ツアー・オブ・ジャパン2024コラム 様々な挑戦の裏側

目次

5月26日、ツアー・オブ・ジャパン(TOJ)2024 8日間の戦いに幕が下りた。東京ステージで聞いた裏側や選手たちの思いの一部を紹介。

 

”総合優勝”の大成功

TOJ2024コラム

総合優勝と最後のステージもさらったJCL TEAM UKYO

 

「チーム力はピカイチだったと思うし、だから、うちのチーム対他のチームみたいになってしまうこともあったんですけど、それでもちゃんと守り切れたし、危なげなくできた。なので大成功かなと思います」そう語ったのは、JCL TEAM UKYOで総合エースのアシスト役を務め切った小石祐馬。

チームとしては、今大会総合優勝を果たしたジョバンニ・カルボーニと、今回は調子を崩してしまったという前年覇者のネイサン・アールの2人をエースに据えていた。

富士山ステージでのカルボーニが2位に入った元EFのクドゥス・メルハウィ・ゲブレメディン(トレンガヌ・サイクリングチーム)に対してつけた差は21秒。例年に比べれば僅かな差だった。それゆえにカルボーニがいなべステージでの逃げ切りでつけた1分半はプラスアルファで大きかったと小石は話す。

TOJは、2クラスとなり、獲得できるUCIポイントが減った。アジアツアーランキングで上位を争うJCL TEAM UKYOは、他のチームと比較するとUCIポイントへの意識がかなり違う。

アジアツアーランキングのトップ3に入ると、レースへの自動招待が受けられ、翌年のレースカレンダーが確保されやすい側面がある。チームのスポンサー確保のためにもその位置をキープすることは「最低条件」だと小石は話す。

「スポンサーする方にも何のレース出るか分からないけど、スポンサーしてくださいって、それは営業できないじゃないですか。僕らの言うUCIポイントは、ランキングに入るくらいのポイント。2クラスは配点が低くて、総合優勝で40点、ステージ優勝で7点。とはいえ、やっぱりちりつもを回収していかなきゃいけないのは事実なので」

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小石ら日本人選手もグリーンジャージをしっかりと守る働きを見せていた

 

今回のTOJでJCL TEAM UKYOの半分の3人が日本人で構成された。

「チームメイトたちは本当に重要で、レースでなくてはならない役割を示してくれました。本当に一人一人の選手に感謝したいです。全ての選手が良い働きをしてくれて、チームとして良い動きができたと思っています」とグリーンジャージを手にしたカルボーニが話すように、彼ら3人もプロフェッショナルにアシストをこなした。

しかし、日本人から見たら、日本籍チームの日本人が日本のレースでの活躍が見られないというのは正直少し残念な面もある。だが、今回がそうだっただけだと小石は言う。

「例えば、ツールド熊野は岡(篤志)が勝ちましたし、ツール・ド・台湾も僕が2位だったし、サウジツアーは岡がリーダージャージを取ったりとか、今回はやっぱり富士山があるのが大きな要因にもなって、ちょっとそういう見え方ってのはあったと思うんですけど、決してそういうわけではないんですよ。日本人だからアシストしてろとかというわけではないですし、やっぱその要所要所でそこにマッチした選手が当てられています」

個人の活躍こそイタリア人2人に任された形だったが、全体で見れば総合優勝という狙いがはっきりと見えたチームとして完成されていた。小石はこう語った。

「やっぱりステージレースで総合優勝って一番花なのでそこは目標の一つだし、僕たちみたいなチームって、運営陣はイタリア人とかが多いんですけど、日本のスポンサーで日本籍のチームだし、こういうTOJとか熊野もちろんすごく大事で、観客もいっぱい来てくれるし、スポンサーの方も来るし、そういうとこで勝てたというのはチームにとってはプラスで、来年以降に対してもポジティブに働くのかなと思います」

 

日本人最上位、トライの連続

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東京ステージでチームプレゼンに立つマトリックスパワータグのメンバー

 

トップから2分58秒遅れの総合7位でフィニッシュした小林海(マトリックスパワータグ)は日本人では最上位という結果になったが、本人は「微妙ですね。僕はもう1年、勝つことを考えてやってたんで」と話す。

富士山ステージでのトップとのタイム差は1分10秒でステージ6位。

「馬返しまで目視できる距離だったんです。30秒くらいだったので。そこから踏めば追いつくんじゃないかと思ってたんですけど、やっぱり速かったし、今年、(富士山の)下からめっちゃ速かったので。それで余計にしんどかったですね」

相模原ステージでは、スプリントポイントでのボーナスタイムすら狙いに行った。

「何があるかわからないしと思って、できることは全部やっていこうと思ったのでトライしました。
今回は結構トライしましたね。富士山もそんなに自分のペースでは行きましたけど、できるだけ勝負に絡もうと思ってました。例年より順位も満足してないですけど、1位との差は今までで一番近づいたのかなとは思ってますね」

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相模原ステージのスプリントポイントを取りに行く小林

 

チームの大ベテラン、フランシスコ・マンセボも前のレースでの落車から調整がうまくできておらず、常に手厚いアシストを得られたわけでもなかった。

「総合は疲れるんですよね。精神的に。毎日ちょっとでも遅れることもできないし、トラブルも怖いし、寝られないし、本当にしんどいです。チームも怪我人ばっかりでちょっとしんどかったです。織田聖が今年来てくれなかったら、やばかったですよ。聖を乱用したんで僕は(笑)。もうめちゃめちゃ頑張ってくれたんでよかったです。難しいチーム状況の中でもできることは全部やったのかなって感じですね」

例年よりも手応えは感じた。小林は来年のリベンジを誓う。
「僕はこれ(TOJ)を勝って引退したいと本当に考えてるんで」

 

もう一つの”大成功”

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山岳賞ジャージを獲得した中井とスプリント賞ジャージを獲得した寺田

 

「8日間ずっと、すごい楽しかったです!」

全ての表彰式を終え、労いの言葉をかけにきた栗村修大会ディレクターに対して満面の笑顔で話していたのは、スプリント賞ジャージを獲得したシマノレーシングの寺田吉騎と中井唯晶だった。

シマノレーシングとしては、もともと特別賞ジャージを狙っていたわけでもなかったそうだ。前週に行われたツールド熊野ではむしろ打ちのめされたという。

TOJ初日、個人タイムトライアルの前の堺国際クリテリウムで寺田と山田拓海が逃げ切って勝利を収めてから勢いづき、可能性は広がった。

翌日の京都ステージでは中井が逃げに乗って山岳ポイントを重ねたことで山岳賞も視野に入り、連日上位に食い込んだ寺田のポイント賞も狙える位置にきた。

「特別賞ジャージがどんどん現実的になってきたので、そこからやっぱり意識は上がっていきましたね」チームのベテラン、入部正太朗はそう話す。

「レースのミーティングで、こんな上手く行くわけないだろ!って言いながらも、全部上手くいって毎日びっくりしていました。うまくいって、テンション高い状態で毎日終えていたので、本当にすごい大会になりましたね」と寺田は話す。

また、野寺秀徳監督も同じく、「本当に1週間、今日も完璧だった、今日も完璧だった、というのが続きました。こんなステージレースでこれだけ自分たちが何か明確に目標を持ってできることというのもなかなかないから、選手の集中力に1週間感謝しています」と語った。

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チーム全員で喜びを分かち合ったシマノレーシング

 

2クラスに下がったTOJでは無線が使えなくなり、選手一人一人の判断に委ねられる部分も大きかった。

「無線がないから、もし何か迷うことがあったら、迷わず手を挙げてチームカーを呼べと言ってましたけど、結局、ほとんど彼らは彼らの中で情報を得て、その場で判断して明確なチーム単位の行動ができていたということは、やっぱりもう僕が出る間もなかったような状態でしたね」と野寺監督は話す。

最終日までもつれたポイント賞争いでも、スプリントポイント前になると集団前方に集まっていたシマノレーシングだが、監督や誰かの指示ではなく、阿吽の呼吸で自然と集まっていたのだと入部は話していた。

特別賞ジャージを獲得したのは、寺田と中井だったが、入部や他のメンバーの助けがあってこそという場面も多く見えた。

中井はこう振り返る。
「チームは本当に不調な人もいなくて、一人一人が機能して、みんなチームが本当に一丸となって戦えたTOJかなと思います。
やっぱりここ数年、結構苦しい状況で、弱いとか言われている時期もあったので、それから比べると、強い若手も入ってきて、やっぱり入部さんというベテランも戻ってきてくれて、チームが一つになってるから、こうやって成績が出せているっていうふうには思ってますね。本当にありがたいです。
僕も27歳と、中堅ぐらいになってきてそこそこ経験も増えてきたので、入部さんみたいに、嗅覚がすごいんですよ、本当に。やっぱあの人がいるいないで全然チームがまとまりますし。そこにやっぱ僕もなりたいなとは思ってますね」

当の入部は、「単純に海外選手の力の差は感じるんで、そこをしっかり詰めていければいいと思ってます」と現実を見たように、野寺監督も今回の結果に驕ることはない。

「今回素晴らしい走りはしましたけど、例えばこれがさらにレベルが高いサバイバルレースみたいになったりとか、例えば全日本選手権もそうですけど、やっぱりそういうところで、必要な力というのはまだまだ上のものを手に入れなければならない。
今回、実は目立っていないけど、JCL TEAM UKYOのアシストとして走っていた日本人、彼らは結果はうちの選手みたいにないけど、明らかにうちの選手も強いです。だから彼らのような力を手に入れるためにやっぱりやっていかなきゃいけない。今回の成功はもちろん僕ら誇りに思いますけど、ただ決してあの僕らに日本一の力があるわけではないというのをやっぱり確認しなきゃいけないなと思っています」

次の戦いは1カ月後の全日本選手権だ。

 

最後のチャレンジ

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最終周に一人飛び出した森田

 

最終、東京ステージ。最終周のバックストレートで各チームがスプリントトレインを組む中で一人集団を飛び出したのは、それまでずっと集団最後尾を走っていた京都産業大学のたった一人の生き残り、森田叶夢だった。

直近の落車から集団で走る恐怖を覚えてしまったようで最初はTOJに出るのを嫌がったところをどうにか引っ張ってきたと木村圭佑コーチが言っていたのを聞き、レース前に本人にも話を聞きに行った。

中継でも度々映っていたように、各ステージひたすら集団の最後尾にしがみついていた森田。辛くなかったか聞くと、
「辛かったですね。位置取りができない代わりに、結構脚を使っちゃう場面が多かったので、もっと技術とか、そういうものを身につけてからしっかり位置取りとかをチャレンジしたいなと思います。学生のレースとかと速度感とかも全然違いますし、位置取りとかもすごく密度が高くて、そういうところのストレスからちょっと逃げがちというとこがあって、そこは今回良くなかったですね」と、控えめに話した。

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最終日、チームテントには寂しくも一人だった

 

しかし、富士山ステージではトップから7分2秒遅れの23位でフィニッシュ。

「総合を狙わない選手とかは結構ゆっくり上っていたんですけど、自分の刻んだペースとか見てもしっかり出せていたと思うんで、そういうところはちょっとは自信になりました」

そして、学連のレースが行われているなか、数時間後にスタートする最終ステージを前に森田はこう話した。

「集団のペースが速かったら本当に完走で精一杯になっちゃうかもなんですけど、何かチャンスがあれば、ちょっとチャレンジしないと勿体ないというか、サポートしてもらったりとかしてるんで、何かできたらなとは思ってます」

吸収はされてしまったものの、最後の最後で有言実行のチャレンジを見せてくれた。

 

 

ツアー・オブ・ジャパン2024 開催概要

大会名称: Tour of Japan2024(UCI Asia Tour Class2.2)

期日: 2024年5月19日(日)~5月26日(日)

会場: 堺~京都~いなべ~美濃~信州飯田~富士山~相模原~東京

出場チーム数: 16チーム(海外チーム6チーム、国内9チーム、大学チーム1チーム)

▪️ツアー・オブ・ジャパン公式サイト
https://www.toj.co.jp

▪️YouTubeツアー・オブ・ジャパン公式チャンネル『BPAJ ch』
https://www.youtube.com/@BPAJch