3団体が揃った久しぶりの有観客レース 第1回 富士クリテリウムチャンピオンシップ
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3月19日、20日の日程で初開催された富士山サイクルロードレース 富士クリテリウムチャンピオンシップ。今大会は、全日本自転車競技連盟(JBCF)、ジャパンサイクルリーグ(JCL)、日本学生自転車競技連盟(JICF)の3団体混合で行われた。
予選ではそれぞれの団体での上位25人が決勝に勝ち上がり、翌日の決勝戦へ臨んだ。決勝ではチームごとの出走人数もバラバラの中で、集団ゴールスプリントで力を見せた愛三工業レーシングチームの岡本隼が初代チャンピオンに輝いた。
初開催のきっかけ
富士市役所を目の前にした3車線の道路、富士市道臨港富士線(通称:青葉通り)を完全封鎖して行われた”第一回富士山サイクルロードレース 富士クリテリウムチャンピオンシップ”。選手だけでなく多くの関係者が「こんな大きな規模でレースをやらせてもらえるとは」と驚いていた。クリテリウムは街中で行われることが多いとはいえ、この規模で開催されるのは宇都宮でのジャパンカップクリテリウムくらいだろう。
今回のコース選定にあたって、富士市が静岡県自転車競技連盟と協議を重ね、片道およそ1kmほどのこの大通りでやることが決定した。コースの一部区間、富士市中央公園前の通りは毎年夏に道路に規制をかけて”富士まつり”が行われている場所だという(なお、コロナによりこの2年は中止を余儀なくされている)。なお、今回のコースは、東京ディズニーリゾート開園35周年を記念して”富士まつり2018”内で行われた”東京ディズニーリゾート35周年スペシャルパレード”で交通規制をかけた実績がある区間でもあった。
そもそもこの場所でのレース初開催の一番大きいきっかけは、2017年5月より施行された自転車活用推進法だ。静岡県は東京オリンピックの自転車競技開催地ということもあり、自転車に関わる計画に力を入れていた。富士市としても計画を立て始めようとした矢先、現在のレバンテフジ静岡がチームの拠点となる場所を探しており、富士市側もアプローチをかけたことで、レバンテは富士市に拠点を置くこととなった。
JCLでは地域密着型チームが集まっているためにホームレース制を敷いていることもあり、レバンテフジ静岡のチームとしても、富士市としてもホームレースを開催したいと考えた。さらに富士市としては、レース開催をきっかけとして市民の自転車への関心を高めたい意向があった。
ある地点からある地点へ移動する交通手段がどういう割合かを示す交通手段分担率というものが、自転車は全国平均が約13%だというが、富士市は車移動がほとんどで、自転車の比率は5.5%と低い。イベントやチームを通して自転車を知ってもらい、もっと活用してもらうきっかけにしたいとのことだった。
富士市市民部スポーツ振興課の影山智海氏はこう話す。
「市民がこれをきっかけに自転車に、というのが欲しくて、それがレバンテさんだったり、このホームゲームだったりということで、富士市がこれから自転車に取り組むのにちょうどいいコンテンツがあったので、うちの方もぜひ開催したいなということで動いて、今大会こぎつけたというところです」
今回の大会で3団体が参戦することになったのは、主催する富士市が大会の仕組みづくりを行うにあたって、静岡県自転車競技連盟が競技主管として動いたことにある。静岡県自転車競技連盟の代表理事である松村正之氏が、現在の日本自転車競技連盟の会長となったこともあり、元々はJCL単独のレースとして開催が発表されていたが、JBCF、JCL、JICFの3団体合同での開催が決まった。
また、大会名として富士クリテリウムチャンピオンシップだけでなく頭に「富士山サイクルロードレース」と付けられたのは、今後を見越してだと影山氏は話し、今後の展望をこう語った。
「レースを通じて、市民の方だけでなく、外からの人を市としても呼び込んでいきたいので、継続的な開催を考えています。今後の発展を含めて(大会名に)サイクルロードレースという冠をつけていて、ロードレースについても、近隣市町との広域の連携をして、ぜひ開催に向けてやっていけたらいいかなと思っているところです。まずはこのクリテリウムを継続は開催をして、ゆくゆくはそういうふうにしていきたいところです。静岡県の東部全体が自転車で活性化していけばいいかなと考えています」
逃げ切りかスプリント勝負か
初日は、JBCF、JCL、JICFそれぞれの団体で予選が行われ、各予選の上位25人が翌日の決勝戦へと進んだ。1周1.8kmの周回コースを予選では15周の27km、決勝では2倍の30周の総距離54kmで争われた。
決勝で人数を残したのは、JBCFではチームブリヂストンサイクリング、弱虫ペダルサイクリングチーム、JCLではスパークル大分レーシングチーム、VC福岡、JICFでは日本大学、明治大学、日本体育大学であった。
地元レースとなるレバンテフジ静岡から予選を上がったのは佐野淳哉と高梨万里王の2人だったが、先頭でラインに並んだ佐野がスタートアタックを仕掛ける。
佐野は、「あれは完全に調子こきました」と笑いながらも、「アグレッシブさを出そうかなと思って、自分の中で景気づけもあって、ファーストアタックに行きましたね」とその意図を語った。
佐野の逃げはすぐに捕まったが、また新たな逃げが飛び出す展開。佐野も何度もアタックを繰り出し、存在感を示した。
「僕は今季初レースだったので、正直不安もありつつでした。とにかく地元でこういうチームがあるということをアピールしつつ、自分らしい走りを(心がけた)。あとはスプリントが得意なチームに対して、ただ待っているだけでそのまま流れに任せるだけになってしまうのは嫌だったので、もうどんどん仕掛けていこうかなという感じで」
佐野はこう振り返る。
また、予選では最後のスプリント勝負と決め込んでいた様子だった大学生選手たちも決勝では積極的な抜け出しを試みていた。
ほとんどがトラックナショナルチームで活動するメンバーのチームブリヂストンサイクリングは、レース前から窪木一茂と今村駿介をエースとすることを公表していた。
トラック競技でのパリオリンピックを目指すメンバーたちがやるべきことは、「レースをめちゃくちゃにして勝つこと」だと窪木は言う。
そして、「彼らがこれから戦う相手は昨日(3月19日)ミラノ~サンレモを走ってますから」と、チームブリヂストンサイクリングの宮崎景涼監督は話し、日本のレースでただゴールスプリントで勝つだけでは意味がないことを強調した。また、チームブリヂストンサイクリングの作戦としては、今村が逃げ、さらに逃げグループからも飛び出して独走。集団では今村以外を吸収し、窪木がスプリントというプランを宮崎監督は掲げていた。
さまざまなメンバーが行ったり戻ったりを繰り返し、明確な逃げが決まらないままレースが半分を過ぎた頃、橋本英也(チームブリヂストンサイクリング)と入部正太朗(弱虫ペダルサイクリングチーム)、レオネル・キンテロ(マトリックスパワータグ)が新たな逃げを形成する。
そこに宮崎泰史(宇都宮ブリッツェン)が単独追走。さらにその後ろから日本大学の佐藤健、岡本勝哉、中井唯晶(シマノレーシング)、佐野、持留叶太郎(VC福岡)、増田成幸(宇都宮ブリッツェン)、大町健斗(備後しまなみエンシェア)が合流し、計11人の逃げグループが出来上がった。
集団は、スプリント勝負に持ち込みたいスパークル大分レーシングチームや日本体育大学が追う。逃げとのタイム差は20秒ほど。
残り6周に入り、集団先頭にはチームブリヂストンサイクリングのメンバーが固まってタイム差を縮め始める。ラスト4周では逃げのメンバーを全て捕らえた。
ラスト3周に入ると、大町とともに集団から少し抜け出していた橋本がさらに前へと単独で飛び出す。
「元々は今村が逃げに入って最後に単独でアタックするって作戦だったんですが、僕が逃げに入ってたから僕が単独アタックしようかなと思って、代わりにアタックして。最後まで逃げ切れなかったですけど」
橋本は振り返る。
ラスト2周で窪木、増田、新城雄大(キナンサイクリングチーム)らが集団から抜け出し、先頭の橋本にジョイン。
合流した窪木はこのメンバーで逃げ切りを考えた。
「ラスト3周で僕は集団にいて、脚を溜めて集団スプリントだったら普通(勝ちパターン)だったんですけど、元々スプリントになったとしてもずっと前から先行して勝つっていうオーダーだったし、前も後ろも厳しい状態で、増田選手、橋本選手らと脚のある選手で最後回せば逃げ切れると思ったんです。駄目でも後ろに今村選手のスプリントっていう選択肢もあったから(逃げに)行ったっていうのもあって」
しかし、後方の集団では入部が引き切り、ラスト1周に入るところでまた全て吸収。一塊の集団となった。
ラスト1kmほどのところで単独で兒島直樹(チームブリヂストンサイクリング)が飛び出したが、岡本隼(愛三工業レーシングチーム)と中川拳、この2人のチームメイトを後ろにつけた全日本チャンピオンジャージを着る草場啓吾が潰しにかかる。
草場、岡本、中川という並びは、予選でも決勝前のミーティングでも決めていたことだった。
「しっかりイメージに描いた通りにいけたんで、そこはすごい脚並みが揃ってました」と岡本は話す。草場がそのまま先頭を突き進む。
ラスト250m、草場の後ろに控えた岡本がフィニッシュラインに向けた少しの上り坂を一人抜け出した状態で一気にスプリント。
岡本、中川の後ろについていた窪木は、「スプリントで勝つ自信はあったんですけどね。(走行ラインの)見極めが効かなかった」と、中川を抜いたものの岡本には届かず。後方では草場がチームメイトの優勝を早々に確信し、ガッツポーズを掲げていた。
そして、十分な差を保ったままスピードに乗り切った岡本がフィニッシュラインを一番に切り、両拳を突き上げた。
都市部で有観客の開催
序盤の逃げにも入ろうと動きを見せていた中川は3位。中川は、「愛三は決して人数的に多くなくて、途中、展開的にもちょっと他力本願になってしまう場面もあったんですけど、最終的には運を手繰り寄せられたのかなと思います。個人的にはプロになって初表彰台なので、ちょっとほっとしている部分もありますけど、またここからさらにステップアップして、今度は優勝目指しできるように頑張ります」と話した。
最後のゴール勝負で勝ち切った岡本だったが、ゴールスプリントだけでなく、終盤の他チームの飛び出しに対して、自らペースを上げて牽引するシーンもあった。チームとしては3人という少ない出走人数ながら、うまく負担を分散しつつスプリントでの勝利を狙っていたように見える。
「今までも決して目的を持たずにやっていたわけじゃないんですけど、去年の南魚沼(JBCFのレース)とか、(チームメイトの草場が)全日本チャンピオンになったこととか、そういうことを踏まえて、すごく自信を持って一人一人が動けるようになってきたのかなと思います」
また、コースについて、今大会について改めて岡本はこう語った。
「僕は正直、細い道でやるのかなっていうのを想像してたんですけど、こんな3車線を思いっきり走れて、広い公園があってっていう素晴らしい環境で。本当にこれぞクリテという土地で(レースを)できるのが、僕たちとしては本当にうれしいですし、本当に素晴らしい大会だったと思います」
一方、レース終盤、一人で逃げ続けた橋本は、久しぶりに制限のない有観客での環境を楽しみ、大いに観客を盛り上げていた。
「楽しかったですね。みんなの前で走るというのが僕は一番好きな時間なので。僕を知ってくれていることでみんなのテンションが上がって喜んでくれている。コロナがまだ続くんですけど、明けたような、一時は無観客だったので、観に来てくれて、このようなレースが都市部で行われてすごく良かったなと思います。本当にまずは開催してくださった富士市や関係者の皆様に対してありがたいなと思います」
日本国内でもまん延防止等重点措置が解除され、国内レースもコロナ禍前の標準に戻ろうとしている段階だ。
今週末には兵庫県にてJBCFの開幕戦、来月中旬には宇都宮にてJCLの開幕戦が控える。ヨーロッパやアジアでもコロナによる規制が少なくなってきており、実に3年ぶりの海外遠征に備えるチームも出てくるだろう。今回のレース後には、ロードアジア選手権に出場すべく、増田成幸、草場啓吾、(今回は出場していないが)山本大喜(キナンサイクリングチーム)の3人がタジキスタンへと向かった。
また、トラック競技ではイギリスでのネーションズカップも4月21日から予定されており、2022年のレースシーズンもいよいよ本格始動といったところだ。
コロナ禍でブラックボックスとなっていた世界との差を明らかにする機会もやってくる。今大会で各チームが目的を持って走り、膠着した展開を見せることがなかったように、日本でのレースの意味というところもしっかりと明確化していくべきだろう。
富士クリテリウムチャンピオンシップ リザルト
1位 岡本 隼(愛三工業レーシングチーム) 1時間16分35秒
2位 窪木一茂(チームブリヂストンサイクリング) +1秒
3位 中川 拳(愛三工業レーシングチーム) +1秒
JBCF、JCL、JICFの3団体対抗の結果はJBCFの優勝。会場で解説を行っていた栗村修理事が表彰台に立った