旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 二日目その壱 本庄(埼玉県)〜安中(群馬県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。迎えた2日目の朝。本庄宿の宿を出ると空気が凛として冷たい。春が近づいているとはいえ、朝はまだまだ寒い。シシャチョーも白い息を吐きながら荷物を積み込んでいる。二人とも手際良くバイクを整備し、行程を確認して本庄の宿を後にした。
新町宿〜安中宿/安中宿でフェイクTシャツを買う?
宿泊ツーリングでいつも感じるのは、いちばん身体にキツいのは2日目だということ。
旧東海道編でシシャチョーも嫌というほど体感していた。そうやって旅慣れてきたからかは分からないが、昨夜の宴はホテル内の食事処でおとなしく済ませた。我々二人には珍しくハイボールでの深酒をせずにおとなしく床に就いた。今日は軽井沢への難所「碓氷峠」を越えなくてはならない。それもあってか無意識に酒量を減らしていたのだろう。だから今日は身体が軽い。
だったら飲むなよ! とおっしゃる読者もおられると思うが、アラフィフオヤジ二人の旧街道じてんしゃ旅には酒がつきものなのだ。旅先で投宿し地飯を食いながら酒を飲む。これも旅の一部分なのだ……。と都合よく解釈している。まあとにかく二人とも自制したのは体力が減っているアラフィフならでは。
さて新町宿への道はクネクネと曲がりながら続いている。歴史的なものはあまり見られない。また所々、大きな道で寸断されているが、旧中山道の道なりはそのまま残っている。
我々のペダリングは快調。前後で世間話をしながら走る。
話の内容はやはり仕事が中心。業界ネタがほとんどだ。どこそこのメーカーが調子良いだとか、サイクリングのツアーが好調だとか、自転車タレントの誰それさんがかわいいとか……。
シシャチョーの話のネタは本当に豊富。それでいて毒舌(笑)。
神流川(かんながわ)の橋を越え群馬県に入った。県境を越えるたびに感動するシシャチョー。
ほどなくして新町宿に着く。ここも街道風情はほとんど残っていないが、三日月湖状の道や、斜めの交差点、そして狭い道など旧街道じてんしゃ旅を続けていれば、ここが旧街道であることは一目瞭然といった感じだ。
幹線道路をそれて川沿いの堤防に出る。
早朝にもかかわらず子供たちがそろいのユニフォームを着て野球の練習をしていた。
「おおお! 野球やっとる! 見て! あんな小さい子がやってるわ!」
無類の野球好きであるシシャチョーが小さな子供が一生懸命走っているのを見て、父親の顔になっているのが印象的でほほえましい。
幹線道路から外れた旧街道沿いには、こんなふうに沿道の人々の生活がにじみ出ている感じがする。晴れがましい観光地や大型スーパー、きらびやかな商業施設などはあまり見られないが、こうした日常の生活を訪問者として肌で感じることができる。飾りのない生活が暖かく感じられる。スピードを上げられる走りやすい道を飛ばしていたのでは味わえないだろう。やはり旧街道じてんしゃ旅は、単なるスポーツではなく、知得型、体験型のハイブリッド型のサイクリングなのだ。
「いや〜良いですな〜。久しぶりや〜! やっぱり旧街道は。やっぱりこの旅をやって良かった。おもろいですわ!」
旧東海道編でも書いたが、シシャチョーは自転車業界に関わって二十数年だが、仕事としてしか自転車というものを見ることができなかったという。しかし私のライフワークである旧街道サイクリングを紹介したことによって、彼は初めて心の底から自転車が楽しいと感じたそうである。旧街道を愛するものとしてはうれしい限りだ。
倉賀野宿に入る。この宿場には脇街道である「日光例幣使道」との追分、つまりは分岐点がある。例弊使とは徳川家康を祭った日光東照宮への巡礼のために朝廷から派遣された勅使のことをいう。そんな勅使が歩いた道がここから日光へと続いている。時を改めて走ってみたいところだ。
ほどなくして高崎宿。往時ここは十返舎一九の有名な弥次・喜多が驚いたという書き方をしているぐらいにぎやかな宿場町だったらしい。現代も上越新幹線が止まる高崎駅を中心に市街地が大きく広がっている。その中を国道と一緒になって旧中山道は進んでいく。
ただし止まってまで見るものはほとんどない。先を進むことにした。
しばらく行くと往時の姿を留めた一里塚に出くわした。大きな樹木がよく保全されていているが、その脇には国道が通りトラックが猛然と走り抜けている。何とか雰囲気が伝わる感じで写真を撮るのに苦労した。
高崎を過ぎ板鼻宿に入ると、旧中山道はいよいよ上りに差し掛かる。
道は次第に上りになってきた。遠くにノコギリ状にとがった山々の峰を望む。火成岩でできた荒々しい山だ。旧中山道はその横を過ぎて碓氷峠に進んでいく。
「今日はおもろい人と出会いませんなあ。旅の楽しみやというのに。」
そんな矢先、安中宿に到着した。ほんの少しだけ残された杉並木が見られる。寂れた商店街という感じの小さな宿場町だが、それがかえって風情を誘っている。少し離れたところに武家屋敷や奉行宅役の資料館があったので見ていくことにした。
一通り見終わって旧街道に戻ろうとしたときだった。
「ちょっと待って!! あれ!!」
と大声で私を呼び止めたシシャチョーの指先が指していたものは、一軒の八百屋であった……。
「あれ! あれ! あのTシャツ!!」
よく見ると八百屋の軒先に白いTシャツがぶら下げられていて風にゆらゆら揺れている。
「おもろいでんな!! これ欲しい!」
「また突然何ですか!!」
「いや、こんな冗談みたいなTシャツ大好きですねん! これ売ってるんかな?」
よくよくTシャツを見ていると「ANNAKA CITY」……ニューヨークのTシャツそっくりにデザインされたパロディーTシャツ。何だかツボにはまったシシャチョーは自転車を適当に置いて八百屋さんに駆け込んだ。
そこに居たオーナーらしき人にTシャツを売ってと頼み込んでいる。たじろぐオーナー氏……。
「いやあ気に入りましてん! 売って!」
まったく売り物かどうか分からないのに厚かましい……。また関西人は……とか言われるというのに……。
シシャチョーの勢いに圧倒されながら話を聞いていると、果たしてこのTシャツは販売されているものだった!
「八百万商店」のオーナーいわく、地域で「安中ヘルメットプロジェクト」(公式サイト)というNPO法人を立ち上げ、地域の子供達にヘルメットを届けることで、防災意識を高めていく活動をしている。このTシャツの利益は「防災ヘルメット」となり、安中の子供達に還元されているそうだ。
単なるパロディーTシャツじゃなくて、とても意味深いANNAKA CITYのTシャツだったのだ……。
地元を盛り上げながら地域貢献していく。我々のようなアラフィフ旅ガラスと違って何だか立派な志だ。自身が自転車関係だということを話すとオーナー氏と意気投合。
「これは載せなあきませんな!」とジャーナリスト魂が現れて話し込む。
オーナー氏もシシャチョーの弁舌に乗せられて楽しそうだ。ホント、シシャチョーは人を引き寄せる。面白い御仁だ。
そんな大切な活動に貢献できたことに満足したシシャチョー。地域の人との触れ合いができたことにも満足げだった。
今回の行程:本庄〜(二里)〜新町〜(一里半)〜倉賀野〜(一里十九町)〜高崎〜(一里三十町)〜板鼻〜(三十町)〜安中(約30.0km)
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約1.8m
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社