旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 三日目その弐 岩村田宿(長野県)〜下諏訪宿(長野県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。3日目の続き、岩村田宿(いわむらだしゅく)を過ぎると道は直角に西に向かう。何だか急に西に向かう実感がする場所だ。険阻な幹線道路を離れたためか、旧中山道は一気に田園地帯に入っていく。
八ヶ岳連峰のお出迎え
以前にも数度中山道を走っているが、この田園風景に入ったとたんに目に飛び込んでくるのが雄大な八ヶ岳連峰。晴れた日にはそれは美しく感動的に映る。軽井沢から下諏訪までの道は、浅間山やこの八ヶ岳連邦が見えるので、最高の思い出になるはずだ。しかし今日は雨。せっかくの八ヶ岳もまったくその姿を雲の向こうに潜めている。代わりにと言ってはなんだが、水を満々とたたえた一面の田んぼが旧中山道の両脇を埋め尽くしていて、コロナ禍もあってか、いまだに背の短い苗のままでいる。雨に濡れている様子がなんだか「今日は八ヶ岳が見えなくてごめんなさい。代わりに我々がお迎えします!」と言っているようで、けなげな感じがした。
それはシシャチョーも同じだったようで、つい先ほどの猥雑なDVDの件とは真逆の、真面目な姿で景色を見ている。
「ここ、撮っときましょ」。
そういえば道の両脇のあちこちに道祖神や庚申塚(こうしんづか)などの石碑や石仏が鎮座しているのを見るようになってきた。信濃の国に入ったことを実感させてくれる。
アスファルトで舗装された一本道だが、そこには旧中山道であることをうかがわせるものがまだたくさん残っている。あいにくの雨でうまく写真に収めることができなかったが、間違いなく日本の原風景を思わせる場所だった。
塩名田宿へ
そこから少し走ると塩名田宿(しおなだしゅく)に入る。ここには有名な「千曲川(ちくまがわ)」が流れており、今日の見どころの一つだ。
「おーい! こっちこっち! ここに看板がありまっせ!」
例によってレーダー役のシシャチョーが、直進しようとする私の後ろで案内看板を見つける。
「おっと! 危うく間違うところでした」。
「へへへ! よく見えてますやろ??」
得意げなシシャチョー。見事な役割分担だ。千曲川までの下りの道は毎回見逃してしまう場所だ。間違って橋のたもとまで行って気付き、慌てて引き返す。何度もやらかしてきた。
本当にこれが中山道? と思うような道を下ると「塩名田宿(しおなだしゅく)」のモニュメントが待っている。道路の左側にあるので一気に下るとやり過ごしてしまう。シシャチョーもやってしまったようで、照れ笑いしながら折り返してきた。そこで一枚撮影。
塩名田宿はこじんまりとした宿場町だ。それゆえに幹線道路の脇ながら開発されずにおかれたようで、めぼしい昔の建物は残っていないが、集落のたたずまいが目を和ませてくれる。街道旅を続けている人なら容易に昔の姿を想像することができると思う。宿場町を抜けると千曲川の岸に出る。この日は梅雨の大雨でかなり増水していた。水量も多く流れも速い。
ところで「塩名田」という名前だが、個人的な解釈だが名田は「灘(なだ)」つまりは水の難所、水害が多い土地という意味だったのではないか。大阪の「難波(なんば)」や神戸の「灘(なだ)」などもそうだが、水害の多い土地に「ナダ」という呼び名が使われている。江戸幕府の為政だった頃、防衛の観点から諸藩には川に橋を架けることを許さなかった。旅人は雨になると川が増水し、それ以上進むことができなかったのだ。また今と違い河川の氾濫も多かったのだろう。「塩名田」からはそんな背景がうかがえる。素人考えなのでひょっとして違うかもしれないが……。
千曲川にかかる赤い鉄橋を渡り、対岸に出る。
また一つ難所をクリアだ。リアルなすごろくをやっている気分だ。しかしここからは上りが増えてくる。考えていただければ分かるが、水は低い方に集まる。川を直角に横切るわけだから橋が最下点であり、対岸はもちろん上りになっていく。
「腹減りましたなあ? この辺で地メシはありますの?」
「いや、この辺りは何にもありませんよ。まさかの大雨で取材箇所が少なかったせいか、予定よりずいぶん来てしまいました」。
「えええ!!……」
困ったようなシシャチョーの顔を見て、ふと我に帰った。そういえば旧街道旅では補給や食事のできる場所がかなり限られている。補給食を多めに持って走ることは当然だが、今回は取材旅ということで、地元での食事も記事にしていかねばならない。しかし何だかボーッとしてそれを失念していた。しばらく自粛生活が続いたせいか、それとも頭が回っていなかったからか、大切なことを忘れてしまっていた。サイクリングガイドと公言しているも自覚が足りない。しかもシシャチョーも私も大飯食らい。何だか彼の恨めしそうな視線に肩をすくめてしまった。大いに反省しているところにラーメン屋を発見。何とか食事にありついた。
自粛なまりのアラフィフおやじ。梅雨の雨に倒れる
食事を終えて外に出ると雨は本降りになっていた。梅雨の雨だが標高が高いせいで随分と冷たい。シチャチョーも例のコンビニガッパを着込んでいる。幹線道路を外れ、急に山道に入る。望月宿に向かう。金山坂だ。
急に心拍数が上がり、呼吸が荒れ、めまいがしだした。どうも体が重い。メシを食べ過ぎたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。今回は高地の雨を予想してきたので、アウトドアのレインジャケットや機材保護のオルトリーブのドライバッグなど、今までにない装備を追加で持参してきている。さらに雨天での故障を想定して、今回はサブカメラとサブレンズを携行している。サドルバッグとリュックの合計重量は21kgになっていた。そこにコロナ禍で私の体重は7kg増え、実に90kgに達していた。
「ちょっと太り過ぎたんだな。荷物も重くなっているし……。でも晴れたら問題ないだろう!」
そんな風に自分に言い聞かせながら坂を上る。上り切ったところで一里塚。珍しそうに見ているシシャチョーと違い、私はもはやうわのそら。瓜生(うりゅう)坂に着いたときは、本来なら押して下る昔の地道のままの旧中山道を「雨だしぬかるんでるし、個人の畑の横を通るし、舗装路を行きましょう!」などと促してしまう始末。自分の様子が明らかにおかしいと自覚したのはこの頃だった。
雨はさらにひどくなってきている。とたんに不安がよぎりだす。全てが……良くない……。
望月宿から芦田宿、長久保宿の間は、旧中山道らしさが漂うとても良い場所だ。旅の前から「芦田宿にはいまだに営業している本陣があるんですよ! 以前行ったときは望月宿からずっと夕陽で感動的でした!」ずっとそんなことを話していたのだが、今日に至ってはもはやそんな話をする元気がない。重量が増したリュックが背中に食い込んでいる。腰痛も激しく出ている。できたらすぐにでも道端にへたり込みたい……。いざというときのチェストベルトも、実のところ恥ずかしい話だがコロナ太りでベルクロが止まらなくなり、着けてくるのをやめたのだった。後悔先に立たず。昼食後、体調は絶不調になり始めていた。とにかく激しくめまいがする。
楽しいはずの旧街道旅だが、宿にたどり着くことばかり考え始めた……。
まずい……。
シシャチョーに悟られまいとリュックに忍ばせたBluetoothスピーカーで、若かった頃に聴いていた音楽を流し始める。シシャチョーもノリノリなのでこれで気付かないだろう……。
どのくらい走ったのだろうか……。実のところあまり覚えていない。旧中山道の最大の難所「和田峠」が待ち受けているのだが、それすらもあまり意識に上らないまま走行を続けていた。
言い訳だが……。あまりに長い自粛期間、小さいながらも会社経営をしていること、社内でも分散出勤と在宅とを行ったことなど、いろいろな要素が絡み合って、心理的にも身体的にも相当なストレスになってしまっていたようだ。コロナ太りに加え、通常より5kgも重い荷物……。
だからといってそれは世間も同じ。全てコロナのせいにしてしまうのも嫌だし情けない。
とにかく周囲のことは覚えていなくても、そんなことばかり考えていたのは鮮明に覚えている。
いよいよ和田峠に差し掛かる。以前の旅までは、ジープ道は押して、それ以外は担いで10kmの難所を行っていた。今回の旅は読者に追体験していただく意味でも、自動車が入っていないところは基本は避けている。歩いたとしても500mを撮影という形で入るのみだ。
今回は併走する国道を行くことになる。正直この体調だ……。ほっとする。
いよいよ峠の入り口というところで雨は土砂降りになってきた。その横をトラックや自動車は遠慮なくスローダウンすることなくぶっ飛ばしていく。汚れた水しぶきがこちらの顔にかかってもお構いなしだ。でもいつもなら怒気をはらんで表情に出してしまうが、今日はされるがままだった……。
周りにある街道の文物もただの一つも目に入らない。ただ漫然とペダルを踏むだけだ。
途中にある昔のままの一里塚などは、シシャチョーが歩いて見にいく間に道路で待つという体たらくだった(見どころたっぷりの和田峠だけに悔しいので、2014年に行ったときの写真を今回はお見せすることにする)。
そして……。
ペダルを止めた。もはや乗ることができなかった。国道は初めて通ったが、そんなに厳しい斜度ではない。でも体が動かない。視野も何だか奥まった感じになってしまっている。
そこでシシャチョーが声をかけてくれた。
「大丈夫でっか? さっきからフラフラ乗ってたんで心配になってましてん!」
「い、いや大丈夫です。ちょっと体調悪いだけで……」。
「いや、無理したらあかん! ヒッチハイクかなんかで行きましょ!」
とにかく自転車を生業にしているものとして情けない思いが込み上げてきた。ついこの間まで体は動いたのに、五十路に入ってから急激に落ち込んでしまった。こんなに急にくるとは思っていなかった。
「この世はエントロピーの増大則に従っているのさ。だから全ての物は劣化し、壊れ、乱れるようになっているのだよ!」
ふだんはこんな風にうそぶいていたのだが……。現実を突きつけられるとあらがってしまうのが普通だろう。
「いや! 乗ります! 和田峠越えましょ!!」
「あかんて! 井上さん! アンタ言わんかったけど、フラフラやで! ゾンビみたいやで! どんどん車道に向かって歩いとる! あかん!」
シシャチョーにどやされてしまった……。
「でも迫田さん、せっかく楽しみにしてたのに! こんなので台無しにしたら迷惑かけてしまうでしょ!!!」そう叫んでしまった……。
すると……。
「井上さん、アンタはワシの相棒やろ〜。そんなん気にせんでエエ。これも旅のエッセンスですやん。歩いて行きましょうや」
「……」
その言葉に涙が込み上げてきた。本当にいい気になって、俺は一体何をしているんだ……。
雨が降っていたのは幸いだった。
和田峠を超え、雨のダウンヒルをぶっとばす
6kmほど歩いて上り、ようやく和田峠を越えた。
正直あまり記憶に残っていない。下りは下りで大雨の中、トラックがクラクションを鳴らしながら我々を遠慮なくぶち抜いていく。そんな緊張感と真冬のような寒さに、めまいも消え集中力が戻ってきた。そうなると大好きな下りパート。
スイッチが入ってしまった! 増えた体重もこのときばかりは加速に寄与し、出っ張った下腹はバランサーになってスタビリーティーが向上。雨の中にもかかわらず飛ばしてしまった。上りでの恥ずかしさと不満を解消したかったのもあるだろう。
かくしてあれだけ心配してくれたシシャチョーのことを置いてきぼりにして単独で下諏訪まで下った私だった(サイテー!! 薄情者!!!)。
今回の行程:岩村田〜(一里十一町)〜塩名田〜(二十七間)〜八幡〜(三十二町)〜望月〜(一里八町)〜芦田〜(一里十六町)〜長久保〜(二里)〜和田〜(五里十八町) 約48.3km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約1.8m
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社