太平洋岸自転車道 じてんしゃ旅 七日目 沼津(静岡県)〜静岡
目次
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の番外編となる「太平洋岸自転車道編」。千葉県銚子から神奈川県、静岡県、愛知県、三重県の各太平洋岸沿いを走り和歌山県和歌山市に至る1400kmの長旅が始まった。七日目は静岡県沼津から静岡へ。
これぞ太平洋岸!
第3回目のロケは前回の終点、JR沼津駅から始まった。天気予報によると梅雨時というのにロケの間は晴れ予報。しかも信じられないような晴天の中の取材となった。
「究極の晴れ男パワー!すごいでっしゃろ!!」
輪行袋を解きながらシシャチョーの予想どおりの語りが始まる。
「はいはい!」といつもの生返事の筆者。
だが実際のところ、我慢しながら走ることの多い太平洋岸自転車道、雨の中だとさらに憂鬱になるなと考えていただけに今回はシシャチョーに大感謝だ。
「今日はやっと富士山が見れますな!!」とシシャチョーが後ろから話す。
「そうですね! 実は私も旧東海道を旅した時は一度も富士山を見てないんですよ……だから楽しみです!」
そうなのだ、実は今まで旧東海道を5回ほど旅しているが、いつも曇天や雨天ばかりだったのだ。
出発してすぐに海岸線を目指す。前回のロケの終わりで沼津駅周辺を走ったが、車にあおられバスに押圧され……と苦い経験があったため、とにかく市街地を早く抜けたい思いだった。
ルートに沿って海岸方向に進む。海が見えるとばかりワクワクしていたのだが……。だが一向に海は見えない。港付近に来たのだから見えても良いものだが……そればかりか肝心の富士山もまったく見えない……。矢羽根は車の往来が激しい県道380号の上に描かれている。しかも矢羽根の上は車にあおられてまともに走れず、路側帯を行くしかない。
事前にGoogle mapで調べており予想していたものの、沼津からの太平洋岸自転車道のルートはまったくと言っていいほど景色は良くなく、相変わらず交通量の多い幹線道路を延々と走ることになる。この道は駿河湾を回り切るまでずっとこのままの景色だ。もちろん海はほとんど見ることはできない。
少し県道を走ったところで、いきなりの徒労感……まだまともに走っていないのに……。どちらからともなく路肩に停止した。
「こらあかん! 太平洋岸やっちゅうのに……井上はん、こうなったらルート外してでも富士山の見えるところ行きましょ! ロケにならんわ!」とシシャチョーが叫ぶ。
筆者も同感だった。
ただ単に1400kmを走り抜けました! と言いたいだけのサイクリングならどんなルートだって良いだろう。しかし我々は旅サイクリストだ。地域の良いところをたくさん見たいし、景色も見たいのだ。これまでは身に危険を感じた場所以外は、ルートを正確にトレースしてルポを書くことを守ってきた。しかしここへ来てそれをあえて崩した。
海のそばまで進み、自転車を担ぎ上げて堤防の上まで登る。その瞬間、大パノラマが目に飛び込んできた!
「うわーーー!」二人して声をあげる。
目の前に富士山、そして左側には紺碧の駿河湾、遠くに伊豆半島がクリアに見える。目前には清水方面までがくっきりと見えるではないか!!
「これや!これが見たかったんや!井上はん!写真撮って!撮って!!」半ば叫び気味のシシャチョー。
堤防の上にはたくさんのサイクリストが走っていた。「歩行者に注意して走行してください」の看板もあって走行は可能のようだ。正直、この堤防の方がよほど太平洋岸自転車道にふさわしいところだった。堤防は道路とは違うとういことでルートに乗せていないのだろう。管轄が違うのかもしれない。
だが世界に誇るナショナル……というのならこの景色は見ないわけにはいかないだろう。堤防の上をルートに含めることができないなら、この区間はあえて矢羽根やルートを引かずに「走行推奨エリア」的な描き方にすれば良いのでは? 何も一筆書きに青い矢印を追って1400kmということにこだわらなくても良いのでは、と個人的には思う。
読者の方でここを走られる方はぜひとも堤防まで出て絶景を楽しんでいただきたい。
とにかく、「この景色を知らず黙々と車の多い道を走り続けるなんてナンセンスだ!」そう感じて何度も止まって富士山と海を撮った。目に飛び込んでくる景色はいつまでも眺めていられるぐらい美しく、富士山も海も伊豆半島も全て素晴らしかった。はっきり言って最高の体験だった。
気がつくと昼飯時になっていた。田子の浦漁協というところにノボリがたくさん建てられていた。どうやら漁港で食事ができるらしい。
4年前の旧東海道ロケで名物の生しらすを食べ損なっていた我々は迷うことなく生しらす丼をオーダー。港の船を見ながらかぶりついた。
あえて旧東海道をたどる
ルートを外すことを覚えた我々。昼食後も田子の浦みなと公園に出てから堤防沿いを行くことにした。予想どおりこっちの方が走りやすい。何より相変わらず景色は絶景だ。途中でモーターパラグライダーが上昇していくのが見えた。何だか90年代の海の思い出がフラッシュバックしてきた。なぜだか私にとっての90年代前半はこんな海と空のイメージなのだ。
やがて堤防を離れルート上に戻る。富士川を渡る。幹線道路になるとやはり車が気になる。気温も高まってきたため一旦コンビニエンスストアにて小休止。涼を取って呼吸を整えることにした。
やがて再出発したものの、ルート上はやはり走りづらい。そうこうしているうちに見たことのある風景が目に入ってきた。幹線道路に斜めに食い込む交差点。
「迫田さんあれ! 旧街道の入り口ですよきっと!」
「ほんまや! 旧東海道ですやん! 国道はやめてこっち行きましょうや!!」
もはやルートをトレースする気がなくなった二人は、喜び勇んで旧東海道へ。
蒲原(かんばら)宿の辺りのようだ。雨の中で撮影した水力発電の水路を発見。懐かしい!もう4年も前のことだが昨日のように思い出される。
「やっぱり旧街道はエエですな! 旅のサイクリングにはぴったりやわ!」とシシャチョー。まったく同感である。
再びルートに戻る。しばらく進むとルートは由比(ゆい)宿に入っていく。前回、雨の中に訪れた宿場町だ。この宿場町はいまだに街道風情がよく残されており、旧街道を歩く旅人にも人気の宿場町だ。近くに名所の薩埵(さった)峠があり、旧東海道を代表するロケーションなのだ。
そんな由比宿の中に頼むから宿場町の中ぐらいは青い矢羽根はやめてほしい。宿場町の情景を守るために……と思ったが、やはりところどころペイントされていた。遠慮気味ではあったが……。
前回雨でほとんどの建物が閉まっていたため、今回の来訪では少し時間を取って由比宿を観光することにした。
自転車を押し歩きながら宿場町の中を見ていく。一軒のお店が目に入った。藍染の店らしい。中に入ると大きな甕(かめ)が土間に埋め込まれている。藍の特徴的な草の香りが漂っている。店には一面に手拭いが掛けられている。何だか懐かしい光景。そういえば筆者が子供の頃住んでいた町にも藍染の工房があった。オヤジさんが毎日藍染を軒に干していた。工房の暖簾の中を除くとオヤジさんと目があって仕事の様子を見せてもらったものだった。藍染は染料の出来上がりを舌で舐めて判断するらしい。オヤジさんが舐めていたのを思い出す。そして藍色に染まってしまっていたオヤジさんの指……。思わずその光景が思い出された。
お店の方に聞くと、この店は江戸時代の学者、由井正雪の生家だという。暖簾を見てみると確かに「正雪紺谷」と描かれていた。
旧街道じてんしゃ旅では二人ともいつも手拭いを愛用している。二人してたくさん手拭いを買い込んだ。
由比宿を後にして太平洋岸自転車道はまた国道に戻ろうとしている。しかし我々はそれを外して薩埵峠を目指すことにした。ここへ来て薩埵峠を行かない選択はないだろう。なぜコースから外れているのだろう。太平洋岸のいわば最も象徴的な光景であるにも関わらずだ。
きつい上りを越えて薩埵峠にたどり着いた。前回の旧東海道のロケでは大雨。筆者の過去5回の訪問でも一度も晴れた日がなかった。それゆえ二人とも感動してしまい、しばらくの間、佇むようにして峠で過ごした。
それからは清水までひたすら走り、本日の3つ目のハイライトである三保の松原に至った。三保の松原は世界文化遺産に登録されている景勝地だ。7kmに及ぶ松林、駿河湾の青い海、そして雪を抱いた霊峰富士山を入れた情景そのものが遺産という形になっているそうだ。
初夏のこの日は富士山には雪は残っていなかったが、それでも松林の影から海越しに見える、夕陽に照らされた富士山は美しく雄々しかった。ここでもしばらくの間佇んで過ごした。
気がつくとすっかり陽が傾いてしまっていた。大慌てでコースに戻り、今日の投宿地の静岡市を目指した。
今回の走行距離:沼津〜静岡(80km)