旧街道じてんしゃ旅 幕末・明治維新の道をゆく 導入編

目次

サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は「幕末・明治維新の道をゆく」。土佐から大洲(おおず)まで、坂本龍馬脱藩の道をたどりながら明治維新の志士たちが通ったであろう道を走り、想いをはせる旅となるのか。出発前日は土佐藩の志士たちの足跡をたどる。

 

高知桂浜にて想いにふけるシシャチョー

高知桂浜にて想いにふけるシシャチョー。旧街道じてんしゃ旅は今回歴史をたどる旅になった

 

明治維新に重要な役割を果たした旧街道

どの街道の取材だったか忘れてしまったが、旧東海道のどこかの宿場の夜だったように思う。その日の旅を終え、宿でひと風呂浴びてから、シシャチョーと二人で街なかに繰り出し、居酒屋で夕餉(ゆうげ)を取っていたときだった。いつものように酒が進むにつれていろいろよもやま話に花が咲いた。次第に学生時代の思い出話になっていった。最初はコンパでバカをやった話や当時付き合っていた彼女の話などまったく他愛もないようなネタだったが、次第に当時の夢だったり想いだったりを語りだし、それがいつの間にか幕末の志士、坂本龍馬の話になり、最後には龍馬と旧街道の関わりについて熱く語りあったのだ。旧街道をサイクリングしながら明治維新の史跡をたどる……。そんなコンセプトが自然にできていった。

「迫田さん! いつか明治維新に関わる旧街道を旅しましょうや!」「そりゃええ! そりゃ行かないかん!!」とそういう話になったのだった。

ちなみにシシャチョーと筆者は同い年で、二人が大学に進学したのが1986年のこと。日本がバブル経済への序章を踏み出したころだった。経済大国となり世界進出を果たした日本は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。世の中が明るさに満ちていた頃だ。シシャチョーも私も勉強もそこそこに、プリンスやマドンナなど流行りの音楽を聞き、トップガン(初代)を観てMA-1を身にまとい、アディダスのスタンスミスを履くような世間一般の若者だった。いわゆるキャンパスライフというものをフルに謳歌(おうか)した若者だった。だがそんなアップテンポの世の中に、何か虚無感を私は感じ始めていた。日本のあちこちを自転車旅で走り始めたのもちょうどこの頃だった。大学生という多感な時期、何かの拍子で人生の過ごし方が変わることもあるのだ。そのきっかけの一つが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だった。自転車であちこちを野宿してまわりながら、ヘッドランプで「竜馬がゆく」を読んでいたのを覚えている。

この本は読者の皆さんの中にも読まれた方は多いことだろう。封建的な土佐の地を飛び出して、維新の志士となって世の中を動かし、そして志半ばに倒れていった坂本龍馬を題材にした歴史活劇小説だ。バブル経済の崩壊という乱世を予感させる当時の日本の様子が、明治維新とオーバーラップしたこともあって、とにかく「竜馬がゆく」を夢中になって読んだ。しかも何度も何度も繰り返して読んだのだった。私はすっかり明治維新に染まってしまい、それまでの浮かれ気分の大学生から、次第に自分自身に帯びた使命は何か? そんなことを探すような人間に変わっていった。別に政治的思想的なことでの変化ではなかったが、何かが大きく変わったように思う(その割には実際は平凡な人生を過ごしてしまっているが……)。

旧街道じてんしゃ旅 旧甲州道中・旧日光道中・旧奥州道中編の出版後、別の仕事でシシャチョーと会っていたときだった。
「井上はん、いよいよ幕末・明治維新の道ですなあ! 何かええアイデアある?」「え? そうでしたっけ? 幕末・明治維新の道……」「前に旅したときに話してましたやんか……。忘れてるんですか? そう思ってワシ、久しぶりに司馬遼太郎の竜馬がゆくを読んでましてん」そこで件の宿場町での話を思い出したのだ。

シシャチョーも学生時代、同様に「竜馬がゆく」を読んで心躍らせていた。ここしばらく古く色あせた文庫本を引っ張り出してきて読んでいたとのこと。

「そうだった! やりましょう! 幕末・明治維新の道をゆく旅!」そうと決まったら二人共話が早い! 日にちも走る道筋もその場で全て決めてしまった。

「旧街道じてんしゃ旅 幕末・明治維新の道をゆく」。維新の志士達が通ったであろう旧街道を追体験する旅が始まった。

 

令和のやじきた、土佐の地へ

司馬遼太郎の小説がきっかけなら、まずは土佐の地を走らねばならない。そう思い、まずは「梼原(ゆすはら)街道」を走ることにした。坂本龍馬が脱藩するために使った「龍馬脱藩の道」として有名な道だ。高知城下にある龍馬の生家「才谷屋(さいたにや)跡地を出発し、梼原の集落を通り、難所の「韮ヶ峠(にらがとうげ)」を超えて大洲(おおず)城下に入り、愛媛の伊予長浜に至る道。四国カルストのある険阻(けんそ)な山の中を自転車を担ぎながら行く厳しい道程だ。ここを龍馬たちは早足で駆け抜けた。

ゴールデンウィーク半ば、シシャチョーは飛行機で、私は鉄道で高知に着いた。

 

高知龍馬空港の坂本龍馬像

高知龍馬空港に飛行機輪行で到着。早速、龍馬のお出迎えにテンション↑

高知の路面電車

筆者は鉄道で高知へ入る。岡山からだとJR土讃線で2時間半ほどの時間で着く

はりまやばし

待ち合わせ場所はご存じ「はりまやばし」

 

まずは龍馬や土佐勤王党の志士たちの足跡をたどるために、高知市内を巡ることに。本来はサイクルウェアに着替えて撮影に臨むべきだが、集合が午後2時を回っていたこともあり、二人ともTシャツとスニーカーでカジュアルに自転車にまたがることに。

「ま、まあすぐに晩メシですからな! 今日ぐらいはええでっしゃろ!」とシシャチョー。
「そ、そうですね! まあいいでしょう!」と私。そう言われると急に腹が減ってきた。

いかん! まずはメシの前にちゃんと取材をして使命を果たさねば……。大通りを走るのもつまらないので、商店街の中や裏の小径などを選んで行った。そのため結局、自転車には乗れず、ほとんど歩きながらの市内観光になってしまった。まあ、こんないきあたりばったりも旧街道じてんしゃ旅の醍醐味だ。

高知市内には維新の志士達の史跡が至るところにある。県下一丸となってPRしているので、多分に観光地臭くなってしまっているが、でもそれだけ明治維新と近代日本の礎になったという自信と誇りがあるからだろう。大事に大切にしているのがよく分かる。

 

幕末・明治維新の道をゆく

出発前日は土佐藩の志士たちの足跡をたどることにした

高知の小道

志士たちの足跡をたどるはずが、こんな小道に吸い込まれるシシャチョー。まだ早いよ!

 

直前まで「竜馬がゆく」を読み直していたシシャチョーは、石碑を見ただけで興奮気味だ。
「おぉ! 後藤象二郎!」「おぉ! 武市半平太!」などと辻のあちこちで見つけては叫んでいる。歴史小説でありながらフィクションも混ぜられ、読むと爽快な気持ちにさせられる「竜馬がゆく」は、まさに稀代の小説。アラフィフおやじの心も再燃焼させてくれるようだ。

 

板垣退助の出生地

土佐藩士で、後に日本議会政治の父となった板垣退助の出生地

後藤象二郎の出生地

坂本龍馬を支え、藩主の山内容堂を動かし、大政奉還へとつなげた後藤象二郎の出生地

武市半平太切腹の地

尊皇攘夷の狼煙(のろし)をあげ、土佐勤皇党を率いた武市半平太切腹の地。このような維新の史跡があちこちに

「才谷屋」があったところ

坂本龍馬の生家「才谷屋」があったところ。明日はここから龍馬脱藩の道に向けて出発する

 

ひとしきり市内を観たあと、自転車にまたがって桂浜を訪れた。小説の中でもたびたび登場するこの浜には、ご存じのとおり坂本龍馬の銅像が建てられている。旅の前日には必ず訪れようと二人で約束していた場所だ。

この日は雲ひとつない晴天。きっと太平洋は彼方まで澄み切っていて青く、桂浜は美しい姿を見せてくれるだろう。そんな期待でいっぱいだった。私も大学時代に自転車で四国一周をして以来の訪問だ。

しかしながら久しぶりに訪れた桂浜は、残念ながら完全にテーマパーク化してしまっていた。以前からも観光地化していたが、さらにその度合いは増してしまっていた。
日本にありがちな景観にそぐわない色のノボリが無秩序にはためき、龍馬をデフォルメしたキャラクターのお土産が売られ、明治維新には興味の無さそうな観光客がスイーツを頬張っている。日本の観光地はほとんどどこでもそうなのだが、あくまで来訪人数重視の商業地と化してしまっている。

龍馬の銅像に向けピースサインをしながら自撮りをしている観光客たち。この中の何割かは、この銅像が誰なのかさえ知らないに違いない。いわゆる映え写真を撮るためのやぐらが組まれ、そこに人々がずらずらと上っていっている。龍馬の銅像の顔の近くに迫れるやぐらだそうだ。

そんな衆目の中に立たされている龍馬の銅像は、何だか少し気恥ずかしそうに見えた。

あまりの人の多さに身動きが取れず、どうしたものかと考え込むことになった。まあ我々も彼らと同様にゴールデンウィークに取材に来ているのだから当然のことであるが……。「迫田さん、そこそこで帰りましょう。写真すら撮れないですよ!」と話しかけた。

ところが彼は私の言葉には反応せずじっと海を眺めている。腕を組みながら観光客が戯れている海辺を見て立ちすくんでいる。観光客だらけだが、桂浜に来れたことに感動しているのだろうか……。学生時代に読んで心を踊らせた司馬遼太郎の小説。再びそれを読んだことで、彼の心は本当に再燃焼したのかも知れない……。

そんな純粋な気持ちで彼はこの旅に臨んでいたのかと思うと、観光客だらけなことに不平を言っていた自分が少し恥ずかしくなった。たいしたもんだとシシャチョーの背中を見ているところで、彼は海に向かって大声で叫んだ

「今夜は鰹の藁焼きを食うぜよ!!」やっぱりメシのことを考えとったんかい!!!!

 

坂本龍馬の銅像

最後はやはり桂浜へ。坂本龍馬の銅像が太平洋に向かって立っている

桂浜のシシャチョー

学生時代に司馬竜馬を読んで心を熱くし訪れた桂浜。アラフィフでの再訪で去来した思いとはなにか……

 

一日目に続く

 

 

参考文献:
「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 文春文庫
「街道をゆく 因幡・伯耆のみち、梼原街道」司馬遼太郎著
「龍馬史」磯田道史著 文春文庫
「真説週間歴史の道 坂本龍馬 脱藩の道」 小学館
「坂本龍馬 脱藩の道を探る」村上恒夫著 新人物往来社
「坂の上の雲」司馬遼太郎著 文春文庫

「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社

 

旧街道じてんしゃ旅 其の三 旧甲州/旧日光/旧奥州道中編

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