「ビワイチ公式ガイドブック」出版記念 サイクリングモニターツアー第1弾「水の里の旅」リベンジ編
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「ビワイチ公式ガイドブック びわ湖一周 滋賀じてんしゃ旅」出版記念 サイクリングモニターツアー・第1弾「米原・日本遺産と水源をめぐる水の里」。2022年の秋に予定されていたが、雨天により春先に延期となり、3月19日(日)にリベンジ開催された。天気は快晴、清らかな日本に出合う水源の旅をリポートする。
水の里・米原(まいばら)
今回のモニターツアーは、国土交通省主催の「水の里の旅コンテスト2017」で最優秀賞を受賞した「米原・水の里の旅コース」だ(ガイドブックp96参照)。
米原市は、250を超える滝や湧き水が存在する「水の里」であり、びわ湖の貴重な水源地帯である。水をテーマに米原の自然、歴史、文化を満喫するツアーとして企画された。
(slowなまいばらの水旅マップ参照↓)
https://www.city.maibara.lg.jp/material/files/group/27/33035217.pdf
集合場所は、新幹線や鉄道が接続する交通の結節点・米原駅。
米原駅はナショナルサイクルルートに指定されたビワイチのゲートウェイであり、近江鉄道サイクルトレインを利用した自転車旅はもちろん、中山道や水辺スポットをはじめとする里山サイクリングも楽しむことができる文字通り「じてんしゃ旅」の拠点である。
駅構内にはシャワー室完備のサイクルステーション「びわこ一周レンタサイクル」があり、初心者でも気軽に利用することができ、誰もが集まりやすい理想的なスタートポイントだ。今回の参加者も数名がレンタサイクルを利用していた。
今回の案内役は、旅のルートを提案・制作した、マイクリング・プロジェクトの皆さん。
マイクリングとは、米原とサイクリングを合わせた言葉で、ビワイチなどのじてんしゃ旅の拠点としての「Maibaraブランドの創造」「Mining地域資源の掘り起こし」 「Myペースでサイクリングを楽しむ」といった意味があるそうだ。
ガイドによると、この米原駅付近にはかつては内湖が広がっていて、葦が生い茂り、迷いやすい場所であったとのことで、それが転じて、迷いが原、米原という地名になったとのこと。
江戸時代は、中山道を経由して、京の都へ物資を運ぶ湖上交通の拠点として米原宿が栄えたが、明治に入り鉄道の発展とともに、その役割を終えた。そして今では、県内を巡るじてんしゃ旅の拠点になっているということだ。また、10年前には何もなかった駅周辺が、米原駅サイクルステーションや駅直結の市役所の誕生などによって、広域観光の拠点として賑わいを見せつつあるという。時代とともに移り変わってきた、この付近の以前の姿を想像してみるのも面白い。
手による合図や注意事項の確認、準備体操、記念撮影を済ませて、いよいよスタート。
道中、道標や看板を見ることの大切さを教えてもらう。
道標や看板は、その土地の歴史を語っていて、それを知ることでサイクリングの幅や楽しみがぐんと広がるというのだ。北国(ほっこく)街道から中山道へ続く「深坂道」にも看板があった。この坂道が開通したからこそ往来が生まれ、米原湊と米原村が発展し、現在の米原市の原点になっているということである。
何気なく見過ごしているものに気を留めてみると、旅に奥行きが生まれるんだなぁ。
北国街道から分岐する深坂道を抜けて中山道と合流すると、紅白の幕に彩られた銅像が現れた。
聞くところによると、1950年代に映画「瞼の母」で一世を風靡した「番場の忠太郎」とのこと。かつては国道沿いのある食堂付近にあった銅像が食堂の廃業とともに行方知れずになっていたが、近隣市の愛好家により保管されていることが分かり、地元の人たちがクラウドファンディングで資金を募って里帰りを果たさせ、昨日が除幕式だったらしい。ちょっと得した気分。
水辺のスポットを巡る
一つの目の水辺のスポット「天神(てんじん)水」に到着。
ここは霊山山系から流れ出る湧水地帯とのことで、絶滅危惧種のハリヨが見られるとのこと。朝日が差し込んだ水中に目を凝らすと、なるほど、ハリヨが気持ち良さそうに泳いでいるのを確認できた。
ここにはキーンと張り詰めた空気があり、神聖な気配に満ちていた。心がざわついたときに一人訪れるのもいいかもしれない。
2つ目の水辺スポットは、醒井(さめがい)宿の居醒(いさめ)の清水。
かの有名なヤマトタケルが伊吹山で神との戦いに敗れ、傷を癒やし目覚めた場所とされ、「醒井」の地名の由来となっている。銅像は、まさに「元気になったよ! 」という感じで手を挙げている。
平成の名水百選No.1に選定された場所でもあり、地蔵川の水中に咲く花・梅花藻(バイカモ)が5月から咲き始め、7月から8月にかけて見頃を迎えるという。かつて街道を行き交った旅人たちが、この水辺に癒されたのが容易に想像できる。この地域は、滋賀びわ湖の日本遺産に認定された場所でもあるらしい。
ここで、旅のお供に、地元の銘菓「六方焼」をいただいた。うれしい。
醒井宿一帯は、観光客も多く、グルメスポットもたくさんあるとのことで、マイクリングの皆さんの紹介で、梅花藻ソフトクリームと梅花藻どら焼をいただく。
旧街道の雰囲気と水辺のマイナスイオンに癒されながらエネルギー補給をする。川沿いにはつぼみの膨らむ桜が並び、花の頃、梅花藻の頃、秋に木の葉が染まる頃にまた訪れたいと思った。
さらに伊吹山に向かって進むと、天野川の中央に不思議な造型を発見。ビワマスの遡上(そじょう)のために、河川に整備されている魚道なのだそうだ。
近江長岡のゲンジボタル発祥地では、ホタルについて説明を受ける。
この付近の蛍は、国で唯一の天然記念物に認定されているとのこと。ホタルの保護活動が盛んに行われており、6月上旬には「天の川ほたるまつり」が開催されるらしい。ちなみに米原市のシンボルキャラクターは、蛍をモチーフにした「ほたるん」とのこと。
伊吹せんろみちに到着。
伊吹山は、良質な石灰の産地であり、山麓の工場で生産されたセメントが線路を通じて、世界へと運搬されていたが、時代の流れとともに衰退し、廃線跡が遊歩道として保存された。また、背景に見える伊吹山は、近年の地球温暖化で数の増えたニホンジカによる食害が進み、貴重な植物が失われつつあるらしい。伊吹山と言えば高山植物が咲き乱れ、天国のようなお花畑が見られることで有名な場所なのに残念だ。4月スタートのNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公で、植物学の父と言われた牧野富太郎も何度も訪れたとのこと。
せんろみちの終着地点には、駅舎とレールがあり、うれしがって記念撮影。現実なら炎上するかもしれないが、廃線敷なので問題なし。せんろみちは緩やかな上りが続いたので、ここでしばし休憩をとった。サポートカーがドリンクとお菓子をふるまってくれてありがたい。
走り出すと、伊吹山の麓にまたしても銅像が現れた。伝説のヤマトタケルが伊吹山の神(古事記では、牛のような白い猪、日本書紀では、大蛇とされている)と闘った光景が、伊吹山を背景に演出されている。
立ち寄った伊吹山文化資料館では、米原市職員の高橋さんに、イヌワシが生息する伊吹山の豊かな自然環境や、水に対する畏敬の念とその歴史・文化の話をしてもらった。この地域には、雨乞いの豊年太鼓踊りが伝承されており、朝日地区のものは日本遺産に認定されている。
イヌワシは日本に500羽ほど生息し、うち4ペアが伊吹山で暮らしているそうだ。羽を広げると大きいものでは2mを超え、時にはシカすら捕らえることもあるらしく、子供をさらう伝説の天狗の正体はイヌワシだったという話には心底驚かされた。
お昼も過ぎたため、昼食会場の道の駅に向かう。伊吹山が目前に迫るこの道は、マイクリングおすすめの絶景スポットとのこと。新緑の時が、インスタ映えするらしい。霊峰・伊吹山にまっすぐ向かって坂を下っていくのは最高に気持ちよかった。
道の駅・伊吹の里では、「伊吹そば」ののぼりを見てまっしぐらに目指したが、行列ができていてあきらめざるを得なかった。「伊吹そば」は農水省の地理的表示保護制度におけるGI登録の認定を滋賀県で2番目に受けたそうで、名物を食べ逃して残念だったが、次回の楽しみに残しておくことにする。各自、思い思いに、好きな物を食べた。写真は、デザートにいただいた、ホクホクの焼き芋。
本来は、1泊2日で、さらに奥伊吹まで続くコースをたどることになるが、今回は、日帰りとなるため、道の駅を折り返した。
水の恵みと文化を学ぶ
午後は、姉川の取水口「出雲井」から分岐する分水を通じて、地域の水の歴史を学んだ。今でこそ、水道の蛇口をひねると水が出てくるが、昔はそうではなかった。今の水道設備が発展したのは明治以降であり、かつては、水を奪い合う歴史があったとのこと。
小田分水から、少し歩いたところには、このような井之口の円形分水があるらしい。今回は、日程の都合で見ることができなかったが、次回は、ぜひ見に行きたい。
こちらは五川(ごせん)分水。水の争いごとが絶えなかったため、集落の面積に合わせてこのように水を公平に分配する分水施設が整備されたという。公平に分けたといっても、水の不足する下流の地域の人は上流の施設を壊しに来て、上流の人と激しく争ったそう。農業用水が足りないと米の収穫量に直結するのだから、それは真剣なものだったろう。今も昔も、水は貴重な存在なのだ。
真鴨で有名な三島池も実際は、農業用の溜池とのこと。早朝には、穏やかな水面に映る「逆さ伊吹」が見られるとか。
のどかな田園風景のなかで、伊吹山と新幹線が同時に撮影できるスポットに案内いただいた。みんなでカメラを構えて待ち、シャッターチャンスを狙ってパシャリパシャリ。
ここにはドクターイエローが通過する際はいつも、カメラマンの人だかりができているそう。
観光農園のローザンベリー多和田で、トイレ休憩。3月21日からは、世界一可愛い羊の赤ちゃんと言われる、ヴァレーブラックノーズシープの赤ちゃん3頭が一般公開ということだったが、今日は3月19日……悔しい。休憩時間が短く、スイーツも楽しめなかったからまた来なくては。
かの有名な戦国武将・武田信玄が考案した「霞堤(かすみてい)」。河川敷の道路が一部きり下がっており、水害時に水を逃すような仕組みになっている。水は時として人類の脅威となるが、自然の水害を最小限に抑える昔ながらの治水の知恵だ。しかし、災害時に犠牲を引き受け水をかぶった農地への補償の仕組みが一切ないことが、県議会でも問題になったらしく、対応が検討されているとのこと。
地域の歴史を学ぶ
走って行くと、道端に何かにぎやかなものが見えた。何だろう。地元のお祭り? それとも法事か何か? と思ったら、何とサポートカーのおもてなしだった。スイーツ、フルーツ、炭酸水やホットコーヒー、お菓子など、何でもそろっているマイクリングカフェが振る舞われ、みんなで歓声を上げた。スポーツの後にフルーツの酸味がうれしい。しっかりいただいた。
80年前の記憶をたどって描かれたという昭和初期の貴重なマップを見せてもらった。小学生がどこでどんな遊びや悪さをしたか、農作業はどんな様子だったか、生活の道具はどのように作られたか、お祭りの様子や戦争への出征の風景など、当時の暮らしがいきいきと描かれていた。
国産シルクの近江真綿は、かつては地域内のいたるところで作業場があったが、今では山脇源平商店のみとなり、近江真綿を活用し、復活に向けたさまざまな取り組みが展開されているとのこと。
さて、ここは岩脇山蒸気機関車避難壕だった。この地域には、戦争遺産の岩脇列車壕をはじめ、鏡岩伝説で有名な岩脇山、稲荷神社、岩屋善光堂などがあり、まさにテーマパークとなっている。
岩脇山蒸気機関車避難壕(列車壕)を散策。戦火から列車を隠して守るためのトンネルは、戦後はゴミ捨て場になっていたが、地域のまちづくりの一環として、美しく整備された。2つあるトンネルのうち、1つは、反対側まで通り抜けることができる。
ここからの景色は素晴らしく、遠方に琵琶湖を一望することができた。遠くに見える竹生島(ちくぶしま)とここは鏡岩伝説でつながっているらしい。また、最終地点となっていた磯崎神社は、ヤマトタケルの終焉の地とも言われており、ヤマトタケルの神話でつながるまちであることも分かった。
本来は、ここから世継のかなぼう(湧水を利用した洗い場)や天野川七夕伝説をめぐり、琵琶湖岸を走り、琵琶湖でレイクグラスを探す予定だったそうだが、今年初のライドということもあり、ショートカットで米原駅に戻ることとなった。
今回、地元愛溢れるツアーを通じて、米原の走りやすい道、自然環境の素晴らしさ、そこに生きる貴重な動植物の大切さ、そして、山から川、湖までのつながりという「水の里」のテーマが見せてくれた文化、地域の歴史の魅力を体感することができた。また、風景はどこまでも美しく、細やかな解説と安全管理、豪華なグルメなど、どの瞬間を切り取っても、楽しいものばかりだった。仲間と感動を分かち合いながら走れたのもうれしかった。
ビワイチばかりが注目されがちだが、埋もれた地域をめぐるビワイチプラスの旅も悪くない。今回の旅には心残りがいくつもあった。次はぜひ、またここから、それらを巡るとともに、歴史の足跡を探して、旧街道を巡る旅に出てみたい。
モニターツアー第2弾「オクイチ」
モニターツアー第3弾「水がつなぐ二つの古都・琵琶湖疏水と街道をめぐるサイクリング」