「自転車競技者として熱いプロ選手人生を送りたい」 窪木一茂が競輪選手養成所を卒業 1年間の訓練生活で得たものとは
目次
チームブリヂストンサイクリング所属の窪木一茂選手(福島県・119期)が、約1年間の日本競輪選手養成所の訓練生活を終え、3月1日に卒業を果たしました。養成所での生活を通して得たもの、そして卒業の直前に行われた卒業記念レースについてのリポートも加えてお届けします。
不安もいつしか消え、競争相手そして仲間に
まずは、養成所生活を振り返る前に、養成所に入所している候補生に多く寄せられた疑問について、いくつかお話したいと思います。
①トレーニング以外の養成所生活の過ごし方について
競輪は、競馬や競艇、オートレースと並び一般的には「公営競技」です。日本ではギャンブルは法律で禁止されていますが、戦後の日本の戦災復興支援事業として国が認め、特別な法律を守ることで公営競技として正式に国によって認めらた経緯があります。競輪では「自転車競技法」という法律が定められ、「登録制」という制度が用いられることになりました。
登録制とは、身体、技能、学力、人物についての一定以上の資格要件が求められ、それらの要件を満たさなければ、競輪選手になることができないという制度です。端的にいえば、他の選手と競い合うための脚力や体づくりを行うためだけでなく、規律を守る大切さ、時間厳守、人間力、一般常識を形成するために、養成所で厳しい訓練生活を送るのです。
お客様からレースにお金を賭けていただいているにも関わらず、ルールを守らない人が続出しては競輪が公正安全に開催されることは不可能です。そういう意味で、しっかりこの約10カ月で競輪というものについて学ぶことができたと思いますし、胸を張って修得できたと言い切れます。
②在籍中における外部との連絡について
外部との連絡方法は、手紙による文通とテレホンカードを購入して利用できる公衆電話のみ…。さらに公衆電話の一回の利用については5分以内、必要なら再度かけなおして使用すること、とルールが決められています。
外出は、2週間に一度ある日曜外出のみ。ただ、今年度は新型コロナ感染症予防の観点からそれが行われなかったので、その代わりとして毎週日曜日の指定された1時間、各自の携帯電話の利用が認められ、使用させていただくことができました。
在籍中に頻繁に手紙のやり取りもしました。このデジタルな時代で「文通」というものを楽しめたことは、とても貴重な経験です。訓練を終えて宿舎へ戻ったとき、意外な人からの手紙などが届いていたりすると、とてもうれしかったものです。階段を上りながらすぐ封筒を破き、歩きながら読み…それもまた良い思い出です。
③養成所スタッフの方々について
教官の方々の中には、元々選手として活躍されていた方もいらっしゃいます。何気ない先生方との会話の中で、自転車のポジショニングやフォームチェック、また機材について、自主練習の方法、競輪で使用する鉄フレームのパイプについて等、知識も多く得られ、自分のためになることが多かったように思います。
質問に対しても真摯に受け答えしてくれます。もしも、新型コロナ感染症の問題がなければ、食事の時も候補生と先生が普通に会話をしながら食事を摂れたみたいなので、それができなかったのは少し残念です。
実は他の候補生たちは年齢が自分よりも下だったので、当初は不安でした。しかし厳しい訓練や生活をともにしていく中で、少しずつ一体感のようなものが生まれ、それぞれで助け合って生活できるようになった気がします。
4人一部屋での共同生活は、育ってきた環境が違うこともあり喧嘩や不満がどの部屋でも少しはあったように感じました。ただ、共同生活は良い部分も悪い部分もあり、よく言えば飽きない日々でした。いろんな地域から来ているので、情報交換会のようでもありました。
個人的な話をすれば、僕らの部屋では僕のいびきがうるさかったようなので、話し合いをしました。そこで売店で売っている耳栓をルームメイトに購入してもらいました。それからは皆耳栓を愛用してくれて、以降快眠が続いていると言っていました(笑)。
目標は自転車短距離の日本代表チーム
養成所生活は想像していた以上に生活面、訓練面において充実していました。1日があっという間に終わってしまい、もう卒業か…という思いです。
日本競輪選手養成所では競輪の生い立ち、競輪の歴史から学ぶことで、自分が今まで取り組んでこれた自転車選手としての活動等、例えば、日本代表の遠征や合宿も含めて、様々な場面を裏で支えてきてくれたのも競輪であったということを知りました。
もっと言えば、競輪場がある地域においては、競輪開催の売上金の一部が地方財政の補助金として、本当にとても大きく貢献をしている事など、身近な生活の多くで支えられている事を学ぶことが出来ました。関係者でなければ、これらを知ることはあまりないでしょう。
だから、自分が今後競輪選手となり、競輪をもっと世の中の人々に多く知ってもらえるように何かできることはないかを考えています。自転車競技者としてここまでやってきて、何ができるかは、まずはやはり脚力を鍛えて強くなることが一番の近道のように思います。なので、日本競輪選手養成所を卒業しても強くなることを意識して、ハングリーに自転車と向き合っていきます。
目標とするイメージは、2020年東京五輪に向けて活動をしてきた自転車短距離日本代表チームです。まさに生死をかけて取り組んでいる姿、成果を間近で見せられて、込み上げてくるものがありました。誰しも本気の姿には心打たれるものがあると思いますし、せっかくやるなら自分もそんな熱いプロ選手人生を送りたいと思います。競輪選手、自転車ロードレーサー、自転車競技者として─。
集大成の卒業記念レースで得た将来の“秘薬”
2月26〜27日、日本競輪選手養成所の400mバンク「JKA400」において卒業記念レースが開催されました。養成所生活の集大成となるイベント。当日の様子を少し記録しておきたいと思います。
初日は予選2レースが行われ、天気は小雨模様、落車、事故等が発生しないように選手達は集中力を研ぎ澄ませていました。両レースとも自分は一着で走り終え、2日目へと繋げることが出来ました。2日目は準決勝、決勝に向け、次第に緊張感も高まっていきました。
前週に行われた日本競輪選手養成所の第2回トーナメント競走で優勝し、そこで調子の良さも確認していていたので、卒業記念レースでも目標は決勝レースへ進出を掲げていました。準決勝のメンバーは脚力上位者揃い。特に宿舎では同じ部屋であり、在籍成績1位の犬伏湧也選手も一緒でした。上位3名のみが決勝へ駒を進めます。
準決勝のメンバーが発表されてから、ずっとどんな展開で走るかを考えていました。いつもならスタート前にはどんな走りをするか決めていますが、緊張し過ぎていたのか、この準決勝では考えが定まらないまま発走となってしまいました。
場所は一番内側の「1番車」で良い枠だったため、先頭誘導員の真後ろを取ることもできたし、真ん中の中段でも場所は確保できたはずでした。
この準決勝、中部・四国勢の3人が強力なメンバーであったため、そんな彼らに対し、どう対抗しようかを考えていました。
予想通りその3車が一番前を取りに行きました。中段を取るか後段を取るかで一瞬悩みましたが、発走機から出て後方を確認してみると、自分と同地区の北日本の後輩が2人並んでいました。それを見て自分は悩んだ末に最後尾を選び、その時は自分だけ「お、北日本3車だ」と心の中で思いました。
1番先頭を取ったのは犬伏選手、このレースではおそらく誰もが注視していた人物。自分は9番手となり最後尾。自分の勝手な思惑で、北日本の前2人に任せてしまう流れになり、レースが進んでいきました。
いよいよ残り1周半が過ぎ、打鐘が鳴った時、7番手にいた秋田の選手が先頭へと駆け上がり始めました、僕はそれを見て「よし前に上がるぞー!」と思った瞬間、2番手の宮城の選手は付いていきませんでした。「どうしたんだ?」と思いながらもペースが徐々に上がっていき、そしてラスト1周を過ぎて犬伏選手は流し先行という戦法で1着を狙いに行きました。
ラスト1周、ペースは高速で進み、一列棒状の状態、自分は9番手にいて何もできないままラスト半周を迎える。半周過ぎて、「やばいっ」と思い続けながら、大外から捲りを狙うも厳しい展開となり、最後まで追い込んだものの、3着にも届かず、7着となり決勝には残念ながら進むことができませんでした。
この時の反省としては、事前にある程度どう走るべきかと言う考えを決めておくべきだったということ。加えて他の人の力に頼らず、自分の力を出し切って、その結果がダメだったら仕方がないと思えるようなレースを心がけなければいけないと感じました。失敗は成功の素であり、まだまだ成長の余地はあると思える、自分自身にとって価値あるレースとなりました。
これらの反省点も生かしてしっかりとこれから実力をつけ、自分の力を出し切ってレースを展開していけるような競輪選手になりたいと思います。卒業記念レースで優勝がとれたら良かったとは思いますが、この経験が自分の未来への“秘薬”になるのでないかと思います。
本格デビューは7月
5月からは競輪新人ルーキーシリーズ戦が始まり、7月からは本格デビューです。目標はできるだけ早くS級に特別昇級することです。
しかし競輪と同時に自転車競技に関わる場合は、競技のためのトレーニングが必要となるため(競輪と自転車競技の練習内容は少し異なる)、日本代表強化指定選手は競輪においては、通常の競輪選手と比べて毎月に走る回数が少なく限られます。尚更、自転車競技と競輪を両立してやって行くためには、7月からデビュー後、一走一走を全力を尽くして走らなければならないと思っています。
今回、全4回にわたり私の記事を『Cyclist』さんに掲載していただきました。自転車ロードレースファンの方に自分がきっかけで競輪について興味を持ってもらえるようにと、また、これから日本競輪選手養成所に入所したいと考える方々へ向けて少しでも参考になればと思い、記事を作成していました。
日本競輪選手養成所に入る直前に慌ただしく連絡のやり取りを進めて頂き、ご協力を頂きました、Cyclist様、公益財団法人JKA、JIK(日本競輪選手養成所)の関係者の皆様には大変感謝しています。約10カ月の間でしたが、本当に有難うございました。
これからも日本の自転車振興に尽力していけるよう精進します。拙い文章でしたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。これからも競輪選手の窪木一茂を応援よろしくお願いいたします!
2021年3月 窪木一茂
窪木一茂(くぼき かずしげ)
1989年生まれ。福島県石川郡古殿町出身の自転車競技選手。ロードレースとトラック中長距離の国内トップ選手として活躍。ロードでは2015年の全日本ロードレース選手権を制し、2016年から2シーズンはNIPPO・ヴィーニファンティーニに所属して海外レースを転戦。2018年には全日本個人タイムトライアルでも日本一に輝いた。トラック競技では、中長距離種目において個人・団体ほとんどの種目で日本チャンピオン獲得経験のある第一人者。2016年のリオデジャネイロ五輪にはオムニアム種目で出場。2019年もポイントレースやマディソン、4km個人追抜き、4km団体追抜きでも日本チャンピオンに輝き、国内記録、アジア記録を更新。