旧街道じてんしゃ旅 旧甲州道中編 最終日 上野原宿(山梨県)〜日本橋(東京都)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第三弾「旧甲州道中編」。変化に富んだ最終日の三日目は、上野原宿から3度目となるゴールの日本橋へ。
相模湖の周りは迷い道の連続
早朝、薄暗い中、ホテルの玄関で準備をし始めた。4月も後半だがずいぶんと空気が冷たく感じられる。「それにしても今日で終わりとは……あっという間の旅ですな」とシシャチョー。そうなのだ。旧甲州道中は今日で最終日なのである。わずか3日の旅。旧東海道や旧中山道の半分以下の距離しかないわけだから当然なのだが、何だかそれ以上に短く感じる。決して楽な道ではなかったはず。おそらく随分と旧街道慣れしているのであろう。
「短いぶん思い出深くなるようにじっくりと走りましょう!」と私。準備を整えホテルをチェックアウトし、まだ人通りも少ない旧甲州道中を進み出した。
上野原宿の街中を出てほどなくして桂川の川岸に下りる。ここから川幅が広がり相模湖につながっていく。相模湖は戦後間もなく作られた人造湖だ。平地で見かけるような湖や池と違い、川筋のそのままの形に水が貯められているので一見してダム湖と分かる。しかし深緑の水を満々とたたえ、新緑の中にゆったりとたたずむ姿は、人造湖とは言えずいぶんと美しく感じた。
ところで幸いにもこの湖が作られたことで街道が水没したところなどはなかったようだ。ただし川を渡って近道する渡し場があったようで、その辺りは湖の底に沈んでいるようだが……。地図をみると旧甲州道中はこの相模湖の周りを地形に沿うように、上り下りを繰り返しながら這うように進んでいく。
桂川に注ぐ支流を越える橋を渡り切ったところで、突然工事用のバリケードに行方を阻まれた。よく見ると通行止と書かれている。でも橋の入り口には何も注意書きがなかったような……。そう言えば何か看板のようなものが倒れていたが、あれが通行止の看板だったのか、そう気づいたがあとの祭り……。引き返すならまたホテルの近くまで戻らないといけない。ところがよく見ると「歩行者用通路」と書いてある。良かった! どうやら歩いて抜けることができるらしい。調べてみると人間一人が通れる通路が作られていた。ハンドル幅ギリギリの45cmぐらいの空間だったが、手の甲をガンガン当てながらも何とか通り抜けられた。ホッとしたと同時になんだか笑いが込み上げてきて、二人して子供のようにゲラゲラ笑い合う。「朝からおもろいことが起きますなあ!!」とシシャチョー。「思わぬ出来事が旅の思い出になるんですよ!」と私。
これがいわゆる日本型の団体バス旅行やテーマパークに行くのであれば、予定調和な旅行に終始するだろう。ハプニングがあるからこそ本物の「旅」と言えるのではないだろうか。旧街道じてんしゃ旅は実にハプニングだらけだ。
旧甲州道中は相模湖畔の途中で舗装路から右左に進路を変え脇道にそれる。オフロードになっていたり、階段になっていたりと目まぐるしく変化するのだが、これが実に楽しい。まるで迷路を進んでいるようなのだ。
この辺りの脇道への分岐点には地元の人が設置した木製の道標が建てられており、注意して走っている限り間違うことはない。とてもありがたい。だがそれらがない場所はところどころ道路が新設されたり変えられたりしたりするので、ついつい迷ってしまう。古い地図をたどって進んでいるのでどうしても変わってしまっていたりする。今回も住宅街を抜けているときに、住民の方に「甲州街道を走っているんですか? ここじゃないですよ」と教えていただいた。迷い道。むしろそれがあるから旧街道じてんしゃ旅は楽しいと思う。
相模湖沿いをもう随分と進んだ頃だった。以前この道を旅したときに、とんでもない道に入ってしまい藪漕ぎをしながら川を渡ったことを思い出した。もう随分前のことだ。今回は撮影をしながら進んでいることもあってすっかり忘れてしまっていたが……。進むにつれ次第に記憶が蘇ってきた。
「迫田さん、この道、ひょっとしたら藪漕ぎになるかも分かりません! 舗装路の道へ引き返しましょうか」「結構きつい道でっか?」「いや、距離はしれているんですが、藪漕ぎなんです」「まだ春やしそんなに葉っぱ生えていないでしょ。行きましょうや!」さっきのバリケード越えや迷い道もあってか、何だかシシャチョー強気である。とりあえずそのまま進むことにした。
しかし記憶は正しかった。坂道を押し歩きしていたが、次第にうっそうとした草むらが行手を阻むようになってきた。草が体中にまとわりついてきて何ともうっとうしい。二人して汗をかきながら自転車を担ぎ、草をかき分け歩いていると、途中で林業の方と出会った。
「大変ですな、でもすぐに川に下りて対岸の道に出られますよ」良かった! とりあえずそれを信じて引き続き担ぎ歩きすることにした。ところが道はさらに藪漕ぎになり、担いでは降ろし、担いでは降ろしを繰り返すことに。まったく楽ではなかった! シシャチョーも私も、次第に余裕がなくなってきた。自転車を担ぐ度に息が上がり、降ろすたびに汗が吹き出す。しかも川は豪雨で通路が流されたのか、完全に道が消えていた。そして対岸の上りはほぼ垂直。二人して協力しながら必死で崖を上る。汗だくになって崖を上り、舗装路に出た。ホッとして自転車を乗り出そうとすると、今度は後輪に草がぐるぐる巻き走行不能……。
またゲラゲラと笑いが込み上げてきた。まったく楽しいったらありゃしない!
いよいよ江戸へ
さて旧甲州道中は、もともと険しい道だったのと、参勤交代に使う藩が少なかったこともあり、この街道の宿場町は小規模なものが多い。そのためか他の街道より開発が進んでいないように見受けられる。住民の方にとっては分からないが、旧街道好きにとってはありがたいことだ。峠の入り口の小原宿も宿場町の風情が比較的色濃く残されている。本陣跡もあり見どころも多い。せっかくだからと宿場町の撮影をしていると、シシャチョーに仕事の電話がかかってきた。朝から忙しいなと思って見ていると、今度は私に電話。終わったと思ったらまた電話……。まあお互い忙しい身だ。少し時間をかけて本陣に入って休憩することにした。
さて出発。難所として有名な小仏(こぼとけ)峠を越える。以前に旅したときは、今より軽装だったのでパスハンティング的に担ぎで峠を越えたが、相当厳しい峠だったように記憶している。現代ではハイカーも多く自転車を担いで通ることは禁止されている。よってこの旅では国道20号線を通って八王子宿を目指すことになった。国道側を行くのは私も初めてである。
国道20号線はさすがに交通量も多く道も狭い。ずっと自動車とのせめぎ合いで、少し走りにくかった。だが傾斜は比較的緩やかで、中装備ぐらいの私のバイクでもずっと乗車したまま上っていける。今回の相車(あいしゃ)のキャノンデール・トップストーンカーボン レフティーはフロントギヤがシングルで、リヤのカセットスプロケットはかなりワイドなものが装備されているので、かなり快調に乗っていけるのだ。そんな感覚を味わっていると昔ランドナーに乗って旅をしていた頃を思い出した。
峠の中ほどまで進んでいくと、次第にロードバイクに乗ったサイクリストの姿が見られるようになった。みんなこの峠を上りに来ているのだろう。皆一様にミニマルデザインのウェアを着てさっそうと走っていく。誰も我々のように、バッグとリュックを付けたサイクリストはいなかった。
「みんな東京から来ているんですかね?」とシシャチョーに聞く。「そうでしょうなあ。それにしても皆んなかっ飛んでるなあ、その走り方もいいけど、こんな風に旅してほしいなあ」とつぶやく。
ヨーロッパやアメリカに行くと、もちろんロードバイクはたくさん見かけるが、それ以上にMTBが盛んであるし、長距離ツーリングも楽しまれている。バイクショップにもそれに合わせたキャリヤやバッグなどもたくさん販売されている。ロードバイクとレースやトレーニングばかりの日本のサイクリングシーンとは対照的だ。旧甲州道中は首都圏からも走りやすく、距離も短いので読者の皆さんにはぜひ走っていただきたいものでだ。
肩肘張らずに行きましょう
思ったより楽に峠にたどり着いて二人とも拍子抜け。後は10km以上下れば市街地だ。よって気持ちよく走れるのはここまで。
ところで、下りに差し掛かるたびにシシャチョーにいつも茶化されることがある。旧中山道編の和田峠での出来事。体調不良でフラフラになってしまった私を気遣ってくれたシシャチョー。その励ましのおかげで何とか峠を越えられたのに、下りになった瞬間に我を忘れてシシャチョーを置き去りにして暴走してしまったのだ。それをチクチクやられるのである。はいはい! 申し訳ございません!! 今回もまたそんなことを言われたのだが、この下りでもやっぱりシシャチョーを放置して下ってしまった。これからも言われ続けるな……こりゃ。
高雄山ケーブルカー駅の前でシシャチョーの到着を待ち八王子宿へ向かう。国道で信号待ちをしていると、何やら甘い匂いが漂ってきた。ふと歩道側をみると、トレッキング客が団子を頬張っている。なるほど、ここは旧街道につきものの甘味処のようだ。昔の旅人は峠に備えて団子や餅などで栄養と糖分を補給した。その名残りで街道沿いや宿場町には今も甘味処が多い。どちらからともなく「食ってく?」
我々も自転車を止め団子を所望した。素朴なみたらし団子。これがたまらなくうまい! 日本茶をすすりながら「やっぱり旧街道はエエなあ!」「次は旧日光道中ですね!」などと話していると、1台のサイクリストがやって来て目の前に止まった。我々と同年齢ぐらい。ずいぶん引き締まった体つきだ。彼も店内で餅を買ってそれを食べ始めた。
「あ! それ!! お揃いですなあ!!」シシャチョーが声をあげる。何のことかと驚いた。ふと見るとその人の首に「Cycle Sports」のロゴが……。サイクルスポーツ本誌の付録のネックゲイターを着用していたのだ。
「え? これですか? あ、雑誌の付録だったんですよ。」「いや実は我々サイクルスポーツの人間でして……いやあ嬉しいですわ!!」
我々がこうして旧街道を旅していることを話すと、その彼は次の自転車はグラベルバイクにしようと思っている、年齢的にひたすら速く走るだけでは楽しめなくなってきた。何かもっと違う要素が欲しい、と話をしだした。まさにこの旧街道じてんしゃ旅にピッタリではないか。自転車はもっとたくさんの楽しみ方があるはずなのだ。そんな確信めいたものを感じた。
「自転車にはいろんな楽しみ方がありますよ! 速さだけじゃない! 肩ひじ張らずにいきましょう!」彼にそう言って甘味処を後にした。
旧甲州道中を走破!
八王子宿から日野宿、府中宿とずっと市街地を走ってきたが、当然のことながら信号の連続で思うように前に進まない。都会なので仕方ないのだが、旧街道の旅を重ねてきた我々には、都市化された中にも古い味わいを探すことができるのでそれなりに楽しみながら走った。前を行く私は、サイクリングガイドの習性もあってか、常に交通状況に集中してしまうのだが、後ろを走るシシャチョーは反対に旧街道の遺物や追分などを見つけるのがうまい。
「井上さん、待って! ここに道標があるで!」「あ、ここは追分や!」「一里塚の標があった!」などと知らせてくれるのだ。まるで戦闘機のパイロットとレーダー要員のような感じだ。特に市街地では交通状況が悪くなるので私の眼にはそうしたものがほとんど映らない。だからシシャチョーに頼り切りになる。役割分担ができて楽しい。もう三つの街道を走って来たのだ。慣れたものである。
さて気がつくともう夕刻に差し掛かっている。最後の宿場町、内藤新宿に到着した。ご存知日本一の繁華街、新宿のことである。
旧甲州道中が拓かれた頃、日本橋か下高井戸宿までのおよそ四里の距離には宿場町はなかった。本陣や旅籠(はたご)、人夫や荷物を運ぶ馬の継ぎ立てるところが無かったため、宿駅の設立を望まれて作られたらしい。もともと高遠藩(たかとうはん)だった内藤氏の所領だったところに新たに宿場町を設けたことから「内藤新宿」と呼ぶことになったという。その後、江戸時代の平和を謳歌する頃になると、品川、千住、板橋の宿場と同様に、飯盛女がたくさん在籍し江戸の庶民のための遊楽を提供するようになったという。このようにして市中の歓楽街となったのだろう。それが今に続いているのに違いない。
内藤新宿を過ぎると四谷見附を過ぎいよいよ江戸城に入る。いよいよこの旅も終わりが近づいてきた。
幾人かのランナーが走る皇居を過ぎて丸の内に入る。コロナ禍のせいか人が少ない。見慣れた風景だが自転車で旅してくると違う風景に映る気がする。そんなことを考えながら、次第に旅を終える充足感に包まれていく。
そしていよいよ日本橋へ到着。短い旅であったがとても印象深い旅だった。走り終えて感じるのは、道の個性や役割が街道によって随分違うということ。そしてやはり宿場風情が急速に失われつつあること。何より地方が衰退してきているということである。これらを走り、写し、残すことは我々の使命であると次第に感じるようになってきた。
日本橋の欄干の前で記念撮影をしながら、五街道のうち、残りの二つの街道を走破すると共に、さらに多くの旧街道を走るべく二人で誓い合ったのだった。
施設紹介
今回の距離:
上野原宿〜(三十四町・約37km)〜関野宿〜(二十六町・約2.8km)〜吉野宿〜(三十四町二十八間・約3.7km)〜与瀬宿〜(十九町・約2km)〜小原宿〜(一里二十二町・約6.2km)〜小仏宿〜(二十七町・約2.9km)〜駒木野宿〜(一里二十七町・約6.8km)〜八王子宿〜(一里二十七町四十八間・約6.8km)〜日野宿〜(二里・約7.8km)〜府中宿〜(一里十町・約4.9km)〜上石原宿〜(七町・約0.7km)〜下石原宿〜(八町・約0.8km)〜上布田宿〜(二町・約0.2km)〜下布田宿〜(三町・約0.3km)〜国領宿〜(一里十九町三十間・約5.9km)〜上高井戸宿〜(十二町四十間・約1.3km)〜下高井戸宿〜(二里・約7.8km)〜内藤新宿〜(二里・7.8約km)〜日本橋
合計 十八里二十五町二十八間・約72.4km
参考文献:
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔東海道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔中山道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「フォッサマグナ」藤岡換太郎 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社