旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 五日目その壱 奈良井宿(長野県)〜福島宿(長野県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。5日目は旧中山道のハイライトである奈良井宿を出発し、和田峠と並ぶ難所と言われた鳥居峠を行く。
人気の少ない早朝の奈良井宿を堪能
チュチュチュチュチュン!! 甲高く鳴くツバメの声で目が覚めた。薄暗い旅籠の天井には電灯の豆球がぼんやりと灯っている。でも枕から頭を上げて窓を見下ろすと、初夏の強めの朝日が少し差し込んでいた。築200年の古い建築物なので軒先が長く、朝でも部屋の中は薄暗いのだった。
昨日は早めに投宿し、二人でしこたま酒を飲んだ。にもかかわらず気分爽快の目覚め。むっくりと起き上がって虫籠窓(むしこまど)まではっていき網戸を開けると、軒先にたくさんのツバメが巣を作っていた。黒く塗られた重厚な軒先、「伊勢屋」と書かれた看板、細く差し込む眩しい朝日、絵に描いたような宿場風景をしばらく眺めていた。
シシャチョーは朝食の後、部屋に戻らず自転車の準備をしている。
「昨日は着いてすぐ酒屋に寄って飲み始めたんで、宿場町見れてないんですわ。ちょっと見てきます!」
旧中山道のハイライトである奈良井宿だ。さっと通り過ぎるのももったいない。シシャチョーを送り出した後、宿の周りの写真撮影をしてから私も出発の準備にかかった。
旧中山道の宿場町の中でも相当に大きな規模の奈良井宿は、昔は「奈良井千軒」と言われたほどにぎわいを見せたという。町のあちこちに伏流水が湧き出ていて水場がこしらえられている。水は冷たく夏場は全身浴びたくなるほどだ。そして本紀行文の読者ならもう知っていると思うが、宿場の防犯のために道路を曲げて作った「鍵の手(かぎのて)」も残されている。宿場の端には「鎮神社(しずめじんじゃ)」という大木を抱いた神社があり高札場(こうさつば)になっている。そこから眺める宿場町も美しい。
ふだんならインバウンドや国内の観光客でごった返しているため、旅情とは程遠い感じがするが、早朝の宿場町はそんな喧騒を感じることもなく、静かで本来の街並みのたたずまいを見せている。
「ええですなあ! 最高ですな!! これぞ旧街道じてんしゃ旅ですなあ!」一通り宿場を見終えたシシャチョーが何度もつぶやいている。
「僕も何度も中山道を走っていますけど、こんなにきれいな奈良井宿は初めてです! 最高の天気ですよ!!」初夏の空には雲一つない。
「そやから言うてますやん! ワシ究極の晴れ男やて! ワシのおかげでしょ!!」
何の根拠もないが、何だか得意げでマウント気味のシシャチョー。
難所の鳥居峠へ
さて日も高くなり始めてきたので出発。今日は和田峠と並ぶ難所と言われた「鳥居峠」を行く。奈良井宿から藪原宿(やぶはらじゅく)へ行く道は、昔の鳥居峠を行く道、遠く迂回をして行く道、国道の中のトンネルを行く道がある。私はいつもは昔の道を押し担ぎで行くのだが、このじてんしゃ旅は読者に追体験をしてもらうために難所である昔の道を行かず、分かりやすい道を行くことにしている。
まず遠く迂回する道だが、直線でたった2km程度の道を10km以上迂回する。それはあり得ないし、そもそも次の宿場町である藪原宿を通らないので却下。そしてトンネルを行くのはさらにあり得ない。暗くて狭い割にものすごい数のトラックが走る。この鳥居トンネルを走るのはまったくもって自殺行為に近い。そしてこのトンネルは歩道も狭く、2kmほどの暗くて狭く足元の濡れた歩道を、トラックの爆音におびえながら歩くのは悪い思い出にしかならないだろう。
昔の道の方が難所だと言うが、この鳥居トンネルの方こそ難所だ。トンネルを掘った頃はサイクリングという楽しみは存在せず、トラックや自動車のことしか考えられなかったのだろう。ここも日本の自動車優先主義が作ったトンネルだった。残りはJR奈良井駅からJR藪原駅まで鉄道で輪行する方法があるが、それをするのも何だか情けない。トラックや自動車に負けた気がする。そこで出発前に宿泊した伊勢屋の主人に良い方法がないかと尋ねたところ、鳥居峠まで林業の人たちが使うジープ道がつながっているという。
それならば自転車で行けるということで今回はその道を行くことにした。シシャチョーには申し訳ないが、私の愛車であるキャノンデール・トップストーンカーボンにとっては得意中の得意の路面である。和田峠の体たらくもあったので、ここは良いところを見せようと頑張り気味に走る。
今回通ったジープ道は比較的固く締まった路面で、いかにも日常的に使われているようで、とても安心感がある。距離は昔の中山道を行くより長くなるが、その分サイクリングとしては走りがいがある。流行のグラベルロードなら、難なく走れ、しかも十分楽しめるだろう。昔の道も整備はされていてさほど厳しい道ではないが、完全に担ぎと押しなのでサイクリングとは言えないだろうし。
ところで、以前昔の道を行ったときは、突然地元の林業のおじさんが細い山道をバイクのカブでノーヘルで下ってきて驚いたことがあった。こんな山道のどこから入ったのだろうか? と思っていたのだが、今回ジープ道を行ったことで疑問が解けた。旧和田峠と並び称される難所だが、実際は和田峠より遥かに越えやすい峠だ。十分に取材ができたうえに、気力、体力、十分なまま越えることができた。
程なくして次の藪原宿に入った。
藪原宿は木曽の伝統工芸品「お六櫛(おろくぐし)」で有名だ。宿場そのものは鳥居トンネルの開通に伴い、幹線道路から切り離されているのでひなびた感じだ。人通りもほとんどなく旧街道好きでなければ通り過ぎてしまうだろう。しかし旧街道好きにとっては宿場入り口の飛騨街道の追分や、鉄道により分断されている道のカタチや両脇にびっしりと家が建つ様子などで宿場町の雰囲気を見出すことができる。
平家物語で名高い「木曾義仲(きそよしなか)」の里へ
あっという間に宮ノ越宿(みやのこしじゅく)へ到着。今日はリズム良く走れている。宮ノ越宿は旧中山道の中間地点に程近い。我々の旅ももはや中間地点かと思うと感無量である。二人して中間地点の看板で写真を撮った。この宮ノ越宿は、平家物語で名高い「木曾義仲」の里でもある。奈良井宿からこの辺りまで、義仲やその周辺人物にちなんだ場所があちこちに見られる。木曾義仲の愛妾(あいしょう)であり、女武者であったと伝えられている「巴御前(ともえごぜん)」が水浴びをしていた「巴淵」や、義仲の乳母子(めのとご)だった「今井四郎兼平(いまいしろうかねひら)」の屋敷跡など歴史好きの人には訪れがいのある宿場町だ。
私はさして歴史好きというわけでもないが、生まれ故郷が滋賀県であり、平家物語に出てくる木曾義仲が最後を迎える場面が、琵琶湖のほとりの粟津(あわづ)という有名な場所なので、以前からずっと気になる場所だった。木曾義仲の墓はその粟津に近い膳所(ぜぜ)というところにある「義仲寺」にある。
三つの「不」を享受した福島宿
宮ノ越宿から福島宿へ抜ける道は少々趣がある。ややもすると道を見失いそうになる。何度も合っているか確認しながら進んでいく。昨今はウォーキングする人も増えているからか、以前より数多くの看板が建てられているようだ。それでも道を見失うことが多い。でもそれがルートハンティング的でとても楽しい。
ところで私はサイクリングの楽しみは3つの「不」が備わっているからだと思っている。
一つ目は「不便」。他の交通のように優先されていないし、迂回させられることもあるし、上りがきついと押さねばならない。二つ目は「不安」。この道で本当に合っているのか、間違っていないか。日暮れまでにたどり着けるか。雨が降ってきたが走れるのか、などなど。三つ目は「不快」。汗やほこりにまみれるし、雨が降ったら濡れるし、山道で虫に追われる、などなど。つまり若干の「不便」「不安」「不快」なことがあるからこそ旅が、サイクリングが楽しいのである。
日本人はとかく分かりやすい観光しかしないと言われている。その代表が「テーマパーク」だ。投下する費用に対しどんな楽しみがあって、どんなリターンがあるか最初から分かっている。休みも短く、所得も多くない現代人にとっては、分かりやすい観光をしてしまうのはしかたのないことかもしれない。そう思うとサイクリングで、しかも旧街道を行く旅はとてもぜいたくなことなのかもしれない。
閑話休題……。とにかくその三つの「不」がそろった場所が福島宿までにあった。
旧中山道は突然舗装路の脇の草むらを下りて行く。人が一人やっと通れるぐらいの草むらで、歩いているだけでくもの巣だらけになり、蚊に耳元を刺されながら行くことになった。道は次第に熊ざさだらけになり、突然に林の中を抜ける。林にはきれいな小川が流れていて、ここが旧中山道だとはにわかに信じがたいようなところだ。そのまま行くと今度は激しく流れる川の上を行く。鉄製の古びた橋には「中山道」の文字。渡るだけでニヤけてくる。この道はGoogleマップなどには出てこない。便利なツールには載っていない場所だ。それらに頼っていたのでは見失ってしまう道。三つの「不」を享受したシシャチョーは最高に楽しそうだった。
今回の行程:奈良井〜(一里十三町)〜藪原〜(一里三十三町)〜宮ノ越〜(一里二十八町三十間)〜福島 約11.8km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約180cm
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社