猪野学 ネオ坂バカ奮”登”記 第42回
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深夜の墓参りを終えた筆者。御先祖様からパワーを授かった気がした
坂バカ俳優、猪野学(いの まなぶ)。NHK BS1の番組「チャリダー★」で活躍する姿は、多くのサイクリストが知るところだ。Cyclist(サイクリスト)で連載中だった「猪野学の坂バカ奮闘記」が、サイト閉鎖にともないサイクルスポーツへお引越し。さらなる活躍をレポートしていく。今回は、ブルベ「BRM1012徳島1000km」の参戦記2日目の前編だ。(編集部)
前回のお話(BRM1012徳島1000km 1日目)はこちら

ついでの墓参り
深夜2時。4時間の仮眠をとってホテルの外に出ると番組スタッフがカメラを回して待っていた。「今日はどんなご予定ですか?」と問うので今日は自己史上最長の460kmを走ることを告げた。そしてついでに墓参りに行くことも伝えた。
「墓参り?」キャトンとするスタッフ。実は私の父方の実家は愛媛県の菊間町という所にある。ここから20kmほどの距離だ。スタッフが「お墓参りの様子を撮影しても良いですか?」と言ってきた。丑三つ時の墓地は1人では怖い……私は心良く承諾した。
1時間ほどこぐと菊間町に到着。子供のころに何度も訪れて祖母に遊んでもらった思い出の町だ。町はすっかり過疎化しサビれてしまったが。幼少期の思い出というものは脳裏にこびり付いている。墓地に着くと自転車を停めて800ルーメンのライトを外し足元を照らしながら墓前へと向かう。
深夜にTVクルーを連れての墓参り……ご先祖様は一体何を思うだろう。手を合わせて深夜の来訪を詫び、日々の感謝を伝えた。実はこのお墓は数か月後に墓仕舞いをする予定になっている。つまり最後の墓参りなのだ。さすがに込み上げるものがある……疲れているからか涙腺が緩い……しかし浸っている暇はない。涙をぬぐい墓を後にした。
私は貝になりたい
菊間町から次のPC(ブルベではチェックポイントのことをPCと言う。フランス語由来だ)松山までは50km。漆黒の海岸線をこぐと何だな背中を押されているような不思議な感覚を覚えた。ご先祖様が押しスト(背中を押すアシスト)してくれているような感覚だ。いや……ただの追い風だろう。しかしお墓参りの後に、何か心強いパワーを得たことは確かだ。人は……独りのようで決して独りではない。
257km地点のPC「天山トロン温泉」に着くとちょうどロングライド女子部の成田多喜氏が再スタートするところだった。聞くと同じく女子部の綾乃氏は仮眠中とのことだ。たった2年でSR(1年間に200km、300km、400km、600kmのブルベを完走した人に与えられる称号)を取得して四国1000kmに挑戦……とんでもないことだ。女子部は女子部でそれぞれに闘っている。
建物の中に入ると所々にライダーが横たわりまるで野戦病院のよう。まだ257kmしか走っていないのに皆様それぞれに疲弊している。
仮眠を済ませている私は20分の休憩で朝5時に再スタート。ゴールまではあと750km。お次は難所の佐田岬半島なのだが、松山から佐田岬半島までの海岸線が恐ろしく長い……。スマホからride with GPSの女性の声が信じられない情報を告げてきた。「50km先 右折です」そう……50kmひたすら直線なのだ。ブルベ参加者はキューシートのナビゲーションで走る。次の交差点が近いと軽やかだが長いと憂鬱になる。50kmはかなり長い……。
そんな時は思考を止めて無になる……そう! 「私は貝になりたい」作戦だ! 私はこの作戦でエベレスティングなど数々の過酷なミッションを達成してきた。
夜が明け始めた。右側には瀬戸内海の絶景。左側には、愛ある伊予灘線が走っている。すると串という駅の駅舎から「猪野さ〜ん! がんばれぇ〜!」と叫ぶ方がおられた。参加者ではなさそうだ……サイクリストだろうか? なんとも励まされる瞬間だ。私はさまざまなイベント会場で「大変ですね!」「がんばって下さい」と声をかけていただける。恐らくチャリダーという番組のガチ度が視聴者にも伝わっているからだろう。去年から始まったこのブルベ企画もまさにガチ企画だ。
今日は1日で460km走るわけだが、思い返せば24時間Zwiftをするという過酷な企画で、スマートトレーナーで450km走っていた。私は俳優なのにこんな過酷なロケばかりやっているが……この経験は意味があるのだろうか? 俳優に活かせるのだろうか? そもそも人生に意味はあるのか? などと暇なので哲学が始まる。ブルベあるあるだ。
沈黙を続けるスマホからようやく「1km先 右折です」というアナウンスが聞こえたのは2時間経過したころだった。やっと佐渡岬の入り口にたどり着いたわけだ。

参加者達を多いに苦しめた佐田岬半島。まだ無風だったから良かった……
右折するとまたスマホから「33km先 目的地です」と冷たい声で告げられた……。次のPCである「佐田岬はなはな(みなとオアシス 佐田岬はなはなという施設に設けられている)」まで、33kmのアップダウンだ……さっそく上りが始まる……しかも長い上りだ! 容赦なく照りつける朝日と登坂が少ししか寝ていない参加者達を叩きのめす。ゴールした参加者達は口々に言う。「佐田岬がヤバかった」。私も同意見だ!
何度も襲いかかるアップダウン……しかも一つひとつのアップダウンが長い。すると反対車線に半島の先端と言えるPCで折り返して来た参加者が現れ始めた。ということはもうすぐPCか?という思いが頭をよぎる……しかし無情に続くアップダウン。
景色が開け両側が海となる……岬がだいぶ細くなった証だ! もうすぐPCか? しかしまたもや無情に続くアップダウン。私はまた貝になってしまった。貝になってどれからい時間が経っただろうか? 長い下りを終えるとようやく漁港が現れた。

350km地点のPC「佐田岬はなはな」。“はなはな”の文字のモニュメントがある。かなり疲弊したが…この後300km走る
人だ! 町だ! PCだ! 午前8時30分 350km地点のPC「佐田岬はなはな」に到着したのだ。キツかった! 疲れた! ようやく1番の難所をやっつけたという達成感で満たされる! 至福の時だ!
さすがにお腹が空いたのでコンビニで親子丼を食べる。まだ内臓はやられていない……心拍数を上げない作戦がうまくいっているようだ。そして番組スタッフから大量のGoProのバッテリーとマイクの電池を渡されているのでまとめてバッテリー交換をする。
30分ほど休憩して再スタートする。いきなり長い上りだ……ん? このとき……事態を把握する。疲弊して忘れていたがここは半島の先端部……。半島の根っこの部分までまた33km、あのいまいましいアップダウンを戻らなければならない……。
私はまた……静かに貝になるのであった。