旧街道じてんしゃ旅 幕末・明治維新の道をゆく 西国街道編
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は京都と九州を結ぶ「西国街道」を走り、海軍操練所跡がある神戸へと向かう。前回の京街道と並走する街道ではあるが、果たして京街道以上の街道風情を楽しむことができたのであろうか。
神戸海軍操練所へ続く西国街道
シシャチョーと筆者、共に若い頃に司馬遼太郎の小説の影響を受けたことは前に書いた。高校・大学生時代に小説を読んで、幕末・明治維新の風雲の時代や明治時代を想像して過ごした。それは自分たちの人生に少なからず影響を及ぼしたことは間違いない。もちろん凡人である我々のこと、維新の志士たちのように国事に関わるようなものではなかったが、それでも何か困難や障害に遭ったとき、司馬遼太郎の小説が、それにあらがう原動力のひとつになったのは間違いない。
我々や、その上の世代にはそうした人たちが少なからずいると推察する。
さて、そんな二人が、坂本龍馬の他に興味を持った人物がいる。
幕臣「勝海舟」だ。
幕府の軍艦奉行という要職に付きながらも、開国主義者でもあった人物で、幕府の船、咸臨丸(かんりんまる)の艦長として乗り込み太平洋横断をしサンフランシスコに渡ったという派手な経歴を持つ。
異国に対抗するために、日本は海軍の設立と強化が必要だと説き、若くして国防の役に任じられ、その後「神戸海軍操練所」を設立。門下生となった坂本龍馬などがここで操船を学び、世界に出ていった。
戊辰戦争の折りには西郷隆盛と共に江戸城無血開城に尽力し、維新後も明治政府の要職を歴任した。
さまざまな書籍や後世の語りからすると、何とも破天荒な人物という印象で、とても幕臣というイメージから程遠い。そのイメージは坂本龍馬のそれと共通するところがある。
だからシシャチョーも筆者も勝海舟が好きなのだろう。
京街道を走り終えた次の瞬間には、
「次は勝海舟の作った神戸海軍操練所に行こう!」と二人して意見が一致した。
たどる道は京から九州まで続く「西国街道」。もちろん幕末・明治維新に大きく関わった旧街道だ。
京街道を走り終えたその数日後に、また二人して京に戻った。
やはり旧街道の雰囲気が残る西国街道
五街道をはじめ、さまざまな旧街道を走ってきたが、都市部になると旧街道の風情が失われていくのが常だった。しかし前回の京街道では都市部のなかにも旧街道がしっかりと残されていた。京街道を走ると、まるで迷路の中の正しい道を見つけたように楽しかった。だからこの西国街道もきっとしっかりと旧街道していることだろう。期待に胸が膨らむ。
梅雨の間を縫って道が乾いているうちにと、慌ただしく準備して京の東寺を出発した。
出発してほどなく道は下町を縫うようにくねくねと曲がりだす。予想通りに旧街道然とした道で思わずにやけてしまう。
交通量はやや多いものの、走りにくいというほどでもない。
「やっぱり思った通りや! 旧街道っぽさが残ってる! こりゃ西国街道も期待できますな!」シシャチョーの声が弾んでいる。
西国街道は京を出たあと桂川を渡った辺りから山裾を縫うように進んでいく。それと同じくして道の辻に「西国街道」と掘られた道標が見られるようになる。地域が西国街道を大切にしていることがよく分かる。とても素晴らしいことだ。
この西国街道だが、「旧西国街道」とは書いていない。東海道や中山道は後世に新たに作られた「東海道」「中山道」と「旧東海道」「旧中山道」の2つが存在する。旧が付く方は本来の街道のこと。甲州道中なども同様だ。
その新旧の存在が、何だか非常にややこしい。だから本書でも「旧東海道」「旧中山道」という表記にしている。
しかし西国街道や京街道(大阪街道)などはそれが無いのでそのまま表記している。
ビャーンチ!
さて、しばらく走っていると、まだ新しさの残る「西国街道」と書かれた大きな道標に出くわした。
「新しい道標やけど雰囲気ありますな! 井上はん、ちょっと記念撮影しますわ!」とシシャチョーは自転車を降りて写真を撮りだした。
幹線道路から斜めに切れ込むこの辻は、まさに旧街道でよく見かける道。クネクネと曲がった旧街道を新しい道がぶった切る形になるので、交差点が斜めになるのだ。
旧街道の特徴の一つである。
シシャチョーと二人、自転車を置いてあれやこれやと撮っていると、その傍らでじっとこちらを見つめている高齢の人がいた。
「なんや朝から楽しそうやな。それに高そうな自転車乗っとるな! あんたら」。その人物が声を掛けてきた。
「我々は旧街道を自転車で旅してるんですよ。自転車雑誌の取材なんです!」
「そうですねん! まあまあな値段でっせ!」とシシャチョー。
「ほーっ! 雑誌の取材かいな! そらすごいな! ほーっ! えらいええのん(良いもの)に乗っとるんやな! ほーっ! ほーっ! これは軽いんかな?(勝手に自転車を持ち上げてガチャっと置く)ほーっ! 軽いわ! ほーっ!(もう1台も持ち上げてガチャ!)」
「……。」
このご老人、ずっと「ほーっ! ほーっ!」ばかり言っている。フクロウじゃあるまいし……。そしてとめどなく喋りかけてくるので撮影がまったくうまくいかない。次第にうっとおしく感じてきた。
「そやけど兄ちゃん、ワシもええのんに乗ってるんやで!! ……そや、何というたかな……フランスの……そや! ビャーンチ!! ビャーンチ!」
「……ビ、ビアンキのことですか?」ビアンキは名門、そしてフランスではなくイタリアである。
「違うわいな!! 兄ちゃん! 何言うてるねん! 有名なフランスのやつよ! 緑のやつ! ビャー・ン・チ! ……なに? ビアンキ? 違うわい!! ビャーンチやがな! なんや自転車雑誌のくせに知らんのかいな……」と突然不機嫌になって舌打ちをして去っていった。あっけに取られる二人。
「……迫田さん、また引きつけましたな……妙なヒトを……」
「い、いやスンマセン! ワシ、引きがええんですわ……」
まったくシシャチョーといると変わった人物によく出くわす。
神足宿で宿場町風情を味わう
長岡京辺りで西国街道は山裾に張り付く。
右手に新幹線や高速道路で見慣れた山々が続いている。その裾をうねりながら西国街道は進んでいく。辺りは田園風景にところどころ古民家。
幹線道路の喧騒を離れゆったりとペダルを回しながら進んでいく。こんな道では自然とよもやま話に花が咲く。仕事のこと、家庭のこと、そして将来のこと、そしてところどころシシャチョーお得意のシモネタなども。
「そういや最近、道路にエッチな本が落ちてまへんなあ〜! あのネタは鉄板やのに! おっ! またあそこに道標がありまっせ!」
固い話の後にところどころ笑いがあるのがシシャチョーの語りだ。まったく飽きることがない。
しばらく行くとJR長岡京駅付近に出た。昔の「神足宿(こうたり)」だ。路面が石畳になっていて、あちこち古民家がある。宿場町の体をなしている。見どころがたっぷりだ。
「井上はん、ええ雰囲気やん! ちょっと歩いて行きましょ!」
「確かに宿場町の感じがたっぷり残ってますね!」
二人して自転車を押して歩いていくことにした。ここを自転車でさっと通り過ぎるのは非常にもったいない気がした。
しばらく歩いていくと「氷」の文字が見えた。見ると連子格子に虫籠窓(むしこまど)の雰囲気のいい甘味処。
梅雨時の蒸し暑さもあって少し休んでいくことにした。
シシャチョーの旧街道の原点を見た摂津国
山城国から摂津国に入り、西国街道は次第に様相が変わってきた。やはり都市化の波からは逃れられず、風景はマンションやビルが目立つようになってきた。しかしかろうじて道は旧街道の雰囲気が残っている。直線的な道のなかに一本の曲がりくねった道。外敵だらけの中でひっそりと息を潜めている生き物のように、旧街道は存在している。
「そやねん!そのたたずまいが近所にあるのに気がついたんですわ!」と突然シシャチョーが語り出す。
旧街道じてんしゃ旅の企画が決まった3年前のこと、シシャチョーはトレーニングを兼ねて大阪の自宅の近所を自転車で走ることにしたという。そのときにふと、いつも走っている道が何だか雰囲気のいい道で、しかも筆者の言うようにくねくねと曲がっていることを思い出し、さっそく自転車で向かったのだという。すると、今まで幾度となく通った道が旧街道であったことに気づき、思わず感動したという。
それが今回訪れた「郡山宿」だ。確かに周囲はハウスメーカー製の住宅やアパート、マンションが立ち並び、大阪近郊の都市という感じだが、西国街道だけは古い雰囲気を残している。
そんな道を走ってたどり着くのが郡山宿の本陣。
旧街道の雰囲気を今に伝える道だった。
何でもない近所の道が歴史ある道だったことを知る。これが旧街道じてんしゃ旅の醍醐味のひとつだ。近隣を探訪するだけでもそれを味わうことができる。それも魅力なのだ。
シシャチョーは旧街道を取材するようになってからも、幾度となくこの郡山宿を訪ねているという。何だか分かる気がする。筆者も同様に訪れる近傍の場所がある。
シシャチョーの旧街道の原点を見た気がした。
その後、目的地の神戸までは都市部を2時間ほどひたすら走ることになった。しかし各所に建てられた西国街道の道標や案内看板に、心を和まされ、そして励まされながら走ることができた。ここも西国街道への地域の思いを感じることができた。
そぼ降る雨に濡れ始めた。薄暮の頃になってようやく神戸海軍操練所に着いた。操練所ができる前は小さな寒村だったという神戸。今は世界に誇る国際都市となった。勝と龍馬が見たらさぞびっくりすることだろう。
街の灯りが灯りだす頃になって操練所を跡にした。
参考文献:
「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 文春文庫
「街道をゆく 因幡・伯耆のみち、梼原街道」司馬遼太郎著
「龍馬史」磯田道史著 文春文庫
「真説週間歴史の道 坂本龍馬 脱藩の道」 小学館
「坂本龍馬 脱藩の道を探る」村上恒夫著 新人物往来社
「坂の上の雲」司馬遼太郎著 文春文庫
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社
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