旧街道じてんしゃ旅 其の二 旧中山道編 初日 日本橋(東京都)〜本庄(埼玉県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。今回は第2回目。時は2020年3月17日、いよいよ取材スタートの日。出発点は前回のゴール、日本橋。日本の道路の元標がある場所だ。
日本橋〜本庄宿 令和のやじきた“輪道中”再び出立!
シシャチョーとの待ち合わせ時間より、少し早めに到着し旅の確認を行う。サイクリングガイドのセオリーどおりに。
一とおり終えてから「日本橋」の銘板の前で写真を撮っていると一人の会社員風の人が声を掛けて来た。
「おっ! グラベルロードというやつですね? 私も欲しいんですよ。サイクリングですか?」
「はい、旧中山道をサイクリングするんです。」
「そうですか! 私は10年ほど前に日光街道を走ったことがあります。え? 京都まで? そりゃ楽しそうだ! 頑張ってください!」
やはり日本橋は旅立ちの場所のようだ。何度も自転車で来ているが、こんな風に声を掛けられたのは初めてだ。
うれしい気分になった。
「おはようさんです!!!」
ほどなくシシャチョーがやって来た。
「思った以上に寒いですなあ! 冬用ジャージ着て来ましたよ。」
見るとアソスのウインターパンツをしっかりと着込んでいる。
「だからこの間言ったでしょ。まだ寒いって。」
昨年の3月末に中山道を走ったときは木曽の山中で雪に見舞われてしまったのだ。
私も用心してインナーシャツは冬用にしてきた。
今年は暖冬だから雪には降られないだろうと思うが……。
「旧東海道のゴールのときは本当に感動しましたね! ……今日はその日本橋から出発か……。」
欄干をなでながらも少し感傷気味のシシャチョー。しかし新たな旅立ちに目を輝かせてもいる。旧街道じてんしゃ旅はアラフィフおやじ達を童心に帰らせてくれる。
旧中山道は六十九次。つまりは69か所の宿場町がある。私は旧街道の中ではこの中山道が最も好きな道だ。
長野、木曽の山中は昔の風情が残り、美濃から近江にかけては戦国時代の息吹を感じることができる。旧東海道より開発されていない部分が多く、峠道の中には江戸時代そのままの場所もある。一里塚や木立も当時のまま現存している所も多く、特に一里塚に至ってはその巨大さに驚く。田園風景の中には庚申塚(こうしんづか)や道祖神が祭られ、かつて街道であったことを示している。集落には昭和の風情も残り、小さな商店がいまだに店を開いていたりもする。
旧中山道は古くて懐かしい日本に出合えるすばらしい街道なのだ。
シシャチョーと一緒に日本橋の欄干で記念撮影。
そしていよいよ出発! 今日は高崎宿までを目指す。
「旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編」の始まりだ。
早朝の百貨店街は車も少なく走りやすい。
冷たい冷気が頬に当たる。でも高揚感があるからか不思議と寒くない。
しばらくして一つ目の見どころの神田明神に着く。豪華な門に二人とも驚く。門前の桜も八分咲きぐらいになっていて、ベンガラの朱と金飾りとの対比が美しい。しばらく見とれてしまった。出発してわずか10分での街道風情。江戸時代の旅人もおそらく出発してまもなくここに参詣したに違いない。現代よりはるかに困難だったであろう旅の前途を祈念して……。
「最初の宿場町は板橋宿ですな?」
「はい、江戸の内の宿場町は板橋です。」
「で、次が蕨(わらび)と……」
シシャチョーも今回は下調べ済みのようだ。
すごろくにも似た旧街道旅。宿場町の名前と数を数えながら行くのも楽しい。
ほどなく「巣鴨地蔵通商店街」に到着。いわゆる「お婆ちゃんの原宿」と呼ばれる所だ。
商店街の中ほどにある「高台寺」、通称「とげぬき地蔵」が有名だ。
早朝だからか、何だか人通りが少ない。
(取材をした3月中旬は、コロナ禍で、そろそろ自粛ムードが出始めていた頃だ。まだ移動自体は制限されていなかったため旅立ったわけだが、既にそうなっていたのだろうか……)
旅の安全を祈念してお参りし、例の線香の煙を浴びようとしたがまだたかれておらず……。ポーズだけ撮影して出発。
ほどなく板橋宿の名前の元になった「板橋」に到着。ここも桜は八分咲き。それでも十分美しかった。
小一時間掛かってようやく荒川を過ぎる。遠くにビル群が見える。やっと都心部を脱出だ。気持ちいい。
街道風情など消え失せていると思われがちな都心部だが、それが結構残っていたりする。一里塚跡や川の渡場の跡。旧東海道編の読者なら理解できると思うが、例の斜めの交差点など、往時のままの姿とはいかないが、匂いを感じさせてくれる遺物が残っているのだ。それを宝探しのように見つけながら走るのが一興だ。
さて、埼玉県に入った。
蕨宿に到着。往時の風情は道の形に求めるしかない状態だが、幹線道路から取り残されたように、石狩川の三日月湖のように残る蕨宿はまさに代表的な旧街道の道の形を留めている。
「街道の匂いがしてきましたな!」とシシャチョー。すっかり街道旅のベテランになっている彼は、遺物を見つけるのがことさらにうまいということが分かった。ここは役割分担。先行してもらいながら風情を味わってもらうことにした。
埼玉県を通過するには実は結構な距離を進む必要がある。埼玉県は首都圏の一部であり、郊外とは言え多分に都市化してあり、それは旧中山道沿いにも及ぶ。とりわけ浦和宿や大宮宿周辺は幾多の信号と激しい自動車の往来。突然現れる左折レーンに慌てたり、トラックの幅寄せにビクビクしながら走ることになる。風情はおろか自身の身の安全を考えながらの走行になってしまう。
「なかなか進みませんな……。おっともう午後1時。」シシャチョーの言葉に時計を確認し、少し焦り始めた。
今日中に高崎に着くのはおそらく無理だ。
しかし遅々として進まない。
そして上尾宿、桶川宿、鴻巣宿ともに街道の風情はほとんど残っていない。宿場町自体がにぎやかな駅前になっていたり、国道そのものなので開発され尽くされている感がある。
シシャチョーと二人黙々と走った。
3時間ほどしてようやく荒川沿いの堤防に出る。荒川の川幅が最も広い辺り。いままでの道路の喧騒が嘘のように静まり返っている。時折散歩をしている人に出会うぐらいだ。
突然菜の花が群生している所にでた。
目の覚めるような黄色。菜の花の香りが漂う。すばらしい風景だ。
ここで何度も撮影を行う。
シシャチョーも満足そうだ。
ここで今日の投宿地を本庄宿に決め宿を取る。そんな行き当たりばったりが楽しい。
「今日の地メシは何でしょうな?」
「うまいもの食べましょ!」
一年で最も暑い日に出発した旧東海道旅と違い、旅慣れてこなれた感じがした旧中山道の初日であった。
機材紹介
バイク:キャノンデール・キャード13ディスク105(21万円・税抜)
問 キャノンデール・ジャパン
ヘルメット:ジロ・シンタックスミップスAF(1万5800円・税抜)
レインジャケット:アソス・エキップRSレインジャケットEVO(4万8000円・税抜)
パンツ:アソス・トレイルカーゴショーツ(1万6800円・税抜)
シューズ:ジロ・リパブリックRニットHV(1万8900円・税抜)
問・ダイアテック
バックパック:ドイター・トランス アルパイン24(1万5000円・税抜)
問 イワタニ・プリムス(ドイター)
シートバッグ:オルトリーブ・シートパック8-16.5L(2万1500円・税抜)
問・ピーアールインターナショナル
バイク:キャノンデール・トップストーンカーボン フォースeタップAXS(59万5000円・税抜)
問 キャノンデール・ジャパン
ヘルメット:ジロ・シンタックスミップスAF(1万5800円・税抜)
レインジャケット:アソス・エキップRSレインジャケットEVO(4万8000円・税抜)
パンツ:アソス・トレイルカーゴショーツ(1万6800円・税抜)
シューズ:ジロ・リパブリックRニットHV(1万8900円・税抜)
問・ダイアテック
シートバッグ:オルトリーブ・シートパック8-16.5L(2万1500円・税抜)
問・ピーアールインターナショナル
今回の行程:日本橋〜(二里半)〜板橋〜(二里十町)〜蕨〜(一里十四町)〜浦和〜(一里十町)〜大宮〜(二里)〜上尾〜(三十四町)〜桶川〜(一里三十町)〜鴻巣〜(四里六町四十間)〜熊谷〜(二里半九町)〜深谷〜(二里半七町)〜本庄 計:二十一里半 十二町 四十間(約84km)
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約1.8m
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社