太田りゆの競技引退インタビュー 前に進み続けた8年間
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パリ五輪の女子ケイリンを歴代最高位の9位という結果で終え、8年もの間、トラックナショナルチームで活動し続けた太田りゆが競技の引退を発表。パリオリンピックであったこと、8年という歳月で得たものなどを振り返ってもらった。
大事にしてきた「継続」
まだ競輪選手養成所に所属していた時代から8年間、トラックナショナルチームで活動し続けた太田りゆ(チームブリヂストンサイクリング)が自転車競技を引退することを発表した。全日本トラックの3日目には、たくさんの観客を前に引退セレモニーが行われた。
悔しい思いを持ってリザーブとして参加した東京オリンピック、そして出場をかなえたパリオリンピック。着実に一歩ずつ積み重ね、進んできた。
代表発表会見のときに太田は、「勝って勝って勝ちまくって、皆さんが安心して見てもらえるような選手では決してなくて。自分の中でも上げ下げがあったりとか、いつも楽しくやれるわけではなかったんですけど、それでも絶対止まらずにちょっとずつでも進んできました。すごく短くはなかった気がしてますけど、自分が辞めなかったこと、歩み続けたことを誇りに思って、本番一生懸命戦いたいと思います」と決意を語っていた。
パリへと旅立つ前には、「オリンピックには魔物がいると言いますけど、自分は違うふうにできたらいいな」とも話していたが、実際にその場に立ってみてどうだったか聞くと、「その魔物には結構耐性があったのか、力が出せない選手もいた中で、私はやるべきことがその日にちゃんとできたタイプだったなと思いました」と笑ってみせた。
それどころかレース本番では、「味わったことのない覚悟の決め方」ができたと話す。ケイリンのレースを見ていても、集中して攻める力強い走りが見られた。
「自信があるときはやっぱり攻められるので、その状態で臨めました。全員がすごく緊張して動けなくなっちゃうという感覚は、もう何度もやってきたし分かるんですけど、その日は何が何でも動いてやるっていう気持ちでしたね」
東京では観客席から歓声を聞き、観客の表情を見たが、今度はフランスというトラック競技への認知がより高い場所で、さらに熱い声援を受け取る側になった。
スプリントでは母国のマチルダ・グロとの対戦というアウェイな環境もあった。
「めちゃくちゃアウェイですけど、でもフランスの選手、ホームの選手に対して向けられる素晴らしい声援を聞いて、私に対してブーイングという感じでもないのがフランスのすばらしさで。対戦したマチルダ選手は、日本に来てくれて、日本で一緒にテレビに出演したりだとか、国際レースに行ってもすごく仲がいい交流のある選手なので、終わった後も、『りゆ、ありがとうね』って言ってくれて。私も『あなたのステージだから頑張ってね』とハグしたときに話しました。負けましたけど全力でやれた結果だったし、楽しかったです」
スプリントでは20位、ケイリンでは9位という結果。ケイリンでは女子短距離でオリンピックにおける歴代最高位を残した。
「日本ナショナルチーム全体として、本当に世界で戦えるだけの力があるし、この9位っていうのが最高位で、その力が日本だと思われたくないとは思っているんですけど、やってきたことが歴代最高位だって言われるのはやっぱりうれしいです」
8年間で得たこと
この8年間で一番つらかったことと一番楽しかったことを聞くと、「一番つらかったのは全部の時間をかけてやってきたオリンピックに出られなかった東京大会で、それを周りに報告しなきゃいけなかったときですね。楽しかったのは、やっぱりパリオリンピックに出たことが一番楽しかったし、それに向けてちょっとずつ自分の記録が伸びていくっていう道のりも振り返ってみれば楽しい時間だったと思いました」と答えた。
また、最も成長した面については、「諦めない強さとかは絶対についたと思いますし、あと、自分のことを信じて大切にするっていう心の強さみたいなもの。自分のことを大切にすると、人にも優しくできるって聞きますけど本当にそのとおりで。自分にも優しいし、人にも優しいかもしれないなと思います(笑)。逆に言えば甘いところもあるかもしれない。でも自分はそれでいいかなって」と笑う。
改めて、目標とし続けたオリンピックという舞台に立って得たことについてはこう話す。
「実際得られたものっていうのは、メダルというものではなかったんですけど、そこに立つまでに支えてくれた人たちの人間関係というのは、多分普通に過ごしていく中では得られないような、本当の仲間というか。いつでも絶対的に味方でいてくれる仲間が、この8年間でできました。
あとは、東京オリンピックで観客席から見たときに、選手に対する拍手や声援っていうものは、やっぱり他のワールドカップや世界選手権では感じられないような、本当に素晴らしいものがオリンピックにはあって、あれを自分が選手として受け取りたいなとすごく思いました。それをパリの舞台ではコロナ禍じゃなくなった分、本物のオリンピックの声援とか歓声、雰囲気、空気感っていうの全部全力で、全身で感じられて本当に素晴らしい経験をしました。
得たものはこれだけじゃないと思っていて。これからの素晴らしい財産だと思っています」
競技からガールズケイリンへ
今後は、競技からは退き、養成所を卒業してから初めてガールズケイリン一本に集中することとなる。
「やっぱり(ガールズ)グランプリの優勝というところはもちろん目指していきたいし、その前にまずはタイトルを取りたいし、まだやってきてないけど、やっていきたいなと思います。
あとは、強いだけの選手じゃなくて、いろんな人に今まで自分のやってきた経験を伝えていけるような活動を続けていきたいと思います。未来を自分の力で頑張りたいと思っている若い人たちに、私もまだ若いんですけど(笑)。そういう活動とかもやっていきたいし、それだけしかできないというふうにならないようにやっていきたいと思います」
トラックナショナルチームの中でもアイコン的な存在であったように思う。メイクが映えるディズニープリンセスのような印象的な目元にとびきりの笑顔を浮かべれば、周りの雰囲気をも華やかにした。レースの日でもメイクは欠かさなかった。
競技はもちろんだが、同時に8年間練習したという「泣いても落ちない、汗をベッタベタにかいても落ちない」最強メイクも武器に、今度はガールズケイリンを沸かせてくれるはずだ。