今見えているデータだけにとらわれるな〜欧州最先端設備を見た福田コーチが語る
目次
自転車コーチの福田昌弘さん(ハムスタースピン主宰)が、所属する自転車レーシングチーム「Roppongi Express(ロッポンギエクスプレス)」代表の高岡亮寛さんに帯同し、ベルギーのBIORACER(ビオレーサー)本社及びバイクバレーの風洞実験施設を訪問した。最先端のシステムを目の当たりにして、福田さんが感じたこととは? インタビューをお届けしよう。
ベルギーの自転車関連企業集積地へ
“最強の市民レーサー”と呼ばれ、「ツール・ド・おきなわ 市民レース210km」で最多優勝記録を持つことで知られる高岡亮寛さん。2020年シーズンからウェアのスポンサーがビオレーサーに変わり、同社から本社と近隣の最新施設の体験・見学の招待を受け、2020年2月にベルギーを訪問した。
高岡さんが代表を務めるRoppongi Expressに所属し、日本を代表する自転車コーチということで福田さんも招待を受け、高岡さんに帯同した(ビオレーサーの日本正規代理店・クランノート社長の和田 智裕氏も帯同)。
「ビオレーサーの本社はベルギー北部のテッセンデルロというのどかな場所にあります。この周辺は自転車関連企業が集まっていることから“バイクバレー”と呼ばれています。ここには最先端の“自転車専用”の風洞実験施設があり、ベルギーナショナルチーム、自転車メーカー、トッププロチーム等がこの施設を利用しています。
今回私達が体験・見学したのは、ビオレーサーの“ビオレーサーモーション”というモーションキャプチャーシステム、“ビオレーサーエアロ”という前面投影面積計測システム、そしてバイクバレーの風洞実験施設です。ビオレーサーエアロはあのクリストファー・フルーム選手も使っているそうです。もちろん、ウェアの製造現場なども見学しました」。
ビオレーサーというと、日本ではオーダーウェアのブランドというイメージがあるが?
「もともとビオレーサーはフィッティングシステムを作っているメーカーなんですよ。日本ではワイズロードで取り扱う“バイオレーサー”というサービスを受けることができますね。
では、まずは我々が見てきた3つの最新システムについて、そして世界最高峰と言えるビオレーサーのウェア作りについてレポートします。そのうえで、“じゃあ、そこから何が言えるの?”ということについてお話しましょう」。
自転車に特化したモーションキャプチャーシステム「ビオレーサーモーション」
「まずはビオレーサーモーションについてです。
これはモーションキャプチャーシステムです。2台の3眼カメラで、センサーを付けたライダーを左右から撮影し、動作を解析することができるシステムです」。
「このカメラで被験者を左右から挟んで撮影することで、3次元で動作解析することができます。つまり、奥行きまで動作を捉えられるので、骨盤の左右のぶれといったことまで分析できます。また、1秒間に120コマ、つまり120fpsという高いフレームレートで撮影するので、クランクを1回転させただけでほぼ全ての動作解析が完了してしまいます」。
「上の写真は、ビオレーサーモーションのセンサーです。LEDを使っており、カメラで動きをキャプチャーしたとき、この光で位置を測定します」。
「センサーは、上の写真のようにバイクに取り付けて使うこともできます。こうすると、例えば新しいバイクに変更するとき、それまでのバイクと同じポジションを一発で出すことができるわけです」。
「上の写真のように身体計測をして、ビオレーサーモーションの専用ソフトに数値を入力し、センサーをつけてペダリングすることで、動作解析していきます」。
「解析したデータの画面が上の写真です。先ほど説明したように、3Dカメラなので骨盤の左右のぶれだとか、膝のぶれだとか、さまざまな動きを立体的に捉えることができます。他社でも同様のシステムはありますが、それらに比較して情報量が非常に多いんです。
またこれも先ほど説明したように、高いフレームレートのカメラを用いているので、何分もペダリングしなくてもきわめて短時間で動作解析が完了してしまう点も先進的です。他社の場合だと、低いフレームレートを補完するために動作を繰り返す必要があるわけですね。
あと、被験者にはモニター画面でリアルタイムで自分の動作を見せているので、被験者が自分の動きも瞬時に分かる点も利点です。
さて、非常に高性能ですが、その反面部屋の端と端に必要な距離を取って2台のモーションカメラを置かないといけないので、大きな場所を食ってしまうのが難点です。また、導入費用が300万円ほど掛かる点でもハードルは高いですね。今のところ、日本への導入の予定はないそうです。ヨーロッパのフィッターでは、これを導入している人もいるそうですね」と福田さん。
なるほど。コストとスペースに難点があるが、これは現地の一般ライダーもサービスとして受けられるのだろうか。
「受けられます。実際、ビオレーサー本社にはきちんと料金表があって、一般のライダーも受けに来ているのを私自身も見ました」。
カメラで簡単に前面投影面積を計測できる「ビオレーサーエアロ」
「続いてレポートするのは、ビオレーサーエアロです。これはカメラで撮影して前面投影面積を捉え、そこから想定する速度を出すために必要な出力を、簡単に算出してくれるものです」。
「上の写真がその解析の様子です。この場面は時速49kmで走行するのに必要な出力が計測されていて、上体を高くした状態だと488W必要で、肘を曲げて深いエアロフォームを取ると343Wで済むことを示しています。
これによって、どんなフォームを取れば前面投影面積を減らせ、速度を維持するための出力を減らせるかを分析することができるわけですね」。
日本にはない、バイクバレーの自転車専用風洞実験施設
さあ、いよいよ気になる風洞実験施設について聞こう。
「まず、ウインドトンネル、つまり風洞実験設備の外観は上の写真のような感じです。精密な設備なので、5人までしか中に入れません」。
「風洞の後方に上の写真のような巨大なファンが付いており、これで空気を後ろへ吸い出すようにして気流を発生させる仕組みになっています」。
「上の写真は、自転車の取り付け器具の様子です。ロードバイクの場合は5°の角度をつけます。つまり“ヨー角”ですね。実際のロードバイクの走行シーンでは、横風が吹く場合もあることを想定しています。トラックの場合は角度は0°にします。
感心するのは、写真のようにさまざまな自転車を取り付けることができ、これがまさに“自転車専用の風洞実験施設”だということです。日本国内にも風洞実験施設はありますが、自転車専用ではないのでこうした取り付けが難しいんですよね。自転車に人がまたがることもできません」。
「バイクにまたがると上の写真のようになります。地面に現在の自分のフォームが投影されていて、ここでも被験者が自分のフォームをリアルタイムで確認できるようになっています。
さて、ここではペダリングはせず、乗車フォームを取って機材を変更し、その違いによる抵抗を計測するのが目的です。ペダリングをしないのは、設備の下側が巨大な重量計になっていて、動くと数値が安定しなくなるからです」。
そもそも空気抵抗って何か知ってる? 〜計測には“順序”が必要
バイクバレーの風洞実験施設ではペダリングを行わず、機材による数値の違いを計測するのが目的というのは分かったが、じゃあ実際ペダリングしたときの空気抵抗はどうやって計測するのだろうか?
「まず、その前にそもそも空気抵抗とは何かについて簡単に説明しましょう。
空気抵抗=前面投影面積×空気の流れのスムーズさ(CD値)
です。簡単に言うと風が当たる部分の面積と、空気が後ろに流れていく滑らかさを掛け合わせたものが空気抵抗となります。つまり、空気抵抗を減らすには風が当たる面積を減らし、かつ空気が後ろに滑らかに流れていくように工夫しないといけません。
これを効率良く計測していくためには、“順序”が必要になります。まず、ビオレーサーエアロのようなシステムで前面投影面積を計測し、だいたいの“アタリ”をつけるわけです。これは簡単に計測できるし、計測に掛かるコストも低いですね。
続いて、そのアタリをつけたデータをもとに風洞実験を行います。大掛かりな施設で設備利用料も高いので、実験には1項目あたり約90秒くらいに抑えてどんどん計測していかないといけません。最初にきちんとアタリをつけておかないと、やみくもに実験することになって費用も時間も掛かってしまうわけです。
これらの実験を経て、最後にバンク走行や実走して最終的な空気抵抗を計測していくのです。つまり、風洞実験もアタリをつけるための実験で、これ自体で全てが終わるわけじゃないということですね。
例えば、ある選手がより空気抵抗が低いTTフォーム獲得に取り組むことになった、としましょう。最初からバンク走行や実走でやろうとすると、1項目あたり10周くらい走らないといけないことになります。それを何十項目もやるとなると、とてつもない実験が必要になり、大変ですよね。おまけに、その試している項目が良いのか目星もつかない。だからこそ、上のような段階を踏んで実走で実験するための項目を絞り、効率良くデータを取っていくのです。ドゥクーニング・クイックステップサイクリングチームは、まさにこの方法で実験を行っていました」。
なるほど。理系に明るい人にとっては当たり前かもしれないが、そういう流れで自転車の空気抵抗は研究されていたのか!
自社開発で自社工場を持つ。世界最先端のビオレーサーのウェア作り
「さて、ここまで動作解析やエアロについての話をしてきましたが、ビオレーサーのウェア作りも世界最先端である、ということについてもレポートしましょう。
なぜビオレーサーのウェアが世界最先端かというと、自社開発を行い、かつ自社工場でそれを生産するからです。開発から生産まで、全部自社でやっているのはビオレーサーだけと言っていいでしょう。本国ベルギーとコロンビア等に工場があり、本国工場は研究開発と納期の早い製品の出荷をする役割を持っています。本国と各工場は全てネットワークでつながっていて、高度にリアルタイムでやりとりします。本社で受注を受けたら、即座に他国の工場で生産に入れるのです。
ビオレーサーはTT用ウェアや空力に優れたウェアづくりに定評がありますが、それはきちんと先ほど紹介した風洞実験で研究開発を行っているからなんです。ここまでやっているウェアメーカーは他にありません」。
「何とパッドまで自社開発していて、上の写真はパッドをサドルに押し当ててどのくらいの回数でへたりが出るか、ということを実験する装置です。こういうものを自社で持っているというのはすごいですよね」。
「それから、高岡さんのウェアの採寸も今回の訪問の目的の一つです。ビオレーサーのウェアは基本的に全てオーダーで、単にグラフィックデザインのオーダーだけじゃなくて、フル採寸によるサイズフルオーダーにも対応しています。下の写真は採寸の様子で、乗車フォームを取り最適なサイズを測っていきます。この黒いウェアはフル採寸に対応したTT専用のウェアで、かなり凝った作りをしています。他社だとまず作らないような、こんな専門的なウェアも作っているあたりも驚きですね」。
本場ヨーロッパでは最先端機材でレベルの高いコーチングやフィッティングが受けられる……とも言えない!?
ここまで、まずは福田さんが体験・見学したビオレーサーの最新鋭解析システム、次にバイクバレーの風洞実験施設、そしてビオレーサーの先進的ウェア作りについて話してもらった。特にビオレーサーの解析システムについては、一般のサイクリストもサービスを受けることができるし、実際にそれを取り入れているフィッターやコーチもいるという。やはり、本場ヨーロッパは最先端なことをやっているわけだ。
「……と、思いますよね? わぁ、すごい機材ですごいことをやっているんだなぁと。しかし実際これって、風洞実験施設も含めて、“単に計測しているだけ”なんですよ。要するに、“測れるものが増えているだけ”ということです。
ビオレーサーモーションについて言えば、目視では分からないことが判明する、というものでもありません。実際、これは私なら目視で分かることを分析しています。フィッターやコーチでは分析できないことを分析できるものではなくて、彼らの負担を下げるもの、と言った方がいいでしょう。
問題は、これら最新鋭の機材で得られたデータなり結果を、どう料理していくのかです。それは結局はフィッターやコーチに委ねられます。自分の動作をつぶさに解析できたイコールそれだけで速くなれるわけじゃないですよね」。
最新鋭の機材で多くの情報が得られ、それを料理できるフィッターやコーチもヨーロッパには多くいるということではないのか?
「あんまりこんなことを言うと怒られるかもしれませんが(笑)、正直こうした機材を使って得られたデータをきちんと料理できるフィッターなりコーチはヨーロッパでも少ないと思います。だから、一般レベルのサイクリストがレベルの高いフィッティングなりコーチングを受けられているかというと、その状況もあんまり日本と変わらないと思いますね。
人はみな未知のセンサーに多大な期待を抱きますが、あくまでセンサーはセンサーなんです。ビオレーサーエアロもしかり風洞実験施設もしかり、それぞれがその機能で取れるデータは決まっています。大切なのは、それぞれのセンサーの特性を最大限に活かし、必要なデータを取り、それを走りの改善につなげていくことなんです。
例えば、動作解析を行いAIがそのライダーにとっての最適なフィッティングなりコーチングを施してくれるシステムが完成すればまた話は別ですが、そうしたものが登場するにはまだまだ相当な時間が掛かるでしょう。そもそも、私が常々サイクルスポーツの記事でも言っているように、“正しいペダリング”というものはまだ誰にも解明できていないんですから」。
トップレベルになると歴然とした差があるのは確か
「ただ、多くのデータを取ることができその設備が充実しているという意味では、ヨーロッパと日本のサイクルスポーツ界とでは歴然とした差があると言えます。一言でいうと、“答え合わせ”ができる環境がある。
例えば、先ほど説明したように選手が新しいTTフォームに取り組む場合、そのための実験ができる環境が身近にあれば、これから自分が試す新しいフォームがいいのか悪いのかの答え合わせができます。良いフォームが見つかれば、それに特化したトレーニングを早く積むことができるのです。
現状、日本国内ではそれができません。例えばバンクで膨大な時間を掛けて新しいフォームを探ったりしないといけないことになります。また、答え合わせが容易にできないので、もしかしたらその取組みが最終的に無駄になってしまう可能性もあるわけですね」。
そうしたトップの競技者レベルの観点で考えると、確かに本場ヨーロッパと日本では差があるわけか。
「本場ヨーロッパのフィッターやコーチのレベルはそれほど高いわけじゃないと言いましたが、その世界でもトップレベルになるとまったく話は別です。こちらの世界では、トップレベルとなるとみな博士号(Ph.D.)を取得した人たちになります。よく日本で言われる、ある分野に詳しい人を差す“○○博士”なんていう単なる呼び名とは違いますよ(笑)。データを見て、それを解析する道を突き詰めた人々です。そのレベルは恐ろしいほど高い。中にはそのうえでライダーの動作の指導までできる人も少数ですがいますよ。
日本はどうでしょう? 科学的バックグラウンドに基づいて活動しているコーチやフィッターは、いないと言わざるをえないんですよね」。
データにだまされやすい人が多い
福田さんらしい、非常に興味深い視点だった。最後に今回の訪問を通じて、日本のサイクリストについて考えされられたこととは?
「日本人、に限ったことでもないんですが、データにだまされやすい人が多いよなぁと感じてしまいました。例えば、風洞実験施設である数値の改善が見られたとしましょう。そこで、“こんなにすごい施設を使って、こんな数値が出せるなんてすごい! 数値が下がったぞ!”と喜んで終わりの人が多いような気がします。そうではなくて、先に述べたようにそれぞれの計測機器で計測できることは限られていて、問題はそれぞれのデータをどう結びつけて考え、走りの改善につなげるかなんです。
一つのパラメーターだけじゃなくて、全体のパラメーターを見て総合的に考えないといけない。それぞれのシステムから取れるデータを、うまく組み合わせていくのが本場ヨーロッパのトップレベルになるとうまいんです。複数のデータをいろいろな方向から分析している。日本はそこが弱いと思います。
分かりやすい例で言うと、ダイエットしている人で、ある日体重計に乗ったら1kg体重が低かったとしましょう。それで喜んでしまいがちですが、実は体重が減っていても体脂肪率が上がっていたとしたら? それはあまりいいやせ方とは言えませんよね。パワーメーターについても同じことが言えます。サイクルコンピューターに表示されたワット数が高いかどうかに一喜一憂する人は多いですが、本当に大切なのはその数値をどういう動作で出したのか? ですよね。
今目の前に見ているデータだけにとらわれるのではなくて、もう少し複数のデータを俯瞰してみる。それが大切だと思います」。
本記事で紹介したビオレーサーエアロは、国内でもサービスを受けることができる。さまざまな角度からデータを見直すことで、サイクリストとしてランクアップを目指そう。
【Profile】
福田 昌弘(ふくだ まさひろ)
自転車コーチ。トップ選手から一般レベルまで幅広いサイクリストをコーチングする「ハムスタースピン」を主宰する。大学院医学博士課程に在籍中で、“コーチのツール・ド・フランス”と呼ばれる研究発表会「サイエンス&サイクリング」で発表するなど、自転車スポーツの研究にも励んでいる。自ら市民レーサーとしても活躍しており、Roppongi Expressに所属する。