テーマを決めて旅に出よう!折りたたみ自転車と相性がいい「廃線」
目次
一度敷かれた鉄道は、廃止されても消えることはない。かつての鉄路へ出発進行!
新幹線開業で沸く敦賀を軸に計画
敦賀駅からハピラインふくいで湯尾駅まで輪行。北国街道の宿場と北陸本線旧線の鉄道遺産をめぐり敦賀に戻る、鉄道マニア大満足のコース。山中トンネル修復工事の通行規制があるので、あらかじめ自治体のWebで通行状況を確認しよう。
走行距離 34km
今回の旅に使用したバイク CARACLE S 451RS
価格:25万3000円
問 テック・ワン
驚異的な小ささと高い走行性能を両立
text 田村浩
14インチ以上の車輪の折りたたみ自転車としては世界最小サイズを実現した「カラクルS」。最新バージョンである451RSは、モデル名どおりに車輪をひと回り大きな451サイズに換装。さらにドロップハンドルとカーボンフォークを採用し、持ち前の超ロングホイールベース(106cm)と相まって、小径車の常識を超えた走りを体験させてくれる。リアフレームとシートポストの接合部にエラストマー式の軽量サスペンションを備えているので、乗り心地も快適。9.8kgと軽量なので坂が苦にならず、輪行もスムーズだ。車輪が大きくなり、ドロップハンドルを装備しても折りたたみ寸法の小ささは健在。3辺合計158cm未満のスーツケース(航空機に追加料金なしで搭載できる)に収納したり、大型コインロッカーで保管することもできる。
北陸本線旧線のトンネル群へ
北陸4県のうち、唯一新幹線が通っていなかった福井県だが、2024年3月16日、ついに県南部の港町、敦賀まで北陸新幹線が延伸開業となった。敦賀の鉄道建設の歴史は古い。日本初の鉄道開業のわずか10年後、明治15年(1882)に日本海と琵琶湖をつなぐ長浜〜敦賀間が開業。これが北陸本線の始まりである。以来、列車の速達化に伴いさまざまな改良が施された。今回は明治に開通した北陸本線旧線の廃線跡をめぐるサイクリングを楽しんでみたい。
敦賀は若狭国と越前国の境目で、万葉の昔から交通の要衝となっている。福井県は敦賀北東の山中峠、木ノ芽峠、栃ノ木峠を境に南を嶺南、北を嶺北と呼ばれている。峠の標高はさほど高くはないが、海のすぐ近くから上りが急で、通行が困難である。ゆえに昔から官設の街道整備が行われた。明治25年(1892)には北陸本線も政府直営の鉄道路線として富山までの延伸工事が開始された。
今回のサイクリングで訪れる北陸本線旧線の敦賀〜今庄間は、当時の鉄道設計の限界とされた25‰(パーミル。千分率のこと)の急勾配で、山中トンネルを含む12のトンネル工事を要する過酷な路線であった。この廃線跡は現在も県道として現役であり、トンネル群やロックシェード、信号所など数々の鉄道遺産が残っている。
プランニングのポイントは標高の高い場所からスタートすることだ。これには敦賀駅から湯尾(ゆのお)駅まで輪行すればよい。すると、山中トンネルをピークに敦賀まで下り基調のルートとなる。トンネルは下りにすると走りやすい。山中トンネルへの25‰の上りも、自転車であればどうと言うことはない緩い坂道である。ゴールの敦賀駅は関東から新幹線、関西・中京から特急一本でアクセスは良好だ。
旧街道と鉄道遺産が同時に味わえる
今回のスタートは今庄の少し北、湯尾駅とした。敦賀駅で「ハピラインふくい」に乗り換える。関東から新幹線、関西・中京から特急で来ると、新駅舎から長い通路を通って、旧北陸本線のホームに移動する。ハピラインふくいのキップは出発地のJRの駅では買えないので、敦賀駅で購入するか、車内で車掌に精算を申告する。
敦賀駅から湯尾駅までは20分とかからない。敦賀を出ると直流・交流が切り替わるデッドセクションや完成当時には鉄道トンネルとして日本最長だった北陸トンネル(1万3870m)を通過する。特急街道と言われた頃の北陸本線を思い出す。
湯尾駅は2面2線であるが、駅舎が山小屋風の小さな無人駅だ。駅舎の前でサッと自転車を組み立てる。輪行の気軽さが、折りたたみ自転車の一番の魅力である。湯尾駅からは北国街道をトレースしながら進む。1kmも走らぬうちに最初の湯尾トンネルに到着。トンネル群の中では最北にある。敦賀側の樫曲(かしまがり)トンネルと意匠を合わせ、内壁が総煉瓦(れんが)作りである。これらトンネル群のほとんどは国登録有形文化財だ。
国道476号を少し走ると、北国街道は今庄宿に入る。宿場の南北の入り口は道が屈曲して先が見渡せないようになっている。これは矩かね折おりと呼ばれ、街の防衛を考えたものだ。今庄宿は長さが1kmにも及び、往事の姿を留める。
トンネル群に入ると補給はできないので、今庄宿で早目の昼食をとることにした。昔ながらの旅籠で営業されている十割そば処「六助」さんで名物の今庄そばをいただいた。大皿に盛ったそばにつゆと大根おろしがかけられており、歯ごたえもよく美味だ。
峠越えの基地であった今庄駅に立ち寄ってみる。広い構内には給水塔が残っている。リニューアルされた駅舎にはギャラリーやショップもある。ここでは旧北陸本線トンネル群のカードが配布されている。ぜひ集めてみよう。
今庄宿の外れで国道476号と分かれ、廃線跡である県道207号今庄杉津線に入る。県道を走っていると、カーブのつけ方が緩いことや築堤になっていることに気がつく。かつて線路であった名残だ。
しばらく走ると大桐駅跡に着く。もともとは信号所だったが、地元の要望で駅に昇格したらしい。今ではD51の動輪が展示されている。
峠のピークが近づくと鉄道遺産が連続する。まずは山中ロックシェードだ。コンクリート造りの落石覆工が、この路線の過酷さを連想させる。そのすぐ先が山中信号所跡で、この路線唯一のスイッチバックである。25‰の急勾配を行き来する列車の待避線だ。
峠のピークは山中トンネルだ。このトンネルは北陸本線旧線の今庄〜敦賀間で最長を誇る。岩盤の硬さや漏水の影響で難工事の末、完成に3年を要した。山中トンネルの横には信号所の有効長を稼ぐための行き止まりトンネルもある。
トンネルは信号機による交互通行となっており、トンネル内の照明はまばらだ。自転車に明るいライトは欠かせない。古いトンネルなので漏水が多く、路面の両サイドが荒れており、走行は気を使う。だが夏場はとても涼しいので、トンネルから出たくなくなってしまいそうだ。
交通の変遷を感じながらかつての国際港へ
山中トンネルから先はトンネルが連続して現れる。最初は3連続トンネルの伊良谷(いらだに)トンネル・芦谷(あしたに)トンネル・曲谷(まがりたに)トンネルだ。これらが一直線に並び、はるか前方の出口まで見通すことができる。また、旧杉津(すいづ)駅付近からの敦賀湾・日本海の眺めはすばらしく、大正天皇がお召し列車で通過の際、絶景に見惚れたと言われている。
杉津付近は右の海側に下ってしまいそうになるが、コースは左側の北陸自動車道をアンダーパスしていくのが正解。迷わないように注意したい。トンネル群はまだ続くが、葉原トンネルから最後の樫曲トンネルまでは距離が長い。敦賀へ向けての気持ちよい下りだ。
樫曲トンネルは敦賀に一番近い。トンネル群の入り口として、内壁やポータルがすべて煉瓦積みという特別な意匠が施されている。
旧道を選び木ノ芽川に沿って下ると、北陸トンネルの敦賀側の坑口が近い。北陸トンネルは昭和37年(1962)の完成当時、国内最長のトンネルだった。これが完成して列車の速達化が図られたが、同時に明治の北陸本線旧線は役目を終えて廃線となった。
市街地に入り、敦賀港線の廃線を見つつ港へ。臨海道路を渡ると、海辺が整備された公園となっている。ここが敦賀港だ。大きな赤レンガ倉庫が立ち並び、敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅)もある。
敦賀港はかつて北前船による内航海運の拠点だったが、鉄道に主役が代わるにつれて国際港に舵を切った。シベリア鉄道が全通すると、敦賀〜ウラジオストク間の航路も開設され、ヨーロッパへの窓口となった。東京新橋〜敦賀間には切符1枚で欧州へ行ける「欧亜国際連絡列車」が走った。そんな敦賀駅がサイクリングのゴールだ。
今回は福井県側の廃線跡をめぐったが、滋賀県側の長浜や木ノ本からも北陸本線旧線の廃線跡をめぐることができる。自転車通行禁止のトンネルもあるが、古峠の木ノ芽峠を経由して北国街道の板取宿や今庄宿へ向かうのも面白い。
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