太平洋岸自転車道約1400km実走調査 黒潮をさかのぼる近代版自転車東海道 其の三
目次
走ってみなければわからない、国内最長のナショナルサイクルルート太平洋岸自転車道を和歌山の青年(?)2人が人と人を繋ぎながら、9日間旅をした記録と各地域の魅力を3回に分けて紹介する。其の三
7日目:鬼門!鬼ヶ城トンネル、必殺・マイヤーレモンスカッシュ!!
尾鷲スタートの7日目。今日も曇りのち雨。前半は小雨なので快適に走れそうだ。ゴンザは尾鷲市スタート。ニシバは熊野市からスタート。ニシバは逆走(千葉向き)で少し戻る。出発前にゴンザから予定時間より1時間早く合流場所の鬼ヶ城に到着の連絡が入る。準備中のニシバは聞かなかったことにして、マイペースに準備を行う。
さぁ、今日も元気にスタート。ニシバは鬼ヶ城向かってサポートカーの通称「沼津のトド」こと野地さんと出発しすぐに自転車通行不可の看板があるトンネルが現れた。サポートカーの野地さんはトンネルへ、ニシバは横に脇道が有ったので脇道に入る。しかし、案内は無い。迷いながらも進んでいくと行き止まりだった。そう、ニシバは波止場の上にいる。
戻るしかない。戻っても、わからない。携帯のマップを見ると、ようやく迂回トンネルの存在を知った。急いで迂回トンネルに向かうと、そこは真っ暗の長いトンネルだった。歩道と千葉県向きに一方通行の狭いトンネル(軽車両のみ両方通行可)、地域の生活道路だ。実際、ニシバもゴンザも走った際には車や歩行者が利用していた。
このトンネルは、まだ序の口だった。トンネル通過後すぐに鬼ヶ城に到着するも、そこからもう一度同じ道を戻ろうにも交通量が多く、道路横断ができないのであった。さらに、太平洋岸自転車道の案内板や矢羽根もない。「鬼門鬼ヶ城」がそこには有った。
この鬼ヶ城前で熊野市のサイクリスト有志の皆さんと三重県区間のサポートリーダーのぶさんと今後どう整備していくべきか意見交換を行い、今後より安全に快適なルートに整備されることを願い、和歌山を目指し出発。
この鬼ヶ城を通るために自転車を押して上れる歩道橋が設置されていたのでニシバは歩道橋を利用し、ゴンザと熊野市の方はルート通り車道横断を試みる。ゴンザは「怖い!」と叫ぶ。さすが鬼ヶ城。鬼退治に行く、桃太郎のような気分なのか?、地元の方はなれた道をスッと走る。きっと彼らは鬼退治済みの桃太郎だろう。
ニシバが苦戦したトンネルも地元の方々はスマートに走る。ゴンザとニシバはキャーキャー悲鳴を上げながら無事走る。
トンネル通過後、すぐに、取材の方と野地さんたちが待ち構えていた。ここで写真を・・・。振り向くと、ライオンがいる。そう、鬼の後は獅子が熊野には居るのだった。
鬼ケ城とともに国の名勝・天然記念物に指定され、世界遺産にも登録されている獅子岩。高さ約25m、周囲約210mの岩塊。獅子が海に向かって吠えているように見える。地盤の隆起と海風蝕によりこのような奇観を生み出したとのことだ。凄すぎる。熊野市。鬼もライオンもいる。この熊野を自転車で観光するのは面白い。
もっと熊野を楽しみたいところだがスタートしたばかり。獅子岩で記念撮影を行い、次を目指し出発した。
ここからは、車道混在区間。車と一緒に走るので巻き込み風でスピードが出る。路肩もそこそこ広く快走できる。
ほどなくして「道の駅 紀宝町 ウミガメ公園」に到着した。名前の通り、正門にはウミガメ像があり、そこにサイクルラックを置いてくれているという、エモい道の駅だった。
入口のウミガメ像だけかと思うと室内にはリアルウミガメが・・・。これにはゴンザもニシバも驚き、テンションもアゲ↑アゲ↑。
その勢いでこのウミガメ公園の駅長様と紀宝町様にご挨拶させていただいた。この道の駅では車だけでなく、自転車もカメもさらにはドックランもあることから犬にも優しい道の駅として道路利用者が安全ドライブできるようサービスを提供しているとのこと。
紀宝町からは特産品のみかんをそして道の駅の駅長からはマイヤーレモンスカッシュ頂いた。そう、駅長の説明を聞いていても必殺技を連呼しているようにしか聞こえなかった。
「マイヤーレモンスカッシュ!!」
もうチームの誰もが忘れることのできないフレーズとなった。味は最高で、レモンより甘くオレンジより酸味がある。誰もがうまい!と言ってしまう味だった。ここでもゴンザは空気を読まず、おかわりを注文。お姉さんたちが慌てておかわりの手配をしてくれていた。すみませんでした・・・。
酸味の効いたマイヤーレモンスカッシュで元気いっぱいになったところでこのウミガメ公園で合流したゴンザとニシバが所属の和歌山サイクルプロジェクトの仲間で和歌山県新宮市の自転車店WHEEL ACTION西村店長が合流し、ウミガメ公園を後にした。
途中、沿道の応援を頂きながらついに最後の県、和歌山に入ることが出来た。ここまでサポートしていただいた、のぶさんとはここでお別れをし、和歌山県新宮市の駅前にある徐福公園に向かった。
和歌山に入ると目的地の徐福公園はすぐの距離。そこでは新宮市の皆様が出迎えて頂いた。そう、ここはもう和歌山、我々2人のホームグラウンドだ。新宮市様の熱烈な歓迎を受け、さらにはSNSを見てくれていた和歌山の仲間も声をかけてくれた。
もう、ゴールしたような気分だった。昼食は西村さんが用意してくれた地元のお弁当。もちろんゴンザが嫌いな魚ではなく 唐揚げ弁当。(ずっと、 唐揚げを食っている気がするがそれはもうどうでもいい・・・。)西村さんのお店WHEEL ACTIONで昼食を食べていると、西村さんは我々の自転車を黙々と整備をしてくれたのだった。
自転車を見て西村さんは言った。「約1000km走ると自転車も疲れてるね」と。そう、我々の自転車達はこの雨の中の7日間でバーテープは剥がれ、タイヤは傷つきチェーンはジャリジャリになっていた。
ここでゴンザはタイヤとバーテープを交換、ニシバもバーテープを交換。交換の最中にゴンザが注文「バーテープの巻き数は右も左も同一で、そしてズレないように硬めで」。そう魚が食えないだけでなくゴンザはバーテープの巻き方にまで好き嫌いがあったのだ。西村店長は「OK、大丈夫」と返事をした。きめ細やかなオーダーに応え、技術でしっかりと対応するのが自転車屋だと言っていた。
確かにそのあとも雨だったが我々の自転車のバーテープはズレることも、捻じれることも、剥がれることも無かった。1400kmを走るにはこういうきめ細やかな自転車メンテナンスサービスも必要で、技術と知識を持った自転車店に依頼することで後の走行に影響するんだと実感したのだった。また、サイクリングマップなどにもそういった本格的メンテナンスが可能な自転車店の情報が記載されているといいなと思った。
お腹も満たされ、さらには自転車も元気になりお店でタウン誌の取材も受け、また西村さんも含めた3人で走行を開始する。それにしても和歌山は走りやすい。太平洋岸自転車道のサインのほかにWAKAYAMA800の路面標示(ブルーライン)もある。さらに車道混在だが観光案内もかねて街中も上手く誘導してくれる。西村さんとは新宮市の境まで一緒に走ることが出来た。ありがとうございました!!
紀伊勝浦、太地町の街中を走ると、7日前の千葉県勝浦を思い出す。そう言えば、7日間どこ行っても海鮮丼の看板ばかりだった。和歌山に帰ってきても海鮮丼。魚の種類でいうと「まぐろ」「しらす」「キンメダイ」。この3種の看板をずっと見てきた気がする。ここは太平洋岸自転車道。黒潮に乗ってやってくるのは我々サイクリストだけでなく魚も同じだった。例のごとく海鮮を食べないゴンザは看板のことなんか気にしない。何なら〇クドナルドのハンバーガーが食べたいを連呼している。
ツール・ド・熊野が行われている太地町は起伏が激しく、あの有名な坂は実際に走ってみると絶景だった。数々のバトルと感動のゴールが生み出された場所を実際に自分たちが走っているのだと思うと、ここまでの疲れが吹っ飛ぶ。
ゴール串本に近づくにつれ起伏と風が強まった。進んでも進んでも岬を超えるごとに風が激しくなり、安全性を考えペースを落としゆっくり進むほかない。そう、今日も雨と風。コンビニで天候を伺っていると、また男性に声をかけられた。「どこまで行くのですか?次の道の駅で待ってます。」
次のゴール手前の道の駅「道の駅 くしもと橋杭岩」に先ほどの男性がいた。ご挨拶をすると日刊専門誌の記者だった。それも全国版の。ついに我々は全国紙に取り上げられることになった。今までの実体験を話し、営業時間ギリギリまで会話は続いた。
道の駅を出ると風はより強くなっていた。これ以上無理をしても危険なので駅前の宿に直行した。三重県の多くの出会いと昔話のような名前の名所、さらには愛する和歌山への帰還に感謝しつつ、なんとか無事に完走できた。(もちろん今日も雨)
8日目:和歌山と言えばパンダよりもゴンザ、ついに世界のゴンザに昇格
串本町スタートの8日目。今日は曇り時々雨。気温が低めなので快適に走れそうな雰囲気だが湿度は高い。串本駅前を出発し潮岬へ向かう。
潮岬はすぐそこだった。早朝の潮岬。本州最南端の場所だ。
ここからは北に北上するだけだ。テンションが上がる。特に、初潮岬の絶景に「沼津のトド」こと野地さんのテンションがダダ上がり。安全のために装着しているインカムから野地さんの歌声がうっすら聞こえてくる。「ルージュの伝言だ」。
潮岬を出発するとすぐに絶景があることを事前にニシバが説明していた。その景色が「魔女の宅急便のポスターの街並みのような景色だ」と伝えていたからだろう。あいにく天候は悪かったが、ゴンザもその景色に感動し例のポーズで一枚写真をとった。あえて何も言うまい。
ここからはひたすらアップダウンとトンネル。交通量は少なかったが、きつかった。ゴンザも長旅で疲れており、前半はニシバが前を牽いた。
ありがたいのは和歌山のトンネルは明るいこと、迂回できる区間はできるだけ迂回案内があったことだ。こういう部分は他県も見習って欲しいと感じた。ニシバは「道の駅 すさみ」までゴンザを引っ張り、ここからはゴンザの一人旅となった。
その間、野地さんはすさみのイノブータン王国に誘拐され、トドからイノシシに変化していた。ちなみにニシバも昔写真を撮ったことがある名ポイントだ。
すさみ以降はまたアップダウンの繰り返しだ。さすがに海と山の繰り返しはもうあきた。絶景もこの頃には当たり前の景色になっていた。と、白浜町椿のあたりで突然、ゴンザの叫び声がインカムに響く!ルート上にいきなり階段が現れたのだという。そう、サイクリングルートがいきなり急で細い階段に誘導されているのだった。
何とかゴンザは急ブレーキをかけ止まることが出来たが、止まれなければ天国行きだった。(ゴンザの場合は唐揚げ天国かもしれない。)後に我々はこの階段を「天国への階段」と名付けた。その日即、改善要求をSNSで行うと1か月後の9月には対策をしてあったのだ。和歌山県の対応力は本当に凄い。
仕切りなおしてニシバと野地さんはゲートウェイのある白浜空港へ。ゴンザはもう一つのゲートウェイ「ジャイアントストア南紀白浜」に向かう別々の行動をした。白浜空港は東京と和歌山の玄関口。ここにあったのは、サイクルラックと水の入った野ざらしの空気入れとパンダグッズのみ。
野地さんは奥様へのお土産のパンダグッズをゲットできてホクホク顔だが、サイクリスト的には今後の更なる整備を願うほかない。
気を取り直してジャイアントストア。こちらのゲートウェイは通常のジャイアントストアだけでなくゲートウェイ機能も有した場所として整備されている。レンタサイクルも更衣スペースもあり、荷物を預かっていただけるだけでなく、併設のホテルで宿泊も飲食も可能だった。利用者も徐々に増えているとのことで、今後もっとサイクリストが増えていきそうな予感がした。
ここから先は白浜の名所白良浜、円月島、とれとれ市場と続く。
しかし和歌山市住まいの2人には普段見る機会が多いエリアであることや、海鮮が嫌いで興味がないゴンザにはトイレスポット程度の認識だったようだ。
そのまま進んでいき、事前にお会いする約束をしていた上富田町 産業振興文化交流館 KMICH(クミッチ)に到着。
すると田辺市様、上富田町様、白浜町様、すさみ町様、和歌山県西牟婁振興局様と、先ほど通ってきた街の職員さんが勢揃いで出迎えていただいた。ここでも白浜の特産品の川添茶や川添茶ふぃなんしぇを頂いた。
そのほかにも各地の名産を頂き、SNSで紹介させていただいた。正直どれもこれも美味しすぎてゴンザもニシバもトドならぬパンダ(野地さん)もびっくりした。和歌山恐るべし。お土産を買うなら和歌山が一番と思うくらい多様な商品があった。しかも、全て個性もあるしおいしいのだ。是非、和歌山を走った際はお土産入れを忘れないでほしいと思った。
ゴンザの機嫌も絶好調で、このKMICH(クミッチ)ではゴンザのサイン入りジャージを寄贈することになった。そう、このKMICH(クミッチ)には世界チャンピオンや世界有数の有名選手のサイクルジャージとサインが飾られていたのだ。そこにまさかの我らがゴンザのジャージも記念に飾らせて頂けることになったのだ。カタカナで「ゴ・ン・ザ」と書いた太平洋岸自転車道を繋いじゃえプロジェクトのジャージを笑顔で持つゴンザ。何も言うまい。
このゴンザのジャージを見たい方はKMICH(クミッチ)を訪れて欲しい。きっと今も飾られているはずだ。(たぶん・・・)
KMICH(クミッチ)では昼食を食べるスペースを用意していただき、和歌山県内のメディアの取材対応を行った。その後、関係市町の皆様にお礼をして本日のゴール御坊市に向かった。
田辺市を過ぎるとまた豪雨が始まった。無理はできないが早く行かないと次の待ち合わせ場所に着かない。結局予定時間を大幅に過ぎ、御坊市のサイクリスト有志が待つ印南町に到着した。有志の皆様は我々が思っていた以上に笑顔で出迎えてくれた。本当に嬉しかった。
声に出せないくらい嬉しかった。ここは和歌山、口に出さなくても自転車で語るお礼がある。ゴンザとニシバは御坊市の皆様に感謝の意を込めて、「全力逃げ」を行った。もちろん驚く御坊市の皆様。空気を読まないゴンザとニシバ。「なんでやねん!!」と関東住みなのに「関西弁をしゃべるパンダ」こと野地さん。
車から応援の掛け声もあり、あっという間にこの日のゴール御坊市の寿旅館に到着した。先行したゴンザとニシバ、遅れてくる御坊市の皆様を出迎えるとすぐに親友になっていた。我々の感謝の逃げがサイクリストには通じていたのだ。あの時の思い出は今でも忘れない。
楽しいとき苦しい時を共にした仲間は一生忘れることのできない仲間になるのだと。こうして無事8日目も完走することが出来た。(そう、もちろん今日も雨)
9日目:サイクリストが集まる街、聖地・和歌山市へ
御坊市スタートの9日目。泣いても笑っても最終日、さあ行くぞと思いきや、外に出ると今日も雨。それも伊豆並みの豪雨だ。ゴール和歌山市はなんと警報が出ている。しかし、我々は意地でもゴールするつもりだった。昨日、ニシバのSNSになんとゴールの街、和歌山市の市長様からメッセージが届いていたのだ。「あと少し、気を付けて頑張れ!加太(終点)で待ってます」とコメントをくれたのだ。もう、あきらめるつもりはなかった。
雨の中、今日も御坊市のサイクリスト有志の皆様が最後までサポートしてくれると言って我々と共に準備をしている。この時点でもう、ゴンザもニシバも感動していた。そう、ここまでとここからのサイクリストを繋いできた思いが、複雑な感情となっていた。
珍しくあまり話すこともなくスタートし、美浜町に向かった。美浜町では町長様が出迎えて頂き、美浜町とカナダの関係、トーテムポールの本場であるカナダで作成されたトーテムポールについて説明をしていただいた。
我々からは自転車で地域を巡る提案など様々な意見交換を行った。雨の中美浜町様ありがとうございました!
ここからは雨の中アップダウンと細い道路の繰り返し。途中太平洋岸自転車道で最も交互の間隔が狭い矢羽根を発見し喜ぶゴンザとニシバ。
我々はこれを「出会いの矢羽根」と名付けた。こういう場所が今後、サイクリストが出会い交流できるスポットになるのではないかと思った。厳しいアップダウンも、サイクリストの皆様と一緒に走ると苦にならない。
峠ごとに和歌山の自転車仲間が待ち構えている。雨でもお帰りと言いながら迎えに来てくれたのだ。
途中、日本のエーゲ海とも称される白崎海岸が現れた。白い砂は和歌山の白浜にあったがここは白い岩。青い海に白い岩、太陽で輝く海岸線と言いたいところだが。雨嵐の今日は濁った海に泡立つ海水。雨で霞む景色。それでも日本にいるとは思えない雄大な景色。カメラが水没するためなかなか記念撮影ができなかったが我々の目には焼き付いている。
さらに進んでいくと有田市の皆様が出迎えてくれた、有田市様は我々サイクリストのためにサイクルステーションになっている有田市文化福祉センターの一室を準備してくれていたのだ。雨を避けしっかりと補給することができました。
有田市を出発すると天候は回復し始める。トンネル迂回の劇坂もいつもの慣れた道。
途中、今回のウェアデザインをした和歌山サイクルプロジェクトの仲間、宮園さんとも合流し、ゴールの街和歌山市に入った。
和歌山市に入るとすぐにテーマパークがある和歌山マリーナシティにあるポルトヨーロッパだ。名前の通り、地中海をイメージした建物だ。イタリアの城下町や伝統的なフランスの街のような建物が建っている。ここで写真を撮るとそう、まさにヨーロッパに行った気分になる。
しかし、我々はツール・ド・フランスをしているわけではなく、日本のナショナルサイクルルート太平洋岸自転車を走っているのだ。ポルトヨーロッパを通過し、コース最後の坂、雑賀崎に向かう。
雑賀崎は日本のアマルフィ(イタリア)と呼ばれており、景観・歴史・文化などの共通点が多いとのことだ。太平洋岸自転車道からもそれらしき姿が見える。ここは和歌山だが、白崎海岸以降はまるでツール・ド・フランスのようだ。世界を旅しているかのような景色が多くある。そして、仲間は更に増える。
最後のゲートウェイ和歌山市中央卸売市場総合食品センター棟「わかやままるしぇ」へ到着した。
そこにはゴンザやニシバの仲間達が待ってくれており、合流し少し休憩後みんなで走る予定だった。疲れている我々2人は最後尾でゆっくり仲間を追いかけることにした。
ここから加太までは街中を通る区間。信号が多くスピードは出せないが、いつのもコース、いつもの道だ。
終点加太のカーブを曲がると太平洋と瀬戸内海の境目紀淡海峡が見える。
加太の海水浴場の前には2人を待ち構えていたサイクリストたち。ゴンザもニシバも想像以上の仲間の数に涙が止まらない。
この旅の目的、太平洋岸自転車道を利用する仲間を繋げる旅を和歌山にいる仲間たちは知ってくれていたのだ。ここまで走ってきたことが報われたと思った。
ゴールの太平洋岸自転車道記念モニュメントには多くの人だかり、そうSNSでコメントを入れていただいた和歌山市長や県・国そして仲間と家族そしてたくさんのメディアが待ち構えていた。ゴンザもニシバも拍手の音が聞こえない。2人はモニュメントしか見えてなかった。ゴンザはモニュメントに自転車を飾り、ボトルの水をかぶり、この旅でトド→イノブータン→パンダ→ゴンザの兄貴に変化した野地さんと熱い抱擁。
周りから見ると少し気持ち悪い。ビチャビチャのおっさんが二人で抱き合っている。ニシバも仲間のみんなもドン引き。二人には特別な友情が芽生えていたのだろうと勝手に想像する。
ゴールでは、和歌山市様が様々な準備をしてくれていた。応援旗やゴール記念の横断幕。そして、世界でただ一つの感謝状。この太平洋岸自転車道が世界中のサイクリストに愛される道になってほしいという意気込みが市長のコメントなど和歌山市の熱意があちこちから感じられた。
みんなの前でニシバは言った。「太平洋岸自転車道は僕たちの中ではまだつながっていないけど、人はつなげてきた。銚子市から和歌山市までたくさんの人と出会い歓迎していただいた。この道をうまく利用していきたいと思っている人ばかりだった。」
夏休みを使って青年?二人が太平洋岸自転車道を走るだけの企画が人と人をつなげ多くの関係者と出会い、9日間中7日間は雨という最悪の条件のなか、事故もなく無事に走り切ることができた。
今後はこの経験を人に伝えるだけでなく、世界中のサイクリストが集まる太平洋岸自転車道になるよう、今回お世話になった関係者のお手伝いをしていくつもりだ。そして、今後チャレンジされる方々には、我々太平洋岸自転車道を繋げちゃえプロジェクトは全力で支援をする。是非この日本最長のナショナルサイクリングルートを少しでも走ってみてほしい。
そこには黒潮に乗って流れてきた終点和歌山の香りがするかもしれない。(もちろん今日も雨だった。)