2023年ツール・ド・ラヴニール男子レポート:未来は、今を積み重ねた先にある

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2023年ツール・ド・ラヴニール

この一歩は、絶対に、未来へと続いている。2023年ツール・ド・ラヴニールで、アンダー23日本代表選手と多くの若きスタッフたちは、たくさんのものを持ち帰った。最後まで走り切った者たちはたしかな手応えをつかみ、無念にも途中で自転車を降りた選手たちもまた、この先につながる経験を得た。

 

ロード・トゥ・ラヴニール(RTA)の使命

今年で開催59回目を数えるツール・ド・ラヴニールは、伝統的に「プロへの登竜門」と呼ばれる。例えばエガン・ベルナルやタデイ・ポガチャルは同大会制覇のわずか2年後にツール・ド・フランス総合優勝を果たし、ちょうど1年前の王者キアン・アイデブルックスは、20歳のこの夏、初のグランツール(ブエルタ・ア・エスパーニャ)に参戦中。昨大会の総合トップ10は例外なくUCIプロチーム以上と契約を済ませているし、2023年大会は、総合優勝したメキシコのイサック・デルトロこそいまだアマチュアクラブ所属だが、出場161選手中41選手がすでにプロへの道を歩み出している。

イサック・デルトロ

これほどまでにハイレベルなレースに、U23日本代表は、3つの目的を掲げて乗り込んだ。

「1つ目は今回の代表選手たちが成績をあげること。2つ目は、次に続く若き選手たちの目標となるように、この活動の存在を知らしめること。そして3つ目が、応援して下さる方々に、これが世界標準のパスウェイだと理解してもらうこと」

こう解説する浅田顕は、1月に日本代表監督を辞任し、今回はロード・トゥ・ラヴニール(RTA)の責任者として代表を率いた。

そもそも2023年、U23として3枠勝ち取った世界選手権に、日本自転車競技連盟は1人しか選手を送り込まなかった。ツール・ド・ラヴニール以外の「U23ネイションズカップ」指定レースにも全戦不出場で、つまりその1つであるアジア選手権さえ、コロナ禍以降、日本のアンダー代表は走っていない。また浅田監督時代はツアー・オブ・ジャパンに向け「若手中心」の日本代表が組まれたものだが、代表監督不在の今季、ナショナルチームもまた不在だった。

今回のツール・ド・ラヴニールも、連盟は派遣を打ち切りを決め、RTAへの完全業務委託という形で参加が実現した。連盟からの協力や資金提供はゼロ(出場登録費や選手選考等の書類手続きは除く)。代わりにプロジェクトに共鳴してくれた団体やチーム、なによりクラウドファンディングに協力してくれた500人以上もの個人のおかげで、日本の男子6人・女子5人のU23版ツール・ド・フランス挑戦が可能となった。

浅田顕代表

 

世界のトップに触れ、交わる

「不完全燃焼」

8日間の激闘を潜り抜けた直後の、留目夕陽の素直な気持ちだった。総合24位。2007年から現行のU23ネイションズカップに移行し、2016年大会から数えて5回目の参戦となるU23日本代表にとっては、文句なしの最高順位だ。しかし本人が目標としていたUCIポイント圏内の総合20位には、わずかに届かなかった。

「2年前に初めてラヴニールに出場した時は、集団走行が怖くて、走り方さえ分かっていませんでした(第4ステージ落車リタイア)。今年は自分が大きく成長したことを感じられました。それが嬉しいし、自信にもなりました。ただ、走り方自体は、まだまだ未熟です。集団内での位置取りも、ステージや天候によって調子にばらつきが出てしまうところも」

本人にとって一番悔しかったのは、第6ステージは落車で、第8ステージはパンクで、最終峠を先頭集団で上り始められなかったこと。今年のツール・ド・フランスでも通過したロズ峠で締めくくられた6日目、一緒に地面に転がり落ちたマシュー・リッチテッロ(アメリカ、イスラエル・プレミアテック所属)は区間2位に飛び込み、マイヨ・ジョーヌを着用している。

「世界のトップの中で自分がどこまで走れるのか。試してみたかったし、勝負してみたかった」

それでも冷たい雨の降る第7Aステージの登坂タイムトライアルで、留目は13位に食い込んだ。「世界的な評価に値する成績。この成績を残せただけでも、ラヴニールに出た意味がある」と浅田は確信し、「日本代表を招待した甲斐があった」と開催委員会も称賛する。

「このレースはアンダー23最高峰の戦いです。世界各国から強豪が集まり、ワールドツアーの監督やコーチが注目しています。その中で、日本人もでもこれだけ走れるんだということを見せたかった」

来年は世界選手権の個人タイムトライアルで、トップ15を目指す。さらにはプロ契約を勝ち取り、将来はグランツールを走りたい。こうキャリアを思い描く21歳の留目は、来シーズン2024年が、アンダー23カテゴリー最終年となる。

「この2年間、基礎の練習を怠らず続け、良いレースをたくさん走り、EFエデュケーション・NIPPOディベロップメントチームの監督やコーチに助言をあおぎ、栄養士さんの指導を守り、ボディメンテナンスを行い、ポジションや機材セッティングにとことんこだわり……ここまで成長することができました。ここからは、さらに新しいことに取り組まないと、もっと強くはなれない。何をすべきなのか総合的に考え、一から練習方法を見直すつもりです。プロに上がるチャンスは、必ずやって来ると信じています。きちんと頭を使いながら、将来のために走ります」

留目夕陽

 

まずは1年後に、リベンジを

中学3年生で早くも欧州レースを体験し、ジュニア時代から長年ヨーロッパに軸を置いてきた津田悠義は、今回チームを束ねる「キャプテン」に指名された。同学年の留目を支え、ひどいバッドデーも乗り越えつつ、最終フィニッシュ地へとたどり着いた。

「6人みんなでとても良いチームを作り上げました。リタイアしてしまった選手もいましたが、一人ひとりが、自分にできるベストを尽くしました。しっかりとしたレースができた。だから、まずは、みんなと称え合いたい」

今季は日本のキナンレーシングチームで走る津田にとって、約1年ぶりの欧州レースでもあった。昨秋、膝の怪我で数か月を棒に振り、一時は自転車を辞めたいと思ったことさえあったという。「ジュニア時代は負けた記憶がほとんどない」と振り返る20歳。大きな挫折からの、再スタートだった。

「あの怪我がなければ、自分は、傲慢で、調子に乗ったままの人間だったと思います。自転車から一度離れたからこそ、自分を見つめ直すことができた。久しぶりにヨーロッパで走って、ものすごくきつかったけれど、毎日、本当に楽しかった!同時にこの世界最高峰のレースで、現在の立ち位置も正確に把握できました。決してヨーロッパ再挑戦に値するリザルトを出せたわけではありません。でも……成長できた実感はあります。まずは来年。アンダー最終年ですから、絶対にリベンジします」

一方で19歳の鎌田晃輝にとっては、今回のツール・ド・ラヴニールが、正真正銘ヨーロッパ初挑戦。海外レース自体さえも、昨季の世界選手権(オーストラリア)に続く2戦目でしかない。しかも初日、スタートからわずか20㎞ほどで落車。身体も痛かったが、精神的に辛かった。集団の高速走行や下りが怖くなった。得意の上りでなんとか追い上げることで、アルプスの難関山頂フィニッシュ3日間を乗り切った。

「完走は最低限の目標でした。支援してくれた人のために、お金を出してくれた人たちのために、絶対に最後まで走り切ろうと覚悟を決めてました」

アンダー1年目の今年、すぐにでも欧州に挑戦したかった。しかし金銭的な事情で断念。アンダー23全日本選手権でチャンピオンとなり、ラヴニール行きの扉が開いた。今回の代表は「連盟の選考規定」に則りつつ、「ヨーロッパ経験のある選手」を中心に組まれたが、浅田は「どうにか欧州に引っ張り出したかった。今回はきつくとも、来年以降につなげていくために」とあえて未経験の鎌田を連れてきた。

「周りの選手がどんなことをしているか観察しよう、そう思って来たんです。でも走り終えてみて、正直、悔しい。そもそも最初から勝負にならなかった。日本に持ち帰るべき課題がたくさん見えました。そういう意味では、ものすごく収穫のあるレースでした。必ずレベルアップして、もう一度ラヴニールに帰ってきます。リベンジしたい」

日本の選手の紹介

 

若手スタッフにとっても経験の場

2021年ツール・ド・ラヴニールでは、6人の参加選手に対して、連盟から正式に派遣されたスタッフは3人だった(監督1・メカニック1・マッサー1)。今回、RTA主導による参戦では、男女レースにそれぞれ6人ずつスタッフが帯同した(監督1・コーチ1・メカニック2・マッサー2)。

「選手だけでなく、若いスタッフにも、経験をたくさん積んでもらいたかったんです。NIPPOさんの協力で、すでに現地にいるスタッフを送り込んでもらえましたし、エンネ治療院さんからも、若いマッサージ師たちが来てくれました。いいチームを作りたい。みな、そういう気持ちのあるスタッフばかりです」(浅田)

昨年までUCIワールドチームで走っていた中根英登もまた、コーチとしてラヴニールを初めて戦った。コースを先回りして補給を渡すこともあれば、走行中の選手を後方チームカーから見守ることも。夜はPCを睨みながら、翌日のコースデータ収集・分析に励んだ。この監督・コーチの2人体制のおかげで、個人タイムトライアル時には出走時間にあわせて2班に分かれ、各選手に対してよりきめ細やかな対応も可能となった。

「できる限り事前に準備をして、できる限りの情報を選手たちに渡せるよう心掛けました。もちろん自転車ロードレースとは、不確定要素しかない競技です。十分に準備をしたからといって、必ず結果が出るわけではない。結果が出ない時だってある。いや、むしろ、出ないことの方が多いんです。でも、できる限り、その確率を上げるためには、やはり事前の準備が欠かせない。今回はスタッフの人数が多く、非常に良い体制が組めたと思っています」(中根)

2023年ツール・ド・ラヴニール

 

決して無駄などではなかった

山田拓海にとっては人生2度目にして、最後のラヴニールだった。2年前は第1ステージの落車でリタイアし、アンダー最終年の今年は、第5ステージ失格に終わった。

「前回よりも確実に成長できていると実感できたからこそ、余計に悔しいです。EFエデュケーション・NIPPOディベロップメントチームで走らせてもらい、ヨーロッパ中心にレース活動してきた成果です。2年前のラヴニール後は『もう自転車を続けたくない』と本気で悩みましたが、今は続けてきて良かったと心から思います」

アンダーの4年間を「一区切り」と考えてきた山田は、今後についての明確な答えは出せていない。ただ、どんな選択をしたとしても、現在休学中(早稲田大学スポーツ科学部)の学業をいつか再開した時に、「必ず今の経験が役に立ちます。人生において決して無駄なことではなかった」と考えている。

最初で最後のラヴニールを、天野壮悠は最後まで走り切れなかった。4日目に落車した影響からか、翌第5ステージ、一気にペースが上がった瞬間に集団後方へと追いやられた。

「がんばって踏み続けたんですが、力が上手く入らなくなって。審判から自転車を降りるよう指示されました。一人で走っている時間を、人生で一番長く感じました。まだ頭の中がこんがらがっていて、何も考えることができません。だから逆に、今はただ『悔しい』という気持ちだけで過ごせばいいのかなと」

シマノレーシング所属で、同志社大学の学生でもある天野には、帰国後すぐにレース転戦が待っている。まずは今大会から得た刺激と、悔しさを糧に走り続ける。その後ゆっくりと、冷静に、「この大会から何を得たのか、今後どう進んでいくべきなのか」を考えるつもりだ。

いつかは新城幸也のように、息の長いプロ選手になりたい……そう目を輝かせる20歳の橋川丈は、キャリアの一歩を踏み出したばかり。7月の落車で痛めた膝が悪化し、残念ながら初めてのラヴニールは4日目で終わりを告げたが、ポジティブな面に目を向ける。

「もちろん、ラヴニールのトップレベルの選手と比べたら、僕は実力的にまだまだ足りません。でも、できないことやできなかったことではなく、今の自分には何ができるのか、ということに集中しています。EFエデュケーション・NIPPOディベロップメントチームや、日本代表として、これだけのチャンスを与えてもらっているのですから、活動の中から学び、それを自分でどう活かしていけるのかを日々考えています」

2023年ツール・ド・ラヴニール

たくさんの支援者のおかげで、若者たちは世界を知った。国際自転車界における自分の立ち位置を正確に理解し、ラヴニールでの経験は、きっと今後の活動の道しるべとなる。浅田顕は、RTAとして挑んだ初めてのツール・ド・ラヴニールを、こう締めくくった。

「継続していくことが重要です。1回の成績だけを見て、ほら良かったじゃないかとか、いや、やっぱりダメだ、と態度を変えてはなりません。来年、再来年、アンダーに上がる選手たちがツール・ド・ラヴニールを目標としてくれるように、私たちは続けていかなくてはならないんです」