旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 三日目その壱 軽井沢宿(長野県)〜岩村田宿(長野県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。3日目は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が開けた6月19日。テンチョーとシシャチョーは旧軽井沢宿に向かった。
コロナ自粛明けの旅の再開
新型コロナウイルスの蔓延は依然暗い影を落としている。ちまたのニュースでは、今日の感染者が何人だったとか数字の話ばかりがいや応なしに飛び込んでくる。また芸能人の誰それが自粛せずにいたとか、あいつはマスクしてないぞとか、何だか住民相互に監視をさせていた江戸時代の隣組みたいな話ばかりで、人の心がすさんできているようでずっとモヤモヤした気分でいた。小さいながらも会社を経営しているために、フェイルセーフが必要とのことで、この2か月間在宅業務で過ごしていたためか、何をしても動きが遅い。鈍い。準備に向けてチェックリストを作成するのが常だが、何となくその気が起こらず、準備に1週間も掛けてしまった。そんなことで、今一つ気分が盛り上がらないままに出発を迎えたのだった。それでも輪行袋を抱えて駅のプラットホームに立つと、やはりうれしくなるもので、3か月ぶりの旅の始まりに心がワクワクしてきた。
私は滋賀県在住だが、新幹線を使って移動すれば、最寄駅から軽井沢までは5時間を切る。我々が苦労して走った旧東海道五十三次(京都〜日本橋)と、3月に走った旧中山道の日本橋から軽井沢宿までを合わせた距離をたったの4時間台である……。何とも便利になったものだ、と思う反面、我々のじてんしゃ旅は真逆を行く超スローな旅で考え方によっては贅沢なのだなと改めて思った。
さて今日の宿は軽井沢駅隣のビジネスホテル。前回もここに泊まったが、駅直結な上に閑散期は自転車をそのまま部屋の中まで持ち込ませてくれるのでとても助かる。スタート地点でこのサービスは本当にありがたい。旅の玄関口が良いとその旅自体が良く思えるから不思議なものだ。宿ではシシャチョーが既に入っていて、いそいそと自転車の準備をしていた。
「毎度ですぅ〜!(シシャチョーのいつもの挨拶)井上はん、今日は地メシ行きましょ!!」
「いいですね! 今回もハイボールで燃料補給といきますか!」
「いや、今日はワインですねん……」
「おや、珍しい……」
連れて行かれたのがイタリアンのお店。何でもシシャチョーのかつての職場の先輩が経営されているお店だという。タクシーで到着したのは広大な敷地を贅沢に使った素敵なトラットリアだった。
楽しい夜を過ごした翌朝。いよいよ出発だ。しかし天候は雨。梅雨だから仕方ないが、梅雨の雨というより大雨。しかも標高が高いせいか冷たい雨だ。出発準備をしながらシシャチョーの様子をうかがう。
「大丈夫ですか? この雨? レインウェアありますか?」
ふとシシャチョーを見ると、旧東海道の静岡のコンビニで買ったビニールカッパを着ている。
「何でそれなんですか!?」
「いやいや問題なし! 調子ええんですわ! これ!」
旅のアイテムは使い慣れているのが良いのは常識。しかし昨夜は10万円以上するウィンタージャケットを着ていたのに、今日は500円のビニールカッパ……。問題なしと言い切るシシャチョーの言葉には自信がみなぎっており、旅の達人のそれだった。
スタート地点では、昨夜食事をした「Primo」のオーナー・大雲さんとその奥さんも駆けつけてくれて華やかに出発。まずは旧軽井沢周辺を散策ライド。
「いや、井上さん、実はここですねん」。
「何が?」
「一昨年、ここで大雲さんと飯を食っていて、雰囲気のある道やなと思ってたところに、迫田、ここが旧中山道だよ! の一言でビビッときましてん!」
どうやら本当らしい。前にも聞いたことがある。この道を見て井上が声を掛けていた“旧街道じてんしゃ旅”を実行しようと思い立ったという。
そんな思い出の地をたって、次の宿場である沓掛宿(くつかけしゅく)をめざす。軽井沢周辺は美しい道がたくさんあったが、しばらく行くと旧中山道は幹線道路と重なる。とたんにトラックや自動車にあおられる。雨脚が強い中トラックにあおられながら走るのは辛い。思わず雨宿りを兼ねて軒下に避難する。
実に日本的な道だ。自動車以外は本当に走りづらい。日本では自動車に乗るとどうしても「自動車脳」になってしまう。自転車を邪魔に思ってしまったり、子供が飛び出すと「危ないだろ!」とどなりつける。飛び出しは危ないのだが、徐行をせずやり過ごそうとする気持ちの方が危ない、ということが我々はなかなか認知できない。習慣なのだろう。いや、これを書いている自分たちだって運転中はきっとそうに違いない。幹線道路を走るたびにそう思う今日この頃。
雨脚が弱くなってきたので再出発。とはいえずっと降り続けいるので、取材はなかなか思うように進まない。カメラを包むオルトリーブのバッグやドライバッグは水に浮かべることができるほどの防水機能を持っている。しかしカメラを取り出せば雨にさらされる。
カメラ用の防滴カバーもつけているし、撮影後は拭き上げてから収納するが、何度もやっているとどうしても水没してしまう。晴れた日なら、私が先行してシシャチョーが来るのを待ち、パシャパシャと走行シーンを撮るのだが、さすがに今日は難しい。雨の日は走行より撮影のフラストレーションの方が大きいのだ。
雨の中を無口なままひたすら次の宿場町を目指す。幹線道路が多いのでどうしてもそうなってしまう。商店街と化した岩村田宿も、取材面ではおもしろい場所なので時間を掛けたいが、やっぱりその気が起こらない。コロナ禍でお店が閉まっているところが多かったのも一因かもしれない。
その時だった!
「あ゛―っ!!!!」という叫び声とともに、バリバリっ!!! と何かが割れる音がした。
驚いて後ろを振り返ると、道路脇にうずくまるシシャチョーの姿が……。慌てて駆けつけてみると……
「え゛へへへへへっ、こんなん落ちてましわ! エ○DVDやあ!!!」
私は気づかなかったがどうやらシシャチョーが前輪で踏みつけたらしい。
「いいもん見つけた〜。」
……またですかアンタ……。
せっかくリアリティーのある紀行文を書こうとしているのに……
どうしてこの人にはこうしたことが起こるのか……
ほとほとあきれてしまったが、いや、待てよ。これこそリアリズムなのかも。よくある観光動画やイメージ動画などを見て憧れて、実際に行ってみるとガッカリ観光地だったりすることはよくある。そもそもシシャチョーに、「市井の生活をレポートすることこそが旧街道を伝えることになるのですよ!」と偉そうに言ってたな……。そう思い直し……。
「じゃあ撮りますよ!」と高額な方のカメラを撮り出して撮影した。
「……またつまらぬモノを撮ってしまった……」。
幹線道路での怖さや降り続く雨に、取材箇所が少なくなってしまい思った以上に足が伸びていた。
「シシャチョー大丈夫ですか?」心配そうに聞く私。
「いや全然楽勝っすよ! だって自粛の間ずっとトレーニングしてましたもん。ワシ。単身赴任で自炊も始めたし、健康そのものっすよ!」
見ると確かにスッキリしている。いや昨夜は気づかなかったがかなりのものだ。
それに比べ私は自粛で何と7kgも太ってしまった。会社経営のこともありトレーニングはおろか、自転車に触れることさえできなかったし、何より先行きが不安でその気が起こらなかったのだ。だからかも知れないが自分は朝からずっと身体が重い。何だか楽しそうなシシャチョーを見て、理由のない焦りを感じてしまった。無意識に悟られないように思ったのか、マウントを取るがごとく「じゃあ今日は最大の難所の和田峠を越えられますね! なに楽勝ですよ!」と言ってしまった。このときは気づかなかったが、この事実がこの後、思いもよらぬことを招いてしまう。
それを暗示するかのように雨脚が次第に強くなってきた……。
今回の行程:軽井沢〜(一里五町)〜沓掛〜(一里三町)〜追分〜(一里十町)〜小田井〜(一里七町)〜岩村田 約18.3km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約1.8m
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社