旧街道サイクリングの旅vol.13 旧東海道をゆく(最終回)
目次
旧街道サイクリング、旧東海道の旅もいよいよ今日が最終日となった。
宿を出て出発準備しつつ、上を見上げると雲一つない真っ青な空だ。
まるで最終日を迎えた我々を「よくやった!」と祝福してくれているようだ。
「ワシ、晴れ男ですねん!最終日は絶対晴れさせたる!って思ってましてん!」
そう笑いながらシシャチョーさこやんはオルトリーブのサドルバッグをバイクに括り付けている。彼も最終日を迎えて晴れやかな様子だ。
晴れ男のチカラ(平塚宿〜藤沢宿)
さて、アーケード街になっている早朝の平塚宿は多くの通勤通学の人々が行き交っている。
ビジネスマンと思しき人、ブレザーを着た高校生、何百人と言う人が平塚の駅に向かって一心不乱に歩いている。ほとんどが濃紺やグレーのモノトーンの衣服だ。そんななかで我々二人だけがグリーンやレッドの原色ウェアを着込み、スポーティーな格好で自転車に乗って紛れている。なんだか我々だけ異世界から来た人間みたいだ。ちょっと浮いている気になる。仕事に向かう彼らの集団の中に旅のいで立ちで混じっていることになんだか居心地が悪く感じられてしまう。もちろん我々も仕事で走っているわけだが、日本人ゆえだろうか……同一性を重視してしまうのか……。堂々としていればいいのだけれど。通勤通学を急ぐ彼らは交差点で止まり、みんな同様に信号が変わるのを、いまかいまかと凝視している。
信号が変わるとドッ!と動き出す。
そんな一団が交差点を過ぎ、次に信号が変わる手前のタイミングを見計って我々も出発した。
ほどなく相模川を越えて藤沢市に入る。通勤ラッシュは終わっているものの、やはり神奈川県だ。交通量が多く、国道と旧街道が重なっている区間が続くので神経をすり減らしながら走る。
しかし府中から小田原までは雨や風に悩まされてきたので、今日の晴れは待望のコンディション。多少走りにくくても天気が良ければ気分もいい。自動車が多くて信号も多いが、賑やかになっていく街並みに江戸(東京)に近づいていることを実感して嬉しくなってくる。
晴れ男に感謝!
藤沢宿に着いた。箱根駅伝のテレビ中継で出てくる「遊行寺(ゆぎょうじ)」が有名だ。都市化が進んではいるものの、宿場町に入ったことがはっきりと分かる町並みだ。遊行寺橋は浮世絵にも出てくる有名なところで、山門を見て行くついでに、その奥にある枡形(鍵の手になった道・防犯のために作られた)に設けられた「ふじさわ交流館」で休憩することにした。なかは街道の資料館となっている。
「おっ!こんな本あるんですな?」と一冊の本を手に取るシシャチョーさこやん。
「実はこの旅を始めてから旧街道関係の本を買い漁ってますねん!でもこの本は初めてですわ。ちょっと調べよう!」スマートフォンで書籍を調べ始めた。
さすがは出版社の社員だけあって勉強熱心。普段は冗談ばっかり言っている彼だが、この旅のためにしっかりと本を読み込んできていたようだ。やはりプロフェッショナルだ。
「どうせ旧街道サイクリングするんやったら今後の人生の楽しみにしたいんでね。」
そう話すシシャチョーさこやんの言葉が印象に残った。
まるでダンジョン(戸塚宿〜程ヶ谷宿〜神奈川宿〜川崎宿)
神奈川県下の旧東海道は、そのほとんどが市街地化されているため道中に昔の風情を感じさせる古い街並みなどは残されていない。しかし国道のあちこちに松並木が現存しているし、一里塚は消滅しているが代わりに石碑やモニュメントが建てられている。街道に関連する説明看板も多く設置されていて走っていて飽きない。都市化は近代化の証で仕方がないことだが、こうした保全の取り組みはとても好感が持てる。
戸塚宿から先は、丘陵地を行くことになるので旧東海道も登ったり降ったりと立体的に行くことになる。
そこへきて鉄道などを回避しつつエレベーターで通用路を行ったり、歩道橋を担ぎ上げたり、押し歩きをしたりと、今まで走ってきた旧東海道とは違う動きをする。まるでロールプレイングゲームのダンジョンみたいだ。
とりわけJR東戸塚駅を越えたあたりの「品濃坂」周辺はそんな場所が多い。
そんなところを地図を見ながらワイワイとはしゃぎつつルートハンティングをするのだ。
もちろん私は何度かここを通っているのだが、開発で道が変わってしまっていてどうしてもミスコースしてしまう。しかしそれが楽しく感じられる。まるでオリエンテーリングだ。
旧街道が開発で消えてしまっている所にたどり着いた時だった。その近くの公園を迂回しようとしたのだが、意図せず緑に囲まれた畑や公園が広がる場所に出た。正確には旧東海道ではないのだが、人が踏み締めた草むらの道が伸びていて、その先には都会には不似合いな大木や野良猫が歩く畑が続いている。誘い込まれるようにその道を行くことにした。ほんの100メートルほど国道から離れるだけなのにまるで異空間のような場所なのだ。さすがに私も初めて訪れた場所だった。
シシャチョーさこやんも「都会にこんなところがあるんですなあ!想像できませんなあ」と息を切らしながらも楽しそうな表情でいる。二人で写真を撮りながら歩いていると、ふと40数年前の小学生時代を思い出した。あの頃は工事現場や空き地で木材やトタン板を使って「秘密基地」を作ったものだった。毎日、学校が終わると子ども用の自転車の前かごにスコップだのノコギリだのを入れて乗り付け、前日まで作った基地建設の続きをやるのだ。秘密基地はだいたいが普段よく通る道からほんの少し離れたところで、子どもには見つけられても大人には見つけづらい「子どもの視線」の延長にあるような場所に作るのが常だった。今の年齢ではその場所に戻っても基地を作ったところは見つけられないかもしれない。
アラフィフのおっさん二人が童心に返ったからこそ見つけた異空間だったのかもしれない。
ダンジョン区間を終えた後は程ヶ谷宿(保土ヶ谷)、神奈川宿、川崎宿とテンポよく進んでいった。
いよいよ感動のゴール!(品川宿〜日本橋)
川崎宿の「六郷の渡し」を過ぎると多摩川を渡る。これを過ぎると東京だ。
「やったー!!来たぞ!江戸や!東京や!」
自宅のある大阪から勤務先の東京まで毎週新幹線で移動しているシシャチョーさこやんだが、「東京」の県境の看板の前で記念撮影している。不思議な感覚なのだろう。
感慨深げな表情のシシャチョーさこやん。でもずいぶん長い間スマートフォンを触っている。SNSに感動の様子をアップしているのかと聞いてみたがどうやらそうでもない様子だ。
よく見ると「編集部N、O、Mに告ぐ。15時ぐらいに日本橋に着くので出迎えること。何があっても出迎えヨロシク!!」
どうやら部下に出迎えを強要していたようだ……。
パ、パワハラか!?
多摩川を渡ってからはさらに交通量が増え、旧東海道も都心に入ったとわかる。自転車の矢羽表示のある区間はいいが、そうでないところはとにかく車道を走るのが恐ろしい。自転車の横をスピードを落とすことなく追い越していく。まるで邪魔者扱いだ。そんななかでも大森の辺りで、自動車レーンを1つ潰してバイクレーンを敷設している区間にでた。自動車はというと真ん中の1車線で相互通行し、徐行しあいながら譲り合うようになっている。先日訪れたオランダでみたような自転車や歩行者重視の道路だ。東京を中心にこうしたバイクレーンが出来ているのは嬉しい限りだ。これがどんどんできていって欲しい。自動車の利便性を少し落とすことになるが、歩行者、自転車共に安全な走行空間を確保できるので、総量としての道路利用者数は増えるはずだ。(……と思った後で、バイクレーンの上に何十台ものクルマが駐車されている様子を見てガッカリしたのだが……)
いよいよ最後の宿場町「品川宿」に入った。現在は天王洲の方まで埋め立てられているが、江戸時代は街道脇から海になっていた。今も船溜まりが近くにあり名残を感じさせてくれる。品川宿は旧甲州道中(甲州街道)の「内藤新宿」と同様に、江戸の歓楽街の役目も果たしていたようで、相当に大きな宿場町だったようである。品川寺(ほんせんじ)にはその当時の遊女を弔った墓石や荷役に使った馬の墓石なども存在する。
「品川がこんなに歴史があるとは知らなかったですわ」
「いよいよ終わってしまうんですなあ!!」
シシャチョーさこやん。旅の終わりが名残惜しいのかあちこちで石碑や道標を撮影している。そして旅をしてきた愛車を立てかけて慈しむように写真を撮っている。
夏の酷暑の中の京都三条を出発し、3回に分けて旅をしてきた。それがもうすぐ終わるのだ。感傷的になるのも無理はない。
旧東海道を単なる500kmのサイクリングとして捉えると、とてもイージーに思えるかもしれないが、昔の道を追体験しながら行く旅は「距離」「時間」「速さ」で語れるような旅ではない。まして彼にとって初めてのロングツーリング。近代化とともに消えつつある旧東海道を行く旅は、単にスポーツとしてだけではなく知識や歴史を知るエクスペリエンスの旅だったはずだ。
シシャチョーさこやんの横顔が夕陽に照らされている。充実した表情だ。
「じゃあそろそろ日本橋に向かいますか!」
元気よく声を上げて彼はペダルを踏み出した。
北品川の踏切を越え、国道15号線、J R品川駅前を過ぎビルディング群の中を進む。現代の東海道の中を行く。やがて銀座に入る。買い物客や観光客でごった返す銀座6丁目あたりでシシャチョーさこやんに、信号2回分をここで待って欲しいと伝える。
先行して日本橋に到着し、シシャチョーさこやんの到着の表情を撮るためだ。
そう伝えた彼の表情は、充足感と不安が混ざったようになっている。
ダッシュで日本橋まで走り欄干にバイクを立てかけて、カメラを構えて彼がやってくるのを待つ。サイクルスポーツ編集部の皆さんも大勢で駆けつけてくれている。
夕陽がビルのガラスを照らしている。
幻想的な瞬間だ。
そして彼が走ってきた!
「やった!やったで!!」
みんなの姿を確認したのか、ちょっと照れた表情で片手放しをしておどけながら日本橋に到着した。決して気取らず両手を上げてガッツポーズをすることもなく、素の表情のままのゴール。
格好つけなくてもカッコいい!
編集部の人たちと抱き合うシシャチョーさこやん。
目尻が少し涙で滲んでいる。
それを写真に収めるとき、私のカメラのファインダーもつい曇ってしまった。
かくしてアラフィフおやじ二人の旧東海道の旅は終わった。
2年前に酔った勢いで「やりましょう!」などというノリで始まった企画。
しかし走り出したら止まらない。新しいサイクリング の楽しみ方として次なる街道旅の企みはもう始まっている。
「シシャチョーさこやん」こと迫田事業部長の感想
Cycle Sportsに携わり27年間、MTB、DH、ロングライド、ヒルクライム、サーキットでのエンデューロ等々、一通り経験させてもろたんやけど、正直な話、頭のどこかで「シゴトで走ってる感」があった。今回の旧街道旅で、今まで見たこともない景色に感動し、その土地の人と触れ合い、そこの歴史を知り、ご当地の酒とメシを堪能させてもらい「なんや自転車て、ゆっくり走ってええんや〜、自転車めっちゃおもろいやん!!」と新たに気づかせてくれた井上さんにホンマ感謝です。
そして旅のお供となる最新の機材やウエアをご提供していただいた、キャノンデール・ジャパン、ダイアテック、PRインターナショナル、イワタニプリムス、アズマ産業、マルイ(敬称略)の皆さん、本当にありがとうございます!
ほな次は、中山道行くで〜!!
参考文献:
今井金吾「今昔東海道独案内」(JTB出版事業局)
歌川広重「東海道五十三次五種競演」(阿部出版)
八隅蘆菴著/桜井正信監訳 「現代訳 旅行用心集」(八坂書房)
【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。
取材協力:RIDAS(ライダス)