旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 八日目 伏見宿(岐阜県)〜赤坂宿(岐阜県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。八日目は伏見宿から赤坂宿まで。オヤジ2人が童心に帰る。
大人の夏休み
旅の続きは晩夏となった8月の終わり。伏見宿からの旅の再開だ。世間は新型コロナウイルスの蔓延の最中にあって、少しずつその状況を日常として捉え始めていた。そんな中、旅支度をして電車に乗るのはためらいを感じたが、最寄り駅のJR可児駅まで輪行でやってきて駅を降りたときに、私以外にも小径車を抱えたサイクリストを見つけた。その姿に少し安堵しつつシシャチョーの到着を待った。
「まいど〜!!!」程なく例のダミ声と共にシシャチョーは現れた。「……何だか黒いですね!」「そうでしょ! 次の旅に備えて近くの街道を走りまくってたんですわ!」
何とも旧街道にハマってしまっているシシャチョー。1人であちこちの街道を走っているという。何だか先日より痩せて見える。東京で単身赴任になって自分の時間ができたのでひとり暮らしを謳歌(おうか)しているようだ。ついでに自分だけ真っ白な新しいウェアを着ている。そのせいか余計に顔が黒く見えるのだった。
さて今回は2人とも新しいタイヤを装着して旅に挑んだ。前回までのストックのタイヤでは、旧東海道で2回、旧中山道で4回のパンクをしている。グラベル用タイヤとはいえ、トレッドの薄いレース向けのもので、どうしても突き刺しパンクには弱いのだった。今回新しく装着したタイヤ(パナレーサー・グラベルキングSS)を早速試す。
「うーん! よく転がりますな! 安心感も抜群!」オフロードにも元気よく突入していくシシャチョーは終始笑顔だった。さあ、いよいよ出発だ!
伏見宿を抜け、木曽川を渡る。対岸の橋のたもとには昔の渡し舟の遺跡があった。そのまま川沿いを走って「太田宿」に到着。ここは飛騨街道との追分(おいわけ)があった宿場で、川のそばということもあって大いににぎわったらしい。現在も重要文化財に指定されている脇本陣が残されており宿場風情を醸成している。
町並みも生活感がにじみ出ているが、それがかえって好ましい。あまりにテーマパークのように整然とされていると、かえって雰囲気を感じづらいものだ。
さて残暑厳しい最中、気温は36度を指している。暑い……。川沿いだというのに空気がよどんでいて、じっとしていても汗が滴り落ちる。たまらず古民家の軒先の縁側を借り座り込む。
「洒落にならんぐらい暑いですな……」「去年の旧東海道の初日を思い出しますね」あのときは意識が遠のくぐらい暑い日で、シシャチョーは熱中症寸前になっていた。2人ともあの苦い記憶が蘇った。
「今日は早めに宿に入りましょうや!!」どちらからともなく同じ話が出た。「まあ大人の旅やしね! ゆるりと行きましょうや。速度とか距離とか、獲得標高とかを競う走りじゃないし!」「そうそう! 自転車はレースやらトレーニングやら距離自慢だけじゃないんですからね〜」「だいたい日本人は数字にこだわり過ぎなんじゃ!」などと早めに投宿する言い訳を話し始めた見苦しいおっさん2人。こうなるともう頭の中は冷たいビールかハイボールがよぎるのだった。
小学生に戻ったオヤジたち
太田宿から木曽川沿いにヨタヨタと遡っていると、航空自衛隊の基地から飛び立つ戦闘機の轟音があたりに響き始めた。各務原市(かかみがはらし)には航空自衛隊の岐阜基地があるのだ。そこからひっきりなしに戦闘機が離陸している。
気がつくと後ろのシシャチョーの姿がない。パンク? 心配になって戻って見てみると、どうもそんな様子ではない。暑い最中、川の堤防でポツンと突っ立って、皿のような眼で空を見上げている。「ワシ、戦闘機大好きですねん! おおお! あれはF4ファントム!あれは……」1機飛び立つたびに空を指差し歓声を上げている。白いシャツに半ズボンと真っ黒の顔と手足で、自転車の傍に突っ立っている。その姿が思わず夏休みの小学生のように思えてきて笑いがこみ上げてきた。アラフィフオヤジが子供に帰った瞬間だった。まあ、そういう私自身もスーパーマリオみたいな赤いシャツを着て、自転車を押しているのだけれども……。
「さて動きますか! 次はうとう峠です」
これは映画「スタンドバイミー」ですな
うとう峠は切り立った崖の川沿いから、鵜沼宿(うぬま)まで続く、未舗装の山道である。今も当時の姿を残しており、自転車はここを押していくことになる。もしくは県道を迂回して鵜沼宿に行く。岩山を行くだけあって昔はかなりけわしい峠だったようだ。有名な岐阜城のある金華山をはじめ、この辺りの川沿いは、太古の火山性の岩石が削られてできた地形だ。中山道も崖沿いの県道と一緒になって川を下っていく。
「さて、ここで中山道は県道から離れます。」川沿いには数軒の廃墟になったドライブインが立ち並ぶ。落書きだらけの建物と草が生え放題の駐車場、その中に旧中山道へ降りる道があるのだ。「ええっ? こんなところが中山道なんですか? ヒェ〜!」シシャチョーが驚く。ちょっと速く走っていたら見落としてしまうような看板、そして廃墟となったドライブインの駐車場の、そのまた奥に旧中山道と書いた小さな看板が立っていた。「こりゃまた、えらい所を下りるんですな〜! これは面白いわ!!」
草だらけの階段を降りると県道の下のコンクリート造りの水路に出る。ここを進んでいくのだ。「まるでロールプレイングゲームですな。ここは!」
しばらく進むと「うとう峠」という看板が現れた。その先は藪になっており、一見すると道があるように見えない。2人して藪の中をかき分けて進んで行く。やがて小さな橋を渡る。カラダのあちこちにブンブンと蚊がまとわりつく。ワイワイ言いながらそれを払い除け、クモの巣を突っ切って広いジープ道に出た。自然と笑いがこみ上げてくる。まるで映画「スタンドバイミー」みたいだ。
童心に帰ったオヤジ2人、周りから見たらどんな風に見えるのだろうか……。
うとう峠を過ぎると旧中山道はもうおとなしくなる。あとはゆったりとした平野部を進むのみだ。
鵜沼宿で食事を取ったあとは都市化されている宿場町を迷路のように走り抜けた。赤坂宿に着いたときはすっかり夕方だった。早く投宿しようと言っていたが、うとう峠が面白すぎて長居してしまっていた。結局暑さも喉の乾きも忘れてしまっていたのだった。
今回の行程:伏見〜(二里)〜太田〜(二里)〜鵜沼〜(四里十町)〜加納〜(一里半)〜河渡〜(一里七町)〜美江寺〜(二里八町)〜赤坂 約47.7km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約180cm
次回へ続く
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社