アンバウンド・グラベル2024 グラベル熱狂時代への冒険
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世界中で盛り上がるグラベルライド、その中でトップレベルの規模と知名度を誇るのが「アンバウンドグラベル」だ。北米におけるトップレースでありつつ、超長距離を走りきる耐久ライドとして、 参加者のライド特性や趣向が混ざり合う。そんなアンバウンドの現地からのレポートをお届けしよう。
Lifetime Grand Prix UNBOUND GRAVEL 2024
ライフタイムグランプリ・アンバウンド グラベル2024
開催日/2024年5月30日(木)〜6月2日(日)
開催地/アメリカ合衆国 カンザス州 エンポリア
コースカテゴリー/ XL(350マイル・約570km)、200マイル(約326km)、100マイル(約175km)、50マイル(約88km)、25マイル(約42km)
これが本場のグラベルレース!
どこまでも続く、終わりなきグラベルロード。フリントヒルズと呼ばれる緩やかな丘陵地帯の農道に、土ぼこりが舞い上がる。ここはアメリカの中央部、カンザス州。USビーフの故郷となる広大な牧草地帯にぽつりとある人口約2万5000人の中枢都市のエンポリアを起点に、グラベルライダーの祭典が始まった。
世界最大のグラベルイベントが「アンバウンドグラベル」だ。2006年の「ダーティカンザ200」から名前を変えつつ開催されるこの超耐久レースは、もはや2024年現在のグラベルシーンで最も注目されるイベントとなった。現に、北米におけるその盛り上がりには目を見張るものがある。アンバウンドのトップは完全なプロの「レース」となり、現在北米各地で開催されている「ライフタイムグランプリ」のシリーズ戦の一つとして組み込まれている。そこに用意される賞金総額は30万ドル(約5000万円)に達し、年間総合首位の獲得賞金は3万ドルに至る。そして出走するライダーは現役UCIプロロードチームに所属する選手や、MTB選手など出自は様々。それでいて、本レースはセルフサポート体制であり、たとえチームに所属していたとしてもサポートカーの帯同はなく、すなわち個人の力が試されるものとなる。(エイドステーションは設けられ、そこで補給を受けることは可)。そんな競技特性から、このグラベルレースにおいては従来のプロロードレースのようなチーム所属だけでなく、個人で機材や協賛を募る選手も出始めている。iRCタイヤやシマノからのサポートを受ける「グラベル・プライベーター」ことピーター・ステティナは、その先駆者だろう。そんな男女エリート200マイルカテゴリーは何台もの撮影クルーが帯同し、実況中継が配信。そしてコースの沿道にも観戦者が集う。従来のレースとは一味違うタフな異種格闘技レースのごとく、その注目度は高い。
グラベルの故郷から
そんなトップカテゴリーも含めて、今回のアンバウンドの出走人数は史上最大となる5000人。アメリカ国内はもちろん、ヨーロッパやアジア各国など40か国、10代から90代までの幅広い層がエントリーを行った。日本からも数多くのグラベル愛好家が参戦。200マイルでのハイレベルなレースを、あるいは100マイルでの完走を目標に掲げ、朝5時50分のエリートライダーのスタートと共に超耐久レースの火ぶたが切られた。
筆者・エリグチ自身も、日本で重ねたグラベル経験を携えて、100マイルに出走。しかし、それは想像以上にハードな旅路となった。トップ集団のロードレースさながらの速度と展開に圧倒され、集団を離脱してからはコースの約9割5分という未舗装比率と小刻みなアップダウンに、ジリジリと脚が削られていく。沿道のファミリーがくれたキンキンに冷えたコーラを飲んでいると、200マイルレースも終盤を迎えたエリートライダーがとんでもない速度で追い越していった。超級レベルの競走と完走を目指した個人旅行、そして声援と喝采……。グラベルロードの上でそれらの熱は混ざり合い、取りつかれたように一人ひとりがペダルを回し続ける。非日常への冒険心と、誰よりも速く遠くへ走りたい、そんなスポーツサイクリングの原点がそこにはあった。湧き上がるエンポリアのメインストリートに、残る力を出し切ってたどり着いた。グラベルという熱狂は人々を包み、冒険はその先へ伝播していく。
シングルギヤで200マイルを駆け抜けろ!アンバウンド200マイル参戦記
平塚佑亮さん
2018年から2022年までの4年間「群馬グリフィンレーシング」にてJプロツアーを走り、22年には同チームのキャプテンを務める。現在はトラックピストやULハイクを愛好しつつ、「群馬グリフィンネットワーク」の一員として活動。
アンバウンドの200マイルカテゴリーに参戦したジャパンライダーのレポートを紹介!
群馬グリフィン時代から親交の深い渡辺将大監督は、競技の豊富な経験を持ちつつ自転車のカルチャー的な側面も重視している人でした。そんな監督から伝えられた「自転車の楽しみを深める」ために、2022年にラファプレステージの新潟燕三条に参戦。コースがほぼ未舗装路というこのライドは、体験の新鮮さと共に、セルフサポートという緊張感に魅力を感じました。
今回アンバウンドに出走を決め、どう楽しむかを考えて選んだのが、シングルスピードでの挑戦。日本人として初めてであるということ以上に、シングルスピードへの憧れやそのカルチャーに引かれる思いからです。そして200マイル当日。ギヤ比は2.2に固定されるため、平坦や下りで集団と合わせることは難しく、集団後部からスタート。とはいえ最初は他の参加者と共に走って体力を温存しようと、基本は左車線でトレインに乗り、抜きたい時は右に移ってと、コース上の集団を乗り換えながら走り続けました。
50kmを過ぎて予想以上に疲れを感じ始めた頃、同じくシングルで走る選手に出会ったので、彼に着いていくことに決めました。注意深く彼を観察していると、下りや平坦では集団を見送り休息。上りでは(彼は上りが速かった!)踏んで追い抜かしてと、その走り方を参考にトレースしていきます。
けれどしばらくして前輪がスローパンク。岩がとがっている上り坂で、トルクをかけつつ腕を使って必死で上っていたことが原因でしょう。120km地点の第1エイドまでの20kmは、無理をしなければならない状態でした。エイドでシーラントを追加し復帰。その後は調子を取り戻し、林間セクションや徒渉、トレイルのような下りを楽しむ余裕も生まれてきました。
それでもこの200マイル、ほぼ遮るもののない道です。疲労と暑さで脱水が進み、つらさは増していきます。240km地点の第2エイドを過ぎたのが夕方の7時頃。しかし現地は驚くほど明るく日が沈む気配はありません。過酷さを痛感しはじめていました。この午後6時から7時までが、最も暑さが厳しい時間でした。自身のペースで走り続け、残り50km。オレンジジュースを飲み干して、体と気持ちを入れ替えました。
徐々に日が西に沈み、眼前に美しい夕景が広がっていました。一緒に走る仲間も増え、私とペースを合わせてくれるのです。残り40km、上り切った丘の先に果てしなく先まで道が続いているのを見た瞬間、その光景に泣きそうになってしまいした。けれどそこまできついと感じつつも、共に走る仲間や沿道の応援の力が余りに強く、また泣きそうになってしまったことをよく覚えています。
沿道の家々や、道の脇でたき火をしつつキャンプする人々。本当に多くの声援が聞こえてきました。それは、日本でサーキットレースが当たり前だった自分にとって衝撃で、周囲の人々が総出で楽しみながら応援してくれている、そんなコミュニケーションの濃度に感動していたのだと思います。
最後の大きな坂を越えて残り20kmの平坦路を仲間と進みます。市街地に入ると応援がさらに大きくなり、フィニッシュの瞬間、その盛り上がりをしっかりとかみ締めました。
レース前日、エンポリアの町はグラベル一色!
エキスポで発見したグラベル機材たち