旧街道じてんしゃ旅 旧中山道編 最終日 鳥居本宿(滋賀県)〜京都三条(京都府)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第二弾「旧中山道編」。最終日の十日目は鳥居本宿から。第一弾と合わせれば、旧東海道を江戸まで行き、旧中山道を走って一周してきたことになる。
最終日の朝
いよいよ最終日の朝を迎えた。長かった旧中山道の旅も今日までである。しかしながらいつもの夜と変わらなく、例によってすっかり痛飲してしまい。起きたのは7時を過ぎ……。
雰囲気のある古民家宿の、寝床を抜けて階下に降りるとシシャチョーはすでに起きていた。ボサボサの頭で朝飯を食べている。宿の若いスタッフさんの炊いてくれた土鍋ご飯をかき込みながら、ちょっとナンパ気味に話している姿を見ると、今日が最終日とは何だか思えない、不思議な感覚に捉われた。そのぐらい旧街道の旅が日常のようになってしまっているのかもしれない。女性スタッフと名残惜しそうに話しているシシャチョーを促して宿を出た。
さあ最終日の出発だ!
「究極の晴れ男」シシャチョーがいるのにもかかわらず、空は少し泣き出しそうで、旧中山道に入ったときはパラパラと雨が降ってきた。
旧街道じてんしゃ旅をするならお勧めの近江路
近江は旧街道が集まる交通の要衝(ようしょう)だ。古くは2つの都が置かれていたし、五街道の中では最も重要な旧東海道、旧中山道が走っている。他にも北国街道や若狭街道など脇街道としても主要な街道が集まっているのだ。だから旧街道じてんしゃ旅をするなら近江路がお勧めだ。旧街道を使って琵琶湖一周をすることだってできるのだ。今後も旧街道を走る中で、この近江という土地は重要な場所になってくるはずだ。
さて旧中山道は、高宮宿(たかみやしゅく)、愛知川宿(えちがわしゅく)、武佐宿(むさしゅく)と続く。各宿場町は相変わらず生活感の漂う商店街になっていたりする。晴れがましいものは何も存在しないが、住民が手作りで「中山道」の看板を掲げていたりして、とても暖かい気持ちになる。
鳥居本宿を出たときは本降りになりそうな予感だった雨も、次第に小雨になってきた。道路も乾きかけている。「ね! 言うたでしょ。ワシは最強の晴れ男ですねん!」旧東海道、旧中山道の17日間のうち、雨が降ったのはたったの2日。今日を入れても3日だ。さすがは自分で言うだけあって本当に晴れ男のようだ。
昼過ぎになり、守山宿に入ったときには、もうすっかり青空になっていた。残暑厳しいのだが、空は少し高くなっていて、秋の予感を感じさせる空にも思える。
守山宿で食事をして一息ついて最後の道を確認。
「守山宿を出ると最後の草津宿です。そこで旧中山道は旧東海道と合流して終わります。」「あぁ……そうでしたな……。ああ終わってしまうのかぁ!!」シシャチョーが叫ぶ。「実際には京まで行きますから、その後、大津宿を通って三条大橋です。草津宿からは旧東海道編で通ったところを追体験ですね!」「ワシ、草津宿で泣いてまうかも(笑)」「んなわけないでしょ(笑)」
「でも感動するやろな。旧東海道を走って旧中山道を通り、一周してきたことになるんやから……。」期待に胸をふくらますシシャチョーだった。
しかし現実は少し違った……。
ほどなく草津宿に到着した。着いた! 旧中山道を走破した! シシャチョーも神妙な面持ちで自転車を降りる。そして例の歴史の教科書にも出てくる、草津宿の追分の石碑で記念撮影。しかしシシャチョーは少しだけ不満げ……。念願の旧中山道を走破したのになぜだろうか? その後、文化財に指定されている旧草津本陣を見学してその壮麗さに触れ、少し気を取り直したが、やっぱり少し不満げだ。
「井上さん、もう1棟建ってますわ……。去年よりさらに景観が悪くなってるやんか……。」見れば本陣のすぐ側にマンションが建っている。少し前に1棟建てられ、古い宿場町の景観が損なわれたと、旧街道好きの人たちを幻滅させてしまっていたのだが、よく見るともう1棟マンションが建設されてしまっていた。しかも本陣側なので、宿場町の景観をすっかり損なってしまっている。平家の民家の上に広がっていた空が、宿場町風情を醸し出していたのだが、今では無機質なマンションが空を隠してしまっていた。
草津宿といえば、今でこそ静かな地方都市だが、当時は2大街道が合流するだけあって、相当に大きな宿場町だった。京に程近い宿場町として、現在の神奈川県川崎市のように大都市の玄関口として、多くのにぎわいを見せていたに違いない。歴史的にも重要な宿場だったはずだ。いや実際に旧本陣などの旧街道の文物も残っているので、誰が見ても貴重な宿場町のはず。それは建物だけではなくて、宿場町の街並みや景観なども含めてのもののはずだ。
なのにすっかり景観が損なわれてしまっていた……。去年よりさらに……。もちろん市民生活の向上は大切だが、日本人にありがちな、景観を無視した無秩序な開発で大きなものがどんどん失われてしまっている。これがフランスのパリやイタリアの旧市街などで起こるだろうか? 戦後の復興が急がれたのもあるが、あまりに貴重なものを最も簡単に手放していることを、日本はいい加減に気づかなくてはいけないはずだ。
かつてラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)が、その著書で、日本に備わる異国情緒を礼讃してくれていたが、もし彼が今の日本を見たら一体どう思うだろう……。
私は草津市でビジネスを展開しているだけに、この姿にすっかり恥ずかしい気持ちになってしまい、早々にこの宿場町を立ち去りたくなってしまった。それはシシャチョーも一緒のようだ。「ささ、行きましょ! 感動は京都三条大橋までお預けですな!」語気を強めてシシャチョーが先行して自転車にまたがった。
やったぞ! 旧中山道走破!
草津宿からあとは旧中山道と旧東海道は同じ道で京へと至る。ふたりとも旧東海道編を追体験しながら進んだ。途中、朦朧(もうろう)としつつ撮影をした「勢多の唐橋(せたのからはし)」や、暑さでフラフラになりながら飛び込んだスーパーなどを訪れる。
「何か1年前の出来事とは思えん……。もっと昔のように思えますなあ……」。真っ黒な顔のシシャチョーがつぶやく。まったくだ。それだけいろいろな出来事が起こり、いろいろな出会いがあった旅だった。
旧街道じてんしゃ旅は、多くの日本人が好む、「単にレジャーランドに行くような旅行」ではない。新たな体験、新たな自分を見つけることのできる旅だ。学び、気づき、成長する「人生の旅」なのだ。少し大げさのように思えるだろうが、実際に走破してみると、きっとそのことに気づくだろう。
夕暮れになって京都市の山科にたどり着く。少し時間をとって、寺の古老に呼び水をしてもらった例の井戸を訪れた。去年と同じように手押しポンプを押すシシャチョー。あのときは出発してまだ間もないのに、暑さにやられて朦朧としていた相棒だったが、今は落ち着いて、余裕の表情で水を出している。満足そうな表情でシシャチョーは再び愛車にまたがった。
そこから京に至るまでは、ふたりとも口数が少なかった。なぜかは分からない。そのまま三条通を下っていき、コロナ禍とはいえ、人でにぎわう三条大橋に到着した。やったぜ相棒! 今度こそ本当に旧中山道を走破した感動があふれてきた。シシャチョーも満足げだ。その表情からは旅のベテランとして、二つの大きな旧街道を旅してきた経験と自信があふれていた。
最終日の行程:鳥居本〜(一里半)〜高宮〜(二里)〜愛知川〜(二里半)〜武佐〜(三里半)〜守山〜(一里半)〜草津〜(三里半)〜大津〜(三里)〜三条大橋 約68.2km
※一里=三十六町、約3.9km
一町=六十間、約109m
一間=約180cm
参考文献:
「新装版 今昔中山道独案内」今井金吾著 JTB出版社
「歌川広重・渓斎英泉 木曽海道六拾九次之内」中山道広重美術館
「旅行用心集」八岡蘆庵著 八坂書房
「宿場町と飯盛女」宇佐美ミサ子 岡成社
【告知】
「旧街道じてんしゃ旅 其の二 旧中山道編」が一冊の本になります。
2020年12月22日発売予定。お楽しみに!
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