旧街道サイクリングの旅 vol.10 旧東海道をゆく

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例によってしこたまハイボールを飲んだ翌日の掛川宿。眩しいぐらいの朝日の中、宿を出発した。それにしても気持ちの良い朝だ。掛川城に寄ってから本格的な出発。
本当に爽やかな気分だ。

 

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難所の日坂へ

旧街道サイクリングの旅10

朝日の中の掛川城

旅の途中で走りが楽になるのは3日目ということを再び実感する。
「今日は身体も脚も軽いですな!」
シシャチョーさこやんもそれを実感しているようで、実際に速度も上がってあっという間に日坂宿の入り口に着いてしまった。

旧街道サイクリングの旅10

いよいよ日坂宿の激坂に挑む

宿場町の入り口には「川坂屋」という旅籠を再現した建物がある。これから始まる宿場町を予感させるようでとても雰囲気を盛り上げてくれる。シシャチョーさこやん、やはり快調なようで写真を撮るために先行するものの、あっという間に追いついてくるものだからなかなか写真が撮れない。やっとの思いで川坂屋の前で1枚を収めることができた。

旧街道サイクリングの旅10

日坂宿の歴史を語る地元の方

日坂宿は昔は西坂とも呼んだ宿場町で、現在も格子を備えた家が多く久しぶりの宿場町風情を楽しむ。
「ちょっと休みましょうや」とシシャチョーさこやん。
萬屋という旅籠後の前でボトルに水を補給して休んでいると、「どっから来たんだい??」と地元のご老人が声をかけてこられた。
「あ、旧東海道を自転車で旅してます!大阪と滋賀から来ました!」
「そうかそうか!アンタらが乗ってきたこの道は東海道五十三次と言って、江戸時代に作られた街道なんじゃ。宿場は江戸と京都の間に五十三ヶ所あってな、ここは日坂宿と言って昔はそれはそれは賑わっておった。あの頃は……○×△□&%$#……」
途切れることなく、そして合いの手も入れる隙もなしで、まるで江戸時代を見てきたような口ぶりで約10分ほどお話をいただいた。
「あ、ありがとうございました!」
「ん!気をつけていきなされ!」
呆気に取られている二人を尻目にご老人は満足そうに家の中に入っていった。
「……」
顔を見合わせて二人で笑う。
本当にシシャチョーさこやんは人を惹きつけるらしい。
毎日いろんな人に出会う。
しかし皆同じように、まるで枕詞のように話が「ここは東海道五十三次と言ってな、五十三ヶ所の……」から始まるのはなぜだろう。
旧東海道を旅していますと話しているのに……。

旧街道サイクリングの旅10

日坂宿の本陣は広場になっており、ゲートボールが行われていた

 

 

想像以上のゲキ坂!

旧街道サイクリングの旅10

宿場町を過ぎるといよいよ激坂区間へ

本陣を過ぎてしばらく行くと旧東海道はうねり始め、国道1号線のバイパスの下を潜る頃には急激に斜度を増す。
脚に自信があるからと調子に乗って上り始めると突然の傾斜の高まりに転びそうになる。
シシャチョーさこやんには「最初から降りて押していきましょう」と降車を勧める。
訝っていたシシャチョーさこやんも、現実を目の前にして「これはすごいわ!!」と唸り声を上げる。写真を撮るために自転車を立てかけると勝手に転がっていこうとするぐらいだ。

旧街道サイクリングの旅10

ロードバイクでは乗ってはいけないほどの斜度

荷物が無い状態でグラベルロードを使えば降車せずに上れるかもしれないが、脚試しが目的では無い。ここは安全と体力温存を期して押し歩いていく。
秋の最中ではあったが、あまりの斜度の中を押し歩いたため、汗が一気に噴き出した。

周囲を見回すと人が住んでいると思われる住宅がちらほら。おそらくは江戸時代から続く家なのだろう。近くのお茶畑の農家かもしれない。ここに住んでいたらヒルクライムが強くなるだろうと、誰でも思いつきそうなことを二人でつい口走ってしまう。二人とも脳まで酸素がいっていないのだろう。

旧街道サイクリングの旅10

美しいお茶畑が続く。日本の原風景だ

しばらくすると次第に坂が緩やかになり、一面のお茶畑に出た。とても気持ちいい。
それにしても一面茶畑の緑だ。今まで歩いて上ってきた苦労が報われた気分。
農家の方が操作していたお茶の収穫機に目を奪われる。トラクターのようでお茶の畝を自動で刈り取り収穫していくようだ。世の中にはいろいろな農機具があるものだ。

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抜けるような秋空。緑の茶畑。これぞ日本のサイクリング

いくつかの茶畑を越えると「子育飴」の看板を掲げた扇屋という茶店が現れた。ここは江戸時代から続く茶店で、古くは公設の接待茶屋として作られたものらしい。名物の「子育飴」は近くの「中山の夜泣石」の物語に因んだものだ。昔、妊婦がこの辺りで山賊に殺された。遺体から取り出された子どもは村人の手によって水飴で育てられた。妊婦の霊は道ばたの石に乗り移ったため、旅人が通るとその石からは夜な夜なすすり泣きが聞こえたという。弘法大師が読経するとすすり泣きは消えた。後にその時の子供は大人になって、山賊を討って仇を取った、という古い昔話だ。
前回通った時は朝が早かったので開いていなかったため今回こそは水飴をいただこうと思ったが、今回もぴったりと扉が閉じられていた。ひょっとしたら閉店してしまったのかもしれない。だとしたら江戸時代の名物名店がまた一つ消えてしまうので残念だ。

旧街道サイクリングの旅10

江戸時代から続いていた茶屋「扇屋」残念ながら閉まっていた

旧街道サイクリングの旅10

金谷宿へは江戸時代の石畳を復元した石畳の道が続く

日坂の峠を下ると江戸時代の石畳を復元した道に出くわす。前回は私一人だったので自転車を担いで全てを踏破したが、今回はシシャチョーさこやんと一緒だし、何より我々の通った道を追体験してもらう必要があるので、昔の道を外れ安全が確保できる舗装路を行くことにした。
全てを通れずに残念そうなシシャチョーさこやんであったが、代わりに一区間だけ担ぎで行ってもらうことにした。
「これは大変ですな。昔の人はこれを草鞋(わらじ)で通ったんでっしゃろ?信じられへん……」
と感嘆の声を上げていた。

 

SLの咆哮に歓喜の声

旧街道サイクリングの旅10

偶然にも大井川鉄道の出発時間だった

石畳を降りて金谷宿にたどり着く。飲み物を補給しすぐに出発。残念ながらあまり見るべきものも雰囲気も残っていない。代わりに旧東海道と大井川鉄道の交差する踏切でSLの出発を見ることができた。あたりには鉄道マニアと思しき人たちが踏切の横で陣取っている。我々も負けじと自転車を置いて中に入りSLの出発を待ち構える。
駅からはSLの咆哮が聞こえる。緊張が高まる。いよいよ出発だ。
横ではシシャチョーさこやんがバブル期に流行ったZOOのChoo Choo Trainを踊っている。
誰も見ていないのに。
周囲の人からは冷たい目……。
50歳過ぎとるというのに……アンタ……。

旧街道サイクリングの旅10

有名な大井川を渡る

いよいよ大河の大井川を渡る。
昔の旅人はここを「徒渡り(かちわたり)」と言って川越人足と呼ばれる人夫の肩車や蓮台という台の上に乗せられて徒歩で渡った。
「何?ガチ渡り?ガチで渡るの?」などとボケるシシャチョーさこやん。
当時の渡し賃は、水かさが股下、帯下、脇下まで値段が変わる仕組みだった。人夫によっては旅人の足元を見て不当に値段を吊り上げる輩もいたらしい。また当時の河川は現代のように治水が進んでおらず、たびたび洪水や増水で渡ることができず、足止めを食らうことが常だったようだ。
我々は徒渡りをしていた横にできている国道1号線の鉄橋を行く。橋の向こうは「島田宿」だ。

旧街道サイクリングの旅10

島田宿の木彫りの地蔵

島田宿にも立派な資料館があった。宿場の再現もされていて時間があれば寄ってみたいところだ。しかし今回は日程の関係もあって先に進むことにした。島田宿から藤枝宿は例によって所々に松並木が残っている。それを見ながら国道沿いの道を行く。

旧街道サイクリングの旅10

藤枝宿の交番

続く藤枝宿は宿場町が商店街になっている。商店街やアーケード街になっていて、それがシャッター街になっていることもよく見かける。ここはまだ元気なようだ。交番に街道を感じさせる「伝馬」の名前の入ったものがあったので写真を撮ることにした。

旧街道サイクリングの旅10

岡部宿の枡形を行く

岡部宿に到着。そろそろ日暮のことを気にする時間帯になってきた。今日は府中宿に泊まることにした。シシャチョーさこやんが宿の予約をしてくれている。ここからは有名な宇津ノ谷峠がある。旧東海道そのものを行くには担ぎ押しで行かねばならない。かなりの見どころでご紹介したいが、シシャチョーさこやんとともに追体験したいただくために、今回は明治時代に穿たれたトンネルを行くことにした。日坂で上りに懲りているのか少し弱気なシシャチョーさこやんであったが、乗り出してみると元気にペダルを回している。

 

宇津ノ谷で危機到来??

旧街道サイクリングの旅10

明治時代に作られたトンネルを行くシシャチョーさこやん

果たして夕暮れの宇津ノ谷峠は、トンネル出口を落ち葉をタイヤで踏みながら行く幻想的なものだった。
このトンネルの上を旧道はくねるように続いているが、サイクリングという観点ではやはりこの明治時代の宇津ノ谷トンネルを行く方が良いだろう。2、3回トンネルを行き来した後、宇津ノ谷の集落に降りる。

旧街道サイクリングの旅10

宇津ノ谷の集落は風情がある

宇津ノ谷の集落も、昔は茶店が並んでいたであろう風情を残している。「十団子」と呼ばれる団子が名物だったらしい。日も陰って美しい風景になっている。この光を逃すまいとシシャチョーさこやんに走ってもらって撮影しようとした瞬間だった。「パンッ!!」という音とともにシシャチョーさこやんのタイヤがバースト。どうやら縁石でタイヤサイドを擦ったらしく派手に裂けてしまっている。
慌てずツールケースからタイヤブートを取り出し裂け目に貼ってからチューブ交換。携帯ポンプで空気を入れ始めたのだが、途中で携帯ポンプのピストン部分が裂けてしまいポンピング不能に。
驚く私。
慌てるシシャチョーさこやん。
「大丈夫、ガスカートリッジも持ってますから」ともう一つのツールケールを開けると、中からは先ほどと同じタイヤブートとスペアチューブが……。ガスカートリッジはどこにも無い。スペアチューブだけが8本もある……。
ツアー会社である我が社ではサイクリングツアー時にはフェイルセーフとしてポンプ2個を携行するように義務付けている。したがって携帯ポンプは手押し式を使用し、「ガスカートリッジ&小型ツール」「スペアタイヤ」「ファーストエイド」の3種のツールケースを用意しスタッフにも持たせている。
日頃から全国各地を飛び回っている私は、今回の旅の前日に帰社し、そのまま慌てて準備をして出てきたのだが、同じツールケースを2個持ってきてしまったようだ。
空気が入れられない……。私のミスだ。ガイドとしては失格だ。
茫然とするシシャチョーさこやん。
そこに小学生が通りがかった。
「お兄ちゃんたちパンクしたの?」(何を見てお兄ちゃんと言ったのかはわからない)
「僕んちそこだから空気入れ取ってきてあげる。
「すまんな!ボク!ありがとう!」
地獄に仏とはこのことである。
しかし小学生が持ってきてくれた空気入れは壊れて……。

とりあえず日暮れ前に宿についてもらわないといけない。
私の使っているキャノンデール・トップストーンをシシャチョーさこやんに渡し、ホテルまで先行してもらうことにした。
私は何度もこんなトラブルを経験している。パンク修理は終了しているので多少でも空気さえ入れられれば走れるということを知っている。なんとかなるという自信はあった。

旧街道サイクリングの旅10

江戸時代からの姿を止める丁子屋。とろろ汁が最高にうまい

地図を見ると次の丸子宿の手前にガソリンスタンドがある。そこまで行ってコンプレッサーを借りることにした。2キロほど歩いた後、ガソリンスタンドで店員さんに理由を話してコンプレッサーを借りる。バイクのチューブはフレンチバルブ、コンプレッサーの口金はシュレーダーバルブ用だ。そこでスペアチューブのバルブ保護のプラスチックキャップの頭をアスファルトですり潰し、六角レンチで穴を広げ、即席のバルブアダプターを作ってトライ。
「ブシュー!!!!」
見事に空気を入れることに成功。

そのままシシャチョーさこやんを追いかけた。
府中宿(静岡)の宿で落ち合った時のバツの悪いこと。
その晩の夕餉では、シシャチョーさこやんに一杯付けたのは言うまでもない。

明日はいよいよ三島宿まで。今回の旅の最終日だ。
どうやら天気が悪いらしい。
少し心配になりながらも夜の酒で盛り上がった。

 

参考文献:
今井金吾「今昔東海道独案内」(JTB出版事業局)
歌川広重「東海道五十三次五種競演」(阿部出版)
八隅蘆菴著/桜井正信監訳 「現代訳 旅行用心集」(八坂書房)

 

【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。

取材協力:RIDAS(ライダス)

vol.11に続く