屋外サイクリングのソーシャル・ディスタンシングは何m?
目次
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的流行)が続き、多くの国でロックダウン(都市封鎖)や外出制限が行われ、日本でも4月7日に東京都を含めた7都府県を対象とした緊急事態宣言が出され、16日にはその対象地域が全都道府県に広がった。
厚生労働省の発表によれば、4月16日の時点で新型コロナウイルスの感染者は世界で200万人を上回り、このウイルスが引き起こす感染症(COVID-19)で13万5000人以上が亡くなっている。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、外出はできるだけ控える必要があるが、いわゆる3密(密閉空間、密集場所、密接場所)を避ける為に公共交通機関を使わずに自転車で通勤したり、生活に必要な買い物へ出かける人も多いだろう。サイクリングは心身の健康を維持するための、有益なアクティビティでもある。
そこで気になるのは、屋外サイクリングでの『ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離、ソーシャル・ディスタンスとも言う)』。ソーシャル・ディスタンシングは、ウイルスの感染拡大を防ぐために定められた、人と人との間の保つべき距離で、欧米では2m、もしくは6フィート(約1.8m)が主流になっている。
厚生労働省によれば、新型コロナウイルスの感染経路の1つは『飛沫感染』で、感染者の飛沫(くしゃみ、咳、つばなど)と一緒に放出されたウイルスを吸い込むことで感染する。この飛沫を吸い込まないために取るべき距離がソーシャル・ディスタンシングだ。
しかし、2mはスーパーマーケットで並ぶ場合のような、人が止まっている時のソーシャル・ディスタンシングであり、サイクリングのように動いている場合でも、同じ距離で安全なのだろうか。前を走っているサイクリストとの距離は、どれくらい開ければいいものなのだろうか。
サイクリング中のソーシャル・ディスタンシングは、スリップストリームに注意
そんなサイクリストたちの疑問に1つの答えを出したのが、空気力学のプロフェッショナルであり、アマチュア・サイクリストでもあるベルギー人のバルト・ブロッケン教授だ。
ブロッケン教授はアイントホーフェン工科大学(オランダ)の建築環境学部の正教授で、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)の土木工学科の非常勤正教授でもあり、都市物理学、風工学、スポーツ空気力学を専門分野としている。
彼はアイントホーフェン大学にある大気境界層ウインドトンネル(風洞)の科学ディレクターを務め、UCIワールドチームのチームユンボ・ヴィスマ(オランダ)や、グルパマ・FDJ(フランス)に空気力学のアドバイスを提供している人物でもある。
ブロッケン教授は4月8日に、所属するオランダとベルギーの2つの大学の合同チームで『ウォーキング、ランニング、サイクリング中のソーシャル・ディスタンシング』をテーマとした研究結果を公表し、サイクリストにはおなじみの “スリップストリーム” が、ソーシャル・ディスタンシングに与える影響に焦点を当てた。
その研究結果によれば、1.5mのソーシャル・ディスタンシング(注:1.5mはオランダとベルギーの政府が採用している距離ルール)は、屋内や穏やかな天候の屋外でじっとしている人々には非常に効果的だが、ウォーキング、ランニング、サイクリングのように人が移動している時は、すぐ後ろに発生するスリップストリームを考慮する必要があり、その場合は1.5mでは不十分だという。
スリップストリームは、高速で移動する物体の後ろに発生するものだと思いがちだが、ウォーキングのような低速移動でも発生し、移動している人と一緒に空気をわずかに引き伸ばす。
移動している人が息を吐いたり、咳やくしゃみをして発生する飛沫のほとんどは、その人の後ろに発生するスリップストリームの中に巻き込まれる為、その人のすぐ後ろでスリップストリームの中を走ったり、自転車に乗ったりすると、その “飛沫の雲の中” を移動することになってしまうというのだ。
ウォーキングなら4~5m、ランニングや低速サイクリングなら10m
ブロッケン教授の研究グループは、アンシス社のCFD(数値流体力学)シミュレーションで、運動中(ウォーキングとランニング)の人からの唾液粒子の放出を、様々な配置(1.5mの距離で2人が横に並んだ時、斜め後ろに並んだ時、真っ直ぐ前後に並んだ時)で検証し、スリップストリームがもたらす影響を発見した。このシミュレーションは通常、陸上競技と自転車競技のトップアスリートのパフォーマンスレベルを向上させる目的で使用されるものだ。
例えば穏やかな天候の下で2人が横に並んで走る場合、ソーシャル・ディスタンシングはさほど重要ではないことを、このシミュレーションは明らかにした。飛沫は2人の後方のスリップストリームに行き着くからだ。
2人が千鳥配列で(斜め後ろに並んで)移動する場合も、かなりの横風がなければ前の人の飛沫を後ろの人が受ける可能性は低くなることがわかる。しかし、誰かのすぐ後ろを歩いたり走ったりしてスリップストリームに入ると、前の人の飛沫を直接受けることがシミュレーションで明らかになったのだ。
とは言え、心配する必要はない。要はそのスリップストリームにさえ入らなければ安全なのだ。ブロッケン教授はその距離について「ウォーキングする際は少なくとも4~5m、ランニングや低速のサイクリングをする際は10m、高速(時速30km)でサイクリングする際は少なくとも20mの距離を保つように」と、勧めている。
今回の研究は風のない条件下で行われているが、たとえ風があったとしてもルールは同じで、とにかくサイクリング中は、前を走るサイクリストのスリップストリームに入らないことが肝心だ。
前を走るサイクリストを追い越す場合も、20m離れた場所から千鳥配列(斜め後ろ)になることをブロッケン教授は勧めている。そうすれば直線的に動くことで、慎重に適切な距離を保って追い越すことができる。サイクリストでもある教授ならではのアドバイスだ。
10mの目安は大型路線バス1台分
では、前を走るサイクリストと自分の距離は、どうやって測ればいいのだろうか。そこそこ走り込んでいるサイクリストであれば、その距離感は容易に把握できるものだろうが、特にビギナーには、10mと言われてもわかりにくいだろう。
そこで、レースにも参加するアマチュア・サイクリストに尋ねてみると「距離感は50mくらいまでなら、車両の全長に例えるとわかりやすいと思います。普通乗用車1台が5m未満、大型路線バスは1台10~11mです」と、アドバイスしてくれた。つまり、低速のサイクリングでは、前のサイクリストと “大型路線バス1台分の距離” を開けて走ればいいわけだ。
ランナーやサイクリストを安心させる為に
ブロッケン教授の研究グループによる今回の研究結果は、時間がかかる通常の学術論文発表の手順を踏まず、4月8日にベルギーのヘット・ラーツスト・ニュース紙とヘット・ビラング・バン・リンブルフ紙で公表された。彼らは少しでも早くこの結果を知らせることで、ランナーやサイクリストを安心させて、世界規模での新型コロナウイルスとの戦いを支援したいと望んだからだ。
しかし、このニュースはブロッケン教授の予想以上に世界中の注目を集めただけでなく、彼の意図しなかった解釈をされるケースもあった。いくつかのメディアは、新型コロナウイルスの感染が拡大している時に、ウォーキング、ランニング、サイクリングをするべきではないという結論に達してしまったのだ。
その誤解を解く為に、ブロッケン教授はオランダのサイクリング・メディア『ソワニュール』のインタビューで事の顛末を説明し、彼の意図したメッセージをもう一度発信している。彼は、この時期に心身を落ち着かせる為にも、ウォーキング、ランニング、サイクリングはした方が良いと考え、それをより安全に行うアドバイスを全世界へと発信してくれたのだ。
今回、この研究結果を引用するために、cyclesports.jpはブロッケン教授に直接連絡して許可をいただいた。彼は「我々の仕事は、サイクリストたちをサポートすることを目的としています」と言い、快く引用を許可してくれただけでなく、必要な資料を全て提供して下さった。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、外出はできるだけ控えるべきだが、屋外でサイクリングをする時は、是非ブロッケン教授のアドバイスを思い出し、前を走るサイクリストとの適切なソーシャル・ディスタンシングを取るように心がけて欲しい。
ランニング時のシミュレーション動画
※研究チームの一員であるアンシス社のフルーエントCFDで実行されたシミュレーション動画。時速14kmで走った時に飛沫を含んだスリップストリームがどう動くかよく分かる
https://twitter.com/realBertBlocken/status/1247540730425249799?s=20
※引用元:『Towards aerodynamically equivalent COVID19 1.5 m social distancing for walking and running (Bert Blocken, Fabio Malizia, Thijs van Druenen, Thierry Marchal)』、『Social Distancing v2.0: During Walking, Running and Cycling (Bert Blocken, Fabio Malizia, Thijs van Druenen, Thierry Marchal)』