太平洋岸自転車道 じてんしゃ旅 二日目 千葉県勝浦駅〜岩井
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の番外編となる「太平洋岸自転車道編」。千葉県銚子から神奈川県、静岡県、愛知県、三重県の各太平洋岸沿いを走り和歌山県和歌山市に至る1400kmの長旅が始まった。二日目は千葉県勝浦市から南房総市へ。
相部屋の情景と朝市
旅は二日目の朝を迎えた。目が覚めると宿の窓から朝日が差し込んでいる。机の上にはハイボールの空き缶が転がっている。そのうち一本はまだ中身が残ったままだ。どうやら晩メシ後に二人して部屋飲みしたらしい……。うーん……一向に記憶が無い……。重い頭をもたげて起き上がり、隣の部屋を見るとシシャチョーが布団をはねのけたままで寝ている。浴衣の裾がはだけていてまったく見たくない姿だ。そういう自分もどういうわけか寝ている間に浴衣を脱ぎ捨てていたらしい。くるくると丸まった浴衣の帯だけが腹回りに残っている情けない姿。朝のすがすがしい雰囲気を消し去るような50代半ばオヤジの相部屋風景に我ながら笑いが込み上げてきた。
さて宿をチェックアウトして朝食場所を探す。宿の女将さんが近くで朝市をやっているから寄っていきなさいと勧めてくれた。
教えられた道をたどっていくと近くの神社の境内では小さな朝市が開かれていた。露店が6、7軒ほどぽつんぽつんと離れて置かれていて、ワイワイというようなにぎやかさは無い。有名観光地の派手な朝市とは違ってどうやら完全に地元民に向けて開かれているようだ。
我々も朝食を得るべく露店を回ってみる。海産物のお店が多いようだ。中には「カツオ1尾300円(!)」何てものもある。見ているだけでも楽しい。
途中で露店のおじさんに声をかけられた。漬物を売るお店のようで試食をしていけという。「わたしゃこの辺りで店をやっておる。もう52年になる」試食とにおじさんの昔話が始まった。一方的に矢継ぎ早に話すおじさん。しかしまったく嫌な感じがしない。おそらく市が立つごとに話をしているのだと思う。おじさんの話を一通り聞いたあと、露店で朝食のパンを買って頬張った。いよいよ出発だ。
自動車に神経過敏に
旅は二日目が一番体がキツい。この日も出発してすぐにアップダウンの連続する道になったものだからさっそく体がきしみだす。
「体ダルいですなあ」とシシャチョー。「その原因は主に酒ですよ。一緒にもう何年も旅しているのに二人とも成長しませんなあ」
そんな軽口を叩いていた二人だが、まもなく沈黙の走行を強いられることに……。
勝浦を出ると道はリアス海岸のように崖になった岩場を貫いて伸びている。国道とはいえ古い規格の道路なのだろう、非常に狭い上にいくつもトンネルになっている。そこにブルーの矢羽根が引かれているのだから走行環境としては非常に危険であることは見ただけでもわかる。しかし取材する身としては矢羽根上をたどらねばならない。緊張で身構えた。
そんな走りにくい道を一列で走っていると、そのそばを自動車が猛スピードで抜いていく。それもひっきりなしに。
ほとんどすべての自動車が、まったく速度を落とさずギリギリのところを追い抜いていくものだから風圧をモロに食らう。ものすごく危ない。しかもトンネルの中でもまったく速度を緩めるようなことはしない。
途中のトンネルで歩行者用退避路を見つけた。しかしその案内看板は謎だらけだった。歩行者用トンネルを進めという意味は理解できるのだが表記が何だかおかしい。車道側には駐停車禁止マークに見えてしまう絵が書かれている。その下に「自転車専用・右側通行」と書かれている。右側、すなわち車道側トンネルを行くことなのかと一瞬考えてしまう。走りながら目視する看板なので、一瞥して理解ができないのはいかがなものだろう。
そして歩行者用トンネルを進もうとすると、その出入り口は大部分が苔に覆われていて危ない。慎重にそろそろと自転車を押して進む。それもそのはず、去年の旧街道じてんしゃ旅の取材で、我々二人は同じ場所で苔で滑ってしまい、二人とも骨折をしてしまった苦い経験がある。苔は本当に危ない。
おそるおそるトンネルを越えて合流地点を探すべく歩道を走ろうとするが、今度は歩道は草が生い茂っていて自転車はおろか歩行者も通行不能。仕方なく車道に出るが、トンネルから突然自動車が猛スピードで出てくるので合流すること自体が難しい……。
時間は前後するが、この日の夕方には命の危険を感じるインシデントが2度起きている。
一つは岩井の街に降りる下り基調のトンネル走行中に、大きな地割れにタイヤを取られて転びそうになったこと。幅10cmほどの大きな溝がトンネル中に何十mにも伸びており、黒いコールタール状のものが塗られていて暗いなかでは発見できなかったのだ。さらにその上に青い矢羽が描かれていたので信じて走ったのが間違いだった。トンネル内は横に自動車が何台も走っており、道路に投げ出されていたら一巻の終りだったと思う。
もう一つは土木作業のトラックが猛スピードでかすめていったこと。幌を留めるゴムと金属フックが私の右膝に当たっており、痛みと同時に驚いてしまった。ほぼ隙間を作らずに追い抜いていったことは明白だ。完全な嫌がらせで、自転車に対するあおり運転と言って差し支えないだろう。周囲には他の交通も無いし対向車も無い。道幅も充分広かった。少し離れた後ろでシシャチョーも叫び声を上げていただけにどう考えてもわざとしか思えない。非常に嫌な気分になった。次回のロケからはドライブレコーダーを搭載することにする。
自転車を国政が取り上げてくれたこと自体が進歩だと思うので、最初から不平不満はよくないと思うが、安全対策は最優先であるべきだと思う。ブルーラインや看板のおかげで初めての道でも容易に走れるメリットはあるが、それよりもまずは地域へのサイクリスト通行の周知やドライバーとのハレーション防止など、相互理解と交通ルールの啓蒙活動がまずもって最優先事項かと個人的には思う。自転車を抜くときの対応の仕方や、自動車同士だけではなく自転車へのあおり運転も存在するということを周知しないといけないだろう。
日本は自転車のプレゼンスが非常に低い。ルールの曖昧さもあって軽んじられることが多い。歩道走行に二段階右折、そして歩道橋……。
インバウンドサイクリングの仕事をしている私は自転車先進国からのゲストが違和感を唱えるところを見てきている。
「なぜ歩行者や自転車が不便な思いをしなくちゃならないんだ? なぜ重い自転車を押して歩道橋を上らねばならんのだ? なぜ自動車だけが優遇されているんだ?」と聞かれることがしばしばある。
ナショナルサイクルルートは外国にも誇れるサイクリングルートという触れ込みのはずだが、果たしてこの状況はどうだろうか?
交通後進国というそしりを受ける可能性があるということを認識しておくべきだろう。
「これはダメです! 車との相対速度が違い過ぎる! 国道をたどるのは諦めて集落の中を行きましょう!」そう叫んで私はハンドルを左に切って脇道にそれた。
しばらくして海岸線に入った。
「危ない道でしたなあ〜」
「いやホンマに……シャレにならん道ですわ」シシャチョーがつぶやく。
国道128号があまりに恐怖だったので、二人とも神経をすり減らしてしまっていた。しばらく休憩を取ることにした。
自転車を置いてふと眼下を見る。紺碧の海に白波が立っている。自動車に神経をすり減らして走る2日間だったため、今まで気が付かなかったが、この辺りの海岸線は実に美しい。絶景だ。これを見ずしてひたすら国道を、しかも青い矢羽根と太平洋岸自転車道のマークを睨みながら、右側をかすめていく自動車におびえて走ることに、果たして意味はあるのだろうかとしばらく考えてしまった。
その後も自動車におびえながらの走行は続いた。正直なところあまり記憶に残っていないのは、やはり自動車に神経を尖らせてばかりいたからだろう。
地元の人々との触れ合いが慰めに
実は私にとって房総半島はとても興味がある土地だ。学生時代から地学が大好きな私は、仕事として「ジオ・サイクリング」なるものを行っている。日本列島を東と西にわける地溝帯、「フォッサマグナ」をリレーで縦断するツアーなども実施している。日本列島は世界的にまれに見る複雑な成り立ちをしており、あちこちで地層の露頭を見たり、堆積物や岩石を見たりすることができる。房総半島は地震で海底堆積物が隆起した土地なので海岸線にそれらの痕跡を見ることができる。だからずっと楽しみでいたのだが、いざ走ってみると自動車とのせめぎあいにそうした見学の機会を奪われてしまっていた。
国道410号に入ってから交通量が少し減ったこともあり、気持ちに余裕がでてきたため、岩場に降りてみることにした。
太平洋プレートの沈み込みが房総半島を隆起させている。その痕跡が海岸線の堆積岩の斜めの縞模様となって残されている。興味の無い人からすると単なる岩なのだが、私にとっては大好物。絶景……。
普段はこの私の興味の対象に気を留めないシシャチョーも、さすがにこの光景は目に留まったらしく、めずらしく見入っていた。
「今日のハイライト、洲崎灯台を目指しましょ! うまく行ったら富士山が見えるそうでっせ!」次はシシャチョーの勧めで灯台を目指すことに。
南国を思わせる南房総の平らな道が、二人の走行スピードを上げていく。微風の追い風もあって、気がつけば時速30kmぐらいで巡航していく。気持ちいい。この2日間で初めて走行が気持ちよく感じることができた。
そうして気持ちよく走行を続けていると、
「井上はん! ちょっと待って! アレ! あのおばあちゃん!」とシシャチョーが叫ぶ。
取って引き返してみると、道路脇のコンクリートの上に御婦人がなにやら海藻のようなものを広げている。
「ちょっと取材させてください。これは何をされているんですか?」とシシャチョー。
「顔を写さなけれればいいですよ(笑)。これはね、あなた達が普段食べている寒天の材料よ」
「テングサですか? ところ天の?」と私。
「そうそう! それをね、こうやって広げて干してるの。結構重労働なのよ」
そうやって御婦人は終始顔を伏せながら、それでも楽しそうにテングサについて話してくれた。この時期が一番乾燥に良いらしい。昔はあちこちの家で干してたのだが、最近はめっきり減ってしまったこと、それでも品質は房総のものが一番だそうだ。一所懸命にテングサを干す姿を心の中でお礼を言いながら写真に収めさせてもらった。
ほどなく洲崎灯台に到着した。辺りにはたくさんの有料駐車場がある。しかし自転車をとめられそうなところはまったくない。灯台入口の商店に自転車を預かってもらえるか聞いてみた。
「あとでジュースでも買ってくれりゃいいんで置いていきなされ」とお店のおばあさん。ありがたくお礼を言って灯台に登っていった。
灯台からの景色はこれまた素晴らしかった。眼前には伊豆大島と三浦半島、その奥にはうっすらと伊豆半島が見える。肝心の富士山は残念ながら見えなかったが、それでも午後の太陽に照らされた海は美しかった。
「伊豆大島はいずれは伊豆半島にぶつかって半島の一部になるんですよ!」と私。
「エッ? そうなんでっか?」
「そうなんです。伊豆大島だけじゃなくて、三宅島、八丈島……伊豆諸島はいずれ半島に衝突します!」と知識ひけらかしの私。
「ほ〜っ! それは壮大な話ですな〜!」
「どうです? ちょっと地学に興味湧いてきたでしょ?」
「いや! 全然!」シシャチョーの返しにずっこける私……。
灯台を降りておばあさんのお店に立ち寄る。見ると、このお店でもテングサを干していた。お礼に飲み物と名物のところ天をいただいた。
灯台のことや台風の被害のこと、地震などおばあさんの思い出話を聞きながら地元の人との交流を楽しんだ。楽しく話をしていると道路の問題なんかは割と忘れてしまって良い思い出だけが残る。二人ともわりとポジティブな50代オヤジだと思う。
しばらく話し込んでいうちに時は夕方になってしまっていた。慌てて投宿先の岩井の街を目指した。