旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 九日目 赤坂宿(岐阜県)〜彦根宿(滋賀県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。最終回の1つ前の九日目は、美濃国(岐阜県)から近江国(滋賀県)へ。
見どころたっぷりの美濃路〜近江路
例によって二日酔い気味の朝を迎えた。今日も良い天気だ。暑くなるに違いない。そそくさと準備をして大垣にあるビジネスホテルを出発。この調子で行くと今日はいよいよ近江路に入る。できたら宿の多い鳥居本宿(彦根市)にはたどり着いておきたい。
ここからは見どころも多いのでテンポ良く進んで行くことにした。ほどなく旧中山道に戻る。一つ目の宿場町は赤坂宿だ。そばを流れる杭瀬川(くいせがわ)に「赤坂港跡」の石碑が建っている。昔はこの杭瀬川はより西にあり、揖斐川(いびがわ)経由で諸藩の物資や米などを運ぶ水運の川だったようだ。今ではひっそりとした公園になっているが、当時は内陸まで荷物を運ぶにぎわった宿場町だったのだろう。
しばらく走ると大垣道との追分(おいわけ)に出くわす。ここから先が垂井宿(たるいじゅく)だ。「うん、ここも雰囲気ありますなあ!」「おっ! さすが。分かりますか?」シシャチョーがつぶやく。
「この道の曲がり方、建物の並び方、紛れもなく宿場町ですな、おっと、井上さんこっちに良い建物がありまっせ!」おそらく街道好きの人でなければ、一見しただけではここが宿場町だとは分からない。地方の古い寂れた小さな町にしか見えないだろう。しかし今や「旧街道じてんしゃ旅」のベテランとなったシシャチョーには、一瞥(いちべつ)してそれが宿場町だと分かるようになっていた。宿場町だと分かると急に魅力的に見えてくるのだ!
「いや、井上さんのおかげやで!こんな風に楽しめるのは……」。そうやって褒めそやしてくれる。うれしいがちょっとおもはゆい気もする。でも確かにシシャチョーの言うとおり、ガイド的な人がいないと、なかなか旧街道は楽しめないのかもしれない。速度や距離に捉われているとまったく楽しめないし、観光的に寺社仏閣や本陣などを訪れて楽しむ旅が好きな人だと、サイクリングとしては楽しめない。このルポが読者にとってガイド的なものになれば幸いである。
いよいよ天下分け目の戦いの地へ
そんなことを考えているうちに関ヶ原宿に近づいてきた。そう、ここはあの天下分け目の戦いで有名な「関ヶ原の古戦場」があるのだ。歴史の話をしながら進んでいく。
「……つまりはですね、ここを家康の軍勢をはじめ、西軍が進んだのですよ」。「そうですなあ。そう考えると道に歴史の重みを感じますな……。死屍累々(ししるいるい)の先人の頑張りの上に、現代の我々がいるわけですよ。それには感謝せねばならん!」そんなことを口走りながら神妙な面持ちで走っているシシャチョー。「ところで歴史好きなんですか?」「いや、全然! まったく!」ずっこける私。
関ヶ原宿を入ったところにJR関ヶ原駅があり、「関ヶ原観光交流館」があったので立ち寄ることにする。エアコンの効いた館内にいると表に出たくなくなってきた。しばらく涼んでいるとレジにて何やら買い物をしているシシャチョー。何やらニヤニヤしている。よくみるとオモチャの弓矢を買っていた。「何するんですか? そんなもん?」「いや、関ヶ原で合戦ときたら弓矢でしょう。これを古戦場でぶっ放すんです!」「……」。子供か……アンタ……。ネタにしては金かけ過ぎ。やはりシシャチョーは小学生に返っていたのだった。
関ヶ原から先は国道から切り離されたように静かな旧街道と宿場町が続いていく。関ヶ原の合戦で武将たちが陣を張った遺跡や武将の墓、戦死者を弔った塚、歴史に名高い「不破の関(ふわのせき)」など歴史好きにはたまらない場所だろう。なかには「黒血川(くろちがわ)」などというおどろおどろしい名前の川もあったりする。
驚愕(きょうがく)の国境をまたぎ、いよいよ近江路に入る
今須宿を越えるといよいよ近江路(滋賀県)に入った。この国境には面白い物語が残されている。「寝物語里(ねものがたりのさと)」という。ここでかつて源義経の妾「静御前(しずかごぜん)」が義経を追ってこの国境の旅籠に投宿していたところ、小溝を挟んだ隣の美濃側の家から、義経の家来の声がしたので、障子を開けて小溝越しに尋ねると、まさに家来本人で再会を喜んだという話だ。関ヶ原の合戦のように大きな出来事もあれば、このような小さな物語も残されている。それが旧街道なのだろう。ふたりでおどけて小溝で写真を撮り、飛び越えるようにして近江路に入った。ここから柏原宿(かしわばらしゅく)だ。
この宿場町も雰囲気を残している。ここは名峰「伊吹山(いぶきやま)」の麓で、織田信長が造営させた薬草畑があったとう。その名残で、お灸に使われる艾(もぐさ)が名産だ。この宿場にある艾の名店「亀屋左京商店」。ここの当主が日本で初めてコマーシャルソングを作ったという逸話が残っている。何でも江戸の芸妓に艾の歌を歌わせ、それを聞いた顧客がこぞって旅の途中に買い求めたという。
またここには、等身大の巨大な福助人形が据えられていることで有名だ。あまりに巨大なので驚くぐらいの人形なのだ。かの広重の浮世絵にも出てくる有名なもので、福助人形の原型と言われている。普通はこの福助人形は見ることはできないが、艾を買うとチラッと見ることができるのだ。私はいつもツアーでここに立ち寄り艾を買っている。今回も是非シシャチョーにも土産に買ってもらいたかったのだが、この日は何でも出荷が忙しいということで艾を販売してもらえなかった。少し残念だ……。
醒井宿(さめがいしゅく)は美しい清流が宿場内を流れている、他ではあまり見ない宿場町だ。十王水(じゅうおうすい)という美しい湧水が、宿場の端からコンコンと湧き出ていて、それがみるみるうちに川となり流れているのだ。あまりの水量に驚くぐらいだ。川面には真っ白な梅花藻(ばいかも)が自生しており、ハリヨと呼ばれる清流にしか住めない魚が泳いでいる。いかにこの水がきれいかということを表しているそうだ。
一服の涼を味わった後、時計を見ると15時を過ぎていた。そろそろ今日の宿を決めねば。
摺針峠、有川薬局など一通りの見どころを見たうえで予定通り鳥居本宿に到着することができた。それでもなお太陽がのぞいているので、国宝の彦根城を一回りして宿に入った。今日の宿は、城下町の中にある古民家宿だ。否が応でも酒宴が盛り上がるのは間違いなしだろう。
今回の行程:赤坂〜(一里十二町)〜垂井〜(一里十四町)〜関ヶ原〜(一里)〜今須〜(一里)〜柏原〜(一里半)〜醒井〜(一里)〜番場〜(一里一町)〜鳥居本 約28.3km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約180cm
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社