テーマを決めて旅に出よう!折りたたみ自転車と相性がいい「旧街道」
目次
人々が行き交い、街と街の交流を支えてきた歴史街道は、旅にふさわしい情緒に満ちている。
東海道五十三次のプロローグを体験
日本橋から東海道を南下。品川宿、川崎宿を経て鶴見(横浜市)をゴールとした小さな旅。国道15号は交通量が非常に多いので、なるべく旧道筋を選んで進もう。輪行すれば、東海道の任意の区間を楽しめる。
走行距離 38km
今回の旅に使用したバイク Reach & birdy Air
Pacific Cycles Reach
フレームセット価格:19万5800円
問・パシフィックサイクルズジャパン
旅の可能性を広げるオールラウンダー
アルミ製折りたたみ自転車の開発・製造力では群を抜く存在である台湾のパシフィックサイクルズ。同社がフルサイズの非折りたたみ自転車に匹敵する走行性能を実現するために開発したモデルが「リーチ」だ。折りたたみ機構はリアトライアングルに設けたサスペンションを利用しており、フレーム全体の剛性感や軽さを損なうことなく、全長が半分ほどに短くなるよう、たたむことができる。前輪を外すだけのクイックフォールディングか、前後輪を外して完全に小さくまとめる、ふた通りの折りたたみ方法が可能だ。最新バージョンではフレームの各部が再設計され、ワイヤー類をフレームに内蔵するとともにディスクブレーキを採用。近年のトレンドを盛り込み、ルックスと走りの双方を向上させた。国内ではフレームセット販売となる。
Pacific Cycles birdy Air
価格:26万4000円
問・パシフィックサイクルズジャパン
カスタマイズも楽しめるシリーズ最軽量モデル
現在8モデルがラインナップされているバーディーの中で、最軽量(ペダルなし9.87kg)を誇るのが「バーディーエア」。他モデルの多くがディスクブレーキを採用する中、軽さを追求するためにあえてキャリパーブレーキを採用。メインコンポーネントはシマノ・ソラ9スピード。剛性が高い固定式ステムによる前傾姿勢と相まって、スポーティーな走りを体験することができる。18×1.25インチと細身のスリックタイヤ「シュワルベ・コジャック」を標準装備しているのも特徴だ。持ち前の軽さは輪行時のハンドリングも快適なものにしてくれる。フレームは各モデル共通なので、ディスクブレーキ台座も備えている。好みに合わせたカスタマイズも自由自在なので、自分だけの一台に仕立てることもできる。それもバーディーの魅力だ。
今回の伊勢の島旅を紹介しているサイクルスポーツ特別編集「折りたたみ自転車で旅に出る」は好評発売中です。KHS・F-20 RCを始め、誌面では、他の車種のインプレッションも掲載しています。
都会に息づく東海道の宿場町
東京には、歴史的な旧街道を冠した幹線道路が多い。中山道、甲州街道、日光街道などが、国道に姿を変えて四方へ延びている。しかし、旧街道の筆頭である東海道は、都内においては少し影が薄い。なぜなら、大半の区間が国道15号(中央通り、第一京浜)に飲み込まれ、横浜を過ぎるまでは東海道=国道1号という常識も通じない。
そんな東海道だが、日本橋から自転車で丁寧にたどっていくと、意外にもたくさんの歴史的な遺構を見つけることができる。信州の妻つま籠ご や伊勢の関など「ザ・宿場町」といった観光客を引き寄せる見せ場は皆無だけれど、歴史好きの琴線に触れる小ネタは多い。
案内するのは、「折りたたみ自転車で旅に出る」と同じヤエスメディアムック「旧街道じてんしゃ旅」で走り回っている「旧街道おじさん」こと迫田賢一氏と、パシフィックサイクルズジャパン代表の大川和信さん。旧知の二人は、旧街道好きというのが共通点だ。
「サイクリングで風情を感じる道は、やっぱり旧街道なんですよね。そして演歌や落語が似合う道。落語には宿場をテーマにしたお話が多くて、“飲む打つ買う”の世界も登場します。すると、遊郭や飯盛り女といった存在を知ることになって……。自転車で宿場町だった道筋を走りながら、“この家は遊郭っぽい”“この建物はカフェーだったに違いない”って、宝探しのような気分で進んでいくのが楽しいんです」(大川さん)
日本橋から南下していくと、わずか200mだけ国道1号と重複する。江戸時代の旅人は早朝4時に日本橋を出発し、40km先の戸塚(横浜市)まで歩くのが一般的だったという。かなり健脚だ。迫田氏と大川さんは、のんびりと8時過ぎに日本橋を走り出した。あっという間に銀座だ。ラグジュアリーブランドひしめく繁華街に江戸時代の面影は皆無だが、歩道にひっそりと「銀座(江戸幕府が設けた貨幣の鋳造所)発祥の地」といった碑がある。
田町には西郷隆盛と勝海舟が会見した地であることを記す碑があり、すぐ先には伊豆石で築かれた高輪大木戸の石垣も現れる。あたりは再開発の真っ只中で、高層ビルが登場して景観が一変しつつあるが、その足元には江戸の痕跡が確かに残っている。品川駅を過ぎたら第一京浜を外れ、京急電鉄の踏切を渡る。すると品川宿だ。4km先の鈴ヶ森刑場跡まで往年の東海道と同じ筋が続く。路地裏めぐりも楽しい前半のハイライトだ。
東海道で最初の宿場である品川は、「北の吉原、南の品川」と呼ばれ、江戸から近い花街としても栄えたという。その余韻は、いまもうっすらと漂っている。
走って、見て、飲んでおじさん大満足
品川宿の現在は、地元の人に愛される商店街だ。明治以前の旅籠や遊郭が現存しているわけではないが、約7mという道幅は江戸時代と変わらない。路地裏にはいわれのありそうな古い民家がひしめいている。
東海道を少し離れ、大井への緩い坂道を上っていくと、品川歴史館がある。近年の改装で展示内容が刷新され、古代から近代まで品川の移り変わりを体感的に知ることができる。宿場や台場(幕末の砲台)の様子を再現したミニチュアは必見だ。
ほどなくして東海道は再び第一京浜に飲み込まれ、効率よく距離は延びるが退屈な幹線道路が続く。大森には有名な貝塚、蒲田や雑ぞう色しきには商店街があるので、ぶらつくのもいいだろう。雑色には「まるで大阪やん!」と、大阪人の迫田氏が目を輝かせるにぎやかな商店街が延びており、そのアーケードを抜けると、東海道線などJRの車窓からよく見えるタイヤ公園(西六郷公園)が現れる。多様な列車が目前を走る人気スポットだ。
六郷橋で多摩川を渡る。徳川家康による架橋を始まりとして、何度も架け替えられた由緒ある橋である。東京側に大正時代の優美な橋門が保存されている。
川崎に入ると、それまでと空気感が一変する。はっきり言えば猥雑で、独特の活気がある。もう江戸東京ではないんだ、と実感するだろう。六郷橋を降りると東海道は第一京浜と別れ、再び幅7m程度の、いかにもな旧街道筋を進むことになる。東海道であることを示す案内板も多く、東海道かわさき宿交流館という施設もある。ここでもミニチュアやパネル展示によって、江戸時代における川崎宿のにぎわいを知ることができる。
川崎宿は川崎大師が近いため、その参拝客にも利用され、大きな旅籠や茶屋が並んだという。「東海道中膝栗毛」で、いわゆる弥次喜多が羽目を外したり、茶飯に舌鼓を打った舞台でもある。当時の建物などは残っていないが、道筋など町割は大きく変わっていないという。東海道の東側、第一京浜との間に広がる旧市街にはラブホテルなどが群集する。ある種の異世界感が体験できるので、自転車で駆け抜けてみるのもいいだろう。
「お稲荷さんがあったり、精がつくと言われる天ぷら屋さんがあったりすると、はは〜んここは……と想像できますね。川崎は江戸から近くて、参拝や娯楽の街として栄えたそうなので、今もそういう側面があります。クルマやパーッと走るだけのサイクリングだと見落としがちなあれこれが、普段着で小径車に乗っていると見えてきます。建物や看板が面白いとか、興味がつきないですよ」(大川さん)
川崎を抜け、八丁畷(はっちょうなわて)、鶴見、国道、そして生麦へと東海道の道筋が続いていく。八丁畷には俳聖・松尾芭蕉の句碑が立つが「ここにも来てたんか〜。どこにでもおるな、芭蕉」と迫田氏はにべもない。
旧街道を走りすぎるのも困りものだ。往時の旅人にならい、東海道の初日は戸塚まで、を再現してもよかったが、旧街道おじさん二人は生麦で生麦事件の発生場所を見たところで達成感を得られたようで、第一京浜沿いにあるレトロな銭湯で汗を流す。そして、鶴見へと引き返し、大川さんなじみのもつ焼き店「幸太」で乾杯。乗り降りがしやすくて、輪行が楽で、走りをよくばらなくていい。そんな小径折りたたみ自転車の持ち味に感謝しつつ、体験したばかりの旧街道の印象を語り合いながら杯を重ねたのだった。
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