旧街道じてんしゃ旅 幕末・明治維新の道をゆく 龍馬脱藩の道編 一日目 高知城〜津野町
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は「幕末・明治維新の道をゆく」。土佐から大洲(おおず)まで、坂本龍馬脱藩の道をたどりながら明治維新の志士たちが通ったであろう道を走り、想いをはせる旅となるのか。一日目は朽木(くちき)峠を越えて津野町へと向かう。
さあ脱藩するぞ!!
いよいよ坂本龍馬脱藩の道をゆく日が来た。初日、天気はまさに五月晴れというぐらい晴れ渡っている。太平洋に向かって広がる土佐のイメージにぴったりの空だ。
「さあ、脱藩しよ! 脱藩!! だっぱ〜ん!!」シシャチョーはそんな軽口を言いながら、何だか隣町に出かけるような軽いノリでウキウキと準備をしている。
「何か軽いですなあ!」と私。フロントバッグにカメラを仕舞いつつシシャチョーの軽口を聞きながら、脱藩の意味を思い出していた。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や、現在の歴史作家の本を読んでいると、どうやら「脱藩」という罪の軽重は、藩によって大きく異なっていたらしい。もちろん脱藩する、国抜けするということは、藩主を裏切るということになるのだから重罪であることに違いはない。しかし脱藩の理由によっては復藩できたり、処罰が軽く済むような藩もあったという。
しかしこの土佐藩は違った。脱藩した本人はもちろん死罪。斬首である。それどころか一族郎党処罰され、ことによっては家が途絶えてしまうぐらいの重罪だったという。
まさに一罰百戒の罪で、これによって脱藩する気持ちを削いだのだろう。坂本龍馬が脱藩したときも、生家には禍が降りかかったという。坂本家の本家は城下きっての商家であり、数々の武士の家にお金を融通していた。つまりは今で言う銀行のような役割だった。そのためか家の取り潰しまで累(るい)が及ぶようなことはなかったものの、龍馬の脱藩を手助けした二人の姉は、一人は離縁せしめられ、一人は龍馬に家宝の刀を渡したことで自害してしまったという。それだけ対外的にも対内的にも重大なことだったのだろう。
このことは司馬遼太郎の小説にも、のちの歴史作家の本にも同様に書かれている。
傑出した歴史の偉人の影には、こうした人々の犠牲があるのだと思う。
この旅で龍馬脱藩を追体験するならそのことも念頭に入れておくべき……。と思ったが、この空を見るとどうしてもウキウキしてしまう。まあいいか。「よっしゃ脱藩しましょ! 脱藩!」とシシャチョーの軽口に相乗りして出発した。
龍馬と沢村惣之丞(そうのじょう)の二人も、まるで隣町にでも出かける風情でふらっと出立したかもしれない。脱藩を隠すためにあえて悲壮感などまったくない表情で。
我々も明るく脱藩をすることにした。
旧街道らしさがたっぷり残る道
龍馬の生家跡を出発し、一路「檮原(ゆすはら)街道」を西に向かう。出発してしばらくは交通量の多い街中を走っていく。すぐに清流「仁淀川」にたどり着く。土手に上がるといきなりの美しい川。そして土佐の川と言うと山あいの中に青い水面という印象があるが、まさにそのままの姿だ。しばらく行くと河原に人が集まっているのが見えた。紙でできた鯉のぼりが仁淀川を泳いでいるようだ。子供たちのはしゃぐ声が橋の上まで伝わってくる。だんだんと旅気分が盛り上がってきた。後日調べてみると、いの町特産の紙「不織布」で作られた鯉のぼりイベントだということが分かった。
街中を抜け、道は小さな川の支流を伝って伸びている。辺りは田植えが終わったばかりの水田だ。小さな稲穂が水の中に健気に立っていて水面が風で波打っている。
美しい農村風景の中を二人は進んでいく。
都市部の緊張感から解放され、ペダルを回す速さもひと段落。いろいろと話しながらのサイクリングだ。とにかくシシャチョー&テンチョー令和のやじきたの二人は話が尽きない。周りの人から「よくそれだけ話し続けられますね?」と感心されるほどネタが尽きることはない。風景を楽しみながら、ゲラゲラと笑いつつ走る。これぞ旧街道じてんしゃ旅の醍醐味。
しゃべりすぎて道を間違いそうになり、地図で確認するために一旦止まる。
「迫田さん、この辺りに猿田洞と言う洞窟があるみたいですよ。行ってみませんか?」
「……行くだけやったらエエですけど、中には入りまへん……」「へ? なんでですか?」「……まあ、とりあえず行きましょう……」
猿田洞に着いた。どうやらシシャチョーは閉所恐怖症、暗所恐怖症らしい。絶対に中に入らないと言い張っている。
そういえば以前、鯖街道という京と福井を結ぶ街道を取材していたとき、そびえ立つ崖を見て「うわー!! 怖いー!」と叫んでいたのを思い出した。いつも怖いもの知らずで、ぐいぐい押しの強い、いやアクの強いシシャチョーであるが、そんな彼にも怖いものが三つもあるとは。
猿田洞は外から眺めるだけで再出発。道は次第に上り坂となり、山の中に入っていく。途中に小さな棚田があったり、石積みの土手の中を押し歩くような、細い地道になったりする。旧街道の雰囲気が満載の道だ。司馬遼太郎が「街道をゆく」というシリーズで檮原街道について書いているが、イメージ通りの道が続き、思わず笑みがこぼれる。
「しかしエエ道ですなあ!」シシャチョーも満足げ。
難所の朽木峠を越える
さて今日の宿は津野にとってある。いつもはその日の夕方に宿を取るというやり方なのだが、檮原街道は山深く、宿の数も少ない。読者の皆さんが追体験される場合も必ず宿の手配をお忘れなく。
その宿にたどり着くまでにこの日最大の難所を行かねばならない。「朽木(くちき)峠」である。今回もさまざまな本を参考にして道を定めてきたが、この峠は果たして通っていけるのかどうか正直なところ見当がつかない。とにかく行ってみるまでだ。と覚悟を決めて進むことにした。
道は人里を離れ次第に山の奥深くに入っていく。すれ違うクルマや人はまったくいない。峠への入り口近くになって、今度は本格的に迷ってしまった。二人で別れて入り口を探す。しかしどこを見てもそれらしいものはない。道は未舗装路で、二人が右往左往する度に砂埃だけが虚しく舞い上がる……。
「ホンマにこの道で合ってまんのか?」「……」いつもは全て任せてくれるシシャチョーの不安げな声を聞くと、こちらも不安になってしまう。
「多分……合っていると思いますけど……あ! 看板がありました!」脱藩の道と書かれた手作りの看板を見つけて二人ともようやく安堵(あんど)した。
この辺りから「脱藩の道」とか「坂本龍馬脱藩の道」と書かれた看板が現れる。
「ここからは担ぎですね……」
朽木峠は完全に地道で自転車は担ぎ上げるしかない。読者の皆さんは出来れば迂回路を行く方が賢明と思われる。なにせ角の尖った大きな石がゴロゴロしていて、自転車を担ぎながらも何度も転びそうになってしまうからだ。
大汗をかきながら格闘すること30分ほど。林の中の平地に出た。宿場町の辻にあるような門が一角に建てられている。ここが昔の藩境だったらしく、関所が設けられていたという。龍馬と惣之丞はどうやってここを抜けていったのだろうか。当時の様子を想像してしばらく思いにふけった。
ところで龍馬の道の看板だが、何だか次第に過剰気味になってきていて、この平地では正直なところ立ち過ぎな感だ。違う人や団体が建てたのか、同じところに複数設置されていたり、ロゴマークみたいなのがあったり、手書きのものがあったり……。坂本龍馬を観光にと言う並々ならぬ気持ちが伝わってくるのだが、オリエンテーリングじゃないのでロゴ入りでカジュアルなのは何だか軽く見えてしまったし、親切な気持ちが裏目に出ているような感じもした。
全国各地の観光地に訪れるといつも思う。歴史的人物や出来事などを、何でもかんでもキャラクターにしてしまって、その人物を軽くしてしまっているのではと個人的に感じている。デフォルメは鳥獣戯画から始まる日本の文化だと言うのかもしれないが、デフォルメした歴史上の人物や、やたら美男にしたイケメン武将を見るたびに個人的には違和感を感じてしまう。ヨーロッパでは歴史的人物や偉人、政治家などをデフォルメしたりスポイルするような描き方をすることを禁じている国もあるという。デザインや表現の仕方、そして景観も観光の大切な要素だと改めて感じた。
さて日も暮れてきた。宿にはもう一足ある。先を急いだ。
宿のありがたさ
峠道は少々手こずってしまった。朽木峠の下りは上り以上に厳しく、ごろついた岩につまづき、肩に乗せた自転車でバランスを崩し、何度も足をくじきそうになった。補給食も底をつき二人ともハンガーノック状態。ようやく峠道から抜け出すとあとは延々と続く下り。そろそろ限界かと思う手前でようやく宿に滑り込んだ。
今日の宿は津野町にある「農村体験実習館 葉山の郷」。深い山あいの自然公園の中にある。とにかくこの辺りには宿が無く、貴重な存在だ。建物はきれいで設備も良く、たくさんの人が宿泊できる宿だ。窓の外の川の音も涼やかで落ち着ける宿だ。だがゴールデンウィークだと言うのに何と客はわれわれ二人だけ。何でもコロナの影響がまだ色濃く、なかなか客足が戻らないのだという。
さてひと風呂浴びた後は、待ちきれずに食堂に急ぐ二人。とにかく腹が減ってしょうがない。予想以上に朽木峠が厳しく、ギリギリセーフの状態だったのだ。
とにかく瓶ビールをもらって乾杯し、貪るように食らいついた。うまい! とにかくうまい! 瓶ビールは一気に空になりおかわりを頼む。
「すんませーん! ハイボールください!」とシシャチョー。彼は2杯目からハイボールと決めている。何でも太らないし、モテる体になるため、だそうである。
「す、すみません。うちはビールしか置いてないんです……ごめんなさい」「え、そうなんですか……。なんや! ビールしか無いんかいな……」とぶつぶつ文句を言い始めるシシャチョー。
「山あいの宿なんだから贅沢言っちゃダメですよ! あ、もう1本ビールください!」
2本目のビールを持ってきてくださった女性スタッフの方だったが、アラフィフオヤジの自転車旅の興味を持ったらしく、わざわざグラスにビールを注いでいろいろと話しかけてきた。
「へぇ〜そうなんですか、龍馬脱藩の道を自転車で! すごい!」「え? 東京から? 遠いところからありがとうございます!」「え? 体を鍛えている? かっこいいですね!」
「え? 雑誌社の方、すごーい!」
と聞き上手なのか、ずっと相槌を打ちながらシシャチョーの話を聞いている。シシャチョーもさっきまで文句を言っていたのに、段々と上機嫌になってきている。
「……そうなんですわ! で、この人がカメラ背負って撮って書いて……で、ボクが主人公なんですよ!」
おいおい! 二人旅違うんかい! アンタが主人公かい!? シシャチョー調子に乗って主人公は自分説を説き始める。
あげく「すみません。もう1本ビールもらえます? いや〜! ビールがうまいわ! やっぱりサイクリングの後のビールは格別や!」おいおい! ハイボールしか飲まないんじゃなかったの……!?
そういう私もすすめられるままにグラスを開け、何杯もビールをおかわりしてしまった。宿の人も一緒になって楽しく会話し、そして楽しく飲んだ。もう1本、もう1本と言うことで都合10本近くビールを飲んでしまったようだ。最後に「宿のお酒が底をつきました……」と言う声を聞いてお開きとなった。
前後不覚になりながら床に滑り込んだのだろう。当然ながら何も覚えていない。
翌日、まさかの厳しい事態に陥るとはこの時は予想だにできなかった。
参考文献:
「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 文春文庫
「街道をゆく 因幡・伯耆のみち、梼原街道」司馬遼太郎著
「龍馬史」磯田道史著 文春文庫
「真説週間歴史の道 坂本龍馬 脱藩の道」 小学館
「坂本龍馬 脱藩の道を探る」村上恒夫著 新人物往来社
「坂の上の雲」司馬遼太郎著 文春文庫
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社
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