「悔いはない」増田の五輪選考最終レースとその胸中
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スペインはオルディジアで行われたUCIヨーロッパツアーのプルエバ・ビリャフランカ・オルディジアコ・クラシカ。
急遽参戦が決まり、20位に入った宇都宮ブリッツェンの増田成幸はUCIポイントを3点加算。選考期間を数日残した段階で、東京オリンピックに向けた代表選考ランキングで2位につけていた中根英登(NIPPO・デルコワンプロヴァンス)を逆転した。
わずか1戦というチャンスを増田はどう捉えていたのか。電話インタビューでその胸の内を聞いた。
1レース、1チャンス
「やれることを探してやっていきたいですね」
スポーツ仲裁で申し立てが棄却された後、増田成幸(宇都宮ブリッツェン)は落ち込んだ様子でそう話していた。(https://www.cyclesports.jp/topics/29619/)
話を聞いた時点では増田が2位につけていたが、その後、8月25日に行われたブルターニュ・クラシックで中根英登(NIPPO・デルコワンプロヴァンス)がUCIポイントを加算して逆転。
宇都宮ブリッツェンは、東京オリンピックに増田を送り込むべくチーム全体で再逆転の可能性を探り続けた。増田自身は”ポイントが取れないこと”というよりも、”レースを走って決着をつけられないこと”にフラストレーションを感じているようだった。
東京オリンピックの代表選考に必要なUCIポイントが得られる日本のUCIレースは全て中止となり、宇都宮ブリッツェンはアジアツアーで唯一開催が予定されたツアー・オブ・タイランドに行く手段を必死に集めたが、断念せざるを得なかった。
いよいよもう何もできないというところで、UCIヨーロッパツアーのプルエバ・ビリャフランカ・オルディジアコ・クラシカに急遽参戦が決まった。このレースはNIPPO・デルコワンプロヴァンスも元々レーススケジュールに入っており、中根や石上優大もスタートリストに名前を連ねた。
増田擁する宇都宮ブリッツェンは、たった1レースのためだけに渡欧。それゆえに増田自身が感じるプレッシャーも非常に大きいものだった。だが、ネガティブに過ごす期間が長かった反面、一番近くにいたチームメイトや運営会社、スポンサーが常に味方でいてくれたことは大きかった。そのおかげで諦めずにやってこれたんだと、プレッシャーやネガティブな気持ちは全て、感謝の気持ちへと切り替えた。
「今回、代表選考の場に復帰して、最初で最後のレースになってしまうっていうのは分かっていたんですけど、それでも走って締めくくれるっていうことに、この場を与えてくれたことに感謝の気持ちでした。今回こうして挑戦する機会を得られて、本当に支えてくれた方々には感謝の気持ちしかないですね。
自分の中でもすごくネガティブな気持ちでずっと過ごしてきたし、仲裁裁判で棄却された時なんて、びっくりするくらい体調に異変をきたして、(Jプロツアーの)宇都宮ロードとかも走れなくなるくらい内臓がおかしくなったりしたんですけど。
本当に1レースしかなかったので、今回も不安や失敗したらどうしようとか、ここにきて何も残せずに帰ったら言われるのかなとか、いろいろそういう気持ちもあったんですけど、やっぱりそんな気持ちで選手やりたくないし、すごく好きで入ってきたこの世界なのに、大好きな自転車レースをこんな嫌な気持ちで走るのは、本当にダメなことだなと思って。
とにかくこの場に立てたこととか、周りの人たちとかチームの環境とか全部にありがとうの気持ちで走ったら、あとはもう悔いはないなと覚悟を決められました」
ヨーロッパらしいレース展開と”予想外”の逆転
プルエバ・ビリャフランカ・オルディジアコ・クラシカは、上りを含めた周回コースを5周する165.7kmのレース。このレース自体、増田は昨年ナショナルチームで参戦しており、まだコースレイアウトが違ったエキップアサダ時代を含めると3回目の参戦だった。
レースの事前の印象と走った印象を聞くと、こう返ってきた。
「正直、去年はかなり楽に走れていたので、今年はみんな日本人選手も残って、そこで最終的に強い人が残るかなとか考えていたんですけど、今年はブエルタの直前ということもあって、ワールドツアーはきていなかったですが、プロチームレベルの選手たちの仕上がりが違うのを感じました。やっぱり雨と低い気温とで厳しいコンディションだったし、自分も寒さでちょっときつかったですけど」
また、今回のレースで中根をマークするような走りはしないと決めていた。
「相手を基準にレースを進めてしまうと今までも何回かあるんですけど、やっぱり自分の走りもできなくなるし、結局はいい結果に結びつかないっていうことが分かっているので、そういう走りはしないっていうのを決めて昨日は走りました」
昨年はワールドチームのモビスターがコントロールする場面が多かった。しかし今年はどこかのチームがコントロールするような場面も少なく、誰もが常に前へ前へ行こうとするヨーロッパらしい速い展開のレースだった。
「ほぼ全ての上りでペースアップがあって、去年は最初の3周とかはかなりゆっくり上りも走っていたんですけど、今年は全部の上りがなかなかいいペースで進みました。最終周回は本当にバラバラになって、先頭グループが15人前後で、その後ろのグループで終わりましたね。最後から2番目の上りでかかったアタックで、もう自分も寒さで脚と手の感覚がなくなってきて。もちろん力不足っていうのはあります。それで離れてしまって。そこからはバラバラになって一緒になったグループでフィニッシュしましたね」
増田は追走集団の頭は取ったものの、UCIポイントを獲得するために入るべき順位を事前に調べることはあえてしていなかったという。
「ゴールした後一番最初に、レース降りていた(鈴木)譲と会って『ポイント逆転しましたね』みたいに言ってくれたんですけど、自分はもう、何位が何点とかも調べたらまたプレッシャーが大きくなるだけだなと思って、下調べをあんまりせずに、とにかく一つでもいい順位でゴールしようと思ってスタートしたので、こんな順位じゃ逆転できないと思ってたんですよね。帰ってきたら、みんながすごい計算していてくれて。大久保(陣)選手とか西村(大輝)選手とか。それで逆転できたんだなっていうのが分かりました」
人それぞれが持つ価値観
東京オリンピックを競技人生の集大成に据える増田は、「そこに至るまでの過程も含めて、最後に完全燃焼していきたい」とこの数年を過ごしてきた。チームとしても東京オリンピックに増田を出場させるという目標を大々的に掲げた。
「僕たちがオリンピックのために一生懸命やってますって言うのがあんまりかっこよくないことという風に言う人もいるみたいなんですけど、僕はそんなこと全然思っていなくて。僕たちは一生懸命やってきたし、自信を持って自分たちのやっていることを貫き通すべきだなと思って、信じてやってきました。選考期間がまだ数日残っていて、どうなるかは分からないですけど、代表選考うんぬんに関してはもう、自分は最後のレースでやり切ったし、悔いはないですね」
体が壊れるほどにひどく落ち込んだ日々をも乗り越え、増田自身だけでなく世界的にもさまざまな変化が訪れた。そんなこれまでの選考期間を振り返って、増田はこう語る。
「このオリンピックの選考期間が1年、もう2年近くですけど、たらればを言ったらキリがないと思っていて。僕はコロナの影響で出るレースがなくなってしまって、本当に辛い思いをしたけど、新城(幸也)選手だって大腿骨を折ったり、中根選手も去年の前半、事故で棒に振っているので。
選手それぞれはみんな一生懸命、命削ってやっている人たちばかりだし、とにかくお互い、みんながそれぞれの場でベストを尽くしているっていうのは分かっているので、そこに対してのリスペクトは忘れずにやっていきたいですね。これからも。なので、結果は結果として、受け止める準備はできています」
10月17日までの選考期間に残るUCIレースは、新城の出ているジロ・デ・イタリアとヨーロッパツアーではシュヘルデプライス。スタートリストに日本人の名前は別府史之のみ。