はないし、何を食べてもいいということが証明できると思ったんですね。それでまず私はポーランドである一定の成果を挙げることができましたし、また皆さんのおかげで世界で活躍するということもできて、世界でも糖尿病は決して運動するうえで障害にはならないということを証明できる、できたということを非常にうれしく思っています。

 

コロナ禍での治療の継続とモチベーション維持

田中:試合などがなくなっていくうえで、練習であったりもちろん治療もそうですけれども、もう続けていくしかないっていうふうに僕は開き直りました。特に練習も中止であったりとかが結構続いて、自分自身個人的な筋トレであったり自転車に乗ったりっていうところをしていたんですけども、やっぱり1人だと追い込むことはできないし、自分が強くなっているっていうのも実感できないのでそこは大変でした。そのなかで治療であっても、練習量が少なくなってしまったり試合もないんで、コントロールであったりっていうところが乱れてしまったり、特にスポーツができないというストレスで結構血糖値が高めだったりする時期が結構多くあったんですけれども、やっぱりそのうえでしっかり自分がどのような状態にあるのかっていうのをしっかりと把握したうえで、どのように血糖をコントロールをしていかなきゃいけないのかっていうところはとてもストイックにやっていたなというふうに思っています。それと同時にやはり練習の方も1人では追い込めないという分、やはりその分ストイックにしっかりとこつこつとやっていたなというふうに思っています。そしていつ大会があってもいいように備えて治療の方もそうなっても大丈夫なようにして取り組んでいました。

ルディク:コロナ前最後となった世界選手権で、ポーランドはチームとして東京オリンピックへのチケットを手に入れることができたんです。2020年3月ですからまだそのときは、「あーもうこれでオリンピックに行ける」ということで大変喜んだんですけれども、その喜びも本当に束の間のことでした。程なくコロナのまさにパンデミックが発生しまして、東京オリンピックも延期という決断が下されました。まだ当時は延期と言っても一体いつまで延期されるのかという情報もないなかで非常にモチベーションもダウンしましたし、非常に悲しい日々を過ごしておりました。ポーランドはこのパンデミックの最初の2か月間は完全なロックダウン状態にありました。ですので近所の商店に食べ物を買いに行くという以外の全ての外出が禁止されていたんですね。当然トレーニングもできませんし、その期間中はとにかくトレーニングと言えば自宅のバルコニーに機器を置いて、そこだけで練習するしかなかったんですね。確かに最初の1週間はそれも何かちょっと新しいことができるということでちょっとハッピーでもあったんですけれども、もう1週間もすると退屈になってしまって、家の外も2mくらいしか歩けないし、仲間と会って一緒にトレーニングするということもできない非常に苦しい期間を過ごしました。

人生を本当に変えてしまうような経験だったわけですが、特にやはり2か月間も外出をしないで家の中だけでトレーニングをするということはこれまでに全くなかったことですし、従って、どうしても糖尿の値なども非常に今までとは違う動きをするようになりましたし、またインスリンの投与量も調節していかなければならないというような状況にもなりました。いろいろ治療の仕方も工夫しなければならないという状況になって、非常にメンタル的にも苦しくはなったんですけれども、ただ自分にとっての救いと言いますか目標になったのは、2021年に延期がされることになったオリンピックです。オリンピックに出られるということが1つのモチベーションになりましたし、自分はそのオリンピックで初めて糖尿病を患いながらもメダルを獲得できるんだというような、そういった初めての選手になりたいという気持ちが強くありましたので、それを1つの強い動機として持ちながらこの2か月間を過ごしていきました。

 

ここ数年で一番印象に残った試合とその理由

田中:高校3年生なので今から4年前ぐらいにあった国体になるんですけれども、ケイリンで優勝することができました。この前の大会で落車をしてしまったんですけれども、高校時代の最後のレースがこの大会だったので、何としてでもこのレースは勝ちにいきたいという思いがあって、多少の傷みはあったんですけれども出場して、このような結果を出すことができたので、僕にとっては競技をやっているなかで非常にうれしかったレースでした。

そして、先日行われたインターカレッジと呼ばれる大学の中で一番大きな大会です。優勝することはできなかったんですけれども、目標順位が5位だったんですけれども、3位という表彰台に上ることができました。本当に大学に入って僕の競技成績が伸びないというところで、どうしてだろうというふうにずっと試行錯誤した練習をやっていったり、ちょっと糖尿病との関わり方も変えたんですけれども、そこで競技成績が出なくて、こちらも最後の最後の大会で自分の思いどおりの走りができたということで、僕自身先日のことなんですけれどもうれしかった出来事です。

ルディク:私の中で最も大きな経験というのは、何をおいても2019年の世界選手権です。この世界選手権はそもそもポーランドで行われるという点でも特別だったんですけれども、私はこのスプリントにおいて銅メダルを獲得することができました。このことはポーランドの自転車競技の歴史の中でも、ポーランド人がメダルを獲得したという意味で初めてのことでしたし、またもう1つ、糖尿病を持った選手がメダルを獲得するというのも初めてのことでした。このことが非常に世の中を驚かせまして、ポーランド国内でも非常に盛んにメディアの中で報道がされました。そして私自身も沢山のメディア、テレビなどに出演を要請されまして、その中で人生についてですとか病気のこと、それから競技のことを沢山話す機会をいただくことができました。まさにそうすることで世の中を啓蒙するようなことを自分は果たせたというふうに思っていますし、また糖尿病は決して怖い病気ではなく、私のパートナーとしても私の人生に欠かせないものになっているということを広くお話できたということは非常に大きなことだったと思っています。

私は子供のころから自転車に乗っていたわけですけれども、当然オリンピックというのは未来の非常に大きな夢でした。ですから今回東京オリンピックに参加するということができて非常にそのことはうれしかったですし大きな思い出になっています。世界トップの選手たちに混じって自分がその場にいられたということは大きな感動でしたし、ただ残念なことにコロナの影響もあってせっかく日本に行けたのに観光することが全くできなかったんですね。まさにこの目で東京も見たかったですし、富士山も見たかったし、沢山の経験をしたかったんですけれど、それはかないませんでした。またオリンピックにせっかく出場したけれどもやはり観客がいないというのは非常にさみしいものだったというのは感じております。とはいえオリンピックがそもそも開催されたということ自体が非常に喜ばしいことでありますし、その場に自分がいられたということは非常に大きな思い出になりました。

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追い込んだトレーニングで一般のアスリート以上に気を遣っていること

田中:1型糖尿病を患っているという意味では、スポーツにおいてはちょっとこう足かせと言いますか多少は感じることが僕自身ありまして、やっぱり血糖値が高かったり低かったりっていうことがありますとやっぱり追い込んで練習することができない。高血糖でありますと体のきれが悪くなりますし、低血糖になるとそもそも運動することが困難であるっていうことから、僕自身はやっぱりスポーツするときの血糖値の変動というところには一番気を遣っているのかなというふうに思っています。

ルディク:やはり駿太選手と同じでコントロールが非常に大事なんですけれども、低血糖すぎると炭水化物を摂らなければいけないですし、それによって血糖が落ち着くのを待つという時間が必要になってしまいます。また血糖が高すぎると早く疲れてしまうので、予定していただけのトレーニングができないということで、自分の思い描いたとおりのタイムスケジュールに従ってトレーニングしていくってことができなくなってしまうので、やはり血糖のコントロールというのが私にとっては最も大切なことになっています。

 

日本の糖尿病患者へのメッセージ

田中:患者さんたちにおける何かしらの強みを持って欲しいなというふうに思っています。僕で言えば自転車でありますし、1型糖尿病でも何でもできるんだよっていうところを感じてほしいですし、努力すればっていうところも感じてほしいので、何かしらの強みを見つけて、誰だってヒーローにはなれますし、諦めないっていう気持ちを大切にしながら今後1型糖尿病と向き合っていただきたいなというふうに思っています。僕も最初は非常にメンタルもやられたっていうことも述べたんですけれども、やっぱり皆さんそうだと思いますし、でも前を向けるきっかけっていうのを見つけてもらって、さらに自分が糖尿病であるっていうことも気にせずに生きていけるようにしていっていただきたいなというふうに思っています。僕も今後もっと勇気を与えられるように、自転車競技だったりその他のところで活動をしていきたいと思っています。

ルディク:もうとにかく諦めないでということを伝えたいです。世の中は糖尿病に罹る患者さんがどんどん増えていることがあると思いますけれども、とにかく検査をして結果がそうだということが分かったとしても諦めないでいてほしいということです。私はいま自分が糖尿病であるということをむしろ誇りにも思っています。糖尿病でありながらこうした活躍をすることで人々に、とりわけ子供たちに糖尿病というのは何かということを示すことができますし、糖尿病というのは病気の中でも決して人を傷つけたりするものではないということ、自分自身がうまく付き合って上手に気を付けていきさえすれば全く怖いものではないということを伝えることができますし、何か目標を持って頑張っていくこと、人生を楽しむこともできるんだよというのが伝えられるということが非常にうれしく思っていて、まさにそのことを自分自身の使命だと思って生きております。