KEIRINグランプリ2020取材コラム “スポーツ”として見た競輪 part2
目次
これまでロードレースを中心に取材をしてきた本誌・滝沢が、2020年末、KEIRINグランプリ2020という競輪界最高峰の舞台へと取材に向かった。そこで聞いた選手たちが持つプロ意識やレースへかける思い、そして何よりレースの面白さに感化され、その衝動を元にコラム+ショートエピソードをここに綴る。
なお、詳細なレースレポートは、More CADENCEに掲載中なのでこちらもチェックしてみてほしい。
前回チャンピオン、佐藤慎太郎の意地
ロードレースに脚質があるように競輪にも脚質がある。大きく分けるなら、自力での逃げ切りが得意な先行タイプと、先行タイプの後ろについて他選手の牽制をしながら最後に勝負を狙う追い込みタイプの二つだ。
佐藤慎太郎は、追い込みタイプを代表する一人である。なにせ2019年のグランプリ覇者。レース運びを見ていると、ゴール前での位置取りやタイミングを選択する嗅覚は飛び抜けているように感じる。今回のレースでも、前を行く新田祐大の仕掛けが不発となってしまった厳しい展開の中でも3位という結果を残した。ちなみにキャラクターとしても非常に魅力的でファンも多い。
佐藤は、新田だけでなく、ナショナルチームでしのぎを削る新山響平や高橋晋也などと連携して後ろを走ることも多い。味方として走りながらも、ナショナルチームメンバーの強さをその真後ろで実感している一人だと言えるはずだ。
「味方なんですけど、連携する仲間なんですど、その後ろでちぎれるんじゃないかってレースで恐怖を覚えるぐらいの強さなので。追い込み選手としての最低限のことですよね、しっかりついていくっていうのは。それを果たせないことに対する恐怖というのは常に付きまとっています。ナショナルチームはその恐怖感を常に与えてくれてるので、普段からの生活にすごくいい刺激をもらってます」
今回のグランプリを走った中でも最年長の44歳。その年齢ながら、常に変化に対して柔軟な姿勢を崩さない。個人的に、トラックの世界大会で活躍するテオ・ボスやデニス・ドミトリエフとも友人のようで、トレーニング方法を聞いたりもするそうだ。
意識していることについて佐藤は、「今、競輪はトップスピードが上がってきてるんで、そのトップスピードとトップスピードに上げるまでの時間を短くできるように、パワーとかそういうことを意識してますね」と話した。
2020年からはロード乗りにはお馴染みのズイフトも始めたという。
「VO2MAXとか、そういう1人で道路でやろうと思っても難しいようなことをプログラムされてるやつをそのまま入れるだけなんで、覚悟を決めずにできるというか。もう軽いゲーム感覚で家にいながら地獄のようなトレーニングができる(笑)。それが本当にズイフトの素晴らしいところだなと思ってますね。もう自分にとっては必要不可欠なものになりつつあります」
佐藤のズイフト上でのワークアウト履歴をのぞいてみると、ロード選手とは違った超ハイパワーのインターバルトレーニングなども見られて面白い。
勝負の場面での嗅覚が研ぎ澄まされたベテランがさらなる変化を許容したとき、これまで以上の奇跡が見られるかもしれない。
守澤太志の変化
トラック中距離を走る選手やロード選手の中でも競輪へ挑戦する動きが少しずつ増えてきているように思うが、守澤太志はその先駆けの一人ではないだろうか。
守澤は明治大の自転車部出身。2007年、伊豆サイクルスポーツセンターでのインカレロード優勝という競輪選手の中ではなかなかに異色な経歴を持つ。明治大時代は、ロードだけでなくトラックではポイントレースなどにも参戦。競輪にイコールで結びつくような短距離選手ではなく、中・長距離選手だった。
そんな守澤がロードから競輪に転向する際、やはり苦労があったようだ。
「やっぱり筋力が圧倒的に足りないですし、瞬発力も足らなかったので、一時期今より10kgぐらいわざと太らせて、筋肉を増やすっていう時期もありました。肉体を変化させるのは本当に大変でしたね」
しかし、守澤のレース運びを見ていると、競輪ならではの横の動き(他選手の動きを左右に動いて牽制すること。ロードやトラックでやると失格になりかねない)にもしっかり対応しているように思える。ロードが中心だった守澤がどうやってそれを身につけたのか聞くと、こう返ってきた。
「僕の場合は、中学校までスキーをやってたんですけど、そっちの経験の方が生きてるかなと思いますね。バランスとかがスキーの使い方に似ているようで、やってみたら意外とできました」
2020年、初めてグランプリ出場を11月中旬の競輪祭という大会で確定させた守澤。普段のレースで緊張することはあまりないようだが、グランプリ出場がかかった11月中旬の競輪祭では無意識に緊張していたと話す。
グランプリに向けてはまだ楽しみの方が大きいと話していたレースの3日前、自身の勝利のイメージを聞くと、「もう、全く思い浮かばないですね」と笑った。
守澤は、北日本に所属する新田、佐藤に続く3番手として走ることが発表されていた。2019年の優勝コンビの後ろにつくという形だ。
「やっぱり前の二人(新田と佐藤)がすごく強いので、まずはとにかくついていかないと勝負にならない。ついていって最後つっこめるかなぁと」
これまでのレースを走ってきて、ナショナルチームの体制が変わってから、前を走る新田のフォームは明らかに変わったと守澤は言う。
「僕も多分強くなってるはずなんですけど、でもやっぱり差が広がっていっているような感じがします。どんどん進化していっちゃう。でも毎回ついて行けるぐらいにはならないと勝負にならないので。今回のグランプリでもついていくことに集中します」
こう話したが、実際のレースでは最後の直線まで佐藤の後ろを離れずにつき、隙間を縫いながらハンドルを目一杯投げて4位に食い込んだ。
「走ってすごい刺激を受けたんで、また来年この場所に戻ってこられるように頑張ります」
自分なりに力を出し切れたとすっきりとした表情を見せた。
グランプリレーサーはたった9人。その9人が背負う期待や責任は、グランプリの1レースのみでなく、翌年のレースにも大きくのしかかる。年明け一発目に出場した和歌山競輪場でのレースで守澤は2勝を飾っている。
ロード選手から日本の競輪のトップ9人に入った守澤が勝利への責任を携えて走る今後のレースも楽しみにしたい。
新たな悔しさを背負った新田祐大
新田祐大にとって、グランプリは6年連続7回目の出場。東京オリンピックのトラック競技での金メダルという自身の最大目標に向かって強さを磨く新田は、競輪界でもトップの座を保ち続ける。
しかし、今年のグランプリは今までと変化した点があるという。今までは、自身のパフォーマンスだけを求めて走り、グランプリの一発勝負に対する評価を誰かに求めるようなことはしてこなかった。しかし、このコロナ禍。スポーツ自体の存在意義が問われる中でも残り続ける競輪というものに対して、新田なりに何ができるかを考えた。
自粛期間にはオンラインでの授業なども受け、学びの時間もできた。その結果、part1のコラムでも書いた【ぶっちゃけいりん】の放送を始めるなど、新しいことへの挑戦につながった。そして、そこでつながった人たちや新しく競輪を知ってくれた人たちにグランプリというレースを楽しんでもらいたいという思いが生まれた。
「今年に関しては過去ないぐらいギリギリまで出場権を争って走ってきて。その中で同じ北日本の先輩、後輩たちの助けがあってたどりつくことができたグランプリだと思っています。結構、このグランプリを目指し続けるのって苦しいなと思った時期もあったんですけど、たどり着けたからには、あとはやることをやって、新しい競輪ファンになる人たちにも、もともとのコアな競輪ファンの人たちにも楽しんでもらいたい」
新田の武器は爆発力だ。ナショナルチームで一緒に活動する脇本雄太がもっとも警戒したのは新田だった。その武器を発揮するポイントを新田は考える。
「周りのスピードとか、対比するタイミングだったりとか、あとは相手の仕掛けるポイントであったり、いろいろあると思うので、自分の爆発的な力っていう特徴が生かせる状態を作ることが重要で、それをどうやって作っていくかということを考えなきゃいけないのかなと思いますね」
結果、今回のグランプリで爆発力を存分に発揮することはかなわなかった。
レース後、新田は「今日はもう最悪でした」と顔を歪めたが、最終コーナーに選んだ道こそが、それぞれの選手の“やり方”を示していたように思える。
新田は大外から自身の脚だけを頼りに先頭を目指した。一方で後ろについた佐藤と守澤は、他選手の隙間を縫いながらイン側を突き進んだ。
これは先行した脇本の今回の走りにも言えることだが、他人に任せることなく自分の脚で最後まで踏み抜く姿は、圧倒的な力と自信を感じさせる。まさに地脚勝負。連携という概念がないトラック競技選手らしい走り、強さが見られたように思う。
「この悔しい気持ちは絶対忘れない」と新田は前を見つめる。
グランプリを終え、新田の競輪への参戦はオリンピックまでおそらくない。次戦は正常に開催されれば、トラックのネイションズカップだ。現在は、トラックナショナルチームで沖縄合宿中。東京オリンピックに向け、また過酷なトレーニングを積み重ねていくのだろう。日本最高の舞台で味わった悔しさを、世界最高の舞台で晴らしてくれることを期待したい。
“ゴールデンコンビ”松浦悠士と清水裕友が担う未来
競輪界で近年、“ゴールデンコンビ”を指すのは、30歳の松浦悠士と26歳の清水裕友の二人。松浦は2年連続2回目のグランプリ出場、清水は3年連続3回目だった。
レース前日、清水は非常にリラックスした様子で、「去年(2019)はすごく慌てたんで、今年はもうゆっくりやろうと思って」と話した。今までと比べて、今回の気持ちはどうかと聞くと、「今までよりかは、本当に(優勝を)取りたいという思いは強いですけど、こればっかりは本当一発勝負ですし、あんまり欲出してもよくないので」と答える。
2019年のグランプリでは、欲を前面に押し出した結果、固まってしまい、動けなかった。
「そういう欲出さずにいつもどおり走れたなと思いますけど」
一方の松浦も同じように「いつもどおり、いつものレースの感じ」と話した。
2019年にグランプリ初出場を果たした松浦は、前回は意気込み過ぎていたと話す。しかし2回目の今回は、レース前日、いや、それどころか当日のスタート直前ですら誰よりも落ち着いた表情が見て取れた。
松浦も清水も先行も追い込みもできる選手。そのために、どちらが前で走るかは本人たちから発表があるまで分からない。2019年のグランプリでは、清水が前、松浦が後ろを走った。2020年は、逆の並びが発表された。松浦は理由についてこう話す。
「清水くんは今年の後半戦、ふがいなかったから、ちょっと自信が……という感じのニュアンスだったので、それなら僕が前でやるよ、と。僕的には、自信がない方が逆に前を回った方がいいと思ったりはしたんですけど、清水くん的にはしっかり戦う自信がないと前を回れないような感じだったので、それなら僕が前で行こうかと決めました」
また、レース3日前の記者会見で松浦は、「自分が動かないと」と使命感を語った。その意図について、「レースを動かすのが、僕が一番動かすかなというメンバー構成なので。郡司くんとかも一回押さえたりしますけど、最終的には、僕が動かないと多分レースの動きが少なくなると思うので、しっかりとレースを動かしていきたいなと思っています」と話した。
その年の最後を飾るビッグレースであるグランプリでは、全員が全員、タイトルが欲しいという思いが強すぎて、レースが終盤まで膠着してしまうような展開もある。
「そうならないようにはしたいです」
まっすぐな瞳には闘志がみなぎっていた。
松浦が言ったとおり、スタート後の位置取りから展開を見せてくれた。最終周回の3コーナーでは、清水が勝てる道筋が見えた。しかし、最終コーナーで思いがけない平原康多からの攻撃でその光は潰えた。
「いやぁー、夢見たなー……」
清水はレース後すぐにダイジェスト映像を見ながら口を開く。
松浦は悔しさを語りながらも、いいレースはできたと振り返る。
「裕友が優勝して一緒にこうやって(肩を組んでバンクを)回る夢を見たんですけど、正夢にならなかったです。現実にならなかったらいけないかなと思って喋らなかったんですけど、言っちゃった方が良かったかもしれないね(笑)。まぁいいレースは本当、お見せできたかなとは思いますし、悔しいですね」
もちろん勝利こそ全てかもしれない。だが、勝利へ向けた積極的な動きは見る人の心を動かす。どうしたらレースが面白くなるかを追求する選手がトップのカテゴリーにいる競輪が、“競技”としても面白くないはずがないのだ。