旧街道じてんしゃ旅 旧甲州道中編 一日目 下諏訪宿(長野県)〜甲府柳町宿(山梨県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第三弾「旧甲州道中編」。一日目は、下諏訪宿から甲府柳町宿へ。
新たな旅のはじまり。旧甲州道中編。
「井上さん、五街道で一番厳しいのはどの街道でっか?」 旧中山道編の編集会議の折り、シシャチョーがこう尋ねてきた。去年の年末のことだ。「私が走破した経験から行くと、旧甲州道中の旧道部分を自転車を担いで上ったときが、一番きつかったですね」。「そうですか……次は旧甲州道中やから、そりゃ覚悟せねばならんのですね……」。なにやら神妙な面持ちでいたシシャチョーのことを覚えている。それから半年近く経って、いよいよ旧甲州道中の旅をすることになった。まずは五街道を走破しないといけない。今年は残りの旧甲州道中、旧日光道中、旧奥州道中の3つを走破予定だ。
旧甲州道中の始点として2人が待ち合わせたのは、中山道との分岐にある下諏訪宿にある古い温泉宿。旧街道じてんしゃ旅の宿としては、この上なく雰囲気のある場所だ。宿に着くと、女将さんが笑顔で出迎えてくださった。コロナ禍ですっかり弱っている、とは女将さんの話。「自転車の人がたくさん来てくださったらいいのに……」。この本の読者の皆さんが旅に目覚めて訪れてくれたら……。本当にそう願う。
さてシシャチョーも宿に到着した。二人とも荷解きもそこそこにして、さっそく夕げに向かった。旅館もコロナ対策で相当に気を遣っているのだろう。食事時間の指定とソーシャルディスタンスで感染予防が徹底されているのだった。シシャチョーと私の食卓の距離が何と2mもあった。そんなことで食事もそこそこにして、ゆっくりと温泉に浸かろうとしたときだった。仲居さんが敷いてくれた布団の上で、シシャチョーが何やら運動しだしたのだ! 腹筋、プランク、腕立て、その他……。「全部100回ずつやりますねん!」 額に汗して、真剣な眼差しで運動している。確かに数か月ぶりに見る彼のカラダはどこか絞られている気がする。SNSでも毎日5kmランニングをしていると書いているし。
そのとき、編集会議で話した言葉を思い出した。一番きついのは旧甲州道中だということを……。彼はそれを真剣に信じてしまったのかもしれない。だとしたら少し大袈裟だったかもと申し訳なく思った。「あ、迫田さん、そこまで峠厳しくないですよ! しかも今回も街道を外れて国道側を行く予定ですから……。いや〜脅かしてしまったようでスンマセン」。と私が言うと、「いや、それで鍛えてるんと違いますねん……」前をじっと見つめたまま彼が言う。そして……
「最近また……モテようと思うてましてね……」。
「……」。
シシャチョーの眼は笑っていない……どうやら真剣のようである。まったくこのオッサンは……。また街道旅の途中でナンパするつもりのようである。その野望のためにアラフィフで腹筋を割るという執念に恐れ入ってしまった。
本日天気晴朗
翌日は今までの旧街道じてんしゃ旅の中でも一番と言っていいぐらいの好天。朝から青空で雲ひとつない。それでいて春先の穏やかな大気だ。旅の出発日にこれ以上無い条件だ。「ほれ! 言うたでしょ。ワシは究極の晴れ男ですねん!」とシシャチョー。「いやいや、日を選んだのは私ですよ! 過去のデータの蓄積ですわ!」と私。何でも我が物にしたがるバブル系アラフィフおやじ達。静かな温泉街に朝っぱらからダミ声と笑いが響き渡る。天気晴朗。笑いでカラダも暖まる。「あぁ、また旅が始まったな」と感じる瞬間だった。
下諏訪宿を出発し、しばらくは諏訪湖の淵をなぞる様に進む。眼下に朝陽に輝く諏訪湖が見える。諏訪湖は御存じのとおり神話の湖。冬には凍(い)てついた湖面にひび割れが走り、氷が盛り上がる「御神渡り(おみわたり)」が有名だ。たくさんの伝説の残る諏訪湖だが、今でこそ湖岸は発展して多くの建物が建ち、往来も激しいが、太古の昔はどうだったのだろう。四方を山に囲まれながら、その中心にあった諏訪湖は、それはそれは美しかったに違いない。古代の人々が神々しいと感じ伝説を作ったのは当然のことだったのだろう。そんなことを考えていたら、シシャチョーも自転車を止め、諏訪湖の風景に見入っていた。「何か、こう身の引き締まる思いやなあ」と感慨深げ。湖から目を離すと今度は街道筋に残る海鼠(なまこ)壁の残る古民家が続いている。旧街道サイクリストだからこそ理解し、味わえる風景に出会った。上諏訪宿周辺には、諏訪大社道をはじめ、巡礼の道や地方との連絡道にあたる脇街道がたくさん伸びている。追分(分岐点)の宝庫のようだ。それだけこの辺りは人の往来が多かったのだろうと思う。こんな風に往時の街道の様子を想像しつつ進むのがまた楽しい。
しばらく進むと、マウンテンバイカーの聖地と言っていい「富士見パノラマスキー場」が見えてくる。旧甲州道中は、国道とスキー場の分岐点の中ほどの細い道を上っていく。幾度となく来たスキー場だが、言われないとここに旧街道があることは分からないだろう。
その分岐点を上り切った辺りに、往時のままの一里塚が残されている。旧中山道にも当時のままの一里塚が残されているところがあるが、そこに植えられている樹木(欅や榎が多かった)は、すでに枯れてしまい、植え替えられていることが多い。しかしここの一里塚は昔のままの榎が生き残っている。あまりの大きさに呆然と見入るシシャチョー。
一里塚の撮影をしているとき、一台の車が目の前に停まった。中から出てきたのは私の会社の社員。何と隣の県で仕事をしていたので、2人の出発を見送りに来たのだという。ありがたい。そう言えば、二人で一緒に走っているシーンがないので「実際は走っていないんじゃないの?」というコメントがあった。ちゃんと最初から最後まで走ってますよ(笑)。しばらく皆で歓談。昨夜のシシャチョーの「モテたい」発言などで大爆笑した。その後スタッフに別れを告げて先へと向かった。
腹が減っては旅はできぬ
今日の目的地は甲府柳町宿と決めた。下諏訪宿から7つ目の宿場町で、現在の山梨県の県庁所在地だ。実はそこに至るまでは宿もほとんどない。だから迷わず宿を押さえることにした。また旧甲州道中に限ったことではないが、旧街道筋には、食事ができたり、補給食を買い足したりするところが意外とない。これは本当に注意しておきたいところだ。今回も富士見にあるコンビニエンスストアに目星をつけていたのだが、一里塚の撮影に集中するあまり訪れるのを忘れてしまっていた。案の定、蔦木宿(つたきしゅく)の手前で2人とも空腹に襲われることに……。何とか道の駅を見つけて蕎麦定食にありついたものの、十分注意が必要だ。そんな顛末だから、それから以降は補給地点を探りながら走ることにした。
台ヶ原宿に入ったところ、ひっそりとした宿場町の中に、1軒賑わいを見せている店を見つけた。「金精軒」生信玄餅とある。そう言えばここ甲斐国の名物として「信玄餅」と呼ばれる、餅にきな粉と黒蜜をまぶしたものが有名なのを思い出した。さっそく昔の旅人よろしく、補給食として買い求めることに。食事をした後だったが、甘い餅は別腹だ。レジでお金を支払っていると、 「あの、取材させてもらっていいですか? 井上さん、建物とか撮っといてください!」。シシャチョーが急に仕事モードになる。言われたとおり外に出て一通り建物などを撮影していたのだが、なぜか一向にシシャチョーは出てこない。中に戻ってみると、レジのアクリル板越しにスタッフの女性と話している。聞き耳を立てると……「あ、一緒に写真撮らせてもらえません!? 美人やわあ!」さっそくナンパしとるんかい!!! 「断られましたわあ」とシシャチョー。当たり前だ!!
久々の迷い道。これぞ旧街道じてんしゃ旅
宿場町を過ぎると国道20号線を幾度か交差する。できる限り昔の道を通りたいのだが、読者の方が追体験していただくときに、ハイキング道になっていたり、山道を自転車で担いでいくようなところは避けるようにしている。有名な峠道も国道を進んでいるのはこういう理由からなのだ。しかし意図せず面白い昔の道に出くわすことがある。実は旧甲州道中の下諏訪宿から教来石宿(きょうらいししゅく)までの間にはそんな道が多く残されている。私も昔の書籍や文献などを調べて道を設定しているのだが、道は生き物。現在も刻一刻と手を入れられていっている。そうすると今まで主だった道が、急に脇道扱いになったり、捨てられてしまったりする。逆に旧街道じてんしゃ旅という視点では、それらを見つけ出しながら進むのがこの上なく楽しいのだ。今回も、背をかがめてもまともに通れない道や、幹線道路が工事中のため、やむなく河原に降りたところ、偶然昔の「徒渡り(かちわたり=徒歩で渡河すること)」の場所を見つけたりして、本当に楽しかった。畑の中を進んでいく道では、ここを歩く人も多いのか、真新しい石造りの雰囲気のある道標が建てられ、好ましく思えた。迷い道こそ旧街道じてんしゃ旅の醍醐味かもしれない。
遠くに見えた富士の峰に感動
台ヶ原宿を過ぎたあたりで、南アルプスの山塊が我々を出迎えてくれた。春の晴天であるが、大気は澄み切っていて、山までの距離感を消してしまっている。すぐ手に届くような場所に山々があるような気がする。街道の横に沿う川は甲府方面に伸びていて、火山の噴出物で形成された何kmにもわたる岩を削り取って台地を形成している。右も左も雄大な景色に圧倒される区間だ。旧甲州道中は日本列島の大地溝帯であるフォッサマグナの上にある。プレートテクトニクスとマグマの動きが創り出した壮大な土地の中を進んでいく絶景の街道でもあるのだ。そんなうんちくをシシャチョーに語っていたのだが、彼は「そうでっか〜」と知らぬそぶり。代わりに遅咲きの桜に目を細めている。その時だった!
「井上さん!あれ!富士山や!!」見ると桜の木の先に、美しい円錐形の山が顔をのぞかせていた!
もちろんアラフィフおやじ達にとって別段、富士山が珍しいわけではない。サラリーマン時代、出張族だった私は、新幹線、飛行機、自動車などで数え切れないほど富士山は見てきている。しかし旧街道を自転車で旅してきて見る富士山は格別だ! しかも今日は雲ひとつない青空。それこそ大気が澄んで距離感が失われている。くっきりと肉眼で山裾まで見える。今日の富士山は絶景中の絶景だった。昔の浮世絵師がこぞって街道筋で富士山を主題にして絵を描いたのが理解できる。当時はそれこそ大気は澄み渡っていたことだろう。最高の構図を見つけ出し、腰を据え、矢立(やたて)を取り出し、筆を走らせたに違いない。そんな浮世絵師のことを思い浮かべて、感動しているシシャチョーの後ろにそっと移動し、矢立の筆よろしく、カメラを取り出して撮影を始める私だった。途中で撮影に気がついたシシャチョーも、そのままポーズを続けてくれた。感動の一瞬だった。
今回の距離:
下諏訪宿〜(一里十一町・約5km)〜上諏訪宿〜(三里十四町・約13.2km)〜金沢宿〜(三里四町二十五間・約12.1km)〜蔦木宿(一里六町・約4.5km)〜教来石宿〜一里十四町・約5.4km)〜台ヶ原宿〜(四里・約15.6km)〜韮崎宿〜甲府柳町宿(三里二十町五十間・約13.8km)
合計 十七里三十四町十五間・約69.6km
参考文献:
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔東海道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔中山道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社