CYCLE SPORTS.jpが選ぶ 2019年10大ニュース・サイクルロードレース編
目次
- 1. アラフィリップがツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを14日着用
- 2. シクロクロス王者のファンデルプールがアムステル・ゴールド・レースで初優勝
- 3. 南米コロンビアのベルナルがツール・ド・フランス初制覇
- 4. エクアドルのカラパスがジロ・デ・イタリアで初優勝
- 5. ベルギーのカンペナールツがアワーレコードを更新
- 6. ツール・ド・ポローニュでランブレヒトが事故死
- 7. キッテルがシーズン途中に突然引退/カチューシャが消滅
- 8. ジモンディとプリドール、2人のチャンピオンが逝去
- 9. 新たなドーピング・スキャンダル『オペラシオン・アーデルラス』
- 10. NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネが活動終了
●シャンゼリゼをマイヨ・ジョーヌで凱旋するベルナル(©Bettiniphoto)
2019年のロードレースシーズンは若手選手が次々と活躍し、新たなチャンピオンの誕生が続いた。その陰で悲しい事故や引退、新たなドーピング・スキャンダル、そしてチームの活動終了もあった。
アラフィリップがツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを14日着用
世界最大のロードーレースであるツール・ド・フランス(UCIワールドツアー)では、1985年にベルナール・イノーが5度目の総合優勝を果たして以来、開催国フランスの勝利はない。フランス国民は、イノーの後継者となる新たなチャンピオンがマイヨ・ジョーヌを着て、パリのシャンゼリゼ大通りを凱旋するのを心待ちにしている。
そんなフランス国民を今年のツール・ド・フランスで熱狂させたのは、ベルギーのドゥクーニンク・クイックステップに所属する27歳のジュリアン・アラフィリップだった。彼は第3ステージで逃げ勝ち、初めてマイヨ・ジョーヌに袖を通した。
今年アラフィリップは3月にモニュメント・クラシックの1戦であるミラノ〜サンレモ(UCIワールドツアー)を初制覇し、ストラーデ・ビアンケやフレッシュ・ワロンヌでも勝って、UCIワールドランキングの個人ランキング首位で7月のツールをスタートしていた。
春のクラシックで大活躍したアラフィリップが、マイヨ・ジョーヌを何枚かコレクションに加えただけでもフランス国民は十分満足したのかもしれないが、彼の活躍はそれで終わらなかった。ラ・プランシュ・ド・ベル・フィーユの頂上にゴールした第6ステージで、アラフィリップは一度マイヨ・ジョーヌを失ったが、2日後にはそれを奪い返し、そこから快進撃が始まった。
アラフィリップはピレネー山岳ステージで総合首位の座を守り続け、個人タイムトライアルでも昨年のツール・ド・フランスで総合優勝した英国のゲラント・トーマス(チームイネオス)を打ち負かして区間優勝してしまった。フランス国民はほぼ2週間、マイヨ・ジョーヌの夢を見続けることができたのだ。
しかし、ドゥクーニンク・クイックステップは総合優勝を争う布陣で今年のツール・ド・フランスには臨んではなく、山岳でアラフィリップをかろうじてアシストできる選手はスペインのエンリック・マスくらいしかいなかった。アラフィリップは孤軍奮闘を続けたが、荒天の影響で終盤中止になったアルプスのステージで遂に力尽きてしまった。
アラフィリップはマイヨ・ジョーヌをパリまで持ち帰ることはできなかったが、その活躍は世界中のレースファンの心にしっかりと焼き付いた。彼は今シーズンの終わりに、世界各国のジャーナリストの投票で決まる年間最優秀選手賞『ヴェロ・ドール』を受賞した。
シクロクロス王者のファンデルプールがアムステル・ゴールド・レースで初優勝
冬場のシクロクロス界に絶対王者として君臨するオランダのマテュー・ファンデルプール(コレンドン・シルキュス)は、今年遂にロードレースにも本腰を入れ始め、4月に初参加した母国最大のアムステル・ゴールド・レース(UCIワールドツアー)でドラマティックな初優勝を果たした。
昨年ロードレースのオランダ選手権で優勝したファンデルプールは、オランダチャンピオンジャージを着て今年初めて春のクラシックに挑戦した。最初のUCIワールドツアーだったベルギーのヘント~ウェヴェルヘムでは、彼はゴールスプリントで4位に入り、3日後にはドワールス・ドール・ブラーンデレンでUCIワールドツアー初優勝を手中に収めた。
モニュメント・レースのロンド・バン・ブラーンデレン(UCIワールドツアー)では、レース後半に車輪が破損するトラブルに見舞われて一度は遅れたが、ファンデルプールは集団に復帰し、最後は4位でレースを終えた。
初めて挑んだ春のクラシックで期待通りの活躍を続けたファンデルプールは、優勝候補としてスタートしたアムステル・ゴールド・レースでも期待を裏切ることはなかった。彼は追走グループの先頭を自ら引き、ホームストレートで逃げていたビッグネームたちを捕らえ、そのまま先頭でフィニッシュラインを通過したのだ。
あまりにもドラマティックな展開に、一番驚いたのはファンデルプール本人だった。優勝した瞬間に、彼は信じられないと言わんばかりに片手で頭を抱え、ゴール直後はバッタリ地面に倒れ込んでむせび泣いていた。地元オランダの選手がアムステル・ゴールド・レースを制したのは2001年のエリック・デッケル以来で、それを目撃した観客の熱狂ぶりは凄まじかった。
24歳で母国最大の自転車レースを制したファンデルプールには、9月に英国のヨークシャーで開催されたロード世界選手権での活躍も期待されていた。しかし、彼はハンガー・ノックで絶好のチャンスを逃すというミスを犯し、シクロクロスとロードレースの両方のアルカンシエルを手に入れることはできなかった。
ロードシーズンが終わり、シクロクロスに戻ったファンデルプールは再び絶対王者の走りを続けている。しかし、その姿をこれだけ観られるのは今シーズンが最後になる。彼は来年の東京オリンピックにマウンテンバイク(クロスカントリー)で参加した後、ロードレースに転向する予定だ。
ファンデルプールは来年9月のブエルタ・ア・エスパーニャ(UCIワールドツアー)への参加を望んでいると報じられているが、UCIプロチームのコレンドンが主催者招待を受けるのは難しい。グランツール初挑戦は2021年になるだろう。
南米コロンビアのベルナルがツール・ド・フランス初制覇
1903年に誕生し、今年106回目のツール・ド・フランス(UCIワールドツアー)で、遂に南米出身の選手が総合優勝を果たした。それは長らくコロンビアのナイロ・キンタナ(モビスターチーム)が成し遂げるだろうと期待され続けていた。しかし、彼が足踏みを続けている間に、弱冠22歳のエガン・ベルナル(チームイネオス)があっさりコロンビアの悲願を達成してしまった。
昨年チームスカイへ移籍し、ツール・ド・フランスに初参加したベルナルは山岳アシストとして働きながら総合15位になっていた。今季彼はジロ・デ・イタリア(UCIワールドツアー)に初挑戦してチームのエースを務める予定だったが、直前のトレーニングで落車して鎖骨を骨折してしまい、参加できなかった。もし彼が予定通りジロ・デ・イタリアを走っていたら、歴史は変わっていたかもしれない。
ベルナルの運命を変えたもう一つの出来事は、チームのエースである英国のクリストファー・フルーム(チームイネオス)が、6月のクリテリウム・デュ・ドーフィネ(UCIワールドツアー)中のトレーニングで負傷した事故だった。
フルームは5度目の総合優勝を目指していたツール・ド・フランスに参加できなくなり、チームイネオスは前年度優勝者のゲラント・トーマス(英国)とベルナルのダブルエースで優勝を目指すことになった。このチャンスをベルナルは逃さなかった。彼はフランスの期待を背負って走るジュリアン・アラフィリップ(ドゥクーニンク・クイックステップ)を攻撃し続け、パリ到着の2日前にマイヨ・ジョーヌを奪い取ることに成功した。
その運命のステージが荒天の影響で中止になっていなければ、ベルナルは区間初優勝も勝ち取っていたかもしれない。しかし、マイヨ・ジョーヌを祖国コロンビアに持ち帰ることが、彼にとっては最優先のミッションだった。区間優勝は来年以降のお楽しみになったが、彼が区間優勝する機会は今後いくらでもあるだろう。
22歳6ヶ月15日のベルナルはツール・ド・フランス史上3番目に若い総合優勝者になり、新人賞のマイヨ・ブランも受賞している。
エクアドルのカラパスがジロ・デ・イタリアで初優勝
南米エクアドルは決して自転車競技が盛んな国ではなく、プロ選手も非常に少ない。しかし、今年はリチャル・カラパス(モビスターチーム)がグランツールのジロ・デ・イタリア(UCIワールドチーム)で総合初優勝し、国中が熱狂した。
大会期間中に26歳の誕生日を迎えたカラパスは、2017年からスペインのモビスターチームで走り、昨年のジロ・デ・イタリアでは土砂降りの頂上ゴールを制してエクアドルに初のグランツール区間優勝をもたらしていた。
今年のジロ・デ・イタリアは、世界チャンピオンのアレハンドロ・バルベルデがモビスターチームのエースを務める予定だったが、怪我で参加できず、ミケル・ランダが急遽エースを務め、カラパスは山岳アシストとしてスタートラインに並んでいた。
昨年総合優勝したクリストファー・フルーム(チームイネオス)は参加せず、代わりにエースを務めるはずだったコロンビアのエガン・ベルナル(チームイネオス)も、直前のトレーニングで負傷して欠場した。
個人タイムトライアルが3ステージあった今年のジロ・デ・イタリアで、開幕前に優勝候補として名前が上がっていたのは、2017年に総合優勝したオランダのトム・デュムラン(チームサンウェブ)と、今季ティレーノ~アドリアーティコ(UCIワールドツアー)とツール・ド・ロマンディ(UCIワールドツアー)で総合優勝していたスロベニアのプリモシュ・ログリッチ(チームユンボ・ヴィスマ)だった。
しかし、デュムランは落車で負傷して序盤にリタイアした。ログリッチは不運もあって、グランツール初優勝のチャンスを掴むことができなかった。
そのチャンスを掴んだのはカラパスだった。彼はモンブラン南斜面のクールマイユールにゴールした第14ステージを独走で逃げ切り、区間優勝とマリア・ローザの両方を手中に収めたのだ。中盤の個人タイムトライアルで総合争いから後退していたランダも彼のアシストとして走り、スペインのモビスタチームは1980年のチーム創立以来、15回目のグランツール制覇を果たした。
ベルギーのカンペナールツがアワーレコードを更新
2019年は4年ぶりでアワーレコードが更新された。それを成し遂げたのは27歳のベルギー人、ヴィクトル・カンペナールツ(ロット・スーダル)だった。
UCIアワーレコードは2015年に英国のブラッドリー・ウィギンスが54.526kmの記録を達成して以来、挑戦する選手が途絶えていた。カンペナールツは4月16日にメキシコのアグアスカリエンテスにあるビセンテナリオ・ベロドロームで挑戦し、55.089kmを走破してウィギンスの記録を抜き、世界記録を樹立した。
ベルギー出身の選手がアワーレコードの記録樹立を達成したのは、1972年のエディ・メルクス以来の快挙だった。
ツール・ド・ポローニュでランブレヒトが事故死
8月5日にポーランドで開催されたUCIワールドツアーのツール・ド・ポローニュ第3ステージで、ベルギーのビヨルグ・ランブレヒト(ロット・スーダル)が転倒し、搬送先の病院で亡くなる事故があった。彼はレース中、路面に埋められていた道路鋲に車輪を取られてコースアウトし、側溝の橋に激突して致命傷を負ってしまった。彼は昨年プロデビューしたばかりで、まだ22歳だった。
ランブレヒトは上りに強い選手で、昨年オーストリアのインスブルック・チロルで開催されたUCIロード世界選手権の男子アンダー23ロードレースで2位になった。今年は春のクラシック後半戦で頭角を現し、ブラバンツ・ペイル(ヨーロッパツアー1.HC)で4位に入り、UCIワールドツアーのアムステル・ゴールド・レースで6位、フレッシュ・ワロンヌで4位に入っていた。
ツール・ド・ポローニュの主催者は、ランブレヒトが今年のレースで付けていたゼッケンナンバー143を永久欠番にすると発表している。昨年ランブレヒトがプロ初優勝を果たしたノルウエーのツール・デ・フィヨルドの主催者は、追悼のために彼が区間優勝したエーゲルスンに星型のメモリアルプレートを設置した。
キッテルがシーズン途中に突然引退/カチューシャが消滅
3大ツアー全てで区間優勝し、日本でも人気があったドイツ人スプリンターのマルセル・キッテルが、今年5月に所属していたUCIワールドチームのチームカチューシャ・アルペシンを辞め、8月に現役引退を発表した。彼はまだ31歳で、今季は2月にスペインのチャレンシ・マヨルカ最終戦で優勝していた。
キッテルの引退が原因という訳ではないが、彼が所属していたチームカチューシャ・アルペシンも、今季限りでレースシーンの表舞台から姿を消すことになった。カチューシャはロシアのトップチームとして2009年に活動を開始したが、近年は成績が振るわず、今季はUCIワールドランキングのチームランキングで、UCIワールドチームとして最下位になっていた。
ジモンディとプリドール、2人のチャンピオンが逝去
2019年は2人の偉大なチャンピオンがこの世を去った。8月にはイタリアのフェリーチェ・ジモンディがシチリア島のジャルディーニ・ナクソスで海水浴中、心臓発作に見舞われて命を落とした。彼は76歳だった。
ジモンディは60年代後半から70年代にかけて活躍した名選手で、1965年にツール・ド・フランスで優勝した。地元のジロ・デ・イタリアでは1967年、1969年、1976年の3回優勝。1968年にはブエルタ・ア・エスパーニャでも優勝し、3大ツアー全制覇を達成した。
11月にはフランスのレイモン・プリドールが83歳で亡くなった。彼は今年のツール・ド・フランスにもオフィシャルパートナーであるリヨン銀行(LCL)のアンバサダーとして帯同していたが、疲労が原因で10月からサン・レオナール・ド・ノブラの病院に入院していた。
プリドールは60年代から70年代に活躍し、1961年にミラノ~サンレモ、1963年にフレッシュ・ワロンヌで優勝。1964年にはブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝した。故ジャック・アンクティル(フランス)と同世代だったこともあり、プリドールはツール・ド・フランスでは優勝できず、表彰台に8回(2位に3回、3位に5回)上がって『エターナル・セカンド(永遠の2位)』と呼ばれていたが、フランスでは非常に人気のある選手だった。
プリドールの娘はオランダ人選手のアドリ・ファンデルプールと結婚し、ダービッドとマテューの兄弟を授かった。プリドールはしばしばシクロクロスのレースにも来場し、孫たちの活躍に目を細めていたものだった。
サン・レオナール・ド・ノブラで行われたプリドールの葬儀には約500人が列席し、国内外の自転車関係者が顔を揃えていた。
新たなドーピング・スキャンダル『オペラシオン・アーデルラス』
今年2月末にオーストリアで開催されたノルディックスキー世界選手権で、ドーピングを行っていた選手や医師が逮捕された事件は、2006年に自転車レース界を震撼させた巨大ドーピング・スキャンダル『オペラシオン・プエルト』になぞらえて『オペラシオン・アーデルラス(アーデルラスは瀉血を意味するドイツ語)』と呼ばれた。
この事件で逮捕されたドイツ人医師のマルク・シュミットが、過去にゲロルシュタイナーやチームミルラムのチームドクターだった事から、スキャンダルは自転車競技界に飛び火した。最初に警察の聴取を受けたオーストリアのシュテファン・デニフルとゲオルク・プライドラーは、血液ドーピングを行っていたことを自白し、国際自転車競技連合(UCI)から4年間の資格停止処分を下された。
5月にはバーレーン・メリダの助監督だったボルット・ボズィッチ(スロベニア)と選手だったクリスティアン・コーレン(スロベニア)、UAEチーム・エミレーツの選手だったクリスティアン・ドゥラセク(クロアチア)、元選手のアレッサンドロ・ペタッキ(イタリア)が、オーストリア当局の情報を元にアンチ・ドーピング規則違反の可能性があるとUCIから公表された。この4人は、11月までに全員有罪が確定し、資格停止処分を受けた。
オペラシオン・アーデルラスはこれで終わった訳ではない。オーストリア当局の情報を元に、UCIは自転車競技アンチ・ドーピング財団(CADF)に2016年と2017年のシーズンに採取したサンプルの再分析を依頼したと発表している。結果次第では、さらなる違反者が発覚するかもしれない。
NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネが活動終了
イタリアと日本がタッグを組み、2015年シーズンから活動を続けていたUCIプロコンチネンタルチームのNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネは、イタリアの運営サイドが今年で一旦活動を終了することになり、レース界から姿を消すことになった。
NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネは、今年のジロ・デ・イタリア(UCIワールドツアー)に3年ぶりで招待を受け、ダミアーノ・チーマ(イタリア)がチームに待望の区間初優勝をもたらしていただけに残念だ。
しかし、NIPPOの挑戦はこれで終わった訳ではない。来季はフランスのデルコ・マルセイユ プロヴァンスの第1タイトルスポンサーとなり、UCIプロチームのNIPPO・デルコ プロヴァンスとして活動を継続する。
NIPPO・デルコ プロヴァンスには別府史之(トレック・セガフレード)と中根英登(NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ)が移籍し、石上優大(AVCエクサンプロヴァンス/エカーズ)と岡篤志(宇都宮ブリッツェン)も契約している。
イタリアのレースでNIPPOの名前を見られなくなるのは残念だが、来年はフランスのレースに注目したい。
日本のレースファンにとっては、南アフリカ初のUCIワールドチームとして活動しているチームディメンションデータが、2020年シーズンにチーム名称が『NTTプロサイクリング』に変更することも今年注目のニュースだった。
チームの主要スポンサーであるIT企業のディメンションデータは日本のNTTの子会社で、今年6月に同社がディメンションデータを含めた海外事業を統合して新しいNTTブランドの事業会社『NTTリミテッド』(所在地:英国ロンドン)を設立した事に伴い、来年は後援する自転車チームに使用する社名も変更した為だった。
NTTプロサイクリングには日本チャンピオンの入部正太朗(シマノレーシングチーム)が加入。来シーズンは日本チャンピオンの海外初挑戦にも期待したい。