旧街道じてんしゃ旅 旧甲州道中編 二日目 甲府柳町宿(山梨県)〜上野原宿(山梨県)
目次
夕方になってまた富士山を拝むことができた。黄昏時の富士の峰もまた美しい
サイクルショップ(ストラーダバイシクルズ)とツアーイベント会社(ライダス)の経営者(井上 寿。通称“テンチョー”)と自転車メディア・サイクルスポーツの責任者(八重洲出版・迫田賢一。通称“シシャチョー”)の男2人、“令和のやじきた”が旧街道を自転車で巡る旅企画の第三弾「旧甲州道中編」。二日目は、甲府柳町宿から上野原宿へ。
江戸時代の軍事用道路だった旧甲州道中
昨夜はついつい深酒をしてしまった。シシャチョーと旅するときは、お決まりなのだが、宿に近づくと、今夜は何を食そうか、何を飲もうかなどと二人で話しながら走る。二人とも酒好きなのだ。
昨日も甲府柳町宿(甲府市の中心街にあった)に入るや否や、「甲斐国やし、やっぱり名物の“ほうとう”を食べないとな」。「街道沿いの銘酒もやっぱり飲んでおかないと」。「まあ……これも仕事やし! 俺ら真面目に取材してるんやし、宿に入ったらすぐに飲みに行きましょうや!!」などとチェックインも片付けもそっちのけ。頭の中はもはや酒、酒、酒である。
旅は二日目がきついのはもう何度も体験している。なのについつい初日は深酒をしてしまうのだった。二人ともまったく学習能力がない。困ったものである。その日二人が入ったのは普通の焼き鳥屋。ホテルでもらった割引券にひかれ、腹が減っていたこともあり、ついついすぐ近くのその店に吸い込まれてしまった。ハイボールが230円というのもシシャチョー的に良かったようだ。あれ? ほうとうは? 地酒は?
さて初日に飲む時はいつも決まってシリアスな話題になる。お互いアラフィフの同い年で、多少は責任のある仕事をしているからだろうか、たわいもない話から次第に仕事の話になり、そして人生の話になる。いつもお決まりだ。しかし二人とも愚痴話になることはない。その面では明るい酒なのだが、酒が進むうちに秘めたる決意や打ち勝ちたい相手などの話に収れんしていく。そして終わりの方になると、今後の夢の話なるのだ。これも毎回決まっている。そして勘定を済ませる頃には二人とも大枠は覚えているが、細かな内容は忘れてしまっているという。ある意味、実に良い酒なのだ。だからつい深酒をしてしまう。
さて体がちょっと重いが問題はない。二日目だから少し慎重に走ろう。そろそろ出発だ。甲府城址で記念撮影をして出発。今日は相模湖あたりまで進む予定だ。
いよいよ難所の笹子峠を目指す
武田氏が織田信長・徳川家康により滅亡させられた後、甲斐国は徳川家康、そして豊臣秀吉の所領へと移り変わった。徳川幕府の体制以後は、家康は甲斐国からの遠征路として甲州道中を拓く。関ヶ原の合戦以後、平和の時代を築いたといわれる家康だったが、常に諸藩への目配せと警戒を怠らなかったのだろう。このように旧甲州道中は軍事用の街道として造られたというのが定説だ。確かに江戸から直線的に信州まで最短で至ることができる。しかしゆえに厳しい峠が存在するのも当然のことだ。
さて今回も読者に追体験していただくために峠は全て国道を利用して越えることにしている。国道側は自動車が越えられるように設計されている。したがって、比較的楽に峠越えをしていただけると思う。
しかし以前筆者が単独で越えたときは旧甲州道中が牙をむいた。そのときは昔のサイクリストのように自転車を肩に担いで峠を越えたのだが、峠のあまりの厳しさに閉口したのだった。特に笹子峠は相当に斜度や足元が厳しく、自転車を担ぐ肩がしびれ、何度も休憩をしながら峠越えをした記憶がある。とにかく旧中山道の碓氷峠よりもきつかったという印象だった。旧甲州道中にはもう一つ、小仏峠もあり、そこも大汗をかきながら自転車を担いだのだった。軍事路として開拓された道であり最短距離を目指したために、とにかく難所だらけだったようである。
さて、今回は舗装路を行く。「井上さん、昨夜ほうとうを食べ忘れて、名物の取材ができてへんから、勝沼ワイン買いましょ! 今日は思ったより峠は厳しくなさそうやし、楽勝ですわ!!」シシャチョーは日頃の鍛錬のおかげか、鼻歌混じりでペダルを踏んでいる。重い荷物を背負っている私に気を遣って重量物を運ぼうとしたのか、それとも、もはや今晩の酒を考えているのか? ……どうやら後者のようである。
ぶどうで有名な勝沼宿を過ぎたあたり、大善寺の前にある酒屋に立ち寄って、勝沼ワインを求めた。地元の住民の方向けに売られている安価だがおいしい赤ワインを。
その後は、駒飼宿を通りいよいよ笹子峠へ。以前の厳しい峠越えの様子を聞かせていたので、警戒していたシシャチョーだったが、舗装路の峠道が意外と斜度がないので、絶好調でぐいぐいと上っていった。峠の途中、旧道への案内看板がガードレールの切れ目に設置されている。ついつい引き込まれそうになる。確かに旧道こそ旧街道の醍醐味が詰まっているのだが、この荷物を取り付けた自転車を担いで行くことは不可能だし、何かあっても大変だ。旧道の魔力の誘惑に負けそうになりながらも、舗装路をたどった。ほどなく国道側の笹子峠を越えた。
補給に失敗? 腹が減ってペダルが踏めない
笹子峠を越えると、後は相模湖まで下り基調になる。甲府を出て初めての下り坂で気分爽快。二人とも豪快に下り始めた。ところが最初は快調に飛ばしていたのだが、途中で二人ともペースダウンしてしまった。「迫田さん腹減りません?」「そういえばワシ、麓で買ったコーラ飲んだだけですわ……。確かに腹減りましたね」。そうなると急激に空腹感が襲う。何と二人して、補給をしていないことに気づく。
下り坂なのにハンガーノックになりそうだ。随分と下ったのに、食堂もレストランも土産物すら見当たらない……。これが旧東海道や旧中山道だと何かしら補給するところが存在するのだが……。それもそのはず、江戸時代、旧甲州道中を使って参勤交代したのは僅かに3つの藩だけだったという。だから宿場町も小規模なものばかりで、集落として大きくなったところが少ないのだ。さらに現代の人口減少が影響しているようだ。
上りで汗をかいたこともあってか、何だか塩分が欲しい。「何が食いたいです?」と私。「とにかく腹減ってるのでなんでも!強いていえばラーメン!!!」とシシャチョー。「そうですね! ラーメン!!」もうこうなると頭の中はラーメン一色に。でもラーメンはおろか自販機すら見つからない。
国道から左にそれ、小さな集落に入った途端、後ろからシシャチョーが大声で叫んだ!!
「あ゙ーーーー!!! あった!」
慌ててブレーキをかけ振り返るが、古民家が並んでいるだけだ。シシャチョーが集落の脇をそれ畑の中を進んでいく。それに付いて行くと……。何と古民家に「らーめん銀次」の看板が……。まさかこんなところにラーメン店があるとは思えないような場所だった。
猿橋に怯えるシシャチョー?
笹子峠から江戸側には細かな距離でたくさんの宿場町が存在した。他の五街道と比べ、この区間は圧倒的に数が多く、その距離も短い。軍事路で山が険しかったせいだろうか。とにかく目まぐるしく宿場町を過ぎるといった印象だ。そしてその宿場町も旧東海道や旧中山道と違い、遺物があまり残されていない。ただ雰囲気は残されているという印象だ。それはそれで好印象。妙に観光地化されていたり、無秩序に市街地化されているよりはよほど良い。
「何か雰囲気残ってますな!? あ、あと2kmほど行くと富士山が見える場所があるみたいでっせ!」など、しっかりと下調べをしてきたのか、宿場町の佇まいを楽しんでいる。途中で一人しか通れないような狭い線路道を進んだり、昔のままの地道に出くわしたり、現代の街道である高速道路の上を通ったり。この区間は晴れがましいものはまったくないが、「道」そのものを楽しむことができる区間だ。
そんなことをしているうちに猿橋宿にたどり着いた。日本3大奇橋だと言われる「猿橋」。なるほど、この構造は一見の価値がある。写真を撮るためにシシャチョーに橋の中ほどまで歩いて行ってもらって、上から下から写真を撮った。撮れば撮るほどにその構造に興味が湧く。撮っては眺め撮っては眺めを繰り返していたのだが、「も、もうええか?? もうええやろ!!!」とシシャチョーの怯えたような声が……。そうだった。彼は極度の高所恐怖症なのだった。
夕方になり陽の沈む頃、上野原宿に入った。甲府柳宿を出発して、実に21の宿場町を通ってきたことになる。今夜は甲州ワインで乾杯だ。
施設紹介
今回の距離:
甲府柳町宿〜(一里十九町・約5.9km)〜石和宿〜(一里二十町三十間・約6km)〜栗原宿〜(三十一町三十六間・約3.3km)〜勝沼宿〜(一里三町・約4.2km)〜鶴瀬宿〜(十八町・約1.9km)〜駒飼宿〜(2里五町三十二間・約8.3km)〜黒野田宿〜(十二町・約1.3km)〜阿弥陀海道宿〜(十八町・約1.9km)〜白野宿〜(一里二町・約4.1km)〜中初狩宿〜(二十四町・約2.6km)〜下初狩宿〜(十三町・約1.4km)〜上花咲宿〜(五町五十八間・約0.5km)〜下花咲宿〜(十三町五十八間・約1.4km)〜大月宿〜(十六町二十九間・約1.7km)〜駒橋宿〜(二十二町・約2.3km)〜猿橋宿〜(二十六町三十間・約2.8km)〜上鳥沢宿〜(五町三十間・約0.5km)〜下鳥沢宿〜(一里六町十四間・約4.5km)〜犬目宿〜(三十一町・約3.3km)〜野田尻宿〜(一里三町三十間・約4.2km)〜鶴川宿〜(十八町・約1.9km)〜上野原宿
合計 十六里二十二町三十八間・約65.0km
参考文献:
「新装版 今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔東海道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「新装版 今昔中山道独案内 日光・奥州・甲州」今井金吾著 JTB出版
「地名用語語源辞典」東京堂出版
「現代訳 旅行用心集」八隅盧菴著 桜井正信訳 八坂書房
「宿場と飯盛女」宇佐美ミサ子著 岡成社
「道路の日本史」武部健一著 中公新書
「フォッサマグナ」藤岡換太郎 講談社
「図解気象入門」古川武彦・大木勇人著 講談社
「歩く江戸の旅人たち」谷釜尋徳著 晃洋書房