ビワイチ公式ガイドブック出版記念サイクリングモニターツアー第2弾「オクイチ」
目次
2022年秋、びわ湖周辺で輪の国びわ湖推進協議会らの有志による三つのツアーが企画された。「ビワイチ公式ガイドブック びわ湖一周 滋賀じてんしゃ旅」出版記念の連続サイクリングモニターツアーだ。本を作ったメンバーに案内されて、ビワイチ公式ガイドブックに掲載されているコースを走る。第2弾「オクイチ〜奥びわ湖の歴史と自然をめぐるアドベンチャーライド」に坂ギライ女子が挑戦。第1弾は米原、第3弾が琵琶湖疏水と東海道だった。
坂はキライです!
「オクイチ参加せぇへん?」「え。ヤダ。坂キライ」けんもほろろに断った「オクイチ〜奥びわ湖の歴史と自然をめぐるアドベンチャーライド」だったが、どうしても女性の参加者がほしいらしい。5月の徳島の旅で連れて行かれた鳴門スカイライン(つらかった)がクリアできたのなら大丈夫だというので、しぶしぶ参加することにした。
ビワイチ公式ガイドブックにはビワイチだけでなく、地元の人が地元目線で作った地域をめぐるコースがバラエティ豊かに10コース以上掲載されている。中でも今回のオクイチコースは上級編だ。平坦なビワイチルートに物足りない人が寄り道する奥琵琶湖パークウェイをルートに含んでいる。春は桜が見事らしいという噂は聞いていて、憧れはあったが、なんせ坂・坂・坂。サイクリング女子の仲間を誘ってみても誰も乗ってこず、一人で行く自信はないし、男子と行く自信はもっとない。そこに今回は初めて挑戦するのだ!
2022年11月20日(日)。案の定、出発点のJR永原駅に集まった総勢11人の参加者もスタッフも私以外の全員が男性だった。一応、地元観光協会の女性も1人いたが、サポートカーの助手席に乗せてもらうとのことで、走るのは私だけ。ロードバイクにビンディングシューズの人も複数いて、24インチ・クロスバイクの私はついて行けるだろうか? 輪行してきたマイバイクを私が必死で組み立てていても、素知らぬ顔をしているスタッフを見て早速不安になる。
さて、今回のオクイチコースのガイドは、このコースを作った「ライダーハウス 日本何周」の乾文久さん。全国を旅するなかで、気に入って居着いたという奥びわ湖の地をどんなふうに案内してくれるのか、期待に胸が高鳴る。いや、ただ不安にドキドキしているだけかも。
走り方の注意を受け、手による合図を練習し、準備体操し、出発前点検が済んだらいざ出発。奥びわ湖の隠れ里と呼ばれる菅浦をめざして南下する。
繁栄していたびわ湖の水運に想いを寄せる
最初に立ち寄ったのは「丸子舟の館」。鉄道ができるまで、北陸の物資を京都や大阪に運んだ水運の主役だった丸子船が展示されている。江戸時代には1400隻以上が活躍していたそうだが、今や貴重な現存する2隻のうちの1隻がここにあるものだ。
奥びわ湖の一番奥にある菅浦地域の奥出浜園地に着く。昭和40年頃まで道路は無く、渡し船で行き交っていたところだという。昔は集落同士の土地争いがあったそうで、相手側の陣地に前日に水を撒いてぬかるみにし、有利に進めたという話が残っているとか。この沿岸を調査すると多様で豊富な水草が見つかるらしい。
住宅地の中に小さな工場が現れた。ヤンマーと言えば滋賀県発祥の大会社だが、その創業の地がここ西浅井なのだそう。この地域(菅浦)に限り定年が80歳に設定されているというびっくり情報を聞く。
また、この裏山では昔はみかん狩りができたらしい。ここのみかんは酸っぱいのが特徴だとか。そんなみかんを真っ黒になるまで煮た料理「みかんの炊いたん」がこの土地にはあるのだそうだ。
菅浦の集落の奥まで来た。ここが自転車で入れる奥びわ湖の最奥だとのこと。国の重要文化的景観に指定されている「菅浦の湖岸集落景観」が見られる。私の年代からは懐かしく感じる、昭和のまま時が止まったような風景だ。小さい漁港もあるが、伝統的にはこの地域の人たちは炭焼きをして生計を立てていたらしい。
奥琵琶湖パークウェイを上る!
さて、菅浦の湖岸集落を出て、いよいよ奥琵琶湖パークウェイへ向かう。ここからはひたすら上り坂だ。
「自分のペースでどうぞー。僕もよう上らんし、無理しないで行きましょー」とガイドの乾さん。
これまでゆっくりめのペースでお行儀よく並んで走ってきたが、「かえってしんどいわ」とつぶやきを漏らし、各自が自分の走りやすいペースで走り出す。グイグイ進む男性陣を「おお〜」と見送って、私は無理せずのんびり走ることにした。
上っても上っても上りは続く。どこまで続くんだこの坂! とキリキリしていたら、「まだまだ、これで三分の一ほどですよ」とスタッフF氏が言うので、「そういうときは! 『もう三分の一も来た』って言うんですよ!!」と大声で訂正してやる。
と、ここで、驚いたことに乾さんが真っ先に降りて自転車を押し始めた。えっ、まじか。よう走らんというのは謙遜でもなかったのか。目が点になったけれど、ガイドが一番にリタイアするということは、参加者としては放っていかれる心配がなくなったということ。気持ちがぐっと楽になった。
焦らずゆっくり、と繰り返し自分に言い聞かせながらひたすらペダルを踏み、ゼイゼイ息を切らしつつ、やっとの思いでつづら尾崎展望台に到着。「やったー、やったぞー、ついに来た!!」 先に着いていた男性たちがねぎらってくれる。うれしがって看板前でひとり写真を撮っていたら、通りすがりの方が「ようがんばらはったなあ」と自転車と一緒に撮ってくれた。
ごほうびにおやつが準備されていた。永原名物ピーナッツせんべい丸子船。みつとし本舗の逸品だ。それと大きな草団子。甘さがひときわうれしい。消費したカロリーを補う。
うれしがって、輪の国びわ湖・女子部のLINEグループに「わはははははー!」と言葉を添えて、写真を送る。
「すごーい、あの奥琵琶湖パークウェイに行ってきたんですか!?」とすぐに反応続々。
さっきまで意識する余裕がなかった紅葉の彩りが、ここにきて急に目に飛び込んでくる。赤や黄色の色彩が何てきれいなんだろう。
ここはびわ湖の最北端、葛籠尾(つづらお)崎という。噴火でできた半島だとのことで、噴火口を見に寄ったら、埋蔵金探しの人が荒らしたという大穴が噴火口より大きく空いていた。
さあ再出発。ここからさらに上る。速い人たちがさっさと走り去ってしまった後をちんたら追う。時折、下りや平坦地が混ざったときには、すかさずペースアップすることを繰り返しているうちに、前にも後ろにも誰もいなくなってしまった。それをいいことに、上りに差し掛かったら「うりゃああ!」などと雄叫びを上げて気持ちを鼓舞し、じりじり走る。
そしてついに、今コースの最高点に到着した。「上ったどー!」と叫ぶと、先に到着していた人たちが笑う。
ここから歩いてツツジ平展望台へ上る。
標高400m。地表からは300mほどの高さになる。こんな高さから景色を楽しむために、自分の力で進む乗り物によってここまで上がってこられたことに感動がわく。
ツツジ平展望台は眺望が楽しめる場であるのに、整備がされていないため、行政としてはひっそり隠しておきたい場所であるらしい。サイクリストはぜひ立ち寄ってほしいと思う。
湖北隧道、山門水源の森
さて、次のスポットに向かう。「ここからはもう上りはありません」という説明が心底うれしい。色とりどりに染まる木々の間、滑るように坂を下りていく。何て爽快!
一気に下りてきて、奥琵琶湖パークウェイの出口ゲートまで来た。この脇にある通行禁止のトンネルが、大きな観光資源になり得るものだと乾さんが説明してくれた。東口にあたるこちら側の扁額には「湖北隧道」とある。
実はこのトンネル、近代土木遺産のAクラスに指定されているという。設計者は湖北地方に多くの優れた意匠のトンネルを遺した土木技師の村田鶴さんだと言われている。岩熊トンネルができる前は集落同士をつなぐ大事な道だったらしい。西口の扁額には「風光随一」と書かれているそうだ。向こう側からトンネルを抜けてくると、開けた奥びわ湖の風景が望めるからだろう。
帰ってから調べてみると、隧道のデザインの美しさはマニアの中でも評価が高いようだった。早めに整備されて、無粋なガードレールが撤去されるといいなと思った。
そこから再度、坂を下り、昼食場所である「よばれやんせ。」にやっと到着。もう13時半を回っている。
「こんな場所でこんな自転車が盗られることはまずない」と言われて、自転車には鍵をかけずに店内に入る。こちらは自社栽培の特別栽培米や減農薬無化学肥料栽培の野菜を使った農家レストランだそうだ。
おかずの一つひとつが丁寧に作られていてほっとするお味だ。これを食べるために山を越えてきたと思える、贅沢な定食をいただいて満足した。
エネルギー補給して元気に走り出したが、またまた上り坂が出てきた。えーっ、ずっと下りだって言ってたじゃん! 坂を上るような体力気力はとっくに使い果たしているのに。「もう坂は飽きたー!」と大声で叫んで皆に笑われる。
ウンウンがんばってると、「これだけ走ってきても体幹がぶれませんね!」とスタッフT氏が励ましてくれる。「もう2cmほどお尻の位置を前にずらすと楽になります」と言ってもらったのでやってみる。なるほど、踏んだ力のペダルへの伝わり方がよくなった気がする。「踏み込んだときに反対側の足の力を抜くようにするといいですよ。そうすると自分の足の重みが邪魔にならなくなります」というアドバイスもさっそく実践してみる。なるほどなるほど、ずいぶんと楽になった。ありがたい!
坂を越えて、次に来たのは「山門(やまかど)水源の森」。寒地と暖地の境としてブナ林とアカガシ林の双方が見られる生物多様性の豊かな森である。4万年前からの氷河期の生き残りと言われるミツガシワがあり、環境省の日本重要湿地などにも指定されている。
ここはかつて薪炭林として利用されてきた里山だったが、エネルギー源が電気やガスに替わることにより放置され荒れ果てていた。そこで「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」が結成され、森の再生保全の活動を二十年以上続けている。環境保全の活動をしている人にはよく知られた森だ。
15年ほど前に滋賀県で環境学習の仕事をしていた私は、来てみたいと思いながらもクルマに乗らないため行く手段がないと思っていた。スポーツバイクをたしなむようになった今では、こうやって自転車で来られてしまうんだと思うと感慨深い。
森の散歩道を少しだけ歩いた。池をのぞき込むと、イモリがたくさんいた。ここにはハッチョウトンボやモリアオガエルなど、さまざまな生きものが生息しているらしい。あらためて時間を取って来てみたいと思う。
森を抜けて、里へ下りてきた。川沿いを走ると電線にトンビがたくさんとまっている。川をのぞき込むと、トンビにつつかれたと見られるビワマスの死骸があった。この時期、産卵のため遡上してくるビワマスを狙って、こうした風景がよく見られるらしい。
里で、働く馬に会う
ツアー最後の訪問地、永原駅近くの農地にやってきた。ここで地域おこし協力隊として馬搬にチャレンジしている若い女性を紹介してもらった。
馬搬とは、山で伐採した木を馬を使って運びだすことである。重機が使われるようになってから廃れてしまった技術だが、重機のように立派な道を整備する必要がなく小回りもきくため、自然環境に負担が少ないと言える。
今はまだ調教中で、馬たちはしっかり働いているとは言い難いようだったが、仕事になるようにがんばってほしい。
一通りのプログラムが終わり、ゴール地点の永原駅まで帰ってきた。一人ひとり今日のツアーの感想を述べ合う。とても楽しかった、気持ちよかった、この地域のサイクリングツアーに可能性を感じた、と皆の満足感が高かったことが伺えた。
旅を終えて。ツアーとガイドの魅力をふりかえる
1時間に1本の電車が出る時刻まで間がなかったため、皆が話している間も、私はマイバイクを分解して輪行準備をしていた。出発時刻まで本当にぎりぎりだ。おそろしいことに永原駅のホームに上がる階段は異様に長いくせに、エレベータもエスカレータもない。うわー、どうしようと思ったら。「僕、運びますよ。急ぎましょう!」と乾さんが私の自転車をさっと担いで走り出してくれた! う、うれしすぎる。だーっとホームに駆け上がってみたら、何と! 電車が出るのは向かい側のホームだった!!
「ええええええええっ!?」
あわてて階段を降りている間に、電車がホームに入ってくる。荷物のない私が先に駆け上がって、電車を止める(すみません!)。後から着いた乾さんが私の自転車を車内に投げ込むように担ぎ入れてくれて、飛び降りて、ぎりぎりセーフで扉は閉まった。ドアの内側からぺこぺこおじぎをしながらのお別れとなった。
そんなわけで、余韻を味わう間もない終わりとなったが、ツアーはとても楽しかった。太ももがパンパンになったのと引き替えに、自分の力で走りきったという達成感、充実感でいっぱいだ。彩なす山は美しかったし、湖の風景も素晴らしかった。ポイントごとに聞いた解説も勉強になり、この地域には魅力がまだまだ隠れているだろうと思わされた。
それにしても、ガイドの乾さんはこの地に移住してからまだほんの数年だろうに、しっかり地域につながって地元の資源をたっぷり紹介してくれたことには驚かされた。足を引っ張るかもという不安感を払拭してくれたことも、最後の階段ダッシュもありがたかった。ビワイチ公式ガイドブックの104ページに乾さんへのインタビューが載っているので、ぜひ読んで、会いに行ってほしい。
出版記念モニターツアー第2弾は、成功だったと思う。
続いての第3弾と、雨天延期になった第1弾も楽しみにしている。