別府史之が挑んだエタップ・デュ・ツール・ド・フランス2024
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ツール・ド・フランスの1ステージをまるごと走破するシクロスポルティフ、エタップ・デュ・ツール・ド・フランス。この壮大なるイベントに、毎夏、約1万6000人もの脚自慢たちが世界中から乗り込んでくる。
第32回大会の今年、エタップの舞台には、第20ステージのニース〜コル・ド・ラ・クイヨルが選ばれた。走行距離は140km未満ながら、累積獲得標高差は4600mにも至るという超難関。ご存知、本家ツールでは、マイヨ・ジョーヌ姿でタデイ・ポガチャルが圧倒した。
このアルプス南部を駆け巡るコースに、2024年7月6日、別府史之も挑んだ。2021年末までUCIワールドチームで活動し、ツール・ド・フランスはもちろん全3大ツール出場経験を誇る元トッププロにとって、初めてのエタップであり、久しぶりの本格派山岳ライド。時に周囲の参加者とのコミュニケーションを楽しみつつ、時には標高に苦しみつつ……なによりフランスに深く根付いた自転車文化とその地球規模での広がりとを、再発見する旅となったようである。
イベントとしての完成度の高さ
世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスは走ったことはありますが、世界最大級のシクロスポルティフの祭典、エタップ・デュ・ツール・ド・フランスはこれまで出場したことがありませんでした。話には聞いてはいましたが、実際にはどんなイベントなのか想像がつかなかった。だからこそ走ってみたいと思ったんです。
まっさきに驚かされたのが、その規模の大きさです。すごすぎた!前日に自家用車を運転してニースに向かったのですが、高速の出口が今まで見たことないほど渋滞してました。料金を払ってゲートが開いた後でさえも、車の列がずっと続いていましたから。
現地での受付はスムーズでした。スポンサーブースが立ち並ぶ大きなビラージュを2つ巡って、ゼッケンや参加賞グッズを受け取ります。
たとえばバックパックがもらえます。ここに着替え用の服や靴を詰めて、スタート前に規定の場所に預けると、フィニッシュ地点で受け取ることができるんです。僕自身はそのまま走りだせる格好で現地に向かったので使いませんでしたが、周りを見ると、現地で着替えてバックパックを利用してる人が多かったです。
それから補給食やポンプを入れるバッグ。「オブジェクティフ・ゼロ・デシェ(目標はゴミゼロ)」という取り組みの一部で、ステムに取り付けられるようになっています。ゴミ捨ては非常に徹底されていました。
ヘルメットとボトル、グローブ、またスペアのチューブ2本とポンプは自分で持ってくるよう義務付けられてますが、メカニックサービスはあちこちに用意されています。30.6km地点に飲み物ゾーンとメカニックゾーン、53.8km地点に補給ゾーンとメカニックゾーン、82km地点に給ゾーンとメカニックゾーン……とたくさんの地点でトラブルに対応してもらえるんです。あ、このバイクフレームに貼る(コース案内の)ステッカーも参加者に配られるんですが、なんかプロっぽくないですか。
スタートビラージュでもメカニックサービスを受けることができて、長蛇の列でした。飛行機や自動車で長距離を移動してきている参加者が多いですから、メンテナンスしてもらえるのは助かりますよね。エタップ参加者用にはビラージュ脇に巨大なバイクパーキングが用意されていて、ゼッケンを受け取った後は、そこに一晩バイクを預けておくこともできます。僕はフィニッシュ地点に宿泊したんですが、スタート地点行きのシャトルバスにバイクを載せられないとのことで、やはりこのパーキングを利用しました。
挑戦者は世界中から
スタートはいわゆる「サス」方式です。過去のエタップの成績や申告タイムの順に、出走者は全部で15くらいのグループに分けられていて、一定の間隔で走り出していきます。僕はサス11でした。現地で会った知り合いには「え、そんなに後ろのサスなの!?」ってびっくりされましたが、だって申し込み時に目標タイムを「8時間」と書きましたからね。喋ったり写真を撮ったりしながら走るつもりだったし、最終的にはその通りに8時間かかりました。
スタートを待っている間にも、周りの人との交流を楽しみました。例えばこの写真、左の人はベルギーから、右の人は北フランスのリールから来たそうです。2人とも初参加で、めちゃくちゃ本気でした。特にリールの人は前泊してコースを下見までしていて、「スタートからペースを上げすぎないように」「上りもきついけど、下りがすごく危ない」「下りで落車に巻き込まれないように注意しなきゃならない」と力説されました。
フランス人が多いのはもちろん、外国人の参加もたくさんいました。日本人参加者にもお会いしましたよ。パリ在住の人は「初めて参加するんです!!」って興奮してましたし、ドイツ在住で今回が参加2回目という方は、僕のことを知っていてくれて色々と話をしました。残念ながら日本在住の方にはお会いできなかったのですが、今大会には僕を含めて22人の日本人が参加したそうです。言葉の壁はもちろん、ホテルや移動手段の手配などを考えるとかなりハードルは高いのですが、みなさんそれらを乗り越えてエタップにやって来ているんですよね。
若い女性の参加も目立ちました。年配の方々も結構いいペースで走っていて、頼もしかった。自分のサスでは逆に若い男性をあまり見なかったんですけど、きっともっと前のほうのサスにいたんでしょう。つまり老若男女問わず、参加者層の幅の広さが印象的でした。
全員が全員、必ずしも「ツール・ド・フランスのステージ」だから参加しているわけではないように思えました。むしろ「とびきり過酷なコース」だからこそ挑戦しに来た人が多い。苦しいことにあえてチャレンジしたい、難関を乗り越える喜びを味わいたい……それが目的と言うか。1年に1度、世界中のサイクリストたちが全精力を懸けてエタップ・デュ・ツールを走る。そんな気合が周囲からひしひしと伝わってきました。だからかな、みんな黙々と走ってるんです。クラブチーム、仕事の同僚や仲間と参加している人たちも多くて、互いに励まし合って走ってましたが、決して和気あいあいと上ってるわけではない。ひたすら黙々と、真剣に。
エタップって実は、前の方のサスは真剣にレースやってます。勝てばそれなりのステータスになる。それはずっと昔から言われていて、僕も選手時代に「この人はエタップで勝ったことあるすごい選手だよ」なんて話を聞かされたことがあります。それほどインパクトのあるレースです。近年だとヴィクトル・ラフェやヨナス・アブラハムセンもエタップで勝ってるんですよね。
もちろん途中で止まって、休み休み走っている人だって、僕を含めてたくさんいました。全員がレースをしているわけじゃないし、全面通行止めで、しかも制限タイムも余裕を持って設定されていますから、ゆっくり走っても誰に文句言われるわけではない。思い思いの走り方をすればいいんですよね。
元プロとして改めて気が付いたこと
僕は今シーズンいくつか自転車イベントに出場してきました。たとえば5月にはオーストラリアでグラベルのUCIレース、6月には富士ヒルクライムを走りました。富士ヒルは上りとはいえ距離が短くて、1時間前後のライドなので、それほど問題なくこなせました。
ただ、難関山岳コースの上に距離が100kmを超えるとなると、一気にハードになります。トレーニングがある程度必要になってきて、やっぱり毎日2〜3時間は乗り込んでおかなきゃならない。普通に生活してると、なかなかまとまった練習時間って取れないものですね。今回ばかりは家族に「しばらくは自転車に乗せてください、じゃないとエタップ・デュ・ツールで大変なことになってしまいます」って頼み込んで、家事の時間を練習にあてました。
だから一般のみなさんは、ほんとすごいです。日中に仕事をしている人も多いはずで、つまり時間を上手く調整して、日々こつこつ練習しているわけですからね。もしかしたら朝早く練習しているのかもしれないし、平日はホームトレーナーでトレーニングをしているのかもしれない。コンディショニングが難しい中で、みんな精一杯の走りをしているのだと感銘を受けました。
ブロス峠の九十九折はとにかく圧巻でした。写真を拡大してみるとよく分かるんですけど、豆粒みたいに見えるのは全部、参加者なんです。もう見渡す限りサイクリスト。上から下まで、人、人、人。プロのプロトンだと多くても200人くらいですし、こういう山だと先頭集団、第2集団、第3集団と塊が見えて、「ああ、あのグループは、まだあそこにいるんだ」って目印にするんですけど、エタップ・デュ・ツールはとにかく延々と人が連なっている。こんなの今まで見たことなかったです。自転車を楽しんでいる人がこんなにも大勢いるんだなぁ……としみじみその光景を眺めました。
プロと同じ条件で公道を全面使って走れるのも、改めて新鮮でした。選手時代は完全封鎖された道路を走るのが「当たり前」だったし、「当たり前」だと思っていた。でも、それは、当たり前のことじゃなかったんですよね。
しかもニースというあれだけ大きな街の中心地の交通を封鎖できるというのは、やはりフランスだからこそ。たしかに今までパリ〜ニースとかで僕も何度も走ってきた街だけど、これはプロのレースではなくて、シクロスポルティフイベントですからね。フランスでいかにサイクリングが認知されてるのかが分かりましたし、選手の頃はいまいちピンときていなかった自転車文化の偉大さというのも、心の底から実感しました。
思い出が形として残る
とにかく道路全面を使って走れるのは気持ちの良いもので、特にダウンヒルでは、僕個人的には「ああ、この感じ!」と楽しめました。あるフィードゾーンで、「フミ、一緒に写真撮ろう!」って声をかけてくれたフランス人参加者がいたんですけど、後日メッセージをもらったんです。「フミに下りでものすごいスピードで抜かれたよ。まだまだ現役プロの走りだった!」って。
でも上りは正直、苦しかった……。これほどフィニッシュでつらい思いをしたのは、ジロでステルヴィオに上ったときと、やはりジロで獲得標高が6000m超えたステージ(2011年第15ステージ、コース距離229kmで標高差6939m)以来じゃないかな。
選手時代は獲得標高4600mなんてザラでしたから、当たり前のように走ってたはずなんですけど、改めて一般の立場で走ってみるとキツイ。ゼーハーしながらフィニッシュするのはかっこ悪いかも、なんてラスト5kmからはゆっくり止まり止まり走っていたので、ラスト1kmは10分くらいかかってしまいました。しかも最後は完走メダルを首にかけてもらって、ボランティアのみなさんに大歓迎を受けながらのフィニッシュだったのに、実は酸欠で眼の前が真っ暗でした。
完走メダルは嬉しいですね。表面には「2024年エタップ・デュ・ツール、ニース〜コル・ド・ラ・クイヨル」と刻まれています。裏側には、有料で、フィニッシュタイムと順位が入ったプレートを嵌め入れることができます。僕も注文したので、届く日を楽しみにしています。
もう一つ、参加者にとってありがたいのが、写真・動画サービスです。やっぱり自分が走っている最中の写真って欲しいじゃないですか。ゼッケンナンバーを元に検索すると自分が走ってる写真一覧が表示されて、セットで購入できるシステムです。エタップはあまりにも巨大なイベントだから、自分の写真なんかほとんどないだろうな……と諦めてたんですが、予想以上にありました。なんと動画サービスまであって、こちらは無料でダウンロードできます。これってスゴくないですか!?
エタップがこれまで蓄積してきたであろう経験値の圧倒的な多さを見せつけられました。ロジスティックはもちろん、どういう風にしたら参加者に喜んでもらえるのか。どんなメカニックサービスやどういう安全対策を行えばトラブルが防げるのか。あらゆる経験がフルに活かされているんでしょうね。
再チャレンジを期す
山にチャレンジし、自分にチャレンジする。そんな厳しいイベントでした。コースは本当にキツかった。ただサイクリングの楽しみ方は人それぞれ。笑顔で走り切る方だって多かったです。
なにより地元ボランティアさんたちが、いつでもどこでも笑顔だったのが印象に残っています。参加者を心から歓迎してくれていたし、僕らを助けたいという積極的な気持ちが伝わってきた。地元の人が大会を一緒になってもりあげているのだなぁとすごく感じましたね。
「プロはこれほど過酷なところを走ってるのだ」と、一般の人に直接伝えられる唯一の機会なのだとも理解しました。もちろんプロのコースを使ったシクロスポルティフは、いまや世界各地で行われています。パリ〜ルーベやリエージュ〜バストーニュ〜リエージュのようなモニュメントを、誰もが気軽に体験できる時代です。たとえば山は苦手だけど、石畳を走ってみたいなら、ルーベを選べばいい。たいていのイベントは距離が複数設定されていますから、自分のレベルに合わせて楽しむこともできます。ただ、エタップだけは、距離は一択のみ。ツール・ド・フランスのプロ選手と完全に同じコースを走るしかない。そういう意味でも、やっぱりエタップは特別です。
この先もまた機会があったら、改めて挑戦するつもりです。今回は個人的な興味と潜入取材として単独で参加しましたが、次は一緒に走れる仲間と申し込みたい。互いに励まし合いながらフィニッシュを目指し、ともに完走を祝いたいですね。