旧街道サイクリングの旅 vol.2 旧東海道をゆく
目次
「暑い、い、いや暑すぎるで!これは!」
ピカピカの新車のロードバイクを押しながら、待ち合わせ場所の京都三条大橋に現れたシシャチョーは、着いてそうそうたまらずに日陰に引っ込んだ。2人の顔が曇る。何をしていても汗をかく。息するだけでもダラダラと汗が滴り落ちてくる。
2019年8月5日、この日はまさに真夏日。そんな中でサイクリングに出かけようとするのは少々無謀にも思える気温だ。普段は涼みがてら散歩する人が多い鴨川の河岸も、祭りの後片付けがあったためか誰もいない。それが余計に暑さを掻き立てるようだ。
旅立ち
先に上に上がったシシャチョーが「江戸までは距離はどのくらいでしたかな……」三条大橋の欄干から下を見下ろしながら聞く。
「そんなに遠くないですよ!(意味不明だが……)」と私。
旧東海道五十三次は距離にして約490km余り、江戸時代の単位で言えば126里6丁1間(1里はおよ4km)らしい(※)。これを3回に分けて走破する予定なので1回あたりは160km余り。今回は160kmの距離を2泊3日で移動する。1日あたり50〜80kmの計算だ。一般的なサイクリングからすればそれは容易い距離のように思える。しかし昔ながらの旧街道は、地形や土地になぞって作られた道であり、狭く曲がりくねっている。さらにはそのほとんどが現代の生活道路になっており、人々の往来や時には飛び出しがあったりするので決して速度をあげることはできないのだ。普通に走っていても平均速度は半分近くまで落ちたりする。さらには知得型サイクリングなので、街道の文物を見ながらの走行になるため、頻繁に自転車を止めることになるのだ。
※ 参考文献:今井金吾「今昔東海道独案内」(JTB出版事業局)
出発にあたってそんな風に注意事項を話していると、シシャチョーの顔にさらに不安の色が現れた。(いけない、サイクリングガイドの仕事をしている私が不安にさせるようでは失格だ……。)
「まあ何とかなりますよ!暑いので熱中症に注意しながら行きましょう!」
誤魔化すように出した大きな私の声にも関わらず、シシャチョーは気を取り直してリュックを背負い直した。
さあペダルをはめて出発だ。
ようやくシシャチョー&テンチョーの旧東海道サイクリングは始まった。
写真撮影やら何やらで出発予定を1時間も過ぎてしまっていた。
旅気分は突然に 〜三条大橋から大津宿へ〜
出発して三条通りを進んでいくと、蹴上インクラインに当たる。インクラインとは高低差のある運河に舟や荷物を運び上げる鉄道のことだ。ここには琵琶湖から京都市内に水を通す水運がある。「琵琶湖疎水(そすい)」だ。今も当時のままの鉄道レールや犬釘などがそのまま残され、屋外の博物館として展示されている。そのインクラインの下には明治時代に作られたトンネル「捻りマンポ」がある。ライフルの銃口のように捻りを加えて積まれたレンガが美しい。
シシャチョーもいきなりの旅風景に気分も上がってきたようだ。先ほどの不安そうな表情が消え、好奇心と期待に満ちた瞳になっている。これはガイドとしても嬉しい限り。
インクラインを後にし、快調に走っていく。しばらくいくと三条河原と同様に刑場が設けられていたあたりを通る。江戸幕府は市民への見せしめのために大都市や宿場町の外れには刑場を設けていたという。こうした歴史上の出来事も述べながら旅は進んでいく。事実を伝えながらサイクリングガイドをすることも私の仕事の1つと考えている。旅にリアリティーが増すからだ。
地元の人との触れ合い 〜三条大橋から大津宿〜
さて旧街道を進み山科にある「徳林庵」で最初の休憩だ。お寺にお参りしたあと古井戸を見つけた。
「ちょっと押してみますわ!」
と取手を押し出すシシャチョー。しかし何度やっても少しも水は出てこない。それでも都会育ちの彼にとって井戸ポンプを押すのは初めてだったらしく、嬉々として押している。するとお参りにきた近所の主婦とおぼしき人がそばに来て「残念やね〜、その井戸は枯れてますよ」とひとこと。
「私しょっちゅうお参りに来ていますけど、もう何十年も水が出るのを見たことありまへん」
残念。……立ち去ろうとしたその時だった。お寺からジョウロのようなものを持った老人が出てきて、我々に戻るように手招きしている。
「水は出まっせ!こうやって呼び水を入れてやな……」
と古びたポンプに少し水を注ぎ込み、ポンプを押し始めた。それをみて先ほどの女性も驚いた様子でお参りを止めて見入る。ほどなくしてドドッ!と水が流れ始めた!
驚きだ!この井戸は生きていたのだった。
「手を入れてみなはれ」とご尊老。
冷たい。外気の暑さもあるが、冷蔵庫などで冷やした水とは違った涼しさが感じられる気がする。
「僕にもやらしてくださいな!」
シシャチョーが変わってポンピングする。ドバドバと水がほとばしる。実に楽しそうだ。「こんなのは初めてやわ〜」嬉しそうにいうと、ご尊老は満足そうな表情。そして我々の身なりを見て話をしだした。なんでも自身もつい最近までマウンテンバイクに乗って界隈を走っていたという。現在87歳で、いつもこのお堂にお参りしているから達者なのだという。
思わぬところで涼やかな気分になり、お礼を言ってお堂を出発した。意図せず地元の人とのふれあいがあった。これもゆっくりと走る旧街道サイクリングの大きな特徴だ。
炎天下の登坂 〜三条大橋から大津宿〜
さて今回の旅に旧東海道を選んだのには理由がある。
●太平洋側で平地が多い
●比較的都市部が多く、補給や宿泊がしやすい
●新幹線を始め鉄道網が敷かれアクセスがしやすい
というものだ。私は一気に街道を走破するやり方をずっと行なってきているが、日頃から忙しいシシャチョーは、まとまった距離をサイクリングすることすら難しい日々。まずはできる限りやさしい行程から始めるべきと判断した。それでも旧東海道には、天下の険(てんかのけん)と言われる箱根峠、それと並び称される鈴鹿峠が待っている。だが険しい山間部をゆく他の街道よりは走行しやすいはずだ。
サイクルコンピュータの数値に目をこらしながら次の目的地を考えた。止まった瞬間にジリジリとした日照を首筋に感じる。
今日はまだスタートしたばっかりだし、ちょっと上るが体力も問題ないだろう……そう思って、思い切ってシシャチョーに聞いてみた。
「ここから大津宿に向けて旧東海道は2つの道に分かれています。1つは逢坂山(おおさかやま)を越える大関越え、もう1つは近江八景で有名な三井寺に向かう小関越えです。どちらに進みましょうかね」
百人一首で有名な「蝉丸」を祀った蝉丸神社がある逢坂山は比較的なだらかな上りで楽に進めるが、交通量が多く情緒は余り無い。対して小関越えは急な上りがあるが、昔ながらの細い道で旧街道らしさを味わえる。
「どっちにしても上りやったらオススメの方でいいです」
シシャチョーの言葉で私は小関越えを行くことに決めた。理由は琵琶湖疏水の入り口を見せるためだ。出水側のインクラインを見たのなら琵琶湖の取水口も見るべきだと。そんな単純な理由だったのだが、それがシシャチョーの体力を奪い取るきっかけになるとはこの時点では気づいていなかった。
小関越えは逢坂山の山向こうをゆく細い山道である。近江の古刹「三井寺」に京都からお参りする人たちが利用した。大津から伸びている北国街道に進みやすかったという理由もあるようだ。道は狭く木が鬱蒼と茂っていてどこか陰鬱な雰囲気が漂う。バイクは荷物を積んでいるので重く、押し歩きをするしかない。
それが予想以上にキツかったのだ。最初は仕事や世間話をしていたシシャチョーも、坂の半分あたりから口数が減ってくる。様子を見ると辛そうだ……。小関越えを選んだことを少し後悔し始める。押し歩きしている私の背後から荒い呼吸が伝わってくる。MTB用シューズのクリートが石畳の道をかく音のリズムが次第に崩れていく。
「まずかったかな……」そう考えても後の祭りだったようだ。
ようやく峠を越えて止まらない汗をぬぐいながら下ったところが三井寺の敷地。その下に明治の建造物の琵琶湖疎水はある。いまだに京都市内に水道水を供給する産業遺跡だ。京都市は滋賀県に使用料を払っていると聞く。
それを説明しようとシシャチョーに向くが、彼は欄干にもたれて取水口を見ている。私の話を聞いてもうわの空状態。相当疲れているようだ。辛いのだろう。
そういう私もここへ来るまでにすでにドリンクボトルを2本飲み干している。水っ気が欲しい。何よりまず休憩しないと。
大津絵を見る 〜三条大橋から大津宿〜
東海道には53カ所の宿場町がある。宿場町とは幕府により制定された宿泊システムで、旅人は原則として宿場町にて宿泊することと定められていたらしい。それぞれの宿場町には旅の土産となる物産もたくさんあったらしい。宿場町ごとに存在した土産物を旅人はこぞって買い求めたのかもしれない。
この大津絵もそんなものの一つだ。有名なのは法衣をまとった鬼の絵。これは魔除けとしての意味があったらしい。旅人はこれを道中の旅の安全を祈願して買い求めたそうだ。
「大津絵って知ってますか」
「なにそれ?どんな杖?」
拍子抜けするレスポンスに笑いながら大津絵の店にシシャチョーを招じ入れた。そこかしこに色鮮やかな和風の絵を描いたものが陳列されている。建物の雰囲気もぐっと宿場町を感じさせてくれるものだ。店の名を「大津絵の店」という。暑さも凌ぎたかったし休みたいこともあって慌ててヘルメットも取らず店の中に入ったのだが、店の方が気持ちよく出迎えてくれた。
聞いてみると昔は大津絵を描いて売る店が街道筋にいくつもあったらしいく、ここも昔は大関越えのあたりの目抜きに店を構えていたそうだ。そんな大津絵も描き手が次第に減少し、今ではここだけになってしまったそう。そう思うとこれからはなかなかに貴重なものになっていくのかもしれない。
旧街道サイクリングをされる方はぜひ買い求めることをお勧めする。
さてこの鬼だが、なぜ法衣をまとっているかというと、鬼であるくせに法衣を纏うことで僧であるように見せかけているという説があるそうだ。
「なんや、あかん奴や!」とはシシャチョーの言葉。
架空請求詐欺や還付金詐欺が問題になっている現代だけにその説はどうかと思うが、法衣を着つつ顔や手足は鬼のままということは、逆に反面教師として絵に現れているのではと思うべきか。まあいずれにしてもよく見ると愛嬌のある顔をしているでは無いか。ここは一つ道中安全を記念してキーホルダー型のお守りを買ってバイクにつけることにした。
それにしてもシシャチョーの元気がない……。
旅は始まったばかりなのちょっと心配になってきた。今買った大津絵が魔除けになってくれればいいのだが……。
【text & photo:井上 寿】
滋賀県でスポーツバイシクルショップ「ストラーダバイシクルズ」を2店舗経営するかたわら、ツアーイベント会社「株式会社ライダス」を運営、各地のサイクルツーリズム造成事業を主軸としつつ、「日本の原風景を旅する」ことをテーマにした独自のサイクルツアーを主宰する。高校生の頃から旧街道に興味を持ち、以来五街道をはじめ各地の旧街道をルートハンティングする「旧街道サイクリング」をライフワークにしている。趣味は写真撮影、トライアスロン、猫の飼育。日本サイクリングガイド協会(JCGA)公認サイクリングガイド。
取材協力:RIDAS(ライダス)
撮影協力:大津絵の店(滋賀県大津市三井寺町3-38、 電話 077-524-5656)