旧街道じてんしゃ旅 越前美濃街道編三日目(最終日) 越前大野(福井県)〜福井

目次

サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は「越前美濃街道編」。越前、美濃それぞれの歴史的な見どころを回りながら走ることを目的に、本来の旧中山道の太田宿ではなく岐阜の町を出発点にして、三日目は越前大野から福井へと向かう。

 

二日目はこちら

 

越前大野城

抜けるような晩秋の空の中にそびえる越前大野城。最終日の旅立ちにふさわしい朝だ

 

いよいよ最終日、戦国時代の遺跡をめぐる旅

早朝、旅館の部屋で荷物をバッグに詰めながら、タブレットを取り出し、最終日の行程を確認していたら「朝ごはんができました!」の女将さんの呼び出しの声。食堂に行くとすでにシシャチョーが飲み過ぎでむくれた顔で朝げをパクついていた。

「おはようございます! いよいよ今日が最終日ですなあ」「井上はーん、おはようさんです! 今日はどこが見どころでっしゃろ?」「ここからは比較的下り基調の道で、やっぱり旧街道と言っても国道を通ることになりますね。でも朝倉氏の一乗谷までいけば、古(いにしえ)の雰囲気を味わえますよ!」「何ですか? その朝倉っちゅう奴は?」「戦国時代にこの辺りを治めた武将ですよ! 知らないんですか!?」「あ、あの朝倉、浅井で信長と戦った武将ですな! 知ってますよ! ワシ大河ドラマファンやし!」

 

朝食を食べるシシャチョー

飲みすぎて顔がパンパンにむくんでいるのに、朝飯のうまさに負けて大食らいするシシャチョー

 

そうなのである。ここから越前美濃街道は大部分が国道と重なっているのと、下り基調のため、どちらかというと風情を楽しむと言うより、軽快にサイクリングを楽しむコースとなる。それはそれで楽しいのだが、やっぱり我々は旧街道じてんしゃ旅を楽しみたい。その意味で今日はハイライトとも言える「一乗谷(いちじょうだに)朝倉氏遺跡」を通るのだ。

戦国時代が好きな私は、実はこの最終日が楽しみで仕方なかった。だから朝っぱらからひたすらタブレットで遺跡の情報をあさっていたのだった。

さて出発。宿の女将さんは丁寧に宿の外まで見送ってくださった。若人ならいいかもしれないが、こんなアラフィフ2人にと頭が下がる思い。朝日を浴びながら出発。外はキリッと冷たい空気。少し冬を感じさせる。

越前大野の町は城下町の風情をよく残している。しばらくゆっくりと走っていると朝市に出くわした。ここは七間通りというらしく、市が開かれていた。軒先に野菜や果物を並べて売っている出店が出ていた。
「いらっしゃーい!!」「採れたてだよ!」「うちもコロナで寂しいものなのよ」。店の常連との会話だろうか、走っている我々にも朝市の雰囲気が伝わってきた。はやりのマルシェやおしゃれな出店もいいが、こんな風に地元の人々が地物を店先で売るという雰囲気が旧街道じてんしゃ旅には似合っている。そんな一瞬の巡り合いが貴重な体験となる。

越前大野の城下町。趣のある路地があり、ゆっくりと散策して走りたくなる。ほどなく一つ目の峠を越えて福井市に入る。いよいよ最後の行程だ。

 

越前大野の城下町

越前大野の城下町。趣のある路地があり、ゆっくりと散策して走りたくなる

福井市に入る

ほどなく一つ目の峠を越えて福井市に入る。いよいよ最後の行程だ

 

やっぱり寄り道をしてしまう。大人げない二人

大野市を出発し、ちょっとした峠を越えると福井市に入った。この旅の到着地点がある街で福井県の県庁所在地だ。旧街道は国道158号と化しているため風情はほとんどないが、代わりに足羽川(あすわがわ)というこの辺りでは大きな川が蛇行しているのに合わせ、国道も蛇行して下っていく。その脇にはJR越美北線(えつみほくせん)が走り、山あいの風景も合わせてのどかでありながら、どこか現実離れした雰囲気を感じさせてくれる。すっかり旅気分にしてくれる。こんな旧街道なら楽しいものだ。

しかしそれもつかの間、自称「旧街道ハンター」である我々には何だか物足りなくなってしまった。やっぱり刺激が欲しい。人間ぜいたくなものだ。こんなときはやっぱりシシャチョーの出番である。

「何かおもしろい道ないですか? 迫田さん探してくださいよ!」「よっしゃ! まかせとき! ……アッ! 井上はん、止まって止まって!」さすがシシャチョー。さっそく道を見つけたらしい。

「あのコンクリートづくりの細い橋……あの先が杉林まで伸びてますやろ? あそこ行ったら面白いんとちゃいます??」「よし! 行きましょ!!」

そういう筆者も無鉄砲ぶりはシシャチョーと変わらないものがあるので、2人して橋を渡り、川沿いの荒れた舗装路を走り出した。

ガガガガガガ!!! 荒れた道でフレームバッグの中身が揺れる。舗装のあちこちにタイヤ1本分ぐらいのひび割れが現れた。しかし現代のロードバイクはすごい。太めのタイヤとディスク仕様のカーボンホイールの乗り心地もあって、そのぐらいの路面ではビクともしない。むしろ余裕を感じさせるぐらい。そんな路面もバイクがペロッと平らげてしまっているような感覚なのだ。最新のロードバイクなら旧街道じてんしゃ旅はまったく問題なく走ることができる。

「おおお! ここは雰囲気がいい! 写真撮りましょ!」「いつも撮ってもらってばかりやさかい、今日はワシが撮りますわ!!」とシシャチョー。

誰もいない田んぼの脇道ではしゃぐアラフィフオヤジ達。最終日の寂しさとは裏腹に童心に帰ったように走り続けた。しかしそのまましばらく走っていると、突然道がプツンと途切れてしまった。国道に出るには自転車を担いで田んぼのあぜ道を通って線路を越えるしかない。

しばらく解決策が浮かばずにたたずんでしまった。おとといのクリスティーナさんの時もそうだったように、我ながら無鉄砲さにあきれてしまう。
「こりゃまずいですよ。線路は無理でしょ」「ほな道探しますわ!」とシシャチョー。
そして1分ほどして「ありましたよ!!! こっちこっち」見ると田んぼのあぜ道の向こうに何とかジャンプして越えられるぐらいの小川が流れていた。それを越すとなんとか国道に出ることができた。

何だか犬の帰巣本能のように、シシャチョーには本能的に道を探し出す能力が備わっているのかもしれないと思ったのだった。

 

川沿いの古い道

川沿いに古い道を発見。こちらの方が旧街道っぽく感じる。しばらく走ってみたが行き止まり……

一乗谷に向けて走る

一乗谷に向けひたすら幹線道路を走る。横を走るのはJR越美北線

古い道

幹線道路ばかりではつまらないので、古い道を見つけるとつい寄り道したくなる

 

世の中はやはり無常か。一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねる

福井市街地に入る手前に一乗谷朝倉氏遺跡がある。足羽川沿いにカーブを曲がったところにそれは突然現れた。ひと目見て今までと雰囲気が違う地域だということが分かる。シシャチョーもそれを察したのか、自転車を止め、無口になって遺跡の方を見つめている。

 

一乗谷

国道を左折して突然視野が広がった。一乗谷に着いたのだ

一乗谷

両脇を山に挟まれた隠れ里のような一乗谷。朝倉氏の一族が治めた郷だ

 

ここは朝倉氏が五代103年に亘って治めた鉄壁の防御を誇った城下町だ。谷の両脇には小高い山に囲まれ、山の頂上には一乗谷城が築かれ、辺りに睨みを聞かせていた。入口は足羽川が天然の堀となり、まさに難攻不落の武装都市のようだったそうだ。また、当時の一乗谷は応仁の乱により避難してきた多くの公家や僧侶、文人、学者たちにより華やかな文化が開花し、最盛期には京都、堺に次ぎ人口1万人を超える越前の中心として栄えていた。これらの遺物は近年の発掘によって出土しており、鉄砲鍛冶や木地師(きじし)の住居の跡などが実際に発見されており、出土品は2022年秋開館予定の「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」で見ることができる。

さて一乗谷そのものは視野の範囲で全て捉えられるぐらいの範囲でしかない。しかしそこには天然の地形を活かした絶妙な町づくりがされていたという。シシャチョーと自転車を降り、押し歩きながらその雰囲気を味わう。

 

一乗谷の遺構

一乗谷の遺構は当時を知るうえで、一見の価値ありだ。朝倉氏の居城跡や武家屋敷、町人、寺院の跡まで発掘されている

 

朝倉氏の屋敷跡に入り、礎石(そせき)を見ながら
「いまだにこんな遺構が残っているのは珍しいんでしょうな。跡地に晴れがましいコンクリートづくりの天守とか館とか作っているところもあるけど、ここはそんなことしてないから雰囲気あっていいですなあ」とシシャチョーがつぶやく。
「何もかもなくなってしまったからこそ、歴史を感じられるって感じですね。何だか無の美しさと言いますか」と私。

栄華を誇った一乗谷も、朝倉義景のときに織田信長に滅ぼされてしまった。
仏教ではこの世は無常、つまりは少しも永続するものはなく、全ては変わりゆくものというものだという。朝倉氏はどんな思いでこの城下町を作り上げたのだろう。まさに夢の跡……。そんな思いを抱きながら一乗谷を後にした。

間もなく眼前が開け平地に出た。足羽川沿いに進んでいくと、遠くにビル群が見えた。最終目的地の福井駅だ。

そして程なく到着。3日に渡った越前美濃街道の旅は終わった。走り終わってみると、朝倉氏の活躍した戦国時代前後から、美濃と越前の関係は深かったのだということを身をもって感じることができた。朝倉義景は美濃の斎藤道三と戦ったり和睦したりと関係が深かったし、江戸時代は人の往来も増え、越前と美濃との交易も増えたに違いない。

越前美濃街道は二つの国の歴史を存分に感じさせてくれる街道だった。

 

福井駅前

福井駅前がこの街道のゴール。駅前では江戸時代よりはるかに昔に闊歩(かっぽ)したであろう恐竜が待っていた……

 

 

今回の距離:越前大野〜福井(約36.9km)

参考文献:
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社

 

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