“大人の”四国一周サイクリング完全ガイド Vol.8:徳島〜室戸〜高知。四国らしさを堪能する2日間
目次
四国一周ソロライドに興味のある大人のサイクリストに向けて、オススメのルートや実践的なノウハウを紹介する連載企画。春先から大人の事情で一時休載していたのだが、この秋の四国一周ベストシーズンに合わせて連載を再開。今回は徳島〜宍喰、宍喰〜高知の2日間、トータル230km区間についてレポートする。
DAY-5:徳島〜宍喰(ししくい)=101km
■友あり遠方より来たる。また楽しからずや
2021年10月20日(水)朝8時。徳島市内中心部の「HOSTEL PAQ tokushima」で、愛媛のサイクリング仲間と合流した。
筆者は「四国一周サイクリング チャレンジ1,000Kmプロジェクト」にエントリーした2019年8月当初より全行程をソロライドとして計画していた。しかしながら、2019年は「令和元年東日本台風」の大災害、2020年以降は「新型コロナウイルス感染症」の世界的拡大に長く阻まれ続けた結果、丸々2年間スライドして今回ようやくの実現となった。ご多分に漏れず筆者の仕事環境もその2年間でかなり変わっていたため、四国一周でオフィスを空ける日程をあらためて各方面に伝えたところ、筆者に先んじて四国一周に分割チャレンジしていたサイクリング仲間の上甲俊史(じょうこうとしふみ)さんから同行の申し出をいただき、上甲さん自身が最後に残していた今回の2区間を一緒に走ることになったのだ。そしてもう一人、同じく筆者のサイクリング仲間で、上甲さんの元部下でもあった坂本大蔵(さかもとだいぞう)さんが、徳島出発日の朝に2人の住む松山から徳島まで上甲さんとバイクをクルマで運んできてくれた。坂本さん自身はすでに四国一周をコンプリートしているので、今回は上甲さんの松山往復とサイクリングに帯同するサポートカーのためだけに貴重な時間を割いてくれたのだ。
四国一周を分割で走る場合、必然的にスタートとゴールが遠く離れた1-WAYサイクリングになるため、サイクリングそのことよりも、むしろその前後の移動の方が時間とコストに大きく関わってくる。今回のように四国内や近隣の府県からなら、移動時間だけ考えればマイカーが一番早いだろうが、話はそれほど簡単ではないのだ。今回の上甲さんを例にすると、まず往路の「松山〜徳島」は約200km。そのほとんどが高速道路なのでクルマなら2時間半ほどだが、電車だと高松経由になるので最速でも4時間程度かかり、始発でも朝8時の徳島スタートには間に合わないので前泊が必須となる。また、高速バスでも3時間半ほどなのだが、輪行バッグを載せられるバスが現在この区間で運行されていない。一方、復路となる「高知〜松山」については、輪行バッグを積載できる高速バス「なんごくエクスプレス号※要予約」があるので3時間で移動可能だ。ただ、最終の松山行が18:20発というのは時間的にやや余裕がない。電車なら最終は19:31発だが、4時間以上も掛かるので松山着は深夜の23:33となる。従って、パンクなどで遅れる可能性まで考慮すればやはり復路についても後泊が妥当だ。
つまり、もし公共交通機関で移動するとなれば、サイクリング日数に前後泊をプラスするか、かなりタイトなスケジュールでのサイクリングを強いられることになるので、いずれも多忙な大人の四国一周にはオススメしづらい。とはいえ、サイクリスト本人がマイカーを運転するのは、ゴール後に自走か公共交通機関でスタート地点まで戻るという意味になるので、それはそれで非現実的である。復路または往復ともレンタカーにする手もあるが、ソロライドとしてはコストが過大だ。結果として、今回の坂本さんのように運転手付きでのマイカー移動が、日程確保と体力面での負担は最小で、もし運転手がノーギャラで済めば、最もリーズナブルで最も贅沢な選択肢といえよう。
ということでこの2日間は、サイクリスト2人にサポートカー1台が帯同する“お大尽”ライドとなった。上甲さんの合流は坂本さんのサポートなしに実現できなかったと思うので、まさに持つべきは友、というお話だ。
■しまなみ海道から四国一周まで全てを動かした行政側のキーマン。
せっかくなので今回の2人についてもう少し紹介する。上甲俊史さんは2014年から18年まで愛媛県の副知事をつとめられ、現在は愛媛県信用保証協会の会長として地域経済を牽引する偉い人。坂本大蔵さんは愛媛県自転車新文化推進室(現「〜推進課」)の初代室長であり、退官後も瀬戸内しまなみ海道全体の地域振興を担う官民組織「一般社団法人しまなみジャパン」の専務理事としてサイクリングに関わり続けている元気な人だ。2人と筆者は、11年前からしまなみ海道や愛媛県、四国全体のサイクリング振興に関わる事業を介しての仕事仲間だったが、立場が変わってからはプライベートな酒席を共にするぐらいの友人的な関係だった。そこにコロナ騒動が勃発して、2年ぐらいはリアルに会いづらかったので、今回はソロライド縛りという禁を破って3年ぶりにご一緒することにしたのだ。
さて、この四国一周、そしてその発端となったしまなみ海道。現在までに四国エリア全体に拡大浸透しているこのサイクリングの大きな流れ。その全ては、実は11年前にこの2人を源流として始まったのだ。当時の仕事と現在の四国一周との関係について少し触れる。
2010年12月に愛媛県知事となった中村時広知事は、自ら松山市長時代から推し進めていた台湾との関係強化における方策のひとつとして「台湾のサイクリングブーム」に着目し、当時のブームを牽引していた台湾の自転車メーカー「GIANT」を糸口にして、しまなみ海道を国際的に知らしめるまで一気呵成に突き進んだ。しかしながら、こうした美しいストーリーの裏には必ず実行部隊がいる。それは当時県庁職員だった坂本さんが、GIANT契約レーサーで愛媛県在住の門田基志(かどたもとし)とサイクリング仲間だったことに始まった。そして、県庁職員としては異色のリアルスポーツマンである坂本さんと、しまなみ海道の魅力を地元今治から発信しつづけていた門田との私的な関係性に大きな価値があることを、当時まだ部長級だった上甲さんが肌感覚で瞬間的に理解してちゅうちょなく知事に上申し、お役所的なスケジュール感を超越して一気に業務レベルにまで引き上げたことが、最初にして最大のターンニングポイントなのである。
具体的には、まず2011年1月に坂本さんが上甲さんと門田を引き合わせたことで、GIANT JAPANの広報・イベント担当である筆者と中村知事との翌2月の会談につながり、すでに台湾GIANTの日本国内サイクリングツアーを他の地域で計画中であること、その計画に愛媛県を追加する可能性などについて意見交換できた。そして2011年3月中旬にGIANT JAPANの社長と中村知事との会談を設定しながらも、東日本大震災で一旦白紙に。他所なら年度を跨ぐことで自然消滅してしまう可能性もあったところ、中村知事の意向を汲む上甲さんと坂本さんの情熱に引きずられるかたちで、その後も交渉を継続。結果として、震災のために1年先送りとなった台湾GIANTのサイクリングツアーは、計画当初にあった他の地域をとりやめ、全行程を広島県と愛媛県の瀬戸内海エリアで開催する運びとなった。一方、その過程で台湾国内でのサイクリングブームを象徴する「自転車新文化」という理念を共有し、しまなみ海道イベントに向けての足がかりとして「第1回 石鎚山ヒルクライム」を2011年10月に開催。坂本さんが大会委員長、筆者が競技審判長という手弁当っぷりだったが、現在も西日本屈指のヒルクライムレースとして人気を博しているのでもう問題ないだろう。なお、その「自転車新文化」という語も、愛媛県の成功事例に学ぶかたちで国内各地の自治体や団体等に伝播し、いまや一般名詞的に使われている。また、2012年4月には、イベントやサイクリングコースの警らをスポーツサイクルで行う日本初の専門部隊「愛媛県 警察バイシクルユニット」も発足。なお、ヒルクライム、県警ともに当時のトップが上甲さんだったことが非常識なほどのスピード感につながったという印象が強い。同じく2012年4月、これまた日本初となるJR駅構内のスポーツサイクルショップ「ジャイアントストア今治」がオープン。そして、すべてが2012年5月の「台日交流 瀬戸内しまなみ海道サイクリング」に結実し、その後のしまなみ海道の世界的な知名度向上につながっていったのだ。
2014年に上甲さんが副知事になって以降は、愛媛県の自転車行政施策がさらに加速。2014年10月に「第1回サイクリングしまなみ」を成功させ、2015年には坂本さんが室長の「自転車新文化推進室」が発足。しまなみ海道のサイクリング環境も進化を続け、しまなみ海道を訪れる外国人サイクリスト、特に台湾人が増えてくると、台湾側から「しまなみ海道(エリア)の次は?」というニーズが寄せられ、まずはGIANTの側で「次は四国一周」となった。連載中に記した通り、筆者もGIANT JAPAN側の立場で2014年の秋から四国一周ツアールートの設定を開始していたが、ほどなく愛媛県主導で四国一周サイクリング推進事業がスタートし、2016年度に「四国一周1000キロルート」を公開。それが翌2017年度には「四国一周サイクリング チャレンジ1,000Kmプロジェクト」に格上げされ、それが現在まで続いている。
中四国全体にサイクルツーリズムが浸透しつつある現在までには国内外問わず多くの思いと労力が寄せられてきたはずなので、1から100までの全てがここにあるなどとは言えないし思ってもいない。しかし、もしこの2人が2011年当時の愛媛県に居らず、筆者が別の担当者と交渉していたとしたら、少なくとも2012年の台日交流サイクリングはしまなみ海道にはならなかったはずだし、その先にある「サイクリングしまなみ」も「四国一周1,000Kmプロジェクト」も存在しないか、あったとしても別のかたちになっていたとは確信する。そんな意味で、筆者にとっては四国一周サイクリング自体が幸運の象徴であり、この2人にはいわば戦友のような恩義を感じているわけだ。
さてさて、あまりに本題から離れすぎた。昔話はこれぐらいにして、徳島の朝に戻ろう。
■徳島から43kmはブルーライン通りでナビ不要。
この日もまずは「朝うどん」からスタート。前日までの香川行脚ですっかりルーティンとなった感がある朝うどんだが、徳島の粋人いわく「香川より徳島の方が……(以下自粛)」とのことだったので、徳島駅のすぐ東側にある「セルフうどん やま 徳島駅前店」に直行した。
こちらは讃岐うどんでいうセミセルフ方式で、県内に数店あるらしい。強くオススメされた甲斐あって、麺も出汁も上質。その割に非常に安価で、満足度まで含めたコスパでは香川と良い勝負だろう。いやはや、何杯食べても四国のうどんパワーには圧倒される。
たっぷりのうどんで心とお腹を満たして、ようやく本当にスタート。まずは徳島駅から22km先にあるスタンプポイントを目指す。徳島から小松島にかけての市街地を抜けるまでは、四国一周基本ルートのブルーラインは交通量が甚大なR55バイパスを避けて海沿いの県道を通る。そのため右左折もそこそこ多いのだが、全ての曲り角に正しいルートを示す路面ピクトがあるので、徳島駅から約16kmでR55バイパスに合流するまで、誰でも迷わずに安心して走行できるはずだ。なお、小松島の先からはR55の交通量も半減し、道幅も舗装状態もかなり良くなるので、ほぼストレスフリーだ。
「小松島市街の交差点ブルーライン表示」※筆者によるYouTube映像
四国一周の安心感を高めてくれるブルーラインの交差点表示の動画(約30秒)
この日最初のスタンプポイントは、阿南市に入ってすぐのR55沿いにある「道の駅-公方の郷なかがわ」。こちらの営業開始が9時なので、それに合わせて徳島スタートを8時としたのだが、朝うどんで30分ほど押したこともあって9時半ごろに到着した。こちらは「公方(くぼう)」などという重々しいネーミングに反して、産直市が主体の親しみやすい施設で、開店時刻から手作りのおにぎりや惣菜などもたくさん並ぶそうなので、朝食抜きでこちらに直行するのもよいだろう。
「公方の郷なかがわ」を出てからもR55をブルーライン通りに粛々と走る。しばらく平坦路が続くので身体的な負荷は少ないものの、阿南の工業エリアを抜ける2kmだけは道幅が狭いところにトラックが通るので、肩肘張らずに歩行者皆無の歩道も通行した。徳島駅から約31km地点、田んぼが広がりだしたところで左側に「セブン-イレブン阿南土井崎店」がある。その先1kmほどから峠越え区間が始まるので、必ずここでトイレと水分補給を済ませておきたい。
■絶対オススメのサブルートで海から日和佐(ひわさ)へ
「セブン-イレブン阿南土井崎店」から6.5kmほど緩やかに上り続けてトンネル区間を過ぎると、頭上に「E55日和佐道路の分岐まで350m」を示す案内看板があり、その看板の手前右側に旧道(K200)への分岐があるので、ここでブルーラインを外れ、交通量が格段に少なく景観の良い旧道(K200〜K25)を約20km走って日和佐に至るサブルートが筆者のオススメだ。ただし、途中に分岐点がいくつかあるので道に迷うリスクが高く、スマホやサイコンに読み込んでおいたルートをトレースして走ることができる大人のサイクリスト限定となる。また、海沿いの一部に道幅が狭い区間があるため、大型トラックなどのサポートカーを帯同するツアーではやや注意が必要だ。
「日和佐サブルート」※筆者によるYouTube映像
阿南小野でR55ブルーラインから分岐する旧道の動画(約2分)
海沿いに点在する古い街を旧道とJR牟岐(むぎ)線がつなぐこの区間。小さな峠を越える苔むした道で森の匂いに包まれ、そこから坂道を下るとすぐに懐かしい雰囲気の海街が出迎えてくれる。由岐、田井ノ浜、木岐まで、3つの駅が都心の地下鉄ほどに短い間隔で続いたと思えば、そこから10kmは不安になるほどの細い道で急峻な地形を縫って走る。やがて美しい湾を見下ろしながら長い下りを快走すると、穏やかな表情の「大浜海岸」に至る。そこが日和佐(ひわさ)の街だ。サイクリング旅の醍醐味が凝縮されたかのようなこの区間は、天候が良ければぜひ時間が許す限りゆっくり走ってほしい。
「日和佐」とは旧町名であり、行政上の名称は美波町(みなみちょう)となる。例によって平成の大合併で生まれた町名だが、筆者は歴史をねじ曲げるような小賢(こざか)しい地名が個人的に大嫌いなので、敢えて日和佐と言い続けている。この日和佐地区には四国霊場23番札所である「薬王寺」があり、その門前の「桜町商店街」はこぢんまりとしたカフェや料理屋がイイ感じの街並みである。概ね予定通りの12時半に到着したので、薬王寺側にあった「阿波尾鶏中華そば藍庵(あいあん)」で昼食をとった。実はお目当ての店が定休日の勘違いで閉まっていたため、外観の雰囲気につられてこちらに決めたのだが、失礼ながら、こんな場所で食べられるわけがないと思えるほどのハイクオリティでびっくり仰天した。後で調べたら、ラーメン激戦区として知られる板橋で人気を勝ち得た店の経営者が、日和佐に惚れ込んだあげくに移住して開いた店とのことで、なるほど腑に落ちた。
食事後、この日2つめのスタンプポイントである「道の駅 日和佐」へ。R55沿いなので、つまりブルーライン通りに走ればここに至るわけだ。こちらは人気の観光地でもある日和佐の看板的な施設として、クルマの観光客、お遍路さん、オートバイ、そしてサイクリストまで、多くの人が立ち寄る場所となっている。地域の特産品からお弁当まで豊富なので、昼食や休憩はもちろん、海産物加工品などの土産品をここで買って宅配便で送るのもよい。うっかりすると予定外に長居してしまいそうだったので、ラーメンを食べ始めてからキリ良く1時間で、後ろ髪を引かれる思いながら出発した。
■絶景の「南阿波サンライン」で南国サイクリングを堪能
「道の駅 日和佐」から2km弱で、今度はブルーラインの方がR55を離れて「南阿波サンライン(K147)」に入る。こちらはややキツめの上り坂が入り口から3kmほど続くものの、焦らずに軽めのギアをくるくる回してある程度の標高まで上がってしまえば、あとは緩やかなアップダウンが長いリズムで繰り返されるのでマイペースで楽しめる。
前日までの瀬戸内海とは明らかに異なる海の表情は、四国の太平洋側に達したことを教えてくれるだろう。ちなみに「瀬戸内海」の範囲は国内外で異なっていて、国際水路機関(IHO)の規定では大磯崎(鳴門市)〜淡路島〜田倉崎(和歌山市)ラインが東端とされるが、国内法では蒲生田岬(かもだみさき・阿南市)〜紀伊日ノ御埼灯台(きいひのみさきとうだい・和歌山県日高町)ラインとなる。いずれにしても、四国一周ルートで最初に“太平洋到達”を実感できるのが、ここ「南阿波サンライン」なのは間違いない。海ばかりでなくシュロの木などの植生も南国の観光道路という趣きがあり、天気が良いとまるで沖縄本島のヤンバルを走っているような錯覚も感じるほど。また、途中4つの展望台からの景観も素晴らしいので、トイレ休憩がてら立ち寄ってほしい。
実は、四国一周基本ルートの計画時にはサンラインのアップダウンを嫌ってR55の方を基本ルートにする案もあったのだが、分岐点の先にある日和佐トンネルがサイクリスト向きではなく、かなり危険なことと、圧倒的な景観の良さを重ね合わせた結果、サンライン側にブルーラインが敷設されることになった。ぜひゆったりと時間をかけて楽しんでほしい。
「南阿波サンライン」を抜けて牟岐(むぎ)の市街に下るとR55に戻るので、しばらくはブルーラインをトレースするが、牟岐から6kmほど進むと分岐するY字交差点があるので、ここでまたブルーラインを外れて左斜め方向の旧道に入る。ひたすら道なりに4.5kmほど直進すると、海部川の河口あたりでまたR55に戻る。ちなみにこの区間をブルーライン通りに走ると軽い山越えになるので、脚力が有り余っているか、へんろ道などの旧道には心が惹かれないという御仁に限り、猪突猛進に直進するとよい。いずれにせよ、この日のゴールである宍喰には明るい時間に到達できるだろう。
■藍染めとサーフィンをつなぐ地元の粋人に空海を学ぶ
宍喰ではちょっとしたご縁から人と会うことになっていた。筆者の大学時代からの友人がサーフィンのために年1〜2回ぐらい宍喰に来ており、そこで世話になっている地元の人が面白い取り組みをしているので会ってみてはと勧められたので、道の駅から折り返して「in Between Blues」という素敵なネーミングのショップを訪れ、オーナーの永原レキさんと会った。レキさんは様々な活動をされている非常に多才な人で、藍染めから電動アシスト自転車に至るまで多岐にわたってお話を伺ったのだが、中でも印象に残ったのが「空海」の概念だった。
四国一周に心惹かれる大人であれば、空海すなわち弘法大師とお遍路文化との関係はご存知だと思うが、四国の地形と自然が空と海の狭間に生きるという意味の悟りに導いたことで空海という語になり、それが現代まで受け継がれていること、空と海をつなぐという世界観が徳島の藍染め文化につながっていること、海と人を融合させるサーフィンと藍染めとは極めて親和性が高いこと、などをレキさんから伺い、これまで漠然としていた四国一周への思いがおぼろげながら言語化されたように感じられた。
当然ながら人類はすべて「空と海」の狭間でしか生きられず、日頃はそれを意識する機会もほとんどない。だからこそのサイクリングであり、だからこそのソロライドなのだろうと。しかしながら、ひとたび「空海」という概念が腑に落ちると、もはや四国を走る必要すらなく、いつもの皇居周回もまた空海なのでは? といった思いがどんどん膨れ上がっていき、結果としてはこの日を境に筆者の四国一周は「自分のなかの空海と四国の風景を重ねる旅」になった。なるほど、それが「同行二人」か。いやはや、1200年以上前の人にこれほど影響されるとは。恐るべき空海。無知で無自覚な筆者の弱さは割り引くとしても、大人の四国一周はすなわち空海ということできっと間違いない。
■食事の評判で選んだ宍喰のゲストハウス
日が落ちて真っ暗になった宍喰の街を慎重に走り抜けて「お宿・キッチンみつ佳」にチェックイン。宿に迷惑をかけたくなかったので、お風呂も着替えも後回しにして、いきなり夕食をいただく。宍喰でこちらのゲストハウスを選んだのは、第2夜の「タイヨウとうみ」と同じく、食事と接客のクオリティへの期待からであり、一周の日程を決める必須条件としていたほどに入れ込んでいた。前述の通り筆者は2019年から台風災害とコロナ禍で計4回ものリスケを強いられており、こちらにもその度に「また延期……」などという連絡を繰り返してきたので、ご主人の柔らかい対応にすっかりやられてしまい、初訪問の前からファンになってしまっていたのだ。
念願かなって迎えた夕食は、果たして期待以上のクオリティだった。すべての皿に気持ちと手技が感じられ、決して豪華ではないものの、丁寧な料理という印象。リーズナブルでおいしいニュージーランドのソーヴィニヨンブラン、そして旧知のサイクリング仲間との時間に、すっかり酔わされてしまった。自分でソロライド上等などと言っておきながら恐縮だが、感染対策という不条理な政策で他者との交流を制限されている状況下、特に宿メシなら仲間と一緒の方が楽しいに決まっている。その意味でも今回この区間で上甲さんと坂本さんに合流してもらえたのは本当にラッキーだったと思う。
翌朝の朝食も控えめに言って最高。泣く子も黙るほどに正しいニッポンの朝ごはんだった。いや、ひとつだけ、あとで写真を見て気付いたのだが、朝食の味噌汁配置が左奥なのは東京人としてはやや減点対象だ。もっとも、前夜の〆ごはんはきちんと右手前なので、もしかしたら定食だけ意図的に配置を関西式に変えているのかもしれない。まあ実のところはどちらでもいいのだけど、つまりそれぐらいしか減点ポイントがないほどに完璧な1泊2食だったということだ。こちらも必ず再訪すべき宿となった。
DAY-6:宍喰〜室戸〜高知=128km
■四国の大自然を象徴する室戸岬まで42km
2021年10月21日(木)朝9時。和室の布団でぐっすり眠り、美味しい和朝食をゆったりとチャージしたベストコンディションではあるが、平日の朝イチに走るにはやや条件が悪いR55の「水床トンネル」を避け、まずは旧道(K309)経由でスロースタートした。なお、もし宍喰ステイではなく「道の駅 宍喰温泉」からR55を走ってくる場合も、交通量や走力によってはこのルートで迂回するとよいだろう。
水床トンネルの南側でR55と合流するとすぐに高知県だ。ここから10kmほどは時折4〜5%ほどの軽い上りがあるので、足慣らしと朝食の腹ごなしを兼ねて無理のないペースで走る。そしてR55が海岸線に沿ってくるあたりから室戸岬までは、信号も左からの流入道もほとんどないので、今度はまるでタイムトライアルレースのような雰囲気となり、思い思いに快走できる。なお、一般道では60km/hが上限速度のはずだが、現実的にはほぼ全ての車両がそれ以上で走っており、なかには100km/h超で追い抜いていく車両もいるので、明るい尾灯を点滅させるなどの自衛策を講じつつ、油断せずに走ろう。
また、この区間で注意すべきはトイレ休憩のタイミング。まず宍喰から23km、住所が室戸市に変わってから5kmほど走ると、佐喜浜町の集落に向かう分岐があるので、ブルーラインを外れて佐喜浜の漁協に寄ればトイレを借りることができる。次は宍喰から35.5kmの「室戸ユネスコ世界ジオパーク」になる。走力のある男性なら一気に走ることも可能だが、あまり無理をせず佐喜浜休憩を予定に入れておくのがオススメだ。
■その日の走行距離と時間経過をざっくり頭に入れておく
この日は、今回の四国一周11日間で最長の128kmを走るので、もし他の日と同じペースで走るなら、必然的に実走時間(タイヤが回転している時間)も最長となる。しかもソロではなく2台で走るので、自由にペースを上げ下げするわけにはいかないし、休憩や食事の時間も長くなりがちなので、出発から到着までの総時間はさらに長くなるのが道理だ。このような場合は、1日の行程を3分割か4分割ぐらいにざっくり分け、走行距離と経過時間を把握しながら走ると、途中で遅れや到着時刻などをイメージしやすい。ちなみに商業的なツアーだと休憩ごとに区間を分けて管理するので100kmでも4〜6分割ぐらいになるが、個人ならそこまでシビアにする必要もないだろう。筆者は、上甲さんの前日の走行ペースと高知市の日没時刻(17:26)、休憩と食事の所要時間などを勘案して、この日の行程を以下のように3分割していた。
第1区間:宍喰〜室戸岬= 42km / 2時間半= 8:00〜10:30
第2区間:室戸岬〜道の駅 大山=40km / 3時間半=10:30〜14:00
第3区間:道の駅 大山〜高知市内=46km / 3時間=14:00〜17:00
実際、9:00にスタートして室戸岬を12:00直前に通過したので、その時点で予定からざっくり1時間半押し。つまり、時刻のみならず走行ペースも想定より遅いということになるので、高知着は恐らく18時半以降で真っ暗になるだろう、ということが昼前には自覚できていたわけだ。そうなれば、到着時刻の遅れに応じて宿に連絡したり前後ライトの点灯確認をしてみたり、あるいは走行ペースを無理のない範囲で少し速めるなり休憩や観光の時間を詰めるなりして明るい時間帯の到着を目指すなど、早い段階で対策できる。結果として気持ち的にも肉体的にも負担を軽減でき、安全にも寄与することになるので、毎日のスタート前に距離と時間経過をざっくり頭に入れておくことを強くオススメする。
■30kmでスタンプを3つ稼げる随一の区間
太古から続く地球の営みを感じさせる、まさにジオパークと名乗るに相応しい室戸岬から北西方向に折り返すと、風向きは当然として、街道沿いの雰囲気も一気に変わっていく。岬から11kmでこの日最初のスタンプポイント「道の駅 キラメッセ室戸」に到着。
ちなみに、この日の筆者一行はここで昼食休憩としたが、ここから19km走れば「道の駅 田野駅屋」、さらにわずか9kmで「道の駅 大山」※に達する。 ※2022年8月現在休業中のためスタンプポイント移設
スタンプ押印にこだわる大人のサイクリストなら、3か所いずれか成り行きで昼食をとることになるはずだ。ちなみに筆者は田野駅屋で昼食の予定だったが好物のクジラにつられて室戸になった。
■ブルーラインを外れて古い街並みを味わいたい
本連載でほぼ毎回紹介している通り、より楽しく、より安全なサブルートなら、積極的にブルーラインから外れることを筆者は推奨している。それはもちろん“地図が読めて話も聞ける”分別のある大人のサイクリストのソロライドというのが大前提だが、マップデータやGPSナビを活用することで貴重な旅の時間がさらに充実するのであれば、ちゅうちょする理由もないだろうと考えているからだ。
その観点からいえば、室戸から高知までの区間にはサブルートがかなり多い。今回は趣向を変え、以下の9箇所について5段階でのオススメ度やコメント(※BL=ブルーライン)を記したほか、それぞれの視点と終点の位置にリンクを貼ってみたので、計画時や本番で参考にしてほしい。ちなみにこの9か所は当該のブルーライン80km区間のうち35kmあり、トータルで3.5kmほど短縮できる。もちろん、全てを通れとは言わない。速く走って時間を短縮したいという健脚派ならバイパスを前傾姿勢でガシガシこげば良いだろうし、大型トラックと並走することにストレスを感じる人なら旧道をいくメリットが大きいだろう。ブルーライン頼みで思考停止することなく、自分にとって最適かつ最良のルートをさまざまな条件から導き出せるのが大人のサイクリストだと思う。
・室戸市「室津」〜「浮津」
約1.4km(BLマイナス300m):オススメ度=5:BLは信号の多い迂回路
・室戸市「浮津」〜「元甲」
約1.6km(BLプラス100m):オススメ度=3:BLは海沿バイパス
・室戸市「吉良川町甲」〜「吉良川町乙」
約2.8km(BLプラス100m):オススメ度=4:「吉良川の町並み」、BLは海沿バイパス
・奈半利町「乙」〜「奈半利駅入口」
約1.7km(BLプラス200m):オススメ度=5:BLは丘越え
・「道の駅 田野駅屋」〜安田町「安田」
約2.0km(BLプラス200m):オススメ度=5:BLは丘越え
・安田町「安田」〜「唐浜」
約3.3km(BLプラス100m):オススメ度=3:「安田の町並み」、BLは海沿の高架バイパス
・安芸市「港町・安芸川橋西」〜「西浜」
約3.3km(BLプラス100m):オススメ度=4:安芸市街旧道。BLは交通量多い
・香南市「夜須町坪井」〜「吉川町吉原」りんく>
約6.7km(BLプラス600m):オススメ度=4:自歩道+農道。BLは交通量過大
・南国市「久枝」〜高知市「若松町」
約11.7km(BLマイナス4.6km):オススメ度=5:旧街道。BLはバイパス迂回
■四国一周ブルーラインで唯一の自転車道を快走
この区間には「県道高知安芸自転車道線」という、なかなか快適な自転車道がある。土佐電鉄安芸線の廃線跡のため幅員が適切で勾配も緩やか、ほとんどの部分で車道と完全に分離されており、距離や獲得標高の面でR55を走るよりもリーズナブルのため、ブルーラインのうち約15kmがこちらに敷かれている。前述のサブルートと同様に、トラックと並んでひたすら国道をガシガシ行くよりは平均速度は下がるだろうが、よほどの事情がない限りは、かなりの上級者でも素直にこちらを通って不満はないはずだ。ただし、現在は台風による土砂崩れなどがコロナ禍の影響で復旧できず、一部区間がまだ不通になっていると思われ、しかもその部分の迂回ルートを事前に設定しておくのも難しいので、迂回時にコースミスするリスクはやや大きい。また、海からの風と満潮が重なると波を被ることもあり、高知市内でバイクを水洗いできるよう準備しておくと万全だ。
「高知安芸自転車道」※筆者によるYouTube映像
後半トンネル区間を走行中の動画(約1分30秒)
■高知に着いたら何はなくとも「ジャイアントストア高知」へ。
「青柳橋」の交差点を抜けて高知市街中心部に向かうK35に入ると、程なくして右手に「ジャイアントストア高知」が現れる。大人の四国一周サイクリストなら、時間が許す限りはぜひこちらに立ち寄りたい。一番の理由は、松山出発だと高知の到着日が四国一周期間の中日になること。そして走行距離の累計だ。筆者の場合は松山空港から高知まで638km、全行程1135kmの半分をこの日に越えたことになる。また、四国一周基本ルートをトレースした場合も松山から高知まで530km。やはり全行程972kmの半分をこの日に越えることになる。
さらに、この先に走る地域の事情を先取りすると、補修部品を店頭在庫しているようなスポーツサイクル取扱店がざっくり言えば宇和島までほぼ皆無のため、間違いなくこの高知こそメンテナンス必須の地となるわけだ。したがって、自身のメンテナンス知識や技術に自信がない大人のサイクリストであれば、あらかじめ「ジャイアントストア高知」に「ドライブトレイン簡易洗浄:全25項目のメンテナンス料金=¥6,600」の作業予約を入れておくことを推奨する。もちろん、閉店ギリギリに預けて翌朝8時に受け取ることなど不可能なので、ぜひメンテナンスDAYとして高知滞在の時間を長めに確保してほしい。
もちろん、必要十分なメンテナンスを自分自身でできるという上級者であっても、チェーンオイルなどの資材にはじまり、タイヤやディレーラー、ケーブル類、あるいはバイクパッキングなどの損傷、Di2バッテリーの充電など、ここまでの数日間に何かしらのトラブルを抱えているはずなので、安心を買う意味でも立ち寄る時間は決して無駄にならないはずだ。
ちなみに筆者は今回、滞在地の全てで1泊ずつしかできなかったが、もし1箇所だけ2連泊するとなれば迷わず高知を選ぶ。実際の問題としてメンテナンス、洗濯、パソコン仕事などの諸々に対して高知での滞在時間がまったく足りず、翌日の行程に大きく影響したことも申し添えておく。
「ジャイアントストア高知」※筆者によるYouTube映像
高知市街に着いたのでとりあえず寄ってみた動画(約2分10秒)
■それでも高知の夜はやっぱり楽しい
ホテルで手短に着替えを済ませ、高知観光の定番スポット「ひろめ市場」に直行した。コロナ自粛明け直後のせいか、皆さんまだおっかなびっくりという感じだったが、それでも2年半ぶりのこちらがしっかり賑わっていたのは本当に嬉しかった。
また、坂本さんはこの日のうちに松山まで上甲さんを乗せて帰らなければならない。高知から松山までは高速をフルに使って約160km。順調にいって2時間ほどだろうから、21時に出発して23時着。そんな厳しい状況でもギリギリまでジョッキを酌み交わすのが大人の流儀だ。当然ながら坂本さんはノンアルビール。本当に最後まで申し訳ないと思いつつも、それまでの倍以上のペースで際限なく酒がすすんでしまう筆者であった。(Vol.9へ続く)
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<筆者プロフィール>
渋井亮太郎(しぶいりょうたろう)
ジャイアントの広報・宣伝・イベント業務を主軸に、スポーツサイクル振興事業全般に関わるサイクルビジネスプロデューサー。2012年に開催したしまなみ海道での大型イベントを契機に「愛媛県自転車新文化推進事業総合アドバイザー」となり、以来、台湾と日本におけるサイクルツーリズム振興に携わっている。四国一周については、2014年にジャイアント側でツアー計画に着手し、その実績から2016年に自治体側の基本ルート設計を受任。以後も各施策にアドバイスしている。また、国際的なサイクリングツアーでの現場経験からサイクリングガイドの必要性を感じて「一般社団法人日本サイクリングガイド協会」を2014年に設立。スポーツサイクル業界の立場から、サイクルツーリズムの根幹を支える専門技術の標準化と専門人材の育成・組織化に取り組む。最近は多忙すぎてガイド講習しか自転車に乗る時間が取れずさらにメタボ化する54歳。