旧街道じてんしゃ旅 食の街道編 鯖街道をゆく 二日目

目次

ツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は京都と福井県小浜を結ぶ「鯖街道」。若狭の海の幸を京へ届けた交易の道を巡るじてんしゃ旅へいざ出発。

一日目はこちら

おにゅう峠

堆積岩の荒涼とした崖を越えると近江と若狭の現代の国境「おにゅう峠」

朝靄のにじむ山あいの集落

翌朝5時、目が覚めた。ムックリと体を起こす。やっぱり例によって二日目の朝は体がダルい。初日はどうしても旅の高揚感で二人して呑んでしまうからだ。本当に反省しない二人である……。さらに今回の旅は「食の旧街道」がテーマ。当時の食を取材するだけではなく、道中の地元の食べ物についても取材せねばならない。
そんな都合の良い理由で昨夜の宿の食事はいつもより豪華だったうえに、存外早く到着したので夕刻から飲み始めてしまった。
山里の食材を使ったおいしい夕食が運ばれてきたときには二人共もうすっかり出来上がってしまっていて、締めの雑炊のときには宿のビールを全て飲み尽くし、焼酎すら一升瓶の半分を飲んでしまっていた。それでも二日酔いはなかったので、起き抜けに周囲を散歩することにした。

山里の久多は初夏だというのに肌寒く感じるぐらい冷えていた。しばらく歩いてすぐに、この集落の素晴らしさに気がついた。
朝靄が宿のすぐそばの渓流に立ち込め、川の流れと共に動いていく。茅葺き屋根の上に朝日が登り山間の山村に光を落とす。実に美しい……。これは山里の情景そのものだ。

しばらく朝の散歩を楽しんだ後、宿の立派な朝食を食し、二日目の旅に出発した。

シコブチ信仰

今日は久多から目的地の小浜まで。途中にこの道の最大の難所である「おにゅう峠」を越える。ここからの眺望は絶景のひと言。近江(滋賀県)側には今の時期は雲海が見られ、若狭(福井県)側には山ひだの向こうに青い日本海を見ることができるのだ。
これを見るためにこの峠を越えるサイクリストは多い。

「気持ちエエ朝ですなあ〜」シシャチョーがしきりに後ろでつぶやいている。
確かに本当に気持ちよかった。川沿いに立ち込める朝靄が幻想的で、夏とは思えない涼しさ。道路を走る車はほとんどなく、信号すら存在しない。二人共快適にペダルを回しながら進んでいった。

しばらくしていよいよ近江の朽木(くつき)に入る。先行していたシシャチョーが、神社の鳥居の前で止まっている。神社の延喜式か解説の看板を読んでいるようだ。
「ああ、シコブチ神社ですね!」
「シコブチ??」

シコブチ神社とは、この川の流域一体に点在する土俗の信仰神のことで、思古淵、思子淵、志子淵などと書いたりする。この朽木から久多にかけては、古来より奈良や京の都の建築のための木材を杣人(そまびと)たちが切り出していたところで、材木で筏を作って川に流し運んだという。このシコブチとは杣人たちを護る神として祀られていたという。今と違って治水がなされていなかった川では筏(いかだ)での水難事故も多かっただろう。そうした川への畏れもあったのかもしれない。ガワタロウという化け物が出てくる伝説もつたえられている。

「そういう神なんですよ。私も滋賀県出身なのでシコブチさんの民話は子供の頃からよく知ってます。どうです?何か土俗的なものを感じませんか?」
「ふ〜ん……ほな行きましょ!!」
って……興味ないんかい!!

一本橋

こんな一本橋を通って鯖街道にでる

朝霞

川面にかかる朝靄が幻想的だった

渓流に川魚

美しい渓流に川魚が泳ぐ

しこぶち信仰の神社

しこぶち信仰と言われる土俗の神を祀る神社。安曇川(あどがわ)流域に複数存在する

これぞ現代に残る日本の原風景

道は相変わらず細く、軽トラックが来ても自転車を傍らに止めてやり過ごさねばならないぐらいだ。V字の谷間を縫うようにして走っていく。
実に旧街道らしくていい。最高だ!
川に沿って遡上していくと集落が見えてきた。茅葺の屋根を保護するためにトタンで屋根を囲ってあるが、いかにも古民家集落の風情を感じさせる。山裾にへばりつくようにこうした茅葺き屋根の家々が並んでいる。
まるでアニメの昔話で見たような、山間の山村という感じだ。
京都からほんの少し北上しただけで、こんなタイムスリップしたような風景に出会うことができる。これは貴重だ。これぞ現代に残る日本の原風景だ。しかしこうした集落にもご多分に洩れず廃屋が多くなっている。人口減少と共に集落として維持ができなくなっているのだろう。

我々はサイクリストとしてこうした美しい原風景の中を旅させてもらっている。何とかしてこういう美しい景観を残せるように、サイクリストとして何か役に立つことができたらと思う。
最近のサイクルツーリズムの流行はひとつの手段だと思うが、まちがってもこの美しい景観の中にブルーラインは引いて欲しくないし、訳のわからないモニュメントも立てて欲しくないと個人的に思う。
こうした美しさを損なうことなく、サイクリングが地域活性に役立てるといいだろう。そしてまたサイクリストがこうした集落を通る場合、住民の生活を脅かさないように注意することが必要だ。茅葺き屋根が珍しいからと近くに寄って撮影したり、動画配信したりするのは控えたほうがいい。

茅葺の集落

まるでタイムスリップしたような錯覚を覚える茅葺の集落を通る

くねった道

くねった道は旧街道そのものだ

廃屋を前にたたずむシシャチョー

廃屋を前にしてたたずむシシャチョー。何を思うのか

一輪だけ咲く花

一面の緑の中に一輪だけ可憐な花が咲いていた

おにゅう峠の手書きの地図

雲海で有名なおにゅう峠にさしかかる。地域の人が家屋に描いた地図が何とも言えない旅情をかもし出す

最大の難所おにゅう峠

早朝に出発したためか、午前10時ごろにハイライトであるおにゅう峠に差し掛かった。この道は、本来の旧街道の山道である「針畑越え」と新しい道が重なり合いながら山を上っていく。山道のほうも本来の旧街道そのものの道なので、読者の方で登山やハイキングをされている方にはおすすめの道だ。

おにゅう峠に入る

いよいよ最大の難所、おにゅう峠に入る

さて初日の花背峠と能見峠で、心も腰も折れてしまった令和のやじきた二人……。早速始まった上りにすでに体温は上昇。昨夜のビールと焼酎が元になった汗をダラダラとかきはじめる。
「さ、迫田さん、疲れたら降りましょう!撮影もあるしね!」
「そうですなあ!小浜についてからおいしいもん食べなあかんし!しかし昔の人はこんな道を海産物を背負って歩いていったんでしょ?すごいなあ。ワシやったら腹減って荷物の魚を途中で食ってしまいますわ!」
「わはは!それいいですね!」
とお互い冗談を言いつつ、ひたすらペダルを踏み込む。
鬱そうとした木立の中を抜けると突然眺望が開けた。有名な雲海の撮影場所だ。遠くにいましがた通ってきた小入谷(おにゅう)の集落が見える。
「おにゅう……ってなんかオモロイ響きですなあ」とシシャチョー
遠敷(おにゅう)、小入谷(おにゅう)、丹生(にゅう)とはこの峠を含めた一帯の地名のことだが、一説によると、これは水銀の採れる場所に付けられた地名だという。
弘法大師空海が水銀の採れる場所を踏査し、そこからこうした名前が付けられたという話もある。水銀は辰砂(しんしゃ)と呼ばれる赤い鉱石を精錬することで得られるという。これは建築物に塗られるベンガラの材料や、白粉(おしろい)の素材として重宝された。

針畑越えと何度も重なり合いながら、峠は次第に荒涼とした風景に変わっていく。この辺りは古代の海の底の堆積物が固まってできた地質で、それが山を切り開いてできた道沿いに現われている。幾層にも重なって地層をなしているこの露頭はボロボロと崩れやすく、道路上に落石となってたくさん転がっているのだ。ふたりともパンクに注意しながら進む。

古代からの道がそのまま残されている

古代からの道がそのまま残されている

坂の途中でひと休み

坂の途中でひと休み

堆積岩の露頭

高度があがるにつれ堆積岩(たいせきがん)の路頭が荒々しい姿を見せる

荒涼とした風景

荒涼とした異世界を思わせる風景だ

途中で「針畑越え」の看板が見えた。本来の鯖街道はこの山道を越える。
そしていよいよおにゅう峠に到着。予想通り素晴らしい景色だ!感動の一瞬。シシャチョーも満足げだ。

峠の撮影を済ませ、いよいよ下り坂に差し掛かる。しかしここではスピードを出すのは禁物。例の落石がゴロゴロとしている上に路面も荒れている。案の定我々も下り坂でパンクしてしまった……。

遠くまで続く山の尾根

遥か遠くまで続く山の尾根がグラデーションを見せている

おにゅう峠を越えた

おにゅう峠を越えた!道路の線が県境だ

おにゅう峠の碑で昭和のサイスポポーズを決めるシシャチョー

昭和のサイスポポーズを決めるシシャチョー

遠くに日本海を望む

遥か遠くに日本海を望む。絶景の峠だ

ニホンカモシカ

若狭への下りでニホンカモシカに出くわした

若狭からの登山口

若狭からの登山口。いにしえの道とアスファルトの道が交差するように続いている

上根来(かみねごり)の集落に到着。ここは昔、海産物を運んだ人夫たちが荷継ぎをした問屋(といや)があったところだ。京までの早便といっても一人で運んだわけではないのだ。
上根来を過ぎると斜面は緩やかになりほどなく小浜の町に到着した。

上根来の集落

途中の荷継場だった上根来の集落

資料館兼休憩所

古民家が資料館兼休憩所として開放されている(福井県小浜市上根来9-20)

鵜の瀬の湧水

鵜の瀬の湧水。奈良の二月堂へ「お水送り」をすることで有名だ(福井県小浜市下根来)

落石を踏んでパンク

落石を踏んでパンク……

若狭姫神社

奈良時代創建の若狭姫神社。豊漁の神様だ(福井県小浜市遠敷65-41)

城下町・宿場町・港町の小浜

午後3時に小浜の町に到着した。小浜の町は古代より大陸からの文化や人流があり、若狭この地を玄関口として奈良や畿内に文化を伝えていったという。この地にはそうした古代の遺跡や史跡がたくさん残されている。いにしえの時代に触れることができる場所なのだ。

また今回の旅のテーマでもある「食」についても小浜は話が多い。針畑越えをはじめとした鯖街道もそうであるが、江戸時代には北前船の船問屋があった場所であり、各地の海産物が取引された場所でもあるのだ。古来からの発酵食が発達した土地でもあった。現代の東京の築地や豊洲が食の中心地であるように、古来はここ小浜が食の中心地であったのだ。ゆえに朝廷へ献上する食材を供給した「御食国(みけつくに)」だったわけである。

さて、小浜の町中を散策ライドしていたが、急に空模様が怪しくなり早々に切り上げて投宿先の古民家宿に入った。瀟洒(しょうしゃ)な作りの宿で、早々と風呂で汗を流した令和のやじきたコンビ。
夜になってもう一つの旅の目的である夜の食事を取材すべく、小浜の町中に繰り出したのだった。

鯖三昧定食

昼食は「道の駅若狭おばま 和久里のごはんやおくどさん(福井県小浜市和久里24-45-2/TEL:0770-56-3000)」で。地元の食材をふんだんに使った鯖三昧定食をいただいた。ちなみに「おくどさん」とはご飯を炊く「かまど」のこと

今月の地元食材

可能な限り地元の店舗で地元の食材をいただくことにしている

護松園

江戸時代の北前船の船問屋が作った迎賓館「護松園(旧古河屋別邸)」(福井県小浜市北塩屋17-4-1/TEL:0770-64-5403)

三丁町

小浜市内に入る。昔の花街だった三丁町

小浜町家ステイ/丹後街道つだ蔵

今日の宿は蔵を改装した古民家宿「小浜町家ステイ/丹後街道つだ蔵」(福井県小浜市小浜浅間61-1)

早瀬浦

夜は小浜の食材を使った地元の料理屋で食事。地酒の早瀬浦をいただく

小浜の町

小浜の町は城下町、港町を旧街道が貫いている。生活感があり街道らしさを感じる

地元の市場

朝食は地元の市場でいただくことにした。採れたての新鮮な魚介が並ぶ

新鮮で安い魚

好みの魚を選び、その場で食すのだ。しかも新鮮で安い!

魚介を七輪で焼く

いま求めた魚介を市場の前で七輪で焼いて食す。もちろん鯖も。これぞ食の旧街道だ!

 

参考文献:
「近江・若狭と湖の道」藤井讓治著 吉川弘文館
「食の街道を行く」向笠千恵子著 平凡社
「歴史と古道 歩いて学ぶ中世史」戸田芳実著 人文書院
「古代の朱」松田壽男著 ちくま学芸文庫
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社