シクロクロス世界選・日本代表の織田聖が感じた世界シーンの今、そして自身の立ち位置
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シクロクロス2023世界選手権に、男子エリート日本最強の称号と共に挑んだ織田聖。しかしスタートの直後に転倒した。一体何があったのか。日本代表を務めた織田に、世界シーンの今、そして選手としての自分の評価を聞く。記事内写真の世界選手権分以外は織田選手の父であるフォトグラファー、織田達氏によるもの。
2023年1月、シクロクロス全日本選手権エリート男子クラスのチャンピオンを獲得した織田聖。現在、夏季シーズンはロードレース選手として『EFエデュケーション・NIPPO ディベロップメントチーム』に所属し欧州ロードレースを中心に走り、冬場のシクロクロス・シーズンは長年の古巣とも言える『弱虫ペダルサイクリングチーム』のチーム員として参戦している。
ジュニア時代にシクロクロスで頭角を表した織田は、U23クラスでのトップ選手として、そしてエリートクラスの年齢となってからも、国内のレースでは圧倒的な強さを見せ続けた。今季22〜23シーズンの織田は国内の参加レースでは、1月までのレースをすべて勝利。日本最強のシクロクロス選手として自他ともに認められる存在になった織田は、エリートクラスとして初の世界選手権参加となった。
世界選手権本戦をUCIのYouTube配信で見た方もいるだろう。織田はスタート直後に転倒。バイクを探す瞬間が映ったが、その姿が配信されたのはそれが最後だった。そのとき何が起こっていたのか? その経験から何を感じたか? 織田に話を聞いた。
織田 聖(おだ ひじり)
1998年11月23日生
所属:
弱虫ペダルサイクリングチーム(シクロクロス)
EFエデュケーション・NIPPOデベロップメント(ロードレース)
4歳でBMXレースを始め、13歳でシクロクロスを始める。
2015年17歳でシクロクロス全日本ジュニア優勝。世界選手権ベルギー大会に出場し59位。
2016年より「弱虫ペダルサイクリングチーム」に加入、ロードレースにも出場。
17、19年にシクロクロス全日本選手権U23を優勝、2020年にEFデベロップメントチームに加入。
2023年にエリート男子クラスで全日本選手権を勝利。
2023年世界選手権に出場しスタート直後に転倒、35位に。
Twitter:@hijirioda
Instagram:@hijirioda
スタート後にワチャワチャってなって、前に突っ込んで後ろからも突っ込まれて
――2023年シクロクロス世界選手権の手応えは?
そうですね、レース自体ができてないんで。手応えというか、そういうのは正直分からないっていうのが本当のところですね。スタートから第一コーナーまでしか僕は集団として走っていないので。
――その世界選手権では一体何があったんですか?
最後尾からのスタートだったんですが、スタート後にワチャワチャってなって。コーナーで前が詰まったんですよね。そこで僕が上手くさばけなかったんで、そこでトッ散らかったという感じです。
――もう少し具体的に言うと?
コースの幅は全体に広いんですけど、それでも狭くなっているところがあって。そのS字クランクで、渋滞じゃないですけど前が詰まってしまって。僕もブレーキはしたんですが、その被せ方が、前の選手に本当に真後ろから突っ込んでしまって。そこに後ろからも入ってこられて、サンドイッチみたいになって前に突っ込んじゃって。
もう少し、車輪半分でも避けられていれば良かったですけど、そういうことをしなかったんで。そこが失敗でした。
――機材は大丈夫でした?
ブレーキのSTIレバーが折れちゃいました。レバーの根元がもげていたんですが、上から見たら普通なんですよ。持ち心地もあんまり変わんなくて。
バイクが飛んでいって、探して、またまたがって走り出して、でもブレーキしようと思ったらブレーキが効かないどころか、なくて。「ウォーまじか!」と思って。
幸い僕は前が左なんで、後ろブレーキでコントロールするのは慣れていたんでよかったーとは思いましたけど。その後バイクを交換して走りました。
――走っている間には何を考えていた?
とりあえず前に誰かいいペースの人はいないか、っていう。本当に前に追いつきたくて仕方なくて。ずっと一人だったんで。
で、バイクもチェンジしたんですが、その交換したバイクもちょっとトラブってしまって。走り始めて半周で、変えたバイクのハンドルが下がっちゃって。
それはまあ仕方なかったっていうか、僕の準備ミスだなって思いますよね。スペアバイクもしっかり一応見たつもりだったんですけど、そういうハンドルが下がるっていうミスがあった。はい。そこは反省ですね。
――そうなると、さらにツラいというか。
もう本当に悔しい感じですね。まともなバイクで一周もしてないんで、そこが、自分の中で満足できなかった点ですね。
ヨーロッパ以外の選手たちと同じ位置で争いたかった
――今回走り出すまではどこまでいけると感じていた?
指標にしたらいいか分かんないですけど、僕の目標としては、ヨーロッパではない大陸の選手と戦いたいと思っていたんですよ。アメリカ人やカナダ人とかオーストラリア人。そいつらがそのパックにいたら、俺もそのパックにいなきゃいけないと思っていました。
やっぱり本場のヨーロッパじゃない、ほかの国でシクロクロスをやってる選手と同等に戦えたら、日本のシクロクロスもしっかりしてるんだよってことをアピールできますからね。ワールドカップが開催されてるアメリカの、アメリカ人と同じ順位で走ったら胸熱じゃないですか。それを目指してたんですけど、全然叶わずって感じでしたね。
でも今回は叶わなかったですし、やってみなきゃわかんないですけど、フィーリングとしては、ちょっとは戦えたんじゃないかなって、希望は少し持てましたね。行ってみて、そこの分かんなかったところが少し明確になったというか、少し霧が晴れた感じです。
――世界選手権のコースはどんなふうに違っていた?
日本のコースとの比較だと、コース幅は広くて、直線は長いんです。ゆっくり走ると簡単なんですよ。幅広くて直線が長いってことは、基本的にタイトなカーブがほとんどないんですよね。
でも本当にフルスピードで走ると、もうラインはひとつかふたつかしかないんですよ。限られたラインを、ハイスピードで走ると難しいなあって感じるコースが多いから。やっぱり日本のくねくねしたコースとは違うなって思いましたね。
BMXで言うと、新しいジャンプを飛ぶ感覚に近いです。スピードつけて、飛び切らなきゃいけないじゃないですか。それに近いものがあって。スピードへの恐怖心を消さなきゃいけない。スピードを出してコーナーに突っ込むってことは日本ではほぼないんで。そういうスピードを出して突っ込むっていう、BMXのジャンプに似た感じです。
――機材的な面で違いは感じた?
ないですね。機材的には別に。僕はヨーロッパで走れるような機材を使ってるんで、機材に不満はなかったです。
――優勝した選手の走りは他を寄せ付けないほどのものだったが、これは想像できていた?
はい、できていました。正直、まあこれは僕が考える話ではないのかなとも思うんですけど。まずは、ベルギーのトップ選手があそこに追いつけない。あの2人(ファンデルプール、ヴァンアールト)だけが飛び抜けちゃってて、宇宙人vs人間みたいになってるじゃないですか。それはもう、なんでしょうね? こればかりは彼らが強すぎるっていうか。まあロードでも正直そういうフシがあるじゃないですか。でもその戦ってる領域が違うんだなっていうのは、感じてますね。
シクロクロスっていうレースはやっぱり、地脚が必要なんで、タイムトライアルに近いものがあるんですよね。ロードレースだったら、位置取りでごまかしたりとか、もしかしたらスプリントで、とかってあるじゃないですか。あと逃げで行っちゃったりとか。シクロクロスはそれがないんで。もうエンジンが違いますよね。彼ら2人は飛び抜けて。
今年の国内レースでは、ずっとフルガスで走れたレースがひとつもない
――改めて世界選手権に出場して感じたことは?
そうですね。やっぱり海外でレースしなきゃいけないなって思いましたね。もうその気持ちがさらに強くなったというか。これまでは「やっぱ海外でレースしたいなー」だったんですけど、今は「もう海外でレースしなきゃいけない」っていう気持ちになりました。
――それはなぜ?
正直、日本じゃ戦っている人数が少なすぎます。今回も、全部、その全日本まで日本では全部勝って。正直、走っている間ずっと自分がフルガスだったレースがないんですよ。なので、もう本当にレースになるレースをしなきゃいけないな。自分が限界で走れるレースを求めて、海外に行くしかないのかなって思います。
――EF デベロップメントチームで、ヨーロッパをロードレースで走り続けたからですか?
多分そうだと思いますね。レース中のスピードレンジが違うんで。ヨーロッパのスピードで、僕たちは引きずられている身です。ロードレース自体がなんかもう全然違いますね。
――EFに加入するときにチームメイトにシクロクロス・スイスチャンピオンのケビン・クーンがいると言っていましたが、彼とシクロクロスの話はしている?
レースでも普通に話してますし、空気圧とかそういう機材のことも話しできるようになりました。そこで「今日空気圧いくつ?」とか「タイヤなに?」とかっていう話ができるのはすごくいいですね。
あと今回はできなかったんですけど、試走とかもできる仲なので。本当に時間が合わなくて、「俺もう走ってきちゃったよー」みたいな感じだったんで。そういうことから、日本にいたら考えられないこと。ヨーロッパだから考えてできることを吸収していきたいです。
自分が強いのか弱いのか、ロードで示していきたい
――ロードシーズンを振り返ると?
そうですね。去年は本当に何も成績が出なかったので、悔しいですね。
――手応えがあったのは?
去年に自分がピークだと思ったのは、3月のオリンピアズツアー(2022年3月19日 オランダ/リーク)です。1月にコロナにかかって、トルコとかは本調子じゃなくて、でそこから上がっていって。3月にあがった時に、そのオリンピックツアーで始めて敢闘賞取れたんですよ。そこは結構自分としてよかったなって。
逃げに行って、その逃げを回して、あの風が強い自分がちっちゃく感じるオランダで、走れたのはよかったですね。
🇳🇱オランダでのオリンピアズツアー #OT2022 第3ステージで序盤から逃げた織田聖 @hijirioda がこの日の敢闘賞を獲得🏆
笑顔で表彰台に立ちました👏👏👏
大会は明日が最終日です! pic.twitter.com/Nuv5vzBZ4o
— Team NIPPO (@NIPPO_RACING) March 19, 2022
――身長は?
177cmです。
――日本だと大きい方ですけどね。
向こうでは、「そこの小さいの、どけ!」って言われました(笑)。
――去年の走りを見ていても、一昨年までと全く違う印象を受けます。
ちょっとこの、もう全然、日本で指標がなくなってしまったのが、僕的には痛くて。自分が強くなってるのか弱くなってるのか今わからない。シクロクロスでこれだけ勝って。でもヨーロッパ行ったらあれだけダメで。シクロクロスの世界選手権の前に1レース走っているんですけど。俺全然走れないじゃんって思ったんですよ。確かに泥で特殊なコースだったんですけど。絶望感しかなかったですね。
でも、ロードでは指標がまだいっぱいあるんで、そこでこれからしっかりとやっていきたいと思います。