猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第37回
目次
渋沢栄一記念館。関東平野から世界へと羽ばたいたのだから、大したものだと…走りながら想う。
今年は目標の1000km走破のために何としてでもSR(スーパーランドヌール)を取得しなければならない。
というわけで前回の300kmに続き、400kmのブルべに挑戦する事になった。
参戦するのはBRM日本橋400km!
日本橋をスタートし長野県の佐久市を折り返し、日本橋に帰ってくる400km。
メインディッシュは軽井沢へ上る碓氷峠と最後に襲いかかる顔振峠だ。
ただ走るだけじゃない
そして今回は“チャリダー”の撮影も入る。
そう!ロングライド女子部の監督として参戦する事になったのだ。
監督として走るのは昨年の雲巌寺300km以来…
監督としていかに不要な存在という事がわかる。
事前のチームミーティングで、今回はそれぞれ自分のペースで走るのが良いだろうという事になった。
400kmはブルベの中で一番難しいと言われる。
制限時間が27時間なので、大きな休憩はとれない。
休みが大好きな私は、前半の200kmをカッ飛ばして2時間の睡眠を取り、復路は楽しくサイクリング!という作戦。
テーマは渋沢栄一
スタート時間は正午…これがまたつらい。
あっという間に日没を迎え、ほぼ夜間走行になるからだ。
夜は眠気も襲うしアニマルアタックもある。
覚悟を決めていざ!スタート!
さっそく信号峠のお出迎えだ!全然進まない。
都内を抜けて埼玉に入るのに90分を要してしまった。
今回のコースは新一万円札の渋沢栄一氏のルーツを辿るコースでもある。
ブルベの楽しさはコースに其々の個性があるところだろう。
渋沢栄一の銅像がある深谷駅のPCに着いたのは16時50分。
100km/4時間計算なので50分のロスだ。
やはり信号峠が大きい。
ここから碓氷峠までは広大な関東平野が続く。
するとPBP(パリ・ブレスト・パリ)経験者のHさんと知り合う。
話を聞いているとPBPはアップダウンの連続で、日本人は上りで頑張り下りで千切られるらしい。
体重の重い欧州の選手に下りで踏まれると敵わないのだろう。
そんな事を聞いていると平凡な関東平野もフランスに見えてくる。
と良いのだが、そんなわけない…極めて単調な関東平野が続く。
PCのコンビニでレシートを取得し、スタートしようとするとチャリダーのスタッフが「バッチェンさせてください!」と飛んで来た。
GoProのバッテリー交換だ。
私はカメラの土台部分が少し緩いのでテープで固定してくれと頼んだ。
するとPBP経験者のHさんがマウントはNITTOがいいですよ!と教えてくれた。
ブルベというものは明らかに経験値がものを言う。
ブルベ2年目の我々は明らかに経験値が少ない。
また一つ学んだわけだ。
平地は苦手
バッテリーを交換し日没を迎えた頃になると単独走になる。
どうやら参加者の先頭に出たみたいだ。
碓氷峠に向けて緩やかに上り出すとようやくテンションが上がる。
坂バカの私はどうや平坦が苦手なようだ…
20時頃に碓氷峠に入った!
どんな大物かとビビっていたが、勾配が3.7%と緩くスピードが乗る。
高速ワインディングヒルクライムだ!!
50分で上り切ると軽井沢の街並みが現れた。
人々はリゾート気分で浮かれているが、私のリゾートは佐久ホテルでの2時間の仮眠だ。
オアシス!佐久ホテルへと急ぐ!
佐久市へと続く長い下りを終えるとようやく宿に辿り着く。
時刻は21時50分。
200km走るのに10時間近くかかってしまった…
RAA青森では300kmを11時間20分で走った。
いかに信号ストップが時間を浪費するか痛感する…
急いで風呂に入り食事を取りベッドへ潜り込む。
相変わらず眠れない…目を閉じて横になるだけで私のリゾートは終わった。
24時に再スタートを切る。
佐久市を折り返したら下り貴重かと思ったら、いきなり長い上りが現れる…
どうやらひと山越えてから長い下りのようだ。
リゾート休憩のおかげか脚は回る。
やはり休憩は正義だ!
頂上のトンネルを抜けると富岡製糸場への長いダウンヒル!
下仁田ネギで有名な下仁田で五郎さんの下ネタを思い出す。
ブルベというものは本当にどうでもいい事が延々と脳裏を巡る。
午前2時、世界遺産の富岡製糸場。
真っ暗だし、近所のスナックでできあがった酔っ払いが「何これ?何これ?テレビの撮影?」と絡んで来るので早々にスタートする。
ここからまた関東平野だ…しかも今度は真っ暗ときた。
こうなると俄然早く終わらせたくなり、思わず心拍数を上げてしまう。
ブルベでの高い心拍数は御法度だ!
最後の顔振峠に入る頃にはすっかり夜が明けた。
すると激坂の途中に渋沢平九郎(渋沢栄一の従兄弟)自決の地という看板かある。
こんな激坂で自決した人がおられるのか…
人類は戦争を克服できていないが随分と少なくなった。
平和な時代に生まれて良かったと激坂を踏む。
登頂するとラスト50km!
すると胃腸が限界を迎える。
頼みのアスリート粉飴はもちろん、固形物も受けつけなくなってしまった。
心拍数を上げたせいだろう。
しかし最後の50kmは日本橋へと続く下り基調。
何とか失速せずに8時50分、21時間、トップでゴールした。
とにかく眠いので麻布台ヒルズの公園で仮眠をとる…
どんより曇り空を眺めながらブルベの楽しさを探るが…まだ答えは得られていない。
次はいよいよ600kmだ。
また…あの単調な関東平野で…更なる試練が襲いかかるのであった。