人と機材の両面から日本を強くする アンカーの秘密を解き明かせ
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競技向けブランドとして1999年に産声を上げたアンカー。その開発拠点であるアンカーラボは1994年に始動し、今日まで機材開発と選手育成という二本柱で歩んできた。国内屈指の自転車競技研究機関、その秘密に迫る。
アンカーの歴史は、いかにして始まったのか?
埼玉県上尾市にあるブリヂストンサイクル本社工場。その正門前にあるアンカーラボでは、アンカー製品の開発と、選手による走行テストが行われ、自社チームの拠点が静岡県三島市に移った今もチームメンバーがたびたび足を運んでいる。自転車メーカーなので前者の存在は当然だとしても、それと「選手を育てる」ことを同じ施設で行うことに 疑問を生じる人がいるかもしれない。ラボ設立以前からフレームの開発に従事している中西安弘さんに話を聞いた。
「アトランタ五輪の1kmTTで銅メダルを獲得した十文字貴信選手。彼を次のシドニーで勝たせるために、サザンクロスプロジェクトを始動したのが1997年頃です。当時はジオメトリ、剛性、空力という3つのマッチングをテーマに開発を行っており、最初は選手たちのコメントの意味が分からずに困りましたね」
当時の資料にはそうそうたるメンバーの名前が並び、その横には彼らのコメントが書かれている。嫌みがない、硬くてソフトなど抽象的なものから、主に擬音のみで表現されているものまで、確かにそうしたインプレからフレームのフィーリングをイメージするのは難しいだろう。
「そこで、フレームの変形その他を物理量に置き換え、選手のコメントと照らし合わせる方法を試行錯誤の末に確立しました。今では変形量をコンピュータでシミュレーションできますが、最終的にコメントと融合させる過程は今も変わりません」
アンカーラボには、自社開発の自転車用トレッドミルと、ポジショニングマシンがある。前者は傾斜を最大25%まで設定でき、選手の最大酸素摂取量(VO2max)や乳酸値の測定ができる。一方のポジショニングマシンは、負荷を掛けながらペダリングを行い、乗車したままでハンドルやサドルの位置を自動可変できる機械だ。加えてモーションキャプチャーによって、より効率の良いペダリングも導き出せるという。
「選手のコメントを数値化。それは今も変わりません」
レース機材開発課所属。バイオメカニクスと自転車設計を結び付けたパイオニア。後輩の若手研究者たちに、数多のトップライダーと向き合ってきた自身の経験を継承する、同社の機材開発になくてはならない存在
「いいものを届けたい。だからこそテストに注力した」
1971年生まれ。14歳で自転車競技を始め、シドニー、アテネ、北京と3回連続でオリンピック(全てポイントレース)に出場。引退した今もテストライダーとして開発に携わる。
2006年よりブリヂストンアンカーで活躍し、現在ブリヂストンサイクルのブランド推進部に勤める飯島誠さんは、当時をこう振り返る。
「移籍する以前から知ってはいましたが、やはりここは機器が充実しているので、選手は練習に集中できるんです。それと、試作車のテストもずいぶんやりました。僕は納得できるまで走り込みましたね。なぜなら自分のコメントが製品作りに反映されて、それが最終的に戦績にもつながるんですから、やりがいはありますよ。それに、やはりお客さんにはいいものを届けたかったですしね」
隣で聞いていた中西さんが、現在の開発に関して付け加えてくれた。
「現在は、株式会社ブリヂストンの 基盤技術部門との連携によるPROFORMAT(プロフォーマット)へと解析技術が進化しました。走行に関するさまざまな要素を計測、分析し、シミュレーションを行って、フレームを作り上げていきます。そのなかでも選手からの声を数値化し、勝利のためにフレームの完成度を高めていくという取り組み方は今も変わりませんね」
機材開発と選手育成。この二本柱で歩んできたアンカーラボ。ブランド誕生から20年がたった今もそのコンセプトは変わらず、来年の東京オリンピックに向けて選手たちとともに現在も成長を続けているのだ。