旧街道じてんしゃ旅 越前美濃街道編二日目 郡上八幡(岐阜県)〜越前大野(福井県)
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は「越前美濃街道編」。越前、美濃それぞれの歴史的な見どころを回りながら走ることを目的に、本来の旧中山道の太田宿ではなく岐阜の町を出発点にして、二日目は郡上八幡から越前大野の町へと向かう。
郡上八幡の不思議な夜
民宿の障子から差し込んでくるまぶしい朝日で目が覚めた。昨夜はどうやって宿まで帰ったのだろうか? 昨日の晩もしこたま飲んでしまったようだ。夕げをとるために町に出た格好のまま、掛け布団の上で朝を迎えていた。まったくよく風邪を引かなかったものだ。
実は郡上八幡に着いたら食べようと二人で決めていたものがあった。長良川の鮎だ。天然物の鮎は大変美味で、地メシを愛する我々にとっては最高のご馳走だ。だから郡上八幡に向かう夕暮れ時からずっと鮎の話ばかりしていたのだ。
腹は限界を越している。そんなことだから風呂を浴びてすぐに二人嬉々として郡上八幡の町に出かけた。
「井上はん、この店良さそうや! なんかいい雰囲気」「おお! 確かに良さそうですね! 入りますか!」と飛び込んだ1件の料理屋。宿場町にある「鰻の寝床」と呼ばれる狭い間口と奥深い屋敷になっている。ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、なぜかしんと静まり返っていて営業しているかどうか分からない。
「ごめんくださーい!! なんやねん誰もおらへんのかいな!」シシャチョーのダミ声。しばらくすると主人が現れた。何だか仙人を思わせる容姿だ。「こちらへ……」奥の座敷に案内された。何と晩飯時にもかかわらず客は我々二人だけだった。やはりコロナの影響なのだろう……。
まんじりともせず座敷で座っていると、おもむろに主人がお品書きを持って現れた。今日作れる料理はコレとコレで、おすすめは「こっち」、今から準備するんでちょっと時間をちょうだいと言われ、虚を突かれた我々は言われるがままに「こっち」を頼んだ。
「……」呆気に取られて無言の二人。瓶ビールが運ばれてきたが、BGMも無いようで、しんと静まり返ったなか、シシャチョーがゴグゴクとビールを飲み干す音と、ゴトっとグラスを机に置く音が響く。「ちょっとしくじりましたかね? ……」「むむむ、何だか……」不安になってヒソヒソ話をしてしまう。
雰囲気に押されて無言でビールを飲んでいると、障子の向こうのガラス越しに郡上八幡のなかを流れる吉田川の水音が聞こえてきた。泊り客なのだろう、下駄をカラコロと鳴らして歩く音がする。
「な、何か……雰囲気……あるなあ」とシシャチョー。確かによく外の音が聞こえる。川の流れと下駄の音。昔の旅人が聞いた夜の音もこんな感じだったのかもしれない。その昔はBGMなぞなかった訳で、大きな宿場町でなければ夜はひっそりとしていたに違いない。
ありのままの情景や雰囲気を味わうのが旧街道じてんしゃ旅の醍醐味の一つ。決して懐古主義ではないが、現代的でないものを肯定的に感じるようにして、その中に楽しみを見つけ出す術を我々は得ていた。
「ま、まあ、ええ雰囲気やん! 良かったやん!」とまんざらでもないシシャチョー。意外とこの料理屋で良かったのかもしれない。
そうこうするうちに料理が運ばれてきた。呆気に取られて何を頼んだかわからない状態だったが、見ると皿に丸々とした鮎が乗せられてた。どうやら「こっち」は「鮎の定食」だったようだ。他にも地物の小鉢がたくさん。箸をつけてみると、何と! これが大変美味! とにかく鮎は絶品で、二人とも「うまい!」を連発してあっという間に食してしまった。
それを見ていた宿の主人。ぶっきらぼうだった表情が少し笑顔になり突然身の上話を始めた。ずっと前からこの町で、川漁師をしながらこの料理店を経営していること。コロナで客が減ってしまったこと。料理は全て自分一人でこなし、配膳は娘さんが手伝ってくれているとのこと。昔の郡上八幡の様子などを独り語りのように話してくれた。そんな身の上話とも思い出話ともつかない話を聞きながら味わう郷土料理は味わい深く、実際のところ思い出深いものとなった。そして町の雰囲気と料理屋の雰囲気、そして主人の話を肴にどんどんと酒が回り、とても良い気分になってしまった。
すっかり気分が良くなって長居をしてしまった。そろそろ勘定をしようと私が「ご馳走様」と言うと、主人が何気なく「おおきに!」と言った気がした。「おおきに? え? ご主人は関西人でっか?」とシシャチョーが聞く。「いやいや、生粋の郡上人です。岐阜でもここ郡上だけはおおきにって言うんですよ」とご主人。知らなかった。「おおきに」の飛び地……。
まあとにかく最初から最後まで呆気に取られながらの夕げだった。随分と気を良くして宿に帰っている途中に突然シシャチョーが叫んだ。「あ! 写真撮るの忘れた……」あっけに取られて二人とも鮎の写真を撮ることを失念してしまっていた。
いよいよ越前に入る2日目
郡上八幡を散策した後、いよいよ出発だ。「いや〜夕べの料理屋は不思議なところでしたな。郡上八幡はこれはこれで思い出に残りましたわ」ロードバイクにバックを取り付けながらシシャチョーがつぶやく。「いや〜それは僕も思いました。今回は有名な郡上踊りも城もなかったけど、何だか大満足ですよ」「ほんと、人情に触れることこそが一番の土産物かもしれませんなあ」と二人で納得し合いながらペダルを踏み出した。
2日目は郡上八幡から長良川をたどり白鳥(しろとり)に至る。そこからはこの旅の最難所となる油坂峠(あぶらさか)を越え、あとは一気に越前大野に下る行程だ。
さてこの街道だが、旧東海道や旧中山道など五街道とは違い、昔の道の所在はかなり曖昧である。いろいろ調べてみたが精緻な地図を見つけ出すのは難しかった。どの資料を見ても、大方が国道156号と重なっている大まかなものばかり。
郡上八幡を出てしばらく国道を走っていたが、幹線道路だけあって自動車の往来が激しい。後ろのシシャチョーの声もほとんど聞こえない状態だ。それもそのはず、美濃から郡上、そして白鳥に至るにつれ、左右の山の感覚は狭くなってきている。つまりは川の中流から上流に差し掛かってきたわけだ。国道のすぐ横には長良川鉄道の線路が走り、少し見上げると、東海北陸自動車道が空中に伸びている。そして真ん中を長良川が相変わらず流れている。何だか人間の首のようで、全ての経路が集中しているのだ。ちょっとせわしなく思えてきた。
「迫田さん、いっそ川向こうに行きましょうか! ルート通りだと面白くないですね」と話すと「ホンマですな、そうしましょ! お! あそこに渡れそうな橋がありまっせ!」とすぐに橋を見つけてくれた。
と言うことで対岸に渡ってしまった。国道156号が本来の旧街道とも言い切れないし、何より昔の旅人だって歩きやすい道を選んだはず。
最近のサイクリングでは、何だかマップが流行っているが、そのルート通り走ることだけがサイクリングではないはず。たまに道を外れたってどうと言うことはない。むしろそんな変化を楽しむ心を持ち合わせて走る方が旅人っぽい。
その勘は正しかったようで、対岸の道は国道とは打って変わって静かで交通量も少なく、山の景色も遠くまで見渡せる素晴らしい道だった。何だかしてやったりの表情になる二人。集落の点在する平らな道を右に左に行きながら、とりあえず北上することを忘れないようにし、事前に調べた道ではない、その時の気ままな道をどんどん進んでいく。
それにしても風情がある。五街道に比べ旧街道の名残りは少ないが、確かにここに旅人が歩いていたと思わせる何かが美濃から郡上八幡そして白鳥までの道には残されている。読者の皆さんもぜひこの地を訪れてそれを感じていただけたらと思う。
昼前に白鳥の町に着いた。美濃とはいよいよお別れである。ここから最難関の坂道に差し掛かる。上りに備えて小腹を満たそうとするが、コロナ禍で食事処が臨時休業しているところが多い。他に補給できるところもないので、コンビニエンスストアでおにぎりを買ってむしゃむしゃと頬張ってから峠に向かった。
難所の油坂峠を越えればひと息つけると思ったが……
白鳥の国道156号の交差点をヘアピンカーブ気味に曲がって向小駄良(むかいこだら)の集落に入る。途端に国道の喧騒(けんそう)が消え、ひっそりとした印象に。集落の辻には小さな石仏が並んでいて、ここが昔からの道であることを示している。じわりじわりと斜度が増してくる。二人ともレバーを操作し、カラカラとロー側のギヤに変速した。しばらく行くと旧油坂スキー場で今は「油坂さくらパーク」と呼ばれるコテージ群にたどり着いた。晩秋だというのにドッと汗をかく私。思わず上着を脱いでアンダーウェア1枚になる。途端に立ち上るオッサンの湯気……
「なんや井上はん、えらい汗やな。太り過ぎちゃいまっか!」それを見てシシャチョーがからかってくる。「いやいや! こっちは取材のためにカメラ2台にレンズ1本、おまけに迫田さんのスペアチューブとか全部持ってるんですよ!」と言い返す私。「ほぉ〜! せやけどワシ知ってまっせ! 井上はんのバイク、前はコンパクトギヤで後ろのギヤ34Tやん。ワシのはノーマルギヤに32T、ワシの方がきついんでっせ〜」とニヤリと笑う。アラフィフ2人のくだらないせめぎあいに思わず二人とも笑いが込み上げてきた。
小休憩をして出発。道はそのままつづら折りになって油坂トンネルまで続いている。もともとの旧道はこの油坂さくらパークの横から直線上に峠まで上るようだ。しかしそこへの道は見当たらず、見つけてもロードバイクでは決して入っていけない道だ。ものすごく興味を惹かれながらもつづら折りの道を進むことにした。しかし斜度は言うほどキツくなく、つづら折りの道は緩やかに蛇行していて存外快調に走れる。二人の荷物の重量差も、先ほどのギヤ歯数の差でバランスが取れ、そして快適なハイエンドのカーボンロードバイクということもあって、二人ともペース良く進み、あっという間に峠に着いてしまった。
美濃側はとにかく急で、越前側は深い山の中をひたすら行くという油坂峠からの道。事前の高低差を調べる中で相当に覚悟していて、シシャチョーにも注意するように言っていたのだがあっという間で拍子抜けしてしまった。
しかし無事に難所を越えたということは、後は快適な旅が待っていると言うことだ。記念撮影をした後トンネルを抜け、越前方面の下りに入った。九頭竜湖(くずりゅうこ)を越えれば今日の目的地、越前大野だ。
爆走する大型トラックにおびえながら下る
※中部縦貫自動車道の2026年福井県内全線開通(福井北IC~白鳥IC)を目指した工事のため、現在、九頭竜ダム周辺の国道158号は工事車両の往来が多い状況となっています。
難なく油坂峠を越えたことに気を良くし、二人とも九頭竜湖に向けてひた走る。九頭竜湖はダムの造成によってできた人工湖で、この辺りでは相当に大きな湖だ。人工湖とはいえダイナミックなその姿はとても印象に残るものだ。道は湖に向けて次第に斜度をつけて下っていく。
ペダルを止めて重力に任せて走っていくと、目の前の山ひだに美しい紅葉があるのに気がついた。次第に晴れ間も見えてきたため山にコントラストが付いてとても色鮮やかに見える。春が草萌える季節であるならば、秋は広葉樹の葉が最後の命の火を燃やす季節ではないかと思う。一見の価値がある紅葉だ。何とも感慨深い気持ちになった。
しかしそんな感動に浸ることができたのはつかの間だった。九頭竜ダムを過ぎた途端に道は狭くなりクネクネと曲がり出した。ブラインドコーナーも増えてきた。「迫田さん、ちょっと危ない道になってきましたね」「気をつけてゆっくり行きましょ!」
そこからの道は多少のアップダウンとワインディングが続き、道の狭さもあって集中して走ることになる。次第に交通量も多くなってきて少し緊張しながらも慎重に下っていった。随分長く下った感じがする。そういえば水分の補給も忘れてしまっていた。下界に下りた時は緊張で手が硬くなってしまっていた。
「道の駅 越前おおの 荒島の郷」で本日最後の休憩。この道の駅はアウトドア関連ショップも入っていて敷地も広く美しいところだ。サイクルスタンドもバッチリ用意されていて、下りで緊張しまくった体も休憩しているうちにほぐれてきた。何より大野の地元名産の品が数多くそろっているのもありがたい。ここで酢漬けの郷土料理「すこ」をモチーフにしたサイダーをいただく。この酸っぱさが疲れをとってくれたおかげで、宿までの最後の道を快適に走ることができた。
知らぬ間に辺りは暮れなずんできている。越前大野城のシルエットを眼前に見ながら宿に向けペダルを回した。今日の宿は瀟洒(しょうしゃ)な民宿。宿帳に名前を書いていると、我々からお願いするより先に、女将さんが「自転車でお越しなら遠慮なく玄関に入れてくださいな」と言ってくれた。ここでも人情である。
私が通されたのは最奥の間。大きな屏風が建てられて、まるで本陣に泊まる大名の気持ちで床につくことができた。
今回の距離:郡上八幡〜越前大野(約75.4km)
参考文献:
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社
旧街道じてんしゃ旅 其の一 旧東海道編(amazon)
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