旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 五日目その弐 福島宿(長野県)〜妻籠宿(長野県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。五日目の後半は、福島宿から、全国に先駆けて地域の景観と伝統を保全している妻籠宿(つまごじゅく)へと向かう。
We Love 地元メシ
福島宿へは昼前に到着した。関所のあった宿場町だからか街道の入り口には大げさなぐらい大きな門がある。この宿場は飛騨往還高山道との追分(おいわけ)でもあり、山が迫り平地が少ない木曽路においては、軍事上、大変重要な拠点であったに違いない。関所も河岸からかなり高い山肌にへばり付くように設置されており、関門を狭くして通行往来を厳しく取り締まったのだろう。そのために関所を見た後、自転車を担ぐようにして下の往来まで降りた。
ここは今も昔も大きな町だ。江戸時代も木曽路では最もにぎわいのある宿場だったらしい。現在も大きな旅館や飲食店、商店街などがあり往時のにぎわいを思わせるたたずまいがある。
「ちょっと早いけど昼めしにしましょう。この先は妻籠までほとんど食事できるところがありませんから」。
「そんなに食うところないんですか??」
「以前はコンビニやドライブインとかがあったんですけどね……。次第になくなってしまって」。
そこへ来てこのコロナ禍だ。この旧中山道編の取材をしていて、食事処の休業が増えている気がしていた。旧街道はただ単に走るだけではまるで面白味がない。食事処や宿などでの地元の人との会話や触れ合いこそが旅の醍醐味なのだ。それが軒並み休業している様子を見ると本当に心配になってくる。
街中をウロウロとしたのだが、なかなかお店が見つからない。こんなときは「地メシハンター」のシシャチョーの出番だ。彼が見つけ出すお店は、自称「地メシハンター」というだけあって、かなりの高打率を誇る。そのシシャチョーが、木曽の名物「山賊焼き」の看板を発見。なかなか雰囲気のあるお店だ。意気揚々と入るも、「こんにちは!」「いらっしゃいませ」も一言もない……。
お店が休みなのかと思ったのだが、奥からご主人が登場。「あ、そこ、そこの座敷……」。何とも無愛想な感じ……。「大将、この辺の名物はなんですか?」とシシャチョーが尋ねるも「……」。無言のご主人。どうやらメニューを見ろとの視線……。「あ、す、すみません。ほな、山賊焼定食ください。」「……。ん、山賊焼……」。何とも仏頂面の大将だ。「迫田さん、なんか失礼なこと喋ったんじゃないですか!?」私がニヤけて聞くも、ムッとしたままのシシャチョー。二人とも関西人なので、愛想の大切さを重視してしまうのだ。「なんや、普通あいさつぐらいするやろ! 何にも言わんのはアカンやろっ!!」
確かにほとんど何も反応がないのはどうかと思うが、冗談めかしつつも真剣に怒っているシシャチョーを見て思わず笑ってしまった。「またガラの悪いことを……(笑)」。ゲラゲラ笑っているところに、大将が食事を運んできた。相変わらずの仏頂面だが、お盆の上にサービス品の一品が載せてあった。まま、許したろか……。
コロナ禍はここにも及んでいるはずだ。愛想良くなんてできないのかもしれない。私も会社経営をしているので、コロナの影響は残念ながらしっかりと受けている。まったく人ごとではない。旅の間は忘れようと思って家を出てきたが、食事を通じて現実を突きつけられるとは……。皮肉なものだ。大将の仏頂面とは裏腹の、気持ちのこもった心尽くしの一品を二人して神妙な顔でいただいた。
恐怖の国道19号
さて、福島宿を出ると、しばらく旧中山道は国道19号と重なる。とたんに往来が増え、景色どころではなくなった。とにかくトラックにあおられる。コロナの影響で通行量が減っているからか、妙にスピードが出ている気がする。自転車で走っている我々とはあまりの速度差のために、トラックが走り過ぎるたびに体の右側にモロに風圧を浴びることとなった。たまらず歩道に避難して走る。しかし上り坂の頂上で歩道がなくなる……。よく見ると歩道は逆側に移動している。そこには横断歩道もなければガードレールの切れ目もない。仕方ないので少し逆戻りしてガードレールの切れ目を探し、決死の覚悟で国道を横断。何とか歩道を逆走する形で再出発できた。しかしその歩道も手入れが行き届いていないせいか、草が生え放題で走りづらい。何とも風情のない旧中山道だ。そしてやがて歩道は消えた。場所によっては路側帯がほぼないようなところもある。
そして、ペットボトルに入った黄金水が行く手を阻む……。トイレに行けない運送業者の話をテレビで見たことがあるが、だからと言ってボトルに用を足した後に道に向けて投げ捨てて良いものではないだろう……。個人のマナーの問題かと思うが、いずれにしても旅気分で走っている時に目に飛び込んでくると嫌な気持ちになる。中には誰かに踏まれて中身が流れ出ているものもありぞっとした。無意識にいくつ捨ててあるか数えてしまっていたが、妻籠宿に着くまで優に50本以上はあった。
サイクリストも交通マナーの問題や、コンビニや観光地で、その立ち振る舞いがネットをにぎわすことがよくある。ロードバイクブームは我々業界人にとっては大変ありがたいことだが、そのうち「輪害」なんて言われないようにしないと。人のふり見て我がふり直せ。黄金水入りペットボトルを見てそう思った。
弥次喜多を地でいくシシャチョー
トラックにおびえながら道路をにらみ付けて走っているうちに上松宿(あげまつじゅく)に到着。ここはひなびた集落だが、それなりに旧街道の風情が残っている。
旧街道ハンターになったシシャチョーは早速、風情を見つけにかかっている。「ここに懐かしのホーロー看板がありまっせ!」とシシャチョー。「お!強力わかもと!映画ブレードランナーを思い出しますな!」今や昭和時代も立派な原風景だ。変わっていく街並みの中に昭和の風景を探し出すサイクリング、そんなのも近々やってみたい。
しばらく行くと土蔵を改造した和風カフェがある。2年前ぐらいから和菓子屋を改造してカフェとして開業したそうだ。旧中山道のツアーをやるときはいつもここを訪れるようにしている。国道の喧騒を離れてほっと一息つける貴重な存在だ。カフェに入ってすぐに「あ、井上さん店内撮影しといて。許可もろたし」とシシャチョー。それに従って写真撮影を進めていると……。気がつけばシシャチョーはコーヒーをすすりながら女性スタッフと話し込んでいた。「ここはええとこやね!」とか「毎日働いてんの?」とかいろいろ聞き出している。そういえば旧東海道の水口宿(みなくちしゅく)でもナンパしてたな!! まったく……。
「妻籠宿まではまだまだ距離ありますよ! はよ行きましょ!!」女性スタッフとの会話を名残惜しそうにしているシシャチョーを引っ張り出しながら再出発。
名跡「寝覚の床(ねざめのとこ)」を通る。ここは火成岩でできた奇岩が連なる景勝地だ。浦島太郎が竜宮城から帰ってきて、ここで暮らしたという伝説がある。江戸時代の旅人はこぞって見に行ったのだろう。時間がない我々は江戸時代からこの辺りの名物だったそばのお店を撮って通り過ぎることにした。
上松宿から妻籠宿のある南木曽までは、再び国道と旧街道は重なっている。とはいえ先ほどとは違い、時折山中に折れて入ったり、線路を潜って集落の中を通ったりと、なかなかに楽しい。中でも面白いのが、集落の住民がつけている中山道の手作り看板に沿っていくと、何と民家の中を突っ切るという場所があることだ。以前、この民家の庭を歩いていたときに住民がいたので恐る恐る聞いたのだが「いつもたくさんの旅人さんが通られますよ」と言っていたので、本当にここを通っているようだ。何とも奥深い旧中山道。今回のルートでは国道を行くようにコースを引いてあるが、ウォーキングなどではそれに従ってみるのもいいかもしれない。
たそがれどきの妻籠宿
須原宿を過ぎたあたりで時刻は15時。夏の昼下がりは汗が噴き出るぐらい暑い。須原宿では流水を頭から浴びた。木曽路は宿場に伏流水(ふくりゅうすい)があちこち湧き出ている。これらを使わせてもらえるのでありがたい。江戸時代は人も馬も、この水で喉を潤したのに違いない。
夕刻、野尻宿(のじりじゅく)、三留野宿(みどのじゅく)を過ぎ、ようやく今日の目的地で旧中山道のハイライトでもある妻籠宿に到着した。
妻籠宿。ここは全国に先駆けて地域の景観と伝統を保全すべく立ち上がった貴重な集落だ。各所に風情を感じさせる文物や建物が散りばめられている。江戸口を過ぎて古民家が目立つようになってきた。往時のままの細い街道をひた走る。「いよいよでんな〜!!!」期待を胸に走るシシャチョー。せっかくなので先行してもらう。ここに旅行で来た人は多いと思うが、バスやタクシーで来たのなら、それは何だかテーマパーク的な印象に映るに違いない。しかし現代の駿馬“ロードバイク”に乗り、自分の足で苦労してきて“たどり着いた”宿場町は、まさに旅の到着地という印象だ。その達成感は旧街道を自転車で行かない限り分からないはずだ。
いよいよ高札場を過ぎると、古民家の街並みが目に飛び込んできた。すばらしい情景。二人して何枚も写真を撮る。昨日の奈良井宿もとても雰囲気があるが、妻籠宿は別格。景観規制をしながら商業主義に走りすぎないようにし、保全をしつつ観光誘客をしている。とても優れた町だ。
しばらくすると街灯に火が入った。暮れなずんでいく妻籠宿。先ほどまでいた数人のわずかな日本人観光客もいつの間にか消えている。この妻籠宿の情景を独り占めした気分だ。軒並み早じまいした商店を眺めながら、宿場町の中を押し歩いて行った。「あああ、井上さん、最高ですわ〜。こんなに妻御宿が美しいとは……」。「単なる観光地じゃないでしょ。自分の足でたどり着くとまた格別で……」。日が落ち暗くなるまで、しばし二人で感動していたのだが、「ところで今日の宿はどこでしたかな??」というシシャチョーの問いに慌てる私。「今日の宿はまだ先なんですよ! 大妻籠(おおつまご)という場所で……」。「ええっ! まだ走らなあきまへんの!!!!??」シシャチョーの不満そうな顔。そうなのだ。今日はいつも私が定宿にしている旅籠を予約していた。そこは妻籠宿の加宿「大妻籠」にある。
ヘッドライトをつけながら疲れた体を引きずるようにして宿に向かった。
旅籠での旅の触れ合い
せっかく妻籠宿に来たのなら旅籠に泊まらねば片手落ちだ。そう思って私はいつもこの宿に泊まっている。「諸人御宿 まるや」だ。現代のきれいで便利なホテルとはまったく違うが、往時の雰囲気をたっぷり味わえる宿だと思っている。寛政元年(1789年)創業の宿は、小木戸のような入り口、囲炉裏(いろり)があり、個室には障子と木の雨戸、そして家族の皆さんの温かい出迎えがある。
「ええわ〜! 最高やわ!!」連呼するシシャチョー。「ちょっと足を伸ばして良かったでしょ!」と言い訳する私。「いや! 正解やわ! さすが旧街道の師匠や!!」と褒め言葉をいただく。
昔の旅人よろしく、風呂で旅塵(りょじん)を落とした後は、お待ちかねの夕食。美人のおかみさんに晩酌をいただき、地のものをあしらったおいしい料理をいただく至福の時だ。やはり旧街道じてんしゃ旅はこれがないと!! 二人とも上機嫌で旅話を始める。女将さんも横で聞いてくれているためか、二人とも饒舌になってきた。
「じゃあ場所を移して囲炉裏でお飲みになりますか?」女将さんが囲炉裏に案内してくれた。二人でチビチビと囲炉裏を囲んで雰囲気を味わっていると、奥の方から宿のご主人が炭袋を持って現れた。「今晩はようこそ来てくださいました。もし良かったら囲炉裏に火を入れますけども……」。何と今回特別に囲炉裏に火を入れてくれるという。感動するシシャチョー。チロチロと音を立てて囲炉裏に火が入った。夏なのになぜか手を当ててしまう。炭火のほてりがうれしい。
自分も囲炉裏を楽しみつつ撮影していると、気がつけばいつの間にかシシャチョーの傍らに焼酎のパックが置かれている。どうやらご主人と本格的に飲むようだ。妻籠宿の成り立ち、宿場保全の話、林業や熊に出くわした話、蛇抜(じゃぬき)と呼ばれる水害の話……。ご主人のこの辺りの昔話を聞きながら飲む酒。これぞ旧街道旅、これぞ自転車旅の真骨頂。最高の体験をしながら夜が更けていく。
ご主人と話し込むシシャチョーを見ていたら、疲れのためかまぶたが下がってきた。少し囲炉裏の側で横にならせてもらった。
今回の行程:福島〜(二里十四町四十間)〜上松(三里九町)〜須原(一里三十町二十三間)〜野尻(二里半)〜三留野(一里半)〜妻籠 約44.8km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約180cm
次回へ続く
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社