旧街道じてんしゃ旅 幕末・明治維新の道編 西高野街道・十津川街道をゆく 二日目
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画。今回の旅は大阪と奈良を結ぶ「西高野街道・大和街道・十津川街道」。明治維新の魁、天誅義子の足跡を巡るじてんしゃ旅へ出発。二日目は五條の町から十津川街道に入る。
十津川の自然が牙をむく
猛暑に苦しめられた西高野街道・大和街道だったが、しかし予想以上に旧街道らしさを味わうことができた。だからだろうか、街道話をつまみに、例によって痛飲してしまった令和のやじきたコンビ。
翌朝しっかりと寝坊してしまった。
「迫田さん、この時間では五條の町並みをまともに取材できてませんよ……どうします?」
「う〜ん、空模様がもう一つやし、急がなイカンから残念やけど、このまま行きましょや!」とシシャチョー。
古い町並みが好きな筆者は、少し後ろ髪を引かれる思いだったが仕方ない。今日は残念ながら雨予報だ。十津川郷を越えて紀伊に入り、新宮まで下る予定なのだから時間が足りない。諦めるしかなかった。
まあ、空模様というより寝坊して取材時間が無くなってしまったのが実情なのだが、とにかく十津川郷に向けて出発した。
しかし出発してほんの僅かのところでポツポツと雨が来てしまった。しばらくはそのまま我慢して走っていたのだが、やがて雨粒が大きくなり、しかも夏だというのに冷たい雨になってきた。
バチッ! バチッ! 雨とは思えない勢いで落ちてくる。しかも遠くで雷鳴も聞こえている。
たまらず道端でレインウェアを着込んだ。
私はツーリング時には山岳用のレインウェアを着ることにしている。トレーニングライドとは違い運動強度があまり高くないツーリングでは、雨は予想以上に潜熱を奪い体力を消耗させることがある。特に下り坂では一気に体が冷え低体温症に陥ることもある。そのために保温性も確保できる山岳用のレインウェアを携行することにしているのだ。そうすることで目的地にたどり着く確率も上がる。そして何より発汗性能と防水性能が高いことも理由のひとつだ。
レインウェアを着込んで再び出発した。しかし数km走ったところで雨は一気に豪雨になってしまった。もはや雨は目を開けていられないほどの勢いで打ちつけてくる。
私はフル装備のレインウェアだから良いものの、シシャチョーは上半身がレインウェアで、下半身は自転車用カーゴパンツのままだ。ビショビショになって走っている。
心配になって後ろを振り返って声を掛けるが、あまりに激しい雨音で声が打ち消されてしまう。天の底が抜けたような雨。
「しゃれにならん! ワシ晴れ男やのに!」
「道が川のようになっていますよ。この状態で走るのは危険です!」
たまらず近くの商店の軒先に入り込み雨宿りすることにした。偶然飛び込んだのは山の中にある1軒のカフェだった。
「す、すんません! 雨宿りさせてください!」
店の中から主人と思しき人が出てきてこちらを見てビックリしている。
「あ、アンタら自転車で来たのか? こんな日によく走ってるな? それでどこまで行くつもり? なに? 和歌山!? そら驚きやがな!」
カフェの中にはオートバイの部品やレースの写真があちこちに飾られている。どうやらオートバイライダー達が集うカフェらしい。
ご主人に聞くとオートバイ好きが高じて夫婦でカフェをはじめたという。この十津川街道はライダーが好む道らしく、次第にカフェには近隣のライダー達が集まるようになったそうだ。今ではカフェのお客さんと一緒にレースに出たり、ツーリングに出たりするようになったという。
その言葉どおり、大雨だというのに一人、また一人とお客が入ってくる。
「おはようさんです! マスター!」
「おお! ●●か! 今日は雨やからメシはサンドイッチしかないぞ! それでええか?」
「毎度マスター!」
「おお! こんな雨の中来てくれたんか! おおきに!」
などとやっている。
「このヒトたち、みんなうちのお客さんなんですわ!」とご主人が言う。
でもよく見ると誰一人オートバイで来ているお客はいない。みんな自動車でやって来ている。
どうやらご主人とのおしゃべりをしにカフェに来るようで、オートバイでなくても晴れでなくても来るのだそうだ。
「そう言えば●●! お前最近出会い系アプリにハマってるんやって!?」
「あ〜知ってましたか、最近は……を使っていて……」
ご主人がお客の一人をからかいながら話し掛ける。
「何! 出会い系アプリ!? ナニナニ!! お兄ちゃんワシにも教えて〜!!」
シシャチョーが食いつく。
「やめなさいって!ナンパの次は出会い系って!! このヒトは宿場町ごとに女性をナンパしているんですよ……」
「ワシはまだモテたいんじゃ!!!」
そんなやりとりに、座に会した一同が大爆笑。
カフェで出会った客同士が仲良くなっていく。お店とお客の垣根を越えた付き合いなのだろう。笑いが絶えない楽しそうな雰囲気だにわれわれも心地よく、ついつい長居してしまった。
外をみると多少雨脚が衰えたようだ。
しかしこの日はこれ以上進むことをやめた。
なぜならこの十津川流域は水害が発生しやすいことで有名である。明治時代は十津川大水害という、現代で言う激甚災害が発生した。近年も大規模な土砂崩れなどが発生している。
上流で振った雨は次第に川を伝って集まり、時間を置いて下流を襲う。そこまで行かなくても道路の損壊や倒木、土砂崩れなどが発生しているかもしれない。
別に急かされて目的地まで行かねばならない旅ではない。ゆっくりと楽しむ旧街道じてんしゃ旅だ。今日は予定を変更して五條に取って返しもう一泊することにした。
天誅組がはせた幻の十津川街道
昨日とはうって変わって晴れ間となった五條の町。予定を変更して朝から五條の新町通りを取材し、十津川郷へ向かい、そのあと新宮へ下ることにした。コンディションも良いし十分走りも楽しめそうだ。
そしていよいよ十津川街道に入る。晴れ間もあって元気よく旅も進む……と思ったのだが……。
天辻峠までの道は比較的自動車も少なくすんなりと走ることができた。しかし天誅組の天辻本陣跡を見たあと、天ノ川まで下る道で急に自動車の量が増えだした。下りコーナーの途中で抜きにかかる自動車に肝を冷やす。直線で対向車が来ている状態で追い抜きにかかる。
クラクションを鳴らして威嚇してくるクルマもあった。これでは普通に走っているだけでも邪魔者扱いされている気になってしまう。せめて1.5mぐらいの余裕を持ってほしいのと、直線で抜いて欲しいものだ。
そんな調子だからいつものように前後でシシャチョーと与太話をしながら走るというわけにはいかなかった。ずっと無言のままひたすら走り続ける二人。再び一昨日のような日射が襲いかかる。
たまらず途中の茶屋に入ることにした。水も無くなってしまっていたのでちょうど良い。
店の前では炭火でイワナや鮎を塩焼きにしている。
本来なら十津川郷のどこかで食事をするつもりだったのだが、あまりに交通量が多く走りにくいので、もうこの茶屋で昼飯がわりに魚を食おうということになった。
イワナと田楽を食しているうちにふたりとも元気になってきた。
が、しかし一歩茶屋の外に出ると再びの酷暑。そしてここからは幾多のトンネルの中を走らねばならなかった。
ひっきりなしに横を通り過ぎる自動車、ハイビームのまま進んでくる対向車、マフラーを改造しているのか低音で爆音を響かせながらハイスピードでかっ飛ばすモーターサイクルの集団、自動車の窓を開けて奇声を発している若者……。トンネル内は恐怖の連続だった。
見どころの一つ「谷瀬の吊り橋」に着いた頃は、かなり疲れ果ててしまっていた。
「ぜひ吊り橋を往復しよう!」
そう言い合っていたのだが……観光客の多さもあってか、そそくさと引き上げた。
ここでシシャチョーと話し、新宮まで行くことを諦め十津川までにすることにした。
残念だがしかたない。
体力的には問題はないし、日照時間もたっぷりと残っている。しかし自動車や他交通との接触や、あまりのトンネルの多さに、危険を避けるために十津川で終わるべきだと判断した。前日のライダーズカフェで、トンネル内の死亡事故の話を聞いたことも影響していた。
正直なところ十津川街道は旧街道と言えない道だった。
あまりに自動車の往来が激しいうえ、悲しいことに旧街道としての姿も消えてしまっていた。道をゆっくり探せばその痕跡を見つけることもできただろうが、いかんせん走行中に自動車に煽られることが続き、それどころではなかった。
もちろん時折道を外れ川の美しさに見惚れる瞬間もあったが、おおむね近代的で自動車に最適な道に変化してしまっていた十津川街道は、もはや旧街道とは別の道に変わってしまっていたのだった。
その要因は近代化ということもあるが、もっと別のものがあると感じた。それは道中のあちこちに見られた大規模な土砂崩れ。想像以上の広大な面積で崩れ落ちていたのだ。中には山の尾根から川面まで全て崩れてしまっているところもあった。海成堆積物でできた山地は雨で崩れやすいのだろう。安全を確保するには道路を新しく整備するのは当然のことだ。
十津川郷で折り返したわれわれは、その理由を話しつつお互いに納得しながら五條の町にたどり着いた。
十津川街道は、もはや近代化されてしまっていて、往時の面影はほとんど無くなってしまっていたが、その代わり五條の町はその町並みの美しさはもちろんのこと、五つの街道が交わる交通の要所ということで、街道文化にまつわる様々な特色が残されている。それは他の旧街道よりもむしろ色濃いぐらいだ。それゆえ旧街道を旅するサイクリストにとって魅力的な目的地であることは間違いない。
そして何より天誅組にまつわる歴史の舞台でもある。それだけでも訪れるに値する場所だと思う。
吉村虎太郎率いる天誅組は倒幕を唱え、五條に本陣を構え五條代官所を襲撃する。
明治維新の走りとなった彼らは、しかしながら「八月十八日の政変」で状況は一変。逆賊と化してしまう。やむなく天誅組は天辻峠、武蔵、上野地などを流々転々とし、奈良吉野の鷲家口で壊滅、虎太郎は銃弾を受け死亡してしまった。
土佐の梼原を訪ねたときに聞いた地元のヒーローであった吉村虎太郎。この遠く離れた十津川の地で息絶えるとはゆめゆめ思っていなかっただろう。
いまのキレイな自動車道のような道からは想像もつかないぐらいの険しい道だったであろう十津川街道。幕末から明治維新にかけて命を賭した彼らがはせた旧街道が、今や規格道路として姿を変えている。そんな様子を見るにつけ彼らが作った礎の上に今日の日本があるのだということを改めて実感した旅だった。
参考文献:
「竜馬がゆく」司馬遼太郎著 文春文庫
「街道をゆく 因幡・伯耆のみち、梼原街道」司馬遼太郎著
「龍馬史」磯田道史著 文春文庫
「真説週間歴史の道 坂本龍馬 脱藩の道」 小学館
「坂本龍馬 脱藩の道を探る」村上恒夫著 新人物往来社
「坂の上の雲」司馬遼太郎著 文春文庫
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔東海道独案内 東海道」今井金吾著 JTB出版事務局
「新装版 今昔中山道独案内 中山道」今井金吾著 JTB出版事務局
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「北国街道を歩く」岸本豊著 信濃毎日新聞社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎著 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社
旧街道じてんしゃ旅 其の一 旧東海道編(amazon)
旧街道じてんしゃ旅 其の二 旧中山道編(amazon)
旧街道じてんしゃ旅 其の三 旧甲州/旧日光/旧奥州道中編(amazon)